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川柳的逍遥 人の世の一家言
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活火山だったと知った鼻の穴   くんじろう






紫式部が源氏物語の「宇治十帖」を書いた場所は、京都府宇治市です。
宇治十帖は、紫式部が記した『源氏物語』の五十四帖のうち、
最後の十帖で、宇治を舞台としています。
 
    宇治十帖を執筆するところか机上の前の紫式部




「藤壺女御の兄・兵部卿宮」
兵部卿宮は、藤壺の兄であるだけでなく、源氏の妻になる紫の上の父でもある。
つまり源氏が終生、想いを寄せる恋人の兄、そして、最愛の妻ということで、
浅からぬ縁で結ばれています。
ふたりは三条の里邸に下がった折に、偶然、出会うことがあります。
いつにもまして親しく口をきく機会となったこの時、源氏は近くであらためて
接した兵部卿宮を「女にしたらすてきだろうな」と思うのでした。
宮もまた、源氏に対して「女にして逢ってみたいもの」と同じ印象を持ちます。
藤壺と紫の上という、物語中で1,2を争う美女の兄にあたり、父になる人物
ですから、宮がなまめかしく優雅な貴人だったとしても不思議はありません。
王朝の美意識では、宮のような、女にしたいほどなまめかしく優艶な容姿こそ、
理想的な男性美でした。その代表は、もちろん源氏です。
美女との恋の遍歴を重ねるその源氏が即座に「女にしたいものだ」と思うので
すから、宮の容姿が相当なものだったことは間違いありません。




式部ーどうにもとまらないー賢子 宇治十帖絵巻とともに





右藤壺、中央・光源氏、左上・太宰師宮、左下・権中納言(頭中将)




とりあえず、賢子の部屋の中に思い思いに座を座を占めると、先ず頼宗藤袴
について質問を始めた。
それぞれに公平に問いかけ、一通りのことを聞き出すと、
「なるほど、故大納言源時中殿の御息女ですか。あの方にそんなに若い娘が
 いたとは初耳ですね。それに朝任殿からもそんな話をきいたことはないな」
「やはり頼宗さまも、不思議にお思いになられましたか」
頼宗の傍らに、ちゃっかり座り込んでいた小式部が、頼宗にすり寄るような
素振りを見せながら言った。
「あら、不思議って、どういうこと?」
頼宗の両隣の席の片方を小式部にとられてしまった良子が尋ねる。
「私も亡き大納言さまのご息女について、耳にしたことがなかったから、
 不思議に思ったのですわ。だって大納言のご息女なら、少しは噂になって
 当たり前ではありませんこと?」
確かに、大納言とは朝廷の政治を担う、大臣に次ぐ官職である。
大納言の娘であれば、天皇にお仕えすることも夢ではないし、頼宗のような
大貴族の正妻になることもあり得た。
賢子たちの中に、そのような父親を持つ者はいない。
つまり格が違うのである。




ジメジメのジメの隙間に夜来香  雨森茂樹





たちよらむ 蔭を頼みし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな- 薫 - 巻46




藤袴が、烏丸たちから、いじめを受けていたことについては、頼宗に話して
いない。頼宗が不審に思うのではないかという忠告に気付いて、賢子は、
はっと頼宗の顔色をうかがった。
だが頼宗は、何か考え事に耽っている様子で、賢子の言葉をまともに聞いて
いなかったようである。ちょっと寂しい。
「あの、頼宗さま?」
賢子が頼宗の顔をのぞき込むと、
「いや、済まない。少し用事を思い出したので、今日はこれからすぐに皇太后
 さまに挨拶だけして失礼いたします。
 また参りますので、お話合いの仲間に私も誘ってください」
頼宗はっそれだけ言うと、見送りもろくに受けずに去って行ってしまった。
頼宗がいなくなると、部屋の中はまるで光が消えてしまったように味気ない
ものとなる。





来週もその気にさせる予告編  清水すみれ





総角に 長き契りを 結びこめ おなじ所に よりもあはなん - 薫 - 巻47




残された4人の会話は、烏丸たちの報復についてのこととなる。
良子は、いつにない気弱な表情を見せると、
<あら気になるの?> 小式部は、さして気に病んでもいないらしく小馬鹿に
したような目を向けて訊く。
「中将君が気にかけるのは当たり前だわ、私も心配だもの」
「小馬さまが------?」
賢子が意外という顔で言う。
小馬は正義感が強く、賢子が苛められているとき、なんとかしてやろうと前に
たちはだかってくれたことがあるのだ。今は、小馬の瞳は、不安に揺れていた。
「私が御所へあがったばかりの頃、あの人たちから、ずいぶん嫌がらせを受け
 たわ。中関白家の回し者って言われてね」
中関白家は、定子や御匣殿の家であるから、彰子の敵とみなされたのである。
小馬の母・清少納言が定子に仕えていたから、そんな苛めをうけたのだろう。
その苛めた相手が、烏丸たちだったことは初耳であった。




平凡をすこし粗末にしています  美馬りゅうこ



この春は たれにか見せむ 亡き人の かたみにつめる 峰の早蕨 - 中君 - 巻48




賢子が思い出したように呟くと、小馬はおもむろに頷いた。
「烏丸さまや左京さまは、確かに意地の悪い人たちだけれど、
 自分の考えで苛めをしているわけじゃないのよ。
 さっき言っていたでしょう、自分には大物がついているって」
「そういえば…小馬さまには、その大物に心当たりがあるのですか」
「はっきりしたことは分らない、でもね、ある方から『お前のしぶとさには
 ほとほと呆れた』と言われた直後、苛めがふっとやんだの」
「つまり、その人が烏丸さんたちに苛めを命令していて、やめる時も指図した
 ってこと?」
「烏丸さまが認めた訳じゃないから、あくまで推測よ」
「それって、どなたのことなのですか?」
良子が身を乗り出すようにして尋ねた。
「------稲葉さまよ」
それは、彰子が宮中へ入った12歳の頃からずっとお仕えしているという、
紫式部和泉式部よりももっと古い女房の名であった。





振り返る時間を呉れる砂時計  油谷克己




宿り木と 思ひ出でずば 水のもとの 旅寝もいかに 寂しからまし - 薫 - 巻49




良子の懸念は、決して行き過ぎではなかった。
翌日から早速、賢子、良子、小式部、小馬への嫌がらせが始まったのである。
中心となっているのは、烏丸と左京で、もちろんのこと、藤袴への嫌がらせは
続けられていた。名指しで呼ばれた時以外は、皇太后の御前からも締め出され、
場所をとるのを邪魔されるようになった。
部屋に嫌がらせの文や虫、塵芥を投げ込まれるようになり、
渡殿などですれ違えば、裳の裾を踏みつけにされる。
良子はこれまで仲よく付き合っていた女房たちからは、あなたと話をすると
烏丸さんたちからにらまれるので、と申し訳なさそうに絶交する言ってくる
らしい。
藤袴も同じような嫌がらせを受けているはずだが、良子のように泣きついて
こないうえ、賢子の方も人目のある所で話しかけることが出来ないから、
どうしているものか心配である。
<早く何とかしなければ>賢子はあれやこれやと思案をめぐらすのだった…。




愛読書増えて薬が減っていく  春名恵子 






さしとむる 葎やしげき 東屋の あまり程ふる 雨そそぎかな - 薫 - 巻50




烏丸を動かしている因幡の標的は、藤袴である。
因幡は新人が入ってくるたび、無差別に苛めをさせているわけではない。
なぜなら、賢子は烏丸たちから苛められたことはない。
小式部もその被害は受けていないという。
でも小馬は苛められていた。
<小馬と藤袴に共通するしているのは何なのだろう>
賢子は、藤袴の兄・源朝任さまから何かヒントを得るかもしれないと、
直感をはたらかせ、<お聞きしたいことがある>と文を認め、
従者の雪に使いをさせた。




