川柳的逍遥 人の世の一家言
のりたまを振りかけ過去は閉じておく 山本昌乃
「亀山人家妖」(朋誠堂喜三二作北尾重政画?)(国立国会図書館)
「古事記」や「源氏物語」の文学作品に対して、戯れに書いた作品ということ で、江戸後期文芸を「戯作」という。その中で、絵と文が一体となった漫画の
ようなものを,「黄表紙」といった。
自分自身をタイトルとした黄表紙「亀山人家妖」(いえのばけもの)は、朋誠
堂喜三二作、北尾重政画、天明7年 (1787) 蔦重刊。五十三歳の頃の自身を作
品に登場させている。
辛夷散る膝のボルトをゆるめつつ 八上桐子
「本の変遷」
北尾重政に結びつけられる黄表紙。朋誠堂喜三二と北尾重政は、蔦重の板元
から刊行された初期黄表紙作品を支えた人物である。
子供向けの絵入り本であった「草双紙」は、次第に恋愛や遊郭、滑稽などを
主体とした大人向けへと変わっていき、表紙の色から「赤本」や「青本」、
「黒本」と呼ばれるようになった。恋川春町が、鱗形屋から刊行した『金々
先生栄花夢』を皮切りに、表紙の色から『黄表紙』と呼ばれる草双紙が人気
を博した。
黄表紙は毎年、新春に新版を刊行する慣わしとなっており、新年の縁起物と
いう意味あいも強かった。安永末から天明4年前後にかけて、黄表紙の刊行
点数は爆発的に増えていく。ここでも鱗形屋の衰退により、取って代わって
黄表紙の市場に参入したのが蔦重であった。
鱗形屋で活躍していた朋誠堂喜三二や恋川春町らを起用し、多くの作品を世
に送り出した。
「寛政の改革」のもとでは、山東京伝を頼み、粘り強く、黄表紙を刊行した。
急ぐ人僕のうしろに立たないで 雨森茂樹
蔦屋重三郎ー山東京伝の奇天烈な黄表紙の世界
まじめなる口上
「まじめなる口上」と題された序文では、狂歌名「蔦唐丸」こと、版元の蔦屋
重三郎が口上を述べていいる。
寛政元 (1789) 年、山東京伝が北尾政演として挿絵を担当した『黒白水鏡』が、
発禁処分となり、京伝も過料処分(罰金刑)を受けていた。 勢いを増してくる「出版統制」に京伝も、分筆生活から遠ざかろう考えていた
ようだ。「そこをなんとか無理して書いてくれ」と頼みこんだのが蔦重であっ
たことがこの口上でほのめかされている。 グレーゾーンで帳尻を合わせます 和田洋子
箱入娘面屋人魚 (山東京伝作・歌川豊国画)(国立国会図書館蔵)
竜宮の中州で茶屋女をしている鯉の「お鯉の」に恋する浦島太郎。
鯉のほうもまんざらではない。
漁師平次の舟に飛び込んできた浦島太郎と鯉の娘・人魚 山東京伝が蔦重のもとで寛政3 (1791) 年に刊行した黄表紙『箱入娘面屋人魚』
(歌川豊国画)は、童話で有名な浦島太郎を題材に、より大人向けに描いた荒
唐無稽な物語である。
舞台は、隅田川と箱崎川との分流地点を埋め立てて造られた町家富永町、いわ
ゆる中州新地に見立てた竜宮の繁華街。
私娼が横行する岡場所で、そこの利根川茶屋の茶屋女、鯉の「お鯉」に浦島太
郎は惚れてしまう。利根川茶屋の「お鯉の」とは、利根川の鯉が名物であった
ことに由来する。乙姫に隠れ逢引きする2人は、深い仲となり、やがて子供が
生まれた。人と鯉の間の子であるから、当然、人魚である。
浦島太郎は、わが子が見世物小屋に売られないよう、心配しつつも、品川沖で
捨ててしまう。
偶然ですかあなたはいつも濡れて来る 米山明日歌
浄瑠璃「ひらがな繁盛記」になぞらえて、300両のお金を工面するべく手水鉢
の代りにメダカ鉢を叩こうとする人魚。うしろで黒衣となって、小判を巻いて
いるのは女郎屋の主人・伝三。
ある日、神田の八丁堀付近に住む漁師・平次が、品川沖で漁ををしていると、
釣舟に女の化け物が飛び込んできた。首から下が鯉で、顔は17,8歳のくら
いの美女である。浦島太郎と鯉との間に生まれた人魚の成長した姿であった。
平次が人魚を連れて帰ると、たちまち噂広がった。
噂に尾鰭もついて「釣舟平次宿」と書いた札が、疫病神払い効果があると人々
が殺到するようになり、平次も閉口してしまう。
口笛で浦島太郎オペラ版 森 茂俊
平次の留守中に女郎屋に身を売ることを決めた人魚は、口に筆を咥えて、
平次への書き置きを残そうとする。 平次は家賃の支払いも滞るほどの貧乏で、家財道具は、枕屏風と火鉢鉄瓶だけ
しかない。不憫に思った人魚は、浄瑠璃「ひらがな繁盛記」で登場人物の梅が 枝が手水鉢を打つと、300両の金が落ちてくる演出になぞらえて、メダカ鉢を 叩こうとする。黒衣となって、人魚のうしろで小判をばら撒く人があった。 女郎屋の主人・伝三である。物珍しさから人魚を女郎にしようと考えたのだ。 こうしてせめてもの恩返しと思い、平次の留守中に人魚は、身を売ることにな ったのである。 鮮魚店に人魚の入荷聞いてみる 吉川幸子
