- 2012/07/26
- Category : ポエム&川柳
摂関家との提携
「摂関家との提携」
政治的な発言力を高めるために、
多数派工作が有効なのは、
いつの世も変わらない。
そのために清盛が用いたのが「婚姻政策」だ。
有力貴族に多くの娘を嫁がせて、
平家のシンパを増やし、
政界における平家のプレゼンスを高めようと努力した。
高倉天皇の中宮となり安徳天皇を生んだ徳子は、
その代表だ。
≪ほかにも後年に従一位に進む花山院兼雅、
後鳥羽天皇の外祖父となる藤原信隆、
高倉天皇の寵姫でもあった小督(おごう)と浮名を流す藤原隆房、
などの有力貴族に娘を嫁がせた≫
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清盛の娘のうち徳子に次いで、
重責を担ったのが盛子だろう。
長寛2年(1164)、
清盛は盛子と関白・藤原基実を結婚させ、
摂関家と婚姻関係を結ぶことに成功する。
盛子は正室として迎えられたが、
これが明らかな政略結婚だったことは、
すでに基通という息子までいる
22歳の基実に対して、わずか9歳の盛子が、
あてがわれたことからもわかる。
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藤原基実
基実が平家との結婚を受け入れたのは、
「平家の武力と財力に期待をかけたからだ」
と思われるが、
清盛に対する親近感も、あったのではないだろうか。
摂関家は、「保元の乱」により、
源為義など仕えていた武士を多く失ったことで、
荘園などの管理にあたる武士が不足し、
各地で混乱が生じていた。
そのため、基実は武門貴族である
藤原信頼に目をつけ、その妹と婚姻し、
彼の持つ武力に頼った。
しかし、今度は「平治の乱」で信頼を失ってしまった。
≪そしと、平治の乱の「六波羅行幸」のおり、
信頼の妹を妻にもつ基実を、
快く迎えてくれた清盛の度量の大きさに感銘を受け、
頼むに足る人物と見込んでいたことも、提携の条件になった≫
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藤原基房
清盛にとっても、「摂関家との提携」は、
政治的な発言力を高める、絶好のチャンスだったが、
それ以上に魅力だったのは、
摂関家が全国に所有する、膨大な荘園だった。
清盛は、配下の家人を預所に任命したり、
在地領主を下司に任じたりして、在地支配にあたらせ、
摂関家・領荘園からの中間搾取をねらったのである。
≪ところがその目論見は、
その2年後に基実が24歳で急死したことで頓挫してしまう≫
金箔を纏えば僕もほとけさま 新家完司
こうした下りにおいて、その後、後白河上皇は、
二条天皇の親政を支えた摂関家を弱体化するため、
「摂関家領は清盛が管理せよ」
という院宣を下した。
いわば、盛子の摂関家領相続は、
政府の公認のもとに行なわれた。
清盛が見た夢の話が、貴族の日記に残る。
砂のない砂場に時を遊ばせる 山本早苗
「あるとき、春日大明神の使者が清盛のもとへ、
宝の山をもってきて、しばらく預かってくれるように命じた。
宝の山には藤の花が盛んに咲いて,
覆っていたというものだ。
その後、基実が亡くなり、
財産を清盛に管理させよという院宣が下された。
筋からいえば辞退すべきであるが、
『神のおはからいである以上、
断るのは恐れ多いのでしばらく預かることにした』 と、
清盛自身が語ったという」
日記の主が基房の弟・九条兼実であるのが面白い。
≪この夢に対し、批判めいたことは一切記されていない≫
斜めに歩いて衝撃を避ける 本多洋子
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