意地という厄介者を飼っている  通利一遍  





たちばなの 小島は色も かはらじを この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ- 浮舟 - 巻51




<果たして朝任はいつやってくるのだろうか……
 できるだけ早くと文には、書いておいたのだが>
二時間余りが過ぎたころ、驚いたことに朝任が訪ねてきた。
さらに驚いたことにもう1人、付き添いがいた。
「粟田参議さま!」
賢子より先に、その名を口にしたのは雪であった。
粟田参議とは、藤原兼隆のこと。
賢子に文を寄越してくる貴公子の1人である。
文の使いは恋の誘いの使いである。
雪はすっかり賢子の文を、それと勘違いしいらぬ気を利かせたのである。




野良猫の後をぶらぶら暇な午後   森 茂俊




「驚きましたよ。私が越後弁殿からの文を読んでいたら、粟田参議殿が突然、
 お見えになったのですから」
朝任が苦笑しながら言葉を添えた。
「見せろと仰るので弱りました。
 見せてはおりませんけれど、越後弁殿に呼ばれ
 たと申し上げたら『ならばすぐに行こう、私が付き添ってやる』と仰って」
つまりは、強引な兼隆にひきずられるような形で、朝任は賢子のもとへ来たと
いうことのようであった。
「それにしても、私にお尋ねしたいこととは、よほど大事なことのようですね」
「はい、妹君のことを伺いたくて…」
と賢子は切り出したが、部屋に座り込んだ兼隆がいる、<どうしたものか>
席を外してください、と言いにくいし、兼隆がいることで、朝任が真実を話し
にくいかもしれない。




水飲み場あたりで夢はよく転ぶ  小林すみえ




ありと見て 手には取られず 見れば又 ゆくへも知らず 消えし - 薫 - 52




「小式部殿にも訊かれましたが、藤袴のことですね」
賢子は覚悟を決めた。
「あの方、変っていらっしゃいますよね。受け答えも何だか普通と違っていて、
 『竹取物語』のかぐや姫のような…この国でない場所でお育ちになった方の
 ようにおもえましたわ」
「そうですか。そんなに変わっていますか」
「ずいぶん冷めた言い方をなさるのですね。藤袴殿はそのせいで…
 ちょっとした、嫌がらせを受けていらっしゃるのに」
朝任は先を続けた。
「小式部殿にも言いましたが、私は妹とは、ほとんど面識がないのですよ」
賢子は、怪訝な表情を浮かべ黙って聞いている。




物忘れウワサも一緒忘れたい  靏田寿子




「宮仕えといえば何かと物入りなわけですが、そうしたことも我が家では、
 一切面倒を見ていないのです。
 妹には誰か援助をしてくれる後見がいたのでしょうか、妹と私はまったく
 他人も同じなのです。
 嫌がらせに遭っていると聞けば、気の毒とは思いますが、私は妹よりも
 越後弁殿の御身の方が案じられるくらいですから」
「私とて、越後弁殿の御身を案じておるぞ。それゆえ、取るものもとりあえず、
 こうして参ったのですからな」
兼隆が妙な競争心をかき立てられたのか、横から余計な口を挟んでくる。




銀杏が風の宴に参加する  橋戸秀子





身を投げし 涙の川の 早き瀬を しがらみかけて 誰かとどめし - 浮舟 - 巻53




賢子は、それを完全に無視して言葉を続けた。
「朝任さま、正直にお答えください。
 もしかして、誰かに口止めされているとか?
 それは皇太后さまでいらっしゃいますか」
賢子は考えていたことを思い切って吐いた。
藤袴に何か秘密があるとしても、皇太后の御所で雇われている以上、
彰子が知らぬはずがない。
朝任に口止めするとしたら、藤袴本人か、雇い主である彰子しかいない。
今の様子からすれば、朝任は藤袴に対し愛着も義理も持っていないようだ------
とすれば、藤袴より彰子の可能性が高い------
それまで穏やかだった朝任の表情が一瞬変わった。




縦書きでなければ海は流れない  杉原正吉





賢子は、その一瞬をを見逃さなかった。
「まったく、越後弁殿。あなたは大したお方ですな。
 あなたの誘導に引っかかかったようです」
「ならば、本当のことをお話しくださいますか」
朝任は困惑した顔つきで、兼隆を見た。
「私は口が堅いぞ」
兼隆が憮然とした口ぶりで言った。
「それに、私は皇太后さまの身内だ。私が知って困るようなことはあるまい」
確かに、兼隆は彰子の実の従兄であり、義兄でもある------だからこそ、耳に
入れにくい話ということもある。
<やはり、兼隆さまには席を外していただこう>




破れ襖全域マナーモードです  高杉 力 





法の師と たづぬる道を しるべにて 思はぬ山に 踏み惑ふかな - 薫 - 巻54
夢浮橋



だが、賢子が口を開くより先に朝任が「分かりました」と頷いてしまった。
「しかし、お二方とも、このことは他言無用ですぞ」
朝任の念押しに賢子も兼隆も、決して他言はしないと誓った。
朝任は覚悟を決めた様子で頷くと、ようやく切り出した。
「事の起こりは、昨年の末のことです。私のもおとへ、皇太后の使者が
 参りました。『ある娘を皇太后さまに宮仕えさせたいと考えている。
 ついては、亡き父時中の娘ということにしたいので、承知してほしい。
 無論、皇太后さまもご承知のことであり、この申し出があったことは、
 他言無用』と」
「で、では、藤袴は、時中さまのご息女ではないのですか?」
賢子は目を丸くして、思わず声をあげてしまう。




結論を髪の匂いが惑わせる  宮井元伸




「あまり大きな声でお話しなさいませんよう」
朝任から注意され、賢子は慌てて口を両手で覆った。
「その通りです」
朝任は、賢子の言葉を素直に認めた。
「申し出を受けた時は、正直、驚きました。
 口裏を合わせるのも大変だと思いましたしね。
 しかし、その娘について問われたら、別々に育ったから何も知らぬと答えれ
 ばよいと言われました。
 宮仕えのための世話などいっさい迷惑はかけない、とも。
 皇太后さまのご意向でございました」
なるほど、だから、朝任は藤袴に対して、まったくの他人行儀な物言いをして
いたのだ。
彰子がそのような工作をした事情は分からないが、もう一つの謎がある。
彰子の使者となって、朝任にそのことを依頼した人物とは誰なのか。




哲学の道であかんを考える  太下和子






橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞぬれぬる  - 薫 - 巻45
『源氏物語』五十四帖のうち、最後の十帖は宇治を主な舞台とするため、
「宇治十帖」と呼ばれています。宇治十帖は、光源氏が亡くなった後の物語で、
光源氏の子とされる薫と孫の匂宮の二人の、貴公子と、大君、中の君、浮舟と
いう宇治の八の宮の姫君をめぐる恋模様が描かれています。



朝任は、意図的にその人物の名を隠しているようだ。
<まさか>という思いが、賢子の中に生まれていた。
小式部には、事実を語らなかった朝任が、賢子には、割合あっさり明かし
てくれたのも引っかかる。
「その皇太后さまのご使者とは------?」
賢子は思い切って尋ねた。
「あなたのお母上、紫式部殿ですよ」
朝任はいつものような落ち着いた声で、おもむろに答えた。
その返事は、ある程度予想していたこととはいえ、賢子の耳には、落雷の
ような衝撃をもって鳴り響いた。
間もなく、因幡は体の具合が思わしくないことを理由に、宮仕えを辞めた。
烏丸左京も申し合わせたように実家に帰っている。
後の2人は辞めたわけではないが、しばらくは御所に戻って来ないようだ。
おかげで、賢子たちは、御所での暮らしがすこぶる快適なものとなった。
一方、藤袴は賢子はもちろんのこと、良子小式部、小馬たちとも
親しくするようになった。       (賢子はとまらないいゟ)



