- 2012/07/05
- Category : ポエム&川柳
信西の首
「平治物語絵巻・信西巻」 (国立国会図書館)
信西の首は獄門に晒された。
そして信西の息子たちは、一斉に配流されて一族は壊滅した。
「信西の首」
平治元年(1159)12月9日、「平治の乱」が勃発する。
清盛が一家をあげて熊野参詣のため、
京を留守にしていた最中だった。
後白河の近臣・藤原信頼と源義朝らの軍勢が、
後白河上皇の院御所・三条殿を突如襲撃した。
彼らの目的は信西である。
信西は下級官人出身だが、
非常に有能で、実務官僚系の院近臣として、
鳥羽院に接近し、
後白河の乳母を妻にしていることから、
後白河の側近にもなり、「保元の乱」後の混乱の中
政治の中枢に躍り出た人物だ。
ポケットの中の心が見つからず くんじろう
信西の生首を持ち帰る道中 前列の4人が首を掲げる
後白河を大内裏に移し、
義朝らは信西を捜索するが、
信西は危険を察知し、逃亡したあとだった。
のちに、自ら胸に刀を突き刺し自殺した姿で、
信楽山の山中で発見され、
その首は落とされ西獄門に晒された。
謀叛罪として梟首に処せられたのである。
子息たちも解官、配流された。
50年前、鎮西で反乱をおこした源義親(義朝の祖父)以来の
「梟首の刑」である。
一昼夜拍手を浴びてオポッサム 富山 悠
信頼・義朝はさっそく「除目」をおこない、
自らはもちろん、一門や同志の貴族たちの官位を進めた。
しかし、反信西では一致していた彼らに、
早くも分裂が始まっていた。
除目=官職に任命する儀式。
知らぬところで鏡の割れる音がする 洗い慶子
すなわち二条天皇の外戚・藤原経宗(つねむね)や
側近・藤原惟方(これかた)など親二条派が、
9日の事件に、
強い危機感を抱いた内大臣・藤原公教(きみのり)が、
秘密裏に進めていた反信西派の結集工作に、
加わったのだ。
彼らの手引きで、公教は二条天皇を内裏から、
密かに脱出させるという作戦を企て、
その実行役として、清盛が起用された。
終りでも始めでもある判を押す 中川隆充
「六波羅合戦図」 (国際日本文化研究センター)
赤い旗をなびかせながら出陣する平氏軍。
中央の赤い甲冑を着た武士が、清盛。 (デジタル復元図)
もともと、二条親政派であった藤原経宗、
惟方にしてみれば、
後白河院政派から鞍替えしたばかりの、
信頼、義朝が、自分達を差し置いて、
二条天皇を擁立し、政権を牛耳るのは、
バカバカしい話であった。
そこに目を付け、反信西派に打ち込んで分断した、
藤原公教の目の付け所は見事というほかない。
≪公教は、信西によって荘園整理のために設置された、
記録所の責任者とされた人物だが、
信西にそれだけ高く評価されるだけのことはあったのだろう≫
砂時計倒れたままの裏表紙 笠嶋恵美子
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