- 2026/09/27
- Category : ポエム&川柳
都市伝説ー国立感染症研究所の真実
都市伝説ー国立感染症研究所
国 立 感 染 症 研 究 所
研究所周辺で、深夜白い人影が動くのを見た。咽び泣く声を聞いた。
など心霊の体験談がたえない。
軍の秘密研究機関「731部隊があった。
戦時中、細菌兵器や毒物兵器の人体実験を行っていたとされる、軍の化学研究
機関「731部隊」。正式名称は、関東軍防疫給水部(関東軍防疫部から改称)
現在「国立感染症研究所」が建つ。その地には、かつて旧陸軍医学校があり、
「731部隊」の本部が置かれていたという噂がある。
機関「731部隊」。正式名称は、関東軍防疫給水部(関東軍防疫部から改称)
現在「国立感染症研究所」が建つ。その地には、かつて旧陸軍医学校があり、
「731部隊」の本部が置かれていたという噂がある。
「四 方 楼」
ロ字型の建物で15,000㎡ある細菌実験、生産の主要的建築があった場所で、
1945年8月に日本軍により爆破され、地下基礎部分のみ現存する
1945年8月に日本軍により爆破され、地下基礎部分のみ現存する
二つの穴がみられる頭蓋骨
噂の根拠は、'89年に感染症研究所の建築工事が始まった際に、ドリルで穴を開
けた頭蓋骨や、銃創のような傷のある人骨などが、百体以上見つかったこと。
けた頭蓋骨や、銃創のような傷のある人骨などが、百体以上見つかったこと。
厚労省の厚生化学課の担当者は、「専門家を招き、広範囲にわたり調査をしま
したが、「731部隊」の本部がここに存在した、という確かな証拠は出てきて
いません」と肯定も否定もできないと返答。
したが、「731部隊」の本部がここに存在した、という確かな証拠は出てきて
いません」と肯定も否定もできないと返答。
人骨は、今も研究所の敷地内に建てられた納骨堂で、出自不明のまま眠り続け
ている。
ている。
心 霊 スポ ッ ト
「戸山人骨 (発掘された骨の呼称)」
1989年7月、戦後40年以上を経て突然、人骨が建設現場から発見されたのは、
石井四郎が教官をしていた、陸軍軍医学校の八角講堂があったすぐ近くだった。
石井四郎が教官をしていた、陸軍軍医学校の八角講堂があったすぐ近くだった。
「大都会の真ん中から、突如現れた骨はいったい誰の骨なのだろう」
と大騒ぎになった。しかも銃創が残る。旧満州のハルビンで「731部隊」を
率いていた石井四郎中将による石井機関の中枢が「陸軍軍医学校防疫研究所」
であったため、「これらの人骨が、731部隊と何らかの関係があるのではな
いか」と疑いも持たれた。
感染症の歴史 黒死病 ナポレオン戦争
率いていた石井四郎中将による石井機関の中枢が「陸軍軍医学校防疫研究所」
であったため、「これらの人骨が、731部隊と何らかの関係があるのではな
いか」と疑いも持たれた。
感染症の歴史 黒死病 ナポレオン戦争
七三一部隊の石井四郎中将は、若松河田駅近くの二階建ての住宅を住いとした。
教官をしていた陸軍軍医学校までは歩いて数分、いまで言うところの職住近接
である。陸軍軍医だった石井四郎は、ノモンハン事件で関東軍防疫部長として
教官をしていた陸軍軍医学校までは歩いて数分、いまで言うところの職住近接
である。陸軍軍医だった石井四郎は、ノモンハン事件で関東軍防疫部長として
その手腕を評価され、その後、関東軍防疫給水部「石井部隊」を率いた。ハル
ビンの「満州第七三一部隊」で中国人、ロシア人などの捕虜に対して数多くの
「生体実験」を行ったり、中国での細菌戦を試みたことで知られている。
ビンの「満州第七三一部隊」で中国人、ロシア人などの捕虜に対して数多くの
「生体実験」を行ったり、中国での細菌戦を試みたことで知られている。
当時の国内最高レベルの医学が、軍事作戦に利用され、そのネットワークの頂
点にいたのが石井四郎だった。
点にいたのが石井四郎だった。
戦後、石井らは東京裁判で戦犯容疑を問われたが、実験の資料などをアメリ
カに提出することによって、戦争犯罪を免責された。
カに提出することによって、戦争犯罪を免責された。
このアメリカとの裏取引が、日本政府も日本人も、戦争の重大な加害責任に向
き合う機会を失わせたと言えるかもしれない。
き合う機会を失わせたと言えるかもしれない。
再 建 さ れ た 731 部 隊
「若松河田駅界隈」
「江戸時代には、尾張徳川家の上・中・下屋敷が市ヶ谷から、この一帯までを
拝領していました。明治時代に上屋敷跡には「陸軍士官学校」が中屋敷跡には
「陸軍経理学校」が、下屋敷跡があった現在の戸山公園には『箱根山』と呼ば
れた築山を含む「陸軍戸山学校」そして「東京陸軍幼年学校」も設立されまし
た」さらに1929年には、麹町にあった「陸軍軍医学校」が、現在「国立感染症
研究所」がある場所に移転してきました。
拝領していました。明治時代に上屋敷跡には「陸軍士官学校」が中屋敷跡には
「陸軍経理学校」が、下屋敷跡があった現在の戸山公園には『箱根山』と呼ば
れた築山を含む「陸軍戸山学校」そして「東京陸軍幼年学校」も設立されまし
た」さらに1929年には、麹町にあった「陸軍軍医学校」が、現在「国立感染症
研究所」がある場所に移転してきました。
「陸軍軍医学校」のそばには「東京陸軍第一病院」(国立国際医療研究センタ
ー)と、軍の主要な施設で固められていた。
ー)と、軍の主要な施設で固められていた。
PR