炭坑節シラフのときは歌わない  新家完司

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ご案内しましょう別のけもの道  芳賀博子





           和 泉 式 部
藤原頼通(渡邊圭祐)と和泉式部(泉里香)
恋多き和泉式部の晩年の歌
あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな




「紫式部のひとりごと」 和泉式部のこと
私と同じころに宮仕えをしていた女房のなかに、和泉式部という方がいます。
この方は、生まれつきことばの持つ魅力をご存知だったようです。
彼女はたいへん自由奔放に恋愛を重ねた女性で、私からすれば、少々考えもの
と思えるふしもございますが、歌も自然に自由にお詠みになり、才気あふれる
歌をつくりました。
気軽に走り書きした恋文などのちょっとした文書にも、ことばの艶やかな魅力
がにじみ出ていました。
深く考えなくとも、自然に歌が口をついて出てくる方だったのでしょう。
天性の詩ごころに恵まれていた、とでも申しましょうか…、そんな詠み方で、
逆に申せば、歌についての知識や理解は、あまり深くないかもしれません。
伝統に則った端正な歌人とは、少々違う情熱的な歌詠みではないかと思います。
大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立  娘小式部の歌




おおらかな人間観で平和説く  西美和子




式部ーどうにもとまならない賢子






         女房たちの局と渡殿 (京都風俗博物館)

    こそこそと悪事をめぐらす4人の女房




そこは、女房たちの局が並んでいる渡殿であった。
渡殿というのは、広くて長い廊下であるが----、一部を区切って部屋として用い、
この御所に暮らす女房たちに貸し与えているのである。
一つ一つの部屋には壁もあるし、戸もついてはいるが、いずれも取り外し可能で
あった。そのため、話し声などはわりと漏れやすい構造である。
良子賢子を連れていったのは、藤袴の部屋であった。
その戸口に四人のお姉さまたちが立ちはだかり、中にいる藤袴にあれこれと言い
がかりをつけているところらしい。
近づくにつれて話し声が耳に入ってきた。
「あのー。出て行けとおっしゃられても、わたくし、まだこちらへ来たばかり
 でございますし」
と、おっとりした声は、藤袴のものだ。




くすぐってごらんメダカの脇の下  吉川幸子




「あのねえ、来たばかりだこそ言ってるの。御所の雰囲気になじめなくて、
 すぐ辞める人も多いんだから、あなたも、もうやっていけないって、
 泣きつけばいいのよ」
せかせかと苛立ったように言い返しているのは、烏丸の声。
背が高すぎて、痩せぎすなことを気にして、いつも猫背で歩いている。
しかし、興奮すると、それをわすれてしまうらしく、今は他の仲間たちより
頭が半分ほど上へ突き出ていた。




トラブルの中にいつもの顔がある  靏田寿子






           藤  壺




「泣きつくって誰にですか」
「あなたの後見よ。父君がいないのだから親戚のお世話になっているんでしょ。
 その人に言えばいいの。 私はもう、御所でお勤めするのは無理だって」
烏丸に高い位置から甲高い声でわめかれると、それだけで相当の威圧を感じる
はずであったが、
「別に、無理でございませんわ。わたくし、見るもの聞くものすべて珍しくて、
もっとこの御所にいたいと思いますもの」
応じる藤袴の声は、あまりこたえたふうでななかった。




叫んでも拗ねてもおだやかなゴボウ  森田律子




「はあー? 誰があなたにお伺いを立てたのよ。あなたの意見なんか聞いちゃ
 いないの。出ていけって言われたら、
 黙って出て行けばいいのよ」
少し蓮っ葉な物言いは、左京のものだろう。
「それとも何? もっとつらくて、痛い目に遭わなければ、出て行くことがで
 きないって言いたいわけ」
左京が足をずいと前へ出したようだ。
藤袴の衣装の裾でも踏んで、動けないようにしたか。
それとも、足を踏みつけて、言葉通り、痛い目に遭わせているのか。
いずれにしても、黙って見てはいられない。賢子はその場に飛び出していた。
「皆さま、おやめください」




土壇場でふと目を覚ます力瘤  新海信二






     宮中の嫌がらせに絶句するまひろ




烏丸左京たちの目が、一斉に賢子の方に集まってくる。
年上のお姉さまたちからじろりと睨みつけられるのは、賢子でも少し怖かった。
「あら、越後弁。ごきげんよう。私たちに何の御用?」
左京が先ほどの蓮っな物言いとは異なり、やけにもったいぶった口ぶりで言う。
「あ、あの。藤袴が困っているようでしたので。別に出て行きたくないと言う
 人を、無理に追い出そうとしなくても、よいのではないでしょうか」
第一、それは、あなたたちが決めることではないでしょ------
そう付け加えたいところではあったが、相手が年上の方々だということを考え、
賢子は辛うじてこらえた。
「あら、なあに。越後弁ったら、私たちがまるで藤袴をいじめているみたいな
 ことを言うのねえ」
烏丸の嫌味が飛んできた。
賢子は仕方なく「申し訳ありません」と、言ってお姉さまたちに向き直った。




軽く打つジャブで出方を確かめる  久世高鷲




「私たちはね。別に藤袴が気に食わないから出ていけとか言っているわけじゃ
 ないのよ。藤袴がいることで、この御所の平穏がかき乱されるから、
 出て行ってくださいとお願いしてるわけ」
「平穏がかき乱されるって、どういうことですか」
賢子は下手に出で尋ねた。
「あらあなた知らないの藤袴は、先帝の御匣殿(みくしげ)にそっくりだって、
古い女房の方々がおっしゃっていることを------]
御匣殿とは、一条天皇の愛していた女房(定子)のこと、源氏物語の桐壺更衣
のことである。一条天皇の後宮における様々な問題は、彰子の人生にも深い影
をおとしていた。
「もちろん、知っておりますわ」
賢子の背後から声がした。振り返ると良子がいる。
どういうわけか、小式部小馬もいた。




わたくしもいたのと話盛り上がる  太下和子






       修 理 典 侍

つつむめる名や 漏り出でむ 引きかはし かくほころぶる 中の衣に
修理典侍は、派手で厚化粧の若作りに余念がない人。
御年58歳にして20歳の源氏とよい仲になった恋多き女性である。




「古くからこちらにお仕えしておられる方々は皆、一様に不吉な心地がすると
 仰っておいでですもの」
烏丸たち相手に、堂々と言い返したのは良子であった。
「ですから私、宮中にお仕えしているお母さまに、そのことをお伝えしてみま
 したの、そうしたら、他人の空似などよくあることだし、不吉だの恐ろしい
 だのと騒ぐのは、愚かだって叱られましたわ」
「なっ、中将君(良子)の御母上って、内侍の修理典侍さまよね」
左京が少し怯んだようになる。
「中将君のいう通りだわ。そもそも不吉だと騒ぐのって、皇太后さまが御匣殿
 に呪われてるった言ってるようなものですもの。
 それって失礼なことですわよね。小馬さまも小式部殿もそう思われるでしょ」
賢子は勢いに乗って、良子のうしろに従っていた小馬小式部を巻き込んだ。
(良子の母とは紫式部の夫の藤原宣孝の兄・説孝(ときたか)の妻の源明子)




