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川柳的逍遥 人の世の一家言
造花にも生まれ故郷があるポエム 前中知栄
青楼仁和嘉 女芸者部・大万度 吉原の女芸者による俄(にわか)狂言を題材にしたもの。大首絵で画壇に雄飛 する直前の作品で蔦重御用の彫師・摺師の腕の冴えを見ることができる。 寛政5 (1793)年から6年の作。全12枚からなるこのシリーズは、歌麿の色
彩感覚と構図感覚の非凡さを示して余すところがない。
子の刻から亥の刻までの十二時に、吉原の女たちの生態を描きわけるこの作
品ではひとり立ち、あるいは二人から三人までの遊女をすべて全身像で描き、
その十二枚のことごとくが、、それぞれ細心の注意をもって構図される。
野卑な色彩は意識的に排除されており、ほとんど「様式美」と名づけてもよい
ような女たちの美しさを作り上げている。
積分をして5を足すとキミの頬 井上一筒 十二枚、まったく間然するところのないこのシリーズは、もともと特別の注文
によって作られたもの、とする説が生まれるほどに、最高の彫刻技術が駆使さ
れた作品である。歌麿がかくも完璧な吉原の日常を描くことができたのは…、
蔦重のおそらくは推薦で狂歌仲間「吉原連」に名を連ねたことが大きかったに
違いない。
この作品のあと歌麿は、蔦重とは距離を置き、若狭屋、岩戸屋、近江屋、村田
屋、松村屋、鶴屋など、多くの版元から錦絵を出すようになった。
もちろん蔦重には、歌麿が離れてしまうのは、手痛かったはずである。
ふり仰ぐ胸に悲の字を縫いつけて 太田のりこ
蔦谷重三郎ー歌麿・「青楼十二時」
子の刻
遊女の十二時は子の刻からはじまります。上級の遊女はおそらく床着に着替え
ているところか。お付きの女性は打ち掛けを畳んでいる。吉原の街の営業終了。
これを「引け」と呼びました。
丑の刻
夜中の午前2時頃、目が覚めてお手洗いに行くのでしょうか。電灯のない時代
なので、遊女は手元に小さな火を灯しています。睡魔と戦いつつ、暗闇の中、
足先で草履を探しているような細かい仕草の描写は歌麿ならではの技。
寅の刻
03:00〜05:00、まだ辺りは暗い時間帯です。姉さん風の遊女は、長い花魁煙管
で朝の一服。火鉢の前のお付きの女性は、お客に何か温かい茶でも出そうと準
備をしている。二人遊女は、客の話をするような、おしゃべりがはずむ。
しばらくは余談が続く峠道 中野六助
卯の刻
05:00〜07:00、夜が明け、泊まりの客を送り出す遊女。客に着せようとしている
羽織の裏には、達磨の絵が描かれている。達磨は指をくわえてちょっと物足りな
さ気。はたしてこの達磨は、遊女と客とどちらの心境を表しているのだろうか。
辰の刻
07:00〜09:00
客がひと通り帰って、ようやく体を休める遊女たち。どこかほっとした表情です。
とは言え、また昼の営業が始まるので、ここでは仮眠がせいぜい。
巳の刻
09:00〜11:00、吉原遊廓は昼の営業(昼見世)もあるため、この時間になると、
遊女たちは髪結いに髪を結ってもらい、入浴をして食事をし、身支度をします。
描かれているのは湯上りの遊女。お茶を差し出しているのは、見習い遊女(新
造)でしょう。
古時計メトロノームにして眠る 井上恵津子
午の刻
11:00〜13:00、吉原の昼見世は、夜に比べれば客足も少なく、比較的のんびり
したものだったようです。中央の煙管を持った遊女はおそらく花魁、襷掛けの
遊女は新造か、誰からか届いた手紙をみせています。それを見て花魁が何か話
しかえています。そんな二人にはお構いなしで、嬉しそうに鏡を眺めるのは禿。
新造が櫛を手にしているので、禿の髪を結ってやったのでしょう。
未の刻
13:00〜15:00、この刻限に描かれた遊女たちは、だいぶリラックスモード。
画面左端の冊子の上に見えているのは筮竹で、遊女の向かいには易者(占い師)
