- 2013/03/20
- Category : ポエム&川柳
蛤御門
蛤御門と蛤御門の門柱に残る弾痕 (拡大してご覧下さい)
元治元年(1864)7月19日、
ついに長州軍は洛中に入り、御所占領を目指し、
これを阻止しようとする会津、
桑名の藩兵らと激戦になった。
最も激しい戦闘があったのが、
御所の「蛤御門」付近であった。
この戦いを「禁門の変」と呼ぶのは、
御所の門(禁門)の前で戦闘が繰り広げられたからだが、
御所の門というのは一つではない。
雨天につき第二関節まで決行 酒井かがり
そのうち蛤御門での戦闘が最も激しかったので、
「蛤御門の変」 と呼ぶわけである。
蛤御門は、もともと「新在家御門」という名称であった。
ところが京の天明大火で、
普段は開くことの無かったこの門が開いたので、
まるで「火にあぶられた蛤が口を開いたようだ」とされ、
蛤御門と呼ばれるようになった。
有事論くもりガラスが外せない 堀井 勉
「戊辰戦争あたりから活躍しはじめた大砲」
四斤山砲 (クリックで拡大)
口径:86.5mm 全長96.0cm
全備重量:218kg 初速:237m/秒 最大射程:2.600m
1859年にフランスが制式採用した火砲。
フランス陸軍がイタリア統一戦争で、
戦果を挙げたことでその存在が知れわたり、
各国が導入を急いだ。
日本では幕府が第2次長州征伐で使用したのが最初である。
榴弾の側面に12か所のスタッド(鉛鋲)があり、
これが砲筒内の6条の溝に嵌り、
発射の際に回転を与える仕組みとなっていた。
また砲架を分解さえすれば、
未整備路でも運搬が可能であり、
山道が多くて大型の火砲を運ぶことが、
困難な日本にも適していた。
「会津戦争」では、両軍が主力野先戦砲としており、
八重も指揮して新政府軍を砲撃した。
開拓史から一歩も出ない銃社会 萩原三四郎
アームストロング砲
口径:64mm 全長:153cm 全備重量:250kg 初速:350m/秒
最大射的:3600m
イギリスの技術者アームストロングが開発した最新鋭野戦砲。
幕末期の日本には、12ポンド、9ポンド、6ポンドの3種類が
持ち込まれていたが、
「戊辰戦争」で使用されたのは6ポンドのもの。
榴弾の弾体の中央には、鉛が巻きつけてあり(鉛套式)、
この鉛が砲空内の施条と噛みあい、
強力な回転を与える構造になっていた。
これにより、四斤山砲などの従来の野戦砲よりも、
弾道の安定感が高まり、
命中精度や初速、射程距離が向上した。
日本で存在が知られたのは、
「薩英戦争」でイギリス艦隊が使用したのがきっかけで、
「戊辰戦争」では、佐賀藩が、
上野の彰義隊攻撃と会津戦争で2門用いている。
どかんかいイージス艦のお通りだ 嶋澤喜八郎
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