その首晒すダボハゼの鰓の先  井上一筒






       源 朝 任




そこで舌足らずな甘い声で、小式部が言う。
「誰が御所に来ようと、御所から出て行こうと、私には、何の関わりもありま
 せんわ。興味もありませんし。もっとも藤袴殿の兄上の朝任さまから、頼ま
 れたっていうなら、話は別ですけれど」
源朝任は、小式部と親しい貴公子で、大納言時中の息子だから藤袴の兄という
ことになる。
「はあ?朝任さまがどうしてここに出てくるのよ、小式部の頭の中ときたら、
殿方のことしか入ってないわけ? まったく、殿方と付き合いが多い母君
そっくりね」
左京が負けずと反撃する。だが小式部はひるまない。
「あら左京さまこそ、お頭の中に、少しは殿方のことを入れた方がいいんじゃ
 ありませんか? 嫌ですわ、いいお年をして背の君(恋人)もいらっしゃら
 ないなんて」
「失礼ね、私に恋人がいるかどうかなんて、知りもしないくせに勝手なこと、
 言うんじゃないわよ」
「これは失礼を、若い子を追い出そうとなさるなんて、殿方から相手にされ
 ない女のひがみかと、勘違いしてしまいましたわ」
「何ですって!」
左京の眉間に青筋が立った。




ジャブの応酬 脳トレ代わりの口喧嘩  安土理恵




「ちょっとおやめなさい」話がそれていくので烏丸が止めた。
「越後弁に中将君、それから小馬、小式部。あなたたち4人は、この藤袴の
肩をもつというわけね」
「その通りですわ!」
すかさず叫んだのは賢子だけであった。
残る3人は曖昧であったり、とぼけたりしている。
「まあ、いいわ。あなたたち、いつまでも母親が守ってくれると思って大きな
 顔をしてるんじゃないわよ。私たちにはねもっと大物がついているんだから」
「余計なことを言ってはならぬ」
烏丸がすかさず言い、左京は<しまった>という顔をした。
それ以上、この場にいても、藤袴を追い出す目的は達せれないと判断した烏丸
らは、藤袴の部屋から出て行った。




人間は風を起こしてかき混ぜて  森井克子






   『小倉百人一首』大弐三位 (国立国会図書館蔵)

大弐三位・賢子は紫式部の娘で、藤原頼宗の愛人だったと伝わっている。
女流歌人との交流が盛んだったようで、和泉式部の娘で女房三十六歌仙
のひとりである小式部内侍も頼宗の愛人として名前が挙がっている。




「ねえ、藤袴殿。あなた大丈夫なの?」賢子が声をかけた。
「あのね、烏丸さまたちから何かされなかったの?」
「何かって?」
「ひどいことを言われていたではありませんか。
 御所から出ていけ、というような-------.」
「ええ、まあ、聞いたことのない口の利き方でしたけれど…。
 あとは、ちょっと私の衣の裾を足でお踏みになったくらいですわ。
 左京殿は眼があまりよくないのでしょうか。
 あれでは、宮仕えなさるのもご苦労でしょう。お気の毒ですわ」
もしや、藤袴は、あのような仕打ちをされても、相手を憎んだり恨んだりする
ことがないのだろうか。その無防備で純真な笑顔を見ていると、賢子は不安を
感じざるを得なかった。
「藤袴殿、困ったことがあったら声をかけてちょうだい。約束よ」
とにかくそれだけ言い残し、賢子はその場を離れた。
「はい。困ったら声をおかけいたしますわ」




いくたびの修羅場を越えた人間味  澤山よう子






           藤 原 頼 宗




4人が賢子の部屋に戻ると、女童のが慌てふためて飛び込んできた。
「そんなに慌てて 何があったの?」
賢子が尋ねると、雪は「お客様がお見えです」と早口で答えた。
「三位の中将さまでございます」
「今光君がいらっしゃているの?」
賢子より小式部が口をひらいた。
今光君と聞いた途端、良子小馬がそわそわしはじめた。
賢子は嬉しさ半分、嘆かわしさ半分といった複雑な気分である。
三位中将は「今光君」と呼ばれ、左大臣道長の二男・藤原頼宗のこと。
賢子の初恋の人であり、他の3人にとっても憧れの美男子である。
最近、頼宗は正妻を娶ってしまった今となっては…、遊びの恋とでも
割り切らないかぎり、虚しいことだと分っているが…。




うしろ髪ひかれてひょいと前のめり  小山紀乃




「おや、おそろいでいらっしゃいますね」
朗らかな声がして、賢子の部屋の中から、若く美しい男が顔をみせた。
眩しすぎて、まともに目を合わせていられないような気がする。
妻を娶って頼宗がどんな風に変わってしまったのか、気になったが、
特に目につくような変化は見られなかった。
「久しぶりに御所へ参上なさったと思ったら、越後弁殿のところへいらした
 のですか」
小式部が、頼宗を軽く咎めるような目を向けながら尋ねた。
「おやおや、私は公平な男ですよ。もちろん、小式部殿、中将君、小馬殿の
局にもご挨拶に行こうと思っていました」
頼宗はそれぞれの女房の顔をじっと見つめながら、にこやかに応じる。
誰にでもそうすると分かっていながら、頼宗の熱い眼差しで見つめられれば、
恨めしく思うどころか嬉しくなってしまうのが女心であった。




ハンサムじゃないがグサリと刺す笑顔  くんじろう




「でも最初にお寄りになるのが越後弁なのですのね」
ひつこく小馬が皮肉ぽく頼宗に話しかける。
「それは越後弁殿があなた方の中で、御所へ上がった順番がいちばん遅いから
 ですよ」
「相変わらず、新しい方がお好みですのね」
この4人の中で最も年上で、最も古い女房になってしまった小馬が、
苦笑まじりに続けた。
「だったら今、頼宗さまが最も興味がおありなのは、藤袴のことになりましてよ」
気取った口調で良子が言った。
「ほう。新しく入った女房のことですな。少しは耳に挟んでおりましたが、
 ぜひその方のことを聞かせていただきたいものです」
                                 つづく

                        
 
知ってます自分の弱さ誰よりも  敏森廣光

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一個づつコントになっていく卵  山本早苗






                                             紫 式 部 娘・賢 子



大弐三位藤原賢子は、紫式部藤原宣孝との間に999年(長保元)頃に誕生
した。長保3年に父を亡くし、その5年後に、母が中宮彰子付き女房として出
仕、やがてそれなりの重きを占めるに至って、娘の賢子が、将来、宮仕えして
女房となるレールは敷かれたのである。
彼女に私家集『藤三位集』があり、そこには彰子に出仕した後の、貴公子たち
との恋の贈答も収められている。
相手は藤原定頼藤原公任の息子である。
出会いは、藤原定頼の蔵人頭時代の1017年(寛仁元)から2012年(寛
仁四)頃か。また、倫子の異母兄大納言・源時中の七男朝任とは、彼の頭中将
時代、1019~1023年頃に、情熱的な恋歌を交わした。
『後拾遺集』の大弐三位歌詞書に「堀川右大臣んのもとにつかはしける」
と、あることからは、道長源明子との間の長男頼宗とも関係があったと知ら
れる。




風除けに選ぶ男のでかい背な  美馬りゅうこ






           藤 原 定 頼


大弐三位はさすが式部の娘だけあって、文学的な才能が豊かだったようだ。
百人一首の歌人として知られており、こんな歌を残している。
" 有馬山 猪名(ゐな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする "
〈有馬山の近くにある猪名では、笹原に生える笹の葉が、そよそよと音を立て
ている。そうですよ、どうして私が、あなたのことを忘れることがありましょ
うか〉。 詞書によると、自分のもとにあまり通わなくなってきた男が
「私をお忘れではないでしょうか、心配です」と、言ってきたのに対して、
「お前がな」とばかりに、言い返した時の歌なのだという。




