どもならんショーリショーリと髭を剃り 酒井かがり
フロイス日本史 フロイス像
「文禄2年フロイス記録文書・豊臣秀吉篇」
彼(
秀吉)は美濃国の出で、貧しい百姓のせがれとして生まれた。
若い頃には山で薪を刈り、それを売って生計を立てていた。
彼は今なお、その当時のことを秘密にしておくことができず、
むしろ
「極貧の際には、古い蓆以外に身を覆うものはなかった」
と述懐しているほどである。
彼は身長が低く、目がとび出ており、シナ人のようにヒゲが少なく、
醜悪な容貌の持ち主で、片手には六本の指があった。
「付録」
文献・「国祖遺言」は、加賀藩中の一門・家臣に向けて、
藩祖である前田利家の事績を称揚する目的で、書かれた利家の言行録。
その中に、「大閤様ハ、右之手おや由飛一ツ多六御座候」の記述がある。
(太閤様は右の手の親指がひとつ多く六本だった)
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日本史・訳
ついでそうした卑しい仕事をやめて、戦士として奉公し始め、
徐々に出世して美濃国主から注目され、
戦争の際に挙用されるに至った。
信長は美濃国を征服し終えると、
秀吉が優れた兵士であり騎士であることを認め、
その俸禄を増し、彼の政庁における評判も高まった。
しかし彼は元来、下賎の生まれであったから、
主だった武将たちと騎行する際には、馬から下り、
他の貴族たちは、馬上に留まるを常とした。
男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき策略家であった。
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彼は自らの権力が順調に増していくにつれ、
それとは比べ物にならぬほど、
多くの悪癖と意地悪さを加えていった。
家臣のみならず外部の者に対しても極度に傲慢で、嫌われ者でもあり、
彼に対して、憎悪の念を抱かぬ者はいないほどであった。
彼はいかなる助言も道理も受け付けようとはせず、
万事を自らの考えで決定し、誰一人、
あえて彼の意に逆らうが如き事を一言として述べる者はいなかった。
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彼はこの上もなく恩知らずであり、
自分に対する人々のあらゆる奉仕に目をつぶり、
このような(些細)ことで最大の功績者を追放したり、
恥辱をもって報いるのが常であった。
彼は尋常ならぬ野心家であり、その野望が諸悪の根源となって、
彼を残酷で嫉妬深く、不誠実な人物、欺瞞者、虚言者、横着者、
たらしめたのである。
彼は日々、数々の不義、横暴をほしいままにし、万人を驚愕せしめた。
彼は本心を明かさず、偽るのが巧みで、悪知恵に長け、
人を欺くことに長じているのを自慢としていた。
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秀吉と女と加藤清正
齢すでに五十を過ぎていながら、
肉欲と不品行において、極めて放縦に振る舞い、
野望と肉欲が、彼から正常な判断力を奪い取ったかに見えた。
この極悪の欲情は、彼においては止まることを知らず、
その全身を支配していた。
彼は政庁内に大身たちの若い娘たちを、
三百名も留めているのみならず、
訪れていく種々の城に、別の多数の娘たちを置いていた。
彼がそうしたすべての諸国を訪れる際に、
主な目的のひとつとしていたのは、
見目麗しい乙女を探しだすことであった。
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彼の権力は絶大であったから、その意に逆らう者はなく、
彼は国主や君侯、貴族、平民の娘たちを、
なんら恥じることも恐れることもなく、
その親たちが流す多くの涙を完全に無視した上で、収奪した。
彼は尊大な性格であったから、
自らのこれらの悪癖が度を過ぎることについても、全く盲目であった。
彼は自分の行為がいかに卑しく、不正で、卑劣であるかに、
全然気付かぬばかりか、これを自慢し、誇りとし、
その残忍きわまる悪癖が満悦し
命令するままに振舞って自ら楽しんでいた。
何ともフロイスの命がよくあったものだと思う辛辣な秀吉評である。
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