人魚だとばれてはいけないと、人目を避けるように突き出しの花魁道中をする
人魚一行。女郎屋の男性使用人である「若い者」は、本来なら箱提灯で道中を 明るく照らすが、わざと暗くするために手には何も持っていない。 こうして舞鶴屋の「突き出し」の花魁になることとなった人魚は、「人魚」を
逆さにして「魚人」という源氏名を得た。突き出しとは、見習い期間をおかず に女郎として披露することを意味する。 原では、松葉屋の松人、扇屋の花人といった人気の遊女がおり、魚人という
名はそれにあやかったものであった。遊女になるには、足がなくてはならない と、義足付きの股引を穿かせようと伝三は考える。 どうしても水に浮く大人の童話 山口ろっぱ
夕暮れ時になると、人目を避けるように、人魚は突き出しの花魁道中を行う。
「禿」や化粧を世話する若い女郎である「新造」使用人の「若い者」に加えて、 黒衣が人魚を支え、鱗が見えないように着物の乱れを直している。 やがて初めて客をとり、床入りとなったが、人魚の生臭さだけは隠せない。 閉口して逃げ出す客を、黒衣が手を出して引き止めるも、こんなに花魁の手は 長かったかと、余計に驚かせる始末。 「舞鶴屋には化け物が出る」という噂が流れ、人魚は、平次のもとに帰される
こととなった。 因縁の鱗が浮いている風呂場 平井美智子
平次を呼び出し、人魚を引き渡す伝三。
突き出しにいかに費用がかかったかを、外郎売りのごとく伝三がまくしたてる。 長生きした思いにかられ、人々が平次宅に殺到する。
なめられる恥ずかしさから、人魚は頭巾をかぶっている。
平次の元へと戻って、再び女房となった人魚が、「ある博学者が、人魚の身体
をなめると寿命が延びる」という言い伝えを教え、これで商売をしたらどうか と勧めてきた。そこで平次が「寿命薬 人魚おなめ所」という看板を門口に出 したところ、老若男女身分の違いも関係なく、長寿を願う人々が列を作る始末。 なかには、もっと下の方をなめたいと情事をほのめかす者もいる。 本当を知っているのは私だけ 津田照子
時分をものにしようとやってきた若者をはねつける人魚。
人魚なめすぎた平次は子供となり、乳を飲みたいと言う始末。
平次の留守中には、美貌の人魚をものにしようと若者がやってきたりもするが、
貞魚の人魚はこれに応じない。 こうして平次夫婦は大金持ちとなったが、平次は自分も若返りたいと、昼夜問 わず、暇があれば女房の人魚を舐め続けた。 度が過ぎた結果、平次は子供になってしまう。 そんな夫婦のもとに、浦島太郎と鯉がやってきて玉手箱を与えた。
これを開けると、平次はたちまち色男となり、人魚は人間へと姿を変えたので
あった。 玉手箱の効用で、色男に変った平治。人魚も一皮むけて人間となった。
本書の結末に、この物語は7千9百年前のことで、不老不死の夫婦は今、
作者の山東京伝の隣家で、元気に暮らしているという落ちがつく。
森を出て森に還ってゆく人魚 井上恵津子
「べらぼう38話 ちょいかみ」
蔦重(横浜流星)は、歌麿(染谷将太)のもとを訪ねます。
そこで目にしたのは、体調を崩して、寝込むきよ(藤間爽子)の姿でした…。
いつも明るく支えてくれていたきよの弱った様子に、歌麿も表情を曇らせます。
そんな中、蔦重は鶴屋(風間俊介)のはからいで、口論の末、けんか別れした
政演(山東京伝)(古川雄大)と再会します。
互いに言葉は少なく、ぎこちない空気が流れますが、江戸の出版界を者同志の
誇りや信念がそこにはありました。ふたたび交わった視線の中に小さな和解の
兆しが見えはじめます。
くたくたになるまで愚痴を聞いてやる 清水すみれ
一方、定信(井上祐貴)は長谷川平蔵(中村隼人)を呼び、昇進をちらつかせ、
人足寄場を作るよう命じます。無宿人を収容し労働に従事させる仕組みは、
江戸の治安維持を目的とした大胆な策でした。
さらに定信の改革は、学問や思想にまで及びます。
ついには出版統制令を発令させ、庶民の楽しみであった黄表紙や洒落本までも
厳しく規制の対象とします。文化の苦しさを増すなか、蔦重や歌麿、京伝たち
は時代の荒波に翻弄されながらも、それぞれの道を模索するのでした。
でたらめが大きな顔でタクト振る 井本健治 PR
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