仮縫いをされたまんまで忘れられ  平井美智子






       子を宿す賢子



賢子に大きなチャンスが訪れるのは、藤原兼隆の子を産んだ時であった。
兼隆は、道長の兄で世に7日関白と呼ばれた道兼の息子である。
父の死後、道長を頼り『紫式部日記』の1008年(寛弘五)には,24歳で、
右の宰相の中将の呼称で、何度も登場する。
1025年(万寿二)、時の親王東宮敦良親王に第一皇子親仁が誕生した。
産んだのは、道長の娘で彰子の末の実妹、嬉子(よしこ)である。
だが嬉子は、出産前に罹った赤裳瘦(あかもがさ)で衰弱していたためか、
2日後に死亡、さらに乳母に決まっていた女房も赤裳瘦にかかり辞退して、
急遽、賢子が代りの乳母に抜擢されたのだった。
(『栄華物語』には「大宮(彰子)の御方の紫式部が女の越後弁(賢子通称)
、左衛門督(兼隆)の御子生みたる、それぞ仕うまつりける」とある)
ここに「左衛門督の妻」とは、無いことになる。
当時、正二位中納言の兼隆と女房賢子との関係は、結婚とは呼べないもの
だった。だが、貴顕との恋は女房の誉れである。賢子は、そうして得た子に
よって、願ってもない飛躍の機会を手に入れたのだった。




むらさきの踵も時に愛されて  山本早苗






         宇 治 平 等 院

         紫式部は宇治へ仕事場を移した (酒井抱一画)





一方、紫式部は、賢子へバトンを繋ぐように宮中から身をひいて、南方の宇治
にある小さな別荘に移り住んだ。それは道長から逃げる意味もあった。
「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」
(私の住まいは都・平安京の東南にあり、そこで私は心静かに暮らしている。
 しかし世間では、この世がつらいから、宇治山に隠れ住んでいるのだと、
 言っているようだ)
その宇治へ、賢子が牛車に乗って母の様子をみに訪ねてきた。
「母上、京では、母上様は死んでしまったという噂になっているわよ」
賢子も道長に睨まれて、母が退職したのは分っているらしかった。
式部は何とも複雑な気持ちだった。
「こんな時に冗談を言うなんて、父親の信孝さまとよく似てるわ」
紫式部は美しく成長した大柄な賢子を見てそう思った。




荒波に揉まれた頃のふくらはぎ  笠嶋恵美子





                   大弐三位賢子 (百人一首)



大弐三位はさすが式部の娘だけあって、文学的な才能が豊かだったようだ。
百人一首の歌人として知られており、こんな歌を残している。
" 有馬山 猪名(いな)の笹原 風吹けば  いでそよ人を 忘れやはする "
〈有馬山の近くにある猪名では、笹原に生える笹の葉がそよそよと音を立てて
いる。そうですよ、どうして私があなたのことを忘れることがありましょうか〉
詞書によると、自分のもとにあまり通わなくなってきた男が
「私をお忘れではないでしょうか、心配です」と言ってきたのに対して、
「お前がな」とばかりに言い返した時の歌なのだという。





「賢子、母(紫式部)へ手紙を書く!」




-------お母さま、お健やかでいらっしゃいますか。私は無事でございますので、
ご安心くださいませ。賢子はそれだけ書いて、いったん筆を止めた。
書きたいことは山のようにあるが、母へ文を書くのは、とても気をつかう。
なぜなら、賢子の母はあの『源氏物語』を書いた紫式部だからだ。
それに、陽気で明るい賢子と違い、母はやたらと細かく、心配性で人の目を気
にする性質であった。
母は皇太后彰子に仕えていたが、少し前に平安京の南の地、宇治に隠居した。
その母に代わって、今では、賢子が皇太后の御所でお仕えしている。




カレーでもぼくのスタイル箸で食う  くんじろう






        藤 壺





「賢子 藤袴に振り回される」
「近ごろの一大事件といえば、やはり藤袴のことよね」
賢子は書くことを決め、思いを巡らせた。
藤袴は賢子の後に入ってきた新人の女房である。
女房とは、高貴な人にお仕えする女性のことで、賢子と立場は同じだ。
藤袴というのは、本名ではなく、この御所での呼び名であるが、秋の七草でも
ある美しい花の名であり『源氏物語』の卷名のひとつでもある。
年齢もたまたま同じ15歳。同じ年の女房は他にもいる。
歌人として有名な和泉式部の娘小式部や、宮中の女官を母に持つ中将君良子だ。
この2人に、清少納言の娘で、賢子たちより5つ年上の小馬を加えた4人組が
目下、賢子の仲間であった。




にこにこと何でもしゃべるお友だち  藤本秋声




<でも、あの人たちは友と呼べるのかしら> 賢子は少し疑問を覚える。
もちろん、一緒にいて楽しい時も多い。しかし、お姉さんがぶった小馬をうる
さく感じることや、小式部にだけは負けたくないと思うことや、まとわりつい
てくる良子をうっとうしいと思うことが、賢子にはある。
もっと対等な立場で、互いを尊重し合い、一緒にいることで高め合っていける
ような友が、どこかにいるのではないか。
そんなことを思っていたころ、賢子は<藤袴>に出会った。
<なんて、きれいな人>
藤袴は御所にはじめて現れた時から、とても目立っていた。



どんな顔しても綺麗な女はいる  奥田悦生






           「宇治十帖45 橋姫」
「橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞぬれぬる  - 薫 - 」




美人ともてはやされる切れ長の目は、まるで星を宿した夜空のように見える。
賢子自身は、まったく流行らない二重のやや大きな目に、引け目を感じている
ので羨ましくてならなかった。
三日月の眉、色白の肌、薄紅色に輝く頬------
これだけ美しければ、さぞや自分の容姿に自信が持てるだろう。
皇太后の御前でも、物おじすることなく、しっかりと受け答えする姿は立派で、
聡明さもにじみ出ていた。
同性の同じ年でありながら、あこがれてしまう。
藤袴はそんな少女だった。






         「宇治十帖46 椎本」
「たちよらむ 蔭を頼みし 椎が本 むなしき床に なりにけるかな  - 薫 - 」




美容液一滴ハートにもつける  和田洋子





父親は大納言藤原時中で、身分も高く家柄もいい。
ただ時中は十年以上も前に亡くなっていたから、今は誰か別の人が後見になっ
ているのだろう。
同じように父を亡くしている賢子は、その点でも親近感を覚えた。
「私はこの御所では越後弁と呼ばれていて、名は賢子というのよ。
 分らないことがあったら、何でも訊いてちょうだい。
 親しくいたしましょう」
------浮き浮きした気分で賢子は、誰よりも早く申し出たのであったが、この時
藤袴の反応は変っていた。
不思議そうに顔を傾げたのである。
ここは嬉しそうな顔を見せるところだろう。




輪郭が見えないままの そうだよね  斉尾くにこ





だが藤袴は無表情だった。
美しい顔からはこれといった感情が読み取れず、正直なとこころ、大きな人形
を相手にしているような気分。
「分からないことは特にございませんので、今は、一人でも平気でございます。
 何かあればお尋ねいたしますので、その時、改めて親しくしてくださいませ。
 では、ごきげんよう」
------藤袴は、丁寧な口ぶりで言うと、去っていった。
「何!? あの子、今、何て言ったの?」
傍らでこのやり取りを聞いていた良子が、目を丸くしていた。
藤袴の言うことが理解できないのは、賢子も同じだった。
<私と親しくするのが嫌なわけ? そんな風にも見えなかったけれど…
何を考えているのか、さっぱり分からない>
物語を書く母であれば、そういった心の襞が分るのだろうが。そこのところを、
ぜひとも文で尋ねてみたいところであった。