が座っているのでしょう。隣の新造が禿の手相を見て占いごっこに興じている。
やや前のめり気味で占い結果を聞いている遊女の姿がなんとも微笑ましい。
申の刻
15:00〜17:00、昼見世が終わると、いよいよ夜の営業(夜見世)の準備です。
「申の刻」では、遊女たち(赤い着物の遊女の後ろに、びらびらかんざしを挿
した禿の頭が見える)が、揃って出かける模様。引手茶屋で待っている花魁の
お客を迎えに行くのでしょう。花魁がお客を出迎えに行く往復路が、いわゆる
「花魁道中」です。華やかな遊女たちがしゃなりしゃなりと遊郭の通りを練り
歩く様は、見物の人々の目を釘付けにしました。
裏も表も舌の根までも見せている 大場美千代
酉の刻
17:00〜19:00、午後6時頃を「暮れ六ツ」と呼び、吉原の夜見世が始まる時刻
です。「暮れ六ツ」には、各妓楼で三味線が鳴らされ、提灯に火が灯されます。
歌麿も、立派な箱提灯の準備をしている様子を描いています。ちなみに、頭の
上に蝶々が羽を広げたような遊女の髪型は、兵庫髷の一種。日本髪は時代を通
じて非常に多くの種類が存在しますが、吉原の遊女たちはさまざまなアレンジ
を加え、そのバリエーションをさらに広げていきました。
戌の刻
19:00〜21:00、遊女が長い巻紙に手紙を書いています。今晩はお客がつかなか
ったのでしょうか。遊女たちは、吉原の外に出ることを許されず、お客を待つ
ほかありません。そのため、手紙はお客の心を繋ぎ止める重要な営業ツールで
した。白々しい愛の言葉を書き連ねても、苦境を露骨に訴えても、相手に引か
れてしまいます。とても難しいですね。遊女が、禿の耳元に何やら次の作戦を
伝えています。
亥の刻
21:00〜23:00、夜も更け、禿が遊女の隣でうつらうつらと舟を漕いでいます。
吉原では、客が遊女と二人きりになるまでに、なるべくお金を落とさせる仕組
みになっていました。遊女や妓楼のランクによって、遊び方のシステムや予算
は異なりましたが、相手が最高位の花魁となると、相応の手順と費用を要しま
した。宴席を開いて羽振り良く振る舞い、詩歌や音曲、書画などの教養を披露
し、一夜限りの殿様気分を味わうのです。客が殿様なら、花魁はお姫様です。
煙管片手に盃を差し出す花魁の姿は堂々としたものです。
プレゼンの途中に挟む自慢談 日下部敦世
東扇・中村仲蔵 勝川春章
「勝川春章と春好」
勝川春章は一筆斎文調とともに役者似顔絵の新機軸を出し、鳥井派風の画一的
表現に慣れていた当代人の耳目をひいた。『浮世絵類考』では、春章のことを
「明和の此歌舞伎役者似顔名人」に簡潔に記している。
役者を似顔で描くということは、役者という存在をリアルに捉えることを意味
するから、春章はこれを推し進めて、舞台以外の役者の日常を似顔で描いた
『絵本役者夏の富士』なども刊行した。
そうこうした彼の作画活動のなかで『東扇』シリーズは、すべて扇の形の中に
役者の似顔による半身像を描いたもので、いわば歌麿の美人大首絵や写楽の大
首絵の先蹤的作品といえるものである。
土足で入る他人の夢の中 蟹口和枝
市川高麗蔵の伊豆の次郎 勝川春好
春好は春草の高弟。彼は役者絵では師の似顔絵を、さらに発展させたことで重
要な位置にある。「市川高麗蔵の伊豆の次郎」は、まさしく写楽の大首絵の源
泉となったもので、半身像をさらに顔面のクローズアップへと進めた。
ただし、衣紋線までもが異様に大きくなり過ぎたきらいがある。
プロテインが育てた蛙の太もも 通利一遍 PR |
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茶助
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非公開
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