- 2011/10/11
- Category : ポエム&川柳
お江ー春日局-2
大奥の襖絵下書き(国立公文書館所蔵)
大奥新御殿休息伺下絵 新御殿下段・「春の景」
「福(春日局)の教育」
「竹千代様を秀忠公の跡継ぎにする」
という信念を抱いて、
乳母・お福の「竹千代・養育計画」は、
かなり本格的なものだった。
まず、福の教育のはじめは、
「おじいさまに学びなさい」
家康に学び、
「お父さまに学びなさい」
とは、決して言わなかった。
お江への反抗心がそうさせたのだろう、
秀忠には、「学ぶものは、何もない」
と言い切るのである。
教育委員会って何するところですか 仁賀俊雄
とにかく、
「絶対に秀忠様や大御台さまの真似は、なりませぬ」
と、言うのである。
お江は、自分に懐かない竹千代を、
「可愛いとは思えず」
また、竹千代は、そんなことで、
母・お江を敬遠するようになった。
福の思惑通りである。
次にお福は、
「竹千代君が将軍になったときに、
そのブレーンとなる側近を、子供の時から教育する」
という方針をたてた。
音楽ききますブルジョアの犬 鶴 彬
春日局化粧の間
≪埼玉・喜多院に移築されている。意外と質素な部屋だ≫
将来性のある武士の子を、竹千代の、
学友、遊び相手として、
竹千代と一緒に育て、躾けるということである。
選ばれたのは、
一族の堀田正盛や松平信綱、阿部忠秋たち。
折々、福は、彼らを自分の部屋に招き、
菓子などを与えながら、
竹千代と遊ばせ、マインド教育に徹した。
ゆっくりとやがて夕日に皆塗られ 小西カツヱ
福が求めたのは、
「竹千代への絶対的な忠誠心」
であった。
少年たちは、福の情熱的な調育によって、
この精神を体得していく。
そして、少年たちは、
徳川政権を支える、有力な閣僚になっていく。
各停の駅に彼らの思いあり 筒井祥文
家康が、福に絶大な信頼を寄せていた事実がある。
家康は、
「大名は自分の治める居城以外は持ってはならぬ」
という、「一国一城」のお布令を出した。
ところが、彼らだけは、例外扱いをされているのだ。
武蔵野国(埼玉)にはすでに、
一国である江戸城があるのだから、
そこに、他の城があってはならない。
だが、同じ埼玉に、彼らが城主となる忍城・川越城という、
城だけは、許されている。
家康の大いなる矛盾である。
五つ目の信号までが全部青 河村啓子
大権現・家康の図
≪上に、江戸城の縄張りを担当した藤堂高虎と、天海が描かれている≫
天下のご意見番・大久保彦左衛門が、
「いまの幕府を動かしているのは、坊さんと女性だ」
と言ったことがある。
坊さんというのは、家康以来のブレーンで、
僧の天海のことであり、
女性とは、福(春日局)のことである。
将軍を育て上げることで、
福は、それだけの権力を、手にしていたのである。
「大奥」
世界史上、類をみないほどの
" 巨大なハーレム " として、知られる「大奥」。
江戸城の最奥部に位置する、この伏魔殿の
礎を築いたのは、2代将軍・秀忠だった。
元和4年(1618)、秀忠が、
『大奥法度』を制定したことで、
江戸城の「表」が、幕府の政庁、
「中奥」が、将軍の執務場所、
「大奥」が、将軍の私邸という、明確な境界が生まれ、
この体制は、江戸城開城までの約300年続いた。
真っ青なカンバス裂いてくる羽音 谷垣郁郎
しかし、将軍だけに許されたこの " 梨園の花園 " も、
恐妻家・秀忠の時代には、
秀忠たった一度の大奥女中・静との浮気を除いては、
名ばかりのものであった。
大奥が、ハーレムとして,本格的に機能するのは、
3代将軍・家光の時代になってからである。
どの夢も獏がかじった痕がある 佐藤美はる
その立役者となったのが、春日局である。
彼女は、最高取締役・「お年寄り」として大奥に君臨し、
なかなか、世継ぎに恵まれない家光のために、
大奥を組織的に整備した。
そして、女性のスカウトから、
彼女たちのしつけ直し、采配にいたるまで、
大奥にまつわるあらゆることを、取り仕切り、
現在知られている大奥のシステムを、
つくり上げたのだ。
影が姦しい女たちの晴着 板野美子
家光誕生の間
「余談-1」
竹千代は、母・お江に愛されなかったことが、
トラウマにあったのか、女性恐怖症があり、
吃音があったとも言われる。
また、春日局の教育の後遺症もあるのだろう、
女性の好みが、とても難しい人であった。
そんな環境の中に、
家光になかなか、世継ぎが出来なかった理由のひとつに、
女嫌い、イコール「男色の気」がある青年に、
育っていった裏事情もある。
濁音が出ない熱中症のとき 井上一筒
強いての女性といえば、
家光は、尼僧を好んだ。
尼さんを、わざわざ還俗させて側室にしている。
家光も、「女の匂い」 がしない尼さんはだけは許せたようだ。
彼が好きになったのは、伊勢・慶光院の住職。
千姫が秀頼の短冊を納めた尼寺の、
若く美しい人で、
同腹の弟のために、女嫌いの弟を心配し、
弟の尼さん好きを聞いた千姫が、
一肌脱いだということである。
この尼さんの優しさに触れて、家光は、
一丁の男になっていく。
「余談ー2」
江戸時代初期においては、大抵の場合、
御台所は、形式上の主宰者であった。
たとえば、家光正室・鷹司孝子は、
夫との仲が極めて険悪で、
正式に「御台所」と称することのないまま、
結婚後、程なくして、
その居所を本丸から中丸に移され、
大奥の実権は、もっぱら、「春日局」が握っていた。
岸壁は笛吹く人の立見席 富山 悠