胃袋がチクチクトゲのある語感  菱木 誠




------さて、近ごろの皇太后御所の様子でございますが------、
賢子が続きを書きだすべく、髪の上に筆を走らせた直後のことであった。
「越後弁殿!」
局と呼ばれる部屋の戸をせっかちに叩きながら、声をかけてくる者がいる。
「中にいるのでしょう。すぐに開けてちょうだい」
賢子に仕えている女童の雪が、あたふたと戸を開けるや否や、良子が中に飛び
込んできた。
「大変よ。藤袴が苛められているの」
聞き苦しいくらいの早口で、良子は告げた。
「苛めって、まさか、あなたのお仲間がしていることじゃないでしょうね」
賢子は筆を放り出しながら、訊き返した。
新しく入った女房が苛めたてるのは、いつものことだ。
賢子も一年前、御所へ上がったばかりの頃、苛められた。
その時、苛めていたのは、この良子の仲間たちだったのである。
「違うわよ」
良子は頬をふくらませて言い返した。




ヨワイものイジメてナニがオモシロい  渡邊真由美






          女 房 た ち と 小 女





「藤袴を苛めたら越後弁が怒るから、やめておきなさいって忠告したもの」
「私が怒るからって、どういう忠告のしかたなのよ」
「だってあなたの仕返しがいちばん怖そうでしょう」
良子は澄ました顔で言う。
「じゃあ、一体、誰が藤袴を苛めてるわけ?」
賢子は急いで立ち上がり、良子と一緒に部屋を出て行きながら考えた。
「さっき、藤袴にからんでいたのは、烏丸さまと左京さまたちだったわ」
烏丸も左京も賢子たちより十歳ほど年長の、この御所の中では中堅といった頃
合いの女房たちである。
「あの方たち、もう苛めをするような年でもないでしょうに…」
良子に苛めの現場へ案内してもらいながら、賢子は首をかしげた。




血しぶきの痕か守宮の影か  井上一筒




「別に、人を苛めるのに年齢なんて、関係ないんじゃないの?」
「そんなもんかしら」
「そうよ。だって、何歳になったって、気に入らない人がいたら追い出したく
 なるでしょ」
良子は、分かったような口を利く。
「そうかしら?」
そのあたりには疑問が残るが、いずれにしても藤袴のことは、守ってやらなけ
ればならない。御所に上がったばかりの少女にとって、苛めは心身にこたえる
ものである。
相手が誰であろうと-------。
たとえ十歳も年上の先輩であろうと、庇ってあげなければならない。
賢子はそう覚悟を決めた。           つづく
                    (賢子はとまらないゟ篠綾子)




過ちに火炎放射を撃つ正義  上坊幹子

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鏡台に与謝野晶子を眠らせる  市井美春






        姫君の邸を訪れた貴公子


ある日の夕暮れ、姫君の邸を訪れた貴公子は、お付きの女房の侍従を
ひそかに呼び出し語り明かす。本当のお目当ては 姫君。



「紫式部のひとりごと」
先に気のきいた歌ひとつ読めぬ者は、男女ともに、不調法者と申し上げました
が、男性の場合、この和歌に、漢詩の教養が加わってはじめて、才気あふれる
殿上人と評されるわけですから、それはもうたいへんでございます。
それにくらべ、私ども女は、漢字を書くことさえ、人目をしのぶような有様で
したから、もっぱら、仮名文字で記す「和歌の世界」が自らの思いを託す場と
なりました。 では、どのような和歌が、優れた歌といわれるのでしょうか。
これはたいへんに難しい問題でございます。
ただ、私の思いますのは、当代随一の歌詠みであらせられる、藤原公任さまの
仰せにあります「心」「詞」がよく調和した歌、表現する内容とそれを表す
コトバの両方に、心を尽くした歌ということになりましょうか。
それには『古今和歌集』を手本とすべきなのでございましょう。



点のある古い漢字をつい使う  楠本晃朗



式部ー恋の手立ては手紙から



            「住吉物語絵巻」   静嘉堂文庫美術館蔵
春の嵯峨野に遊ぶ姫君を垣間見て、その美しさに魅せられ車の際で早速に
紅梅重ねの薄様の紙に筆を走らせる貴公子。


「お会いしたい と、伝える手立ては、まずは手紙から」
源氏物語で、手紙に関することが出てこないのは少なく、「花散里」くらいで
しょうか。挨拶・案内・見舞い・贈り物など、社交の面での「文」「消息」
やりとりも綴られていますが、断然多いのが「恋愛や結婚」の場面です。
文、消息は、歌を中心に据え、前後に気のきいた時に応じた言葉を添える形を
とりますが、恋文においては、想いの丈を訴える和歌の出来、料紙や筆跡、送
り方などが特に大切です。
そうしたセンスのチェックを通過して初めて恋の実るチャンスが訪れるのです。
源氏物語におりなす恋の行方のカギは、恋文にあったと言ってもいいでしょう。





恋文を書けば黄砂が降りつづく  野田江実子




        垣間見をする若い貴公子

噂を確かめるべくまたお近づきになりたいものと姫君の邸の垣間見をする。



「まだ見ぬ女性に恋心を伝える」
たとえば末摘花の亡くなった父や、明石の君の父・明石の入道のように、立派
な男君から恋文が寄せられるよう、父親たるもの、わが娘の姫君に教養を授け、
住まいやインテリアも整え、才能ある女房たちを周りに配して、才色兼備かつ
育ちもよしという、娘の世評を高めることに努めます。
噂に惹かれて恋心をそそられた男君は、趣向を凝らした文を、姫君に送るわけ
ですが、まず側近に言付け、その文は側近から「文使い」の手に渡り、相手の
邸へ届けられます。


まだまだと高みを狙う腹の底  荒木薫子





           文 使 い

恋文は側近から、文使い、女房などとさまざまな手を経て相手に届く。
ほのめかす」「まぎらわす」など簡潔にして率直な中に余韻を残す文が
心得たされた。



「心利く文使いをつかわす」
源氏もかたくなになびかない空蝉に対しては、弟の子君などを文使いに使って、
懐柔しようと努めています。文使いは、機転の利く者でなくてはなりまっせん。
特に忍び文を届けるときはには、気に入りの従者や、先方に由縁のある童など
賢く取り継いでもらえそうな人物を選んで託します。
最初の受け手となるのは、姫君方の女房です。
そのため、これはと目をつけた女房に、男君は、日頃から近付きを持つよう心
がけます。言葉を交わしたり、贈り物をしたり、ある時は、その女房がひと時
の恋のお相手だったりもしたようです。



あらかじめ湯通しをする下心  河村啓子



「返事を書く」
恋文は仲立ちの女房の手になり、機を見て姫君に差し出されます。
読むのを恥ずかしがるような初心な姫君には、女房が読んでさし上げることも。
返歌をしようとしない姫君には、女房が変わって、さりげない歌を返します。
少し心が動かされると、姫君が詠んだ歌を女房の代筆で、これらもすべて、
その主人の器量と判断されるので、女房の質は大切です。
自ら筆をとられたとなると、これは相当に脈があろうというものです。



淀みない勘亭流の筆の冴え  徳山泰子






       「源氏物語画帖 赤石の君」 (土佐光吉画)



明石の君は、釣り合わない低い身分であることを省みて、源氏の恋文にも心を
開かずにいました。
初めての源氏の文は、格式高い舶来の高麗の胡桃色の紙
拝見さえしようとしない娘に代わり、父入道が仕方なく、陸奥紙に古風な手で
筆をとります。
「二度目は、ぜひお返事を」と、源氏から、たいそうしなやかな薄様の手紙が
届きました。心を打たれた明石の君は、入道に責められるままに、香を深く炊
きしめた紫の紙に、墨つぎ濃く薄く、身分の高い都人に、少しも劣らない見事
な文を書きました。



泡沫のぷくぷく幸せのリズム  森井克子





     『源氏物語画帖 「藤葉裏」』 (土佐光則筆 徳川美術館蔵)
源氏の子夕霧は、幼なじみで長年の想い人である雲居雁とようやく契りを結ぶ。
その翌朝夕霧から届けられた後朝の文を見る雲居雁とその父、内大臣。



「余韻を残しつつ」
「後朝(きぬぎぬ)の別れ」-------「衣々」とも書きます。
まだ明けやらぬ時刻に、男君は人目につかないよう帰って行きます。
夜具代わりに、ふたりの体に掛けていた衣を身につけ、相手のことを忍びつつ
帰ります。家に帰り着いてのち、女君へ、愛を込めた手紙を送ることが習わし
でした。 それが、ひとつ家に住まない男女の礼儀だったのです。
ひとり残され心乱れる女君にとって、細やかな心遣いの後朝の文は、どんなに
か心慰められたことでしょう。



行間を読めと付箋が貼ってある  池田みほ子



あらゆる方面に抜きん出たセンスを見せる当代随一流の趣味人だった光源氏。
時と状況、折々の心に叶う的確で、風雅な紙使いは、筆跡とともに手紙の受け
手に感動を呼び起こす恋文上手でした。
源氏はいかにも常識的な、通例の紙使いには飽き足らず、内容もあくまでさり
気なく、ほのめかす言葉のうちに、豊かで深い情趣を漂わせる手紙であるべき
と考えました。相手となる女君も、この繊細さと洗練を共有できる感覚の持ち
主であって初めて、源氏の心は動きます。
新婚の女三ノ宮にひとり寝をさせてしまった朝、源氏が送った文は、雪の朝に
ちなんで、白い薄様を白樺の折枝に結んだものでした。
しかし、その返事は、鮮やかな紅の薄様に包まれ、幼稚な筆跡で何ということ
もない歌が書いてあります。
源氏は落胆の心を隠しきれませんでした。



字余りとこむら返りと逆まつげ  雨森茂樹





        『源氏物語画帖 若菜下』 (土佐光則筆 徳川美術館蔵)
訪れてきた源氏が部屋を、ちょっと退出した折に、まだ源氏は恋敵と気づいて
いない柏木から、浅緑色の文を小侍従がそっと女三ノ宮に見せている。
そこへ源氏が戻ってきて、宮と小侍従があわてている。



「個性と品格を表す紙選び」
薄様=雁皮を使ったごく薄い斐紙を「薄様」と呼び、なめらかで艶やかな薄様
は、かな書きに適し、手紙、特に恋文を書くのに好んで用いられました。
※ 男性の公用文、男同士の文は漢字ですが、男女間や女同士の文、私的な便
りには多くは仮名文字を使いました。
美しい紙に流れるが如くしたためた三十一文字。
わずか一首の歌と、それに添えるごく短いことばに、最大限自分をアピールし
ようと、教養と才知を尽くして趣向を凝らします。
野暮な方と思われて、相手の心を惹きつけることができなければ、お終いです。



アラビアの文字の坩堝にはまりこむ  吉松澄子

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とうりゃんせの体位で息をくっさめる  月波余生





                                      桓武天皇像 (延暦寺蔵)

内裏にある天皇の座る場所、高御座(たかみくら)には必ず椅子が置かれ、
椅子は、天皇の権威を象徴するものであった。




古来より、じかに座る生活をしていた日本では、椅子に座るのは身分の高い人
だけと決められていました。
当時は、椅子とかいて「いし」と読み、中納言以上の人々がこれに座りました。
なかでも、天皇の座る椅子は特別で、その名も「御椅子」
紫宸殿に置かれた御椅子は黒柿製で総朱塗、金メッキの金具と菊唐草模様が施
されていました。
座面には畳と茵(しとね)を敷いてここに腰かけるようになっていました。
また清涼殿の御椅子は紫宸殿で総黒塗でした。
ともに権力と権威を示すべく、贅をこらした装飾が特徴でした。




頂点の椅子へ孤独な風の音  恭子






  夜、二条の屋敷に向かう牛車の中で、若宮と靫負命婦

命婦「お祖母の尼君はどんなに若宮のことを案じておいでだったか。
   これからの若宮のたのみは父上の帝のお心だけ…。
   あの日から若宮は、お変わりになった」



式部ー夢枕 episode最終




「前号までのあらすじ」
一の皇子の立太子が決まり、喜びにわく右大臣家。
同じころ、左大臣の長男である直房と遠駈けに出た二の皇子は、魅力あふれる
年上の女と、生涯にわたる友情を誓います、そんな二の皇子の根強い人気に
危機感をつのらせる右大臣と弘徽殿女御は、一の皇子へ左大臣家の姫、
入内させようと画策します。




払っても払ってもある嫉妬心  柳田かおる




男の子にとって母親は特別な存在です。
けれど若宮には母親の記憶がありません。
その美しさや愛らしさ、人柄のすばらしさを他人から聞くだけで、若宮にとっ
て母親とは、甘えたくても実体のないイメージだけの存在でした。
しかも、父親は、立場上、頼りたくても我慢しなければならないことも多か
ったでしょう。 兄弟のような乳母子はいたものの、若宮は孤独でした。




ただひとり夕日を浴びて深呼吸  下林正夫





          「源氏物語絵巻 鈴虫」 (桜井清花筆 徳川美術館蔵)

出家して尼になった女三ノ宮(左)が念仏を唱えているそばで、尼君が、
閼伽棚(あかだな)に水や花を供えている。




死の時は、まだほんの幼子だった若宮ですが、今回は、祖母の死を理解できる
年頃に育っていました。
悲しみにくれる若宮ですが、当時は、死の穢れは何より忌むべきタブーと考え
られていたので、宮中のような神聖な場所からは即座に退出して、祖母の屋敷
で喪に服さなければなりません。
もまた、北の方の訃報に心を痛めます。
数少ない親族を失っていく若宮が、帝には不憫でなりません。




残されて孤独の夜をかみしめる  靏田寿子




※ 穢れは伝染する
当時、死は出血とともに最大の穢れとされてきました。
死ぬこと自体はもちろん血縁に死者が出た場合も神前をはばかったり、
不幸のあった家で、煮炊きしたものを食べた者、
その家に足を踏み入れた者にさえ、穢れが移ると考えていた。
当然、神にもひとしい帝の住まう内裏では絶対のタブー。
家族が死んだような時は、すみやかに退出しなければならなかったようです。




輪郭が見えないままの そうだよね  斉尾くにこ




若宮の祖母・北の方は悲運の女性です。
夫の大納言に先立たれたうえに、女手ひとつで育てた娘・桐壺更衣も宮中での
心労がたたり年若くして、亡くなってしまいました。
たび重なる不幸に「早く亡き人の側に行きたい」が、口癖のようになった北の
方、でも、さすがに若宮のことは気がかりだったらしく、たったひとりのこの
孫と別れる悲しさを、繰り返し口にしながら、亡くなったのです。




死ぬことを忘れたように死んでゆく  和田洋子






網代車はもっとも広い用途で使われた車だった。
牛車の後ろに置かれた黒い台が榻(しじ)。ここから牛車に乗りこむ。

       牛車の席次
車内に椅子は座席はなく、あぐらにに似た座りかたをしたと思われる。
4人乗りの場合は、向かい合わせに2人づつ乗り、席の序列は前方右、
同左、後方左、同右の順。ひとりで乗車する時は前方左側に右を向いて
座りました。





※ 乗客どうし顔つきあわせ、車中は意外に窮屈
牛車に乗り込む際は、榻(しじ)という踏み台を使って、車の後ろから乗車し
ます。通常は4人乗りのセダンが中心ですが、なかには2人乗りや、RVなみ
の6人のりもありました。
内部には座席などはなく、進行方向に対して横向きに座りますが「仁王乗り」
といって正面向きにのることもあったようです。




両手は上げたままでお願いいたします  竹内ゆみこ




桐壺更衣が亡くなってまもなくのころ、帝が靫負命婦(ゆげいのみょうふ)を
更衣の里、二条の屋敷に遣わす、様子をうかがわせたことがありました。
それまでは、娘に恥をかかせまいと、屋敷の手入れも念入りに行っていた北の
方でしたが、まるで糸の切れた凧のように放心したままで、庭は荒れ放題。
それは、まるで北の方の心の風景さながらでした。
「野分に庭も屋敷も荒れて…いいえちがう、最愛の娘を失い心の支えも崩れて
 荒れはてた二条の屋敷。その上、一の皇子の立坊で尼君は、生きる張りまで、
 無くされたのではないだろうか」
そのころから、北の方のわずかな生きる張り合いは、若宮のことだけでした。




叶うなら猫のとなりで雨やどり  前中知栄




※ 北の方が命婦に托した恨み言
悲しみに沈む北の方を見舞った靫負命婦
北の方は、命婦に胸の内を切々と述べますが、そのなかには「あれほどに帝が
御寵愛下さらなければ、こんなことにもならなかったかと------」と、
つい恨み言も…。これはある意味で批判、北の方が帝に直接申し上げられる
はずもないコトバです。
お遣いとしての命婦の第一の役割は、帝の真意を北の方へ、北の方の返事を帝
に正確に伝えるメッセンジャーなのですが、このような、面と向かっては言え
ないことをうまく伝える役割も果たしたのです。




神さまはずっと熟睡中である  新家完司





 
     高麗からの相人(ひだり)を迎える父帝と若宮





高麗から来た人相見は、きわめて重要な予言をします。
その報告を聞いた帝は考えました。
------若宮を親王にしたところで、自分がいなくなれば、腹の悪い者どもが足を
引っ張り、人相見の見立て通り政治も乱れるだろう。
臣籍に下せば、親王よりかなり身分は低くなるが、この才能の器量を逆に世間
が放っておくはずがない。
臣下となり、「自ら道を切り拓いていくほうがこの子には、向いているのでは
ないか------」と。




装飾は同系色と決めている  杉浦多津子





          「源氏物語画帖 更衣」 (土佐光吉筆 京都国立博物館蔵)

高麗の相人と対面。左に座る相人が若宮の将来予言をする。




※ 高麗の相人の大予言
若宮の人相を見て、おおいに驚いた高麗の相人が、
「このような優れた相の御子に対面できたのは大変喜ばしいこと」と、感激し
ますが、人相を見る人相学、観相学はもともと古代インドにはじまり、中国も
観相学の先進国でした。
この高麗の相人は、おそらく渤海人だったと考えられますが、朝鮮半島の北部
にあった渤海は、中国との関係も深く、日本人の人相見とは、またひと味違う
鑑定ができたに違いありません。
だからこそ、帝も若宮の将来を占わせたのでしょう。




誰にでも合う占いを聴いている  松田千鶴




は、若宮をいずれ政治の中枢に置きたいのです。
けれど無理を通せば不吉なことを呼び起こすのは、桐壺更衣の一件で、身に染
みてわかっています。臣下にするのは惜しいのですが、優れた人相見も宿曜道
の名人も、若宮が親王になるのは危険だ、と見立てているのだし、ここはリス
クを避ける判断をしました。その代わり、若宮には、いずれ朝廷の補佐をさせ
たいと考え、必要な学問をみっちり習わせることにします。




幸せはここらへんだと思います  平井美智子






            最愛の人との別れ





「嫁枕 最終の章」



宮中に戻った命婦は、がまだ、お休みになっていないのをおいたわしく思い
ます。見事な庭先の植え込みをみながら、奥ゆかしい女房ばかり4,5人を、
お側に召し、帝はお話をしています。
このごろは、宇多法皇が絵を描かせ、伊勢を紀貫之が歌を詠んだ『長恨歌』
絵ばかり見ています。
話題も、和歌にしても漢詩にしても、もっぱらこの悲恋物語のことばかりです。
帝は更衣の里の様子をこまごまと尋ねます。
命婦は母君の哀れなさまを伝え、帝は返書を見ます。
そこには、
「まことに畏れ多いお言葉を承るにつけても、心は暗く想いは乱るるばかりです」
とあり、
「若宮を守っていた更衣が亡くなってからは幼い宮の身の上が心配でなりません」
と、歌が添えられていました。
" 荒き風 防ぎしかげの 枯れしより 小萩が上ぞ 静心なき "
(荒い風を防いでいた木が枯れてしまって以来、小萩の上は心静かでありません)
(世間のきびしい風当りを防いでいた桐壺の更衣が亡くなってから、若宮の上が
 心配で、落ち着きません)




健やかに育てと祈る千歳飴  桑原ひさ子




取り乱して無礼なところもある手紙でしたが、はそれをお許しになります。
更衣とはじめて会った時のことなどが心に浮かんできて、こらえようとしても、
また悲しみがこみあげてきます。
ひと時さえ離れることなど考えられなかったのに、ひとり残されてからも月日
はながれていく。 それが帝には、信じられない気持ちです。
「よくぞ更衣を宮仕えに出してくれた。その礼にと、いろいろと心にかけてき
 たが、今となってはどうにも仕方ない」
と、帝は母君を憐れみます。
「されど、若君が成人でもすれば、よきこともあるだろう。ぜひ、長生きして
 もらいたいものだ」
命婦は母君から渡された形見をお見せします。 それを見て帝は
「長恨歌のように、これが亡き人の住処を探しあてた証拠の簪であったならば」
と、ため息をつき、

" たづねゆくまぼろしもがなつてにても 魂のありかをそことしるべく "
「更衣の魂を探してくれる幻術士がいてほしいものよ、人伝にでもその場所が
 わかればうれしいのに」
と、お詠みになりました。




肩に手が背中に腕がきて初冬  清水すみれ





         楊貴妃図   (鈴木晴信)





玄宗皇帝楊貴妃が7月7日に誓い合ったという言葉。
在天願作比翼鳥=天に在りては 願わくば比翼の鳥と作(な)り
在地願爲連理枝=地に在りては 願わくば連理の枝と為らんことを…
(比翼の鳥は、翼がつながった二羽の鳥)
(連理の枝は、枝がつながった二本の木をあらわしている)
唐の詩人、白居易の作品は王朝人の必須教養でした。
そのひとつ『長恨歌』が、桐壺更衣と帝の悲恋物語にしばしば登場します。
更衣の形見の櫛を見て、帝の心に浮かんだのも、長恨歌の一節でした。






    鈴木春信「玄宗皇帝楊貴妃圖」





絵の中の楊貴妃に、いきいきした美しさを求めるのは、無理でしたが、太液地
に咲く蓮、未央宮の前の柳にたとえられた。
唐風に装った楊貴妃は、端麗で美しかったことでしょう。
しかし、更衣の優しく可愛らしかったことを思い浮かべるにつけ、には、
その様子は、花の色にも、鳥の声にも、たとえるものがないほど素敵に思える
のでした。
「比翼の鳥、連理の枝のようにずっといっしょに」、と朝に夕に約束したのに、
その願いが叶えられなかった命の儚さが恨めしい帝でした。
帝は、風の音や虫の音にも悲しさがつのります。
それに対して、もう随分と長い間お召しのない弘徽殿女御は、月が美しいからと、
夜の更けるまで、琴など慣らして遊び、帝の神経を逆なでします。
このごろの帝の様子をよく知る殿上人や女房などは、はらはらしながら、その音
を聞いています。弘徽殿女御という方は、気が強く、角のある人で、亡き更衣に
寄せる帝の気持ちを踏みにじるなど、何でもない人でした。




次はもうないとデビルの声がする  渡邊真由美

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