川柳的逍遥 人の世の一家言
わたくしの哲学明日に向かうこと 安藤なみ
京屋。山東京伝見世
キセル、紙製煙草入れなどを商っていた京伝の見世。 山東京伝は、深川木場の質屋の息子で、本名を岩瀬醒(さむる)という。
京伝が生まれた深川木場はその名の通り、周辺には材木問屋が軒を並べ、
豪商たちは、深川の料亭や花街で金に糸目をつけずに、派手に遊び倒す。
そこにいるのは深川の芸者、通称辰巳芸者だ。
男物の羽織で源氏名も男の名を使う。そして何より気風が良い。
粋で鯔背な江戸の職人たちと、豪商たちの通名遊びを見て育っている京伝は、
自然と「粋」が身についていった。
自分の店の煙管の持ち方も鯔背で粋な山東京伝
江戸の十八通りの一人、浅草蔵前の札差・文魚が京伝のパトロンに付き、
吉原に通うようになる。京伝の弟子、曲亭馬琴がいうところによれば、
「家に帰るのは、月に5,6日」であったという。
落語では、そんな体たらくな若旦那は勘当されるのがオチ。
ところがである-----、「自分の能力で稼いだ金で遊んでいるのだから」と、
京伝の父母は気にとめる様子もなかった、という。
妄想を煮込み続ける金曜日 平井美智子
蔦屋重三郎ー山東京伝 & 洒落本
役者を思わせる京伝の面差しは整っていた 京伝は当初絵師であった。
北尾重政に学び、北尾政演(まさのぶ)の画名で多くの狂歌本や戯作に挿絵を
描いている。一方、戯作者として自ら黄表紙の執筆を手がけ、大手版元の鶴屋
から次々と作品を刊行。天明2年(1782)に出した、『手前勝手御存知商売物』
(てまえがってごぞんじのしょうばいもの)が江戸随一の文人である太田南畝
に絶賛されたことで人気作家となる。
中でも『江戸生艶気蒲焼』(えどうまれうわきのかばやき)は、大ヒットし、
遊里で色男を気取る遊客が、同書の主人公の名にちなんで「艶二郎」と呼ばれる
ほどの人気を博した。
大根切る所願成就の顔で切る 西澤知子
『客衆肝照子(きゃくしゅきもかがみ)』①(東京都立中央図書館蔵本) 天明6年正月刊。『役者氷面鏡(やくしゃひもかがみ)』(明和8年刊)
という、役者の身振り・科白を絵本仕立てにしたもののパロディで、原
ゆかりの様々な人間の類型を、図像・科白をもって表現した洒落本である。
『客衆肝照子(きゃくしゅきもかがみ)』②(東京都立中央図書館蔵本)
蔦重から文才を見込まれた京伝は、やがて文章主体の「洒落本」の執筆も手が けるようになる。洒落本は遊里を舞台にした会話形式の読み物で「穿ち」とい われる人情の機微を描くところに面白みがあった。 原通人の京伝の書く洒落本は、そんじょそこらの吉原武勇伝みたいなものと
は一線を画す。会話文には男女の「心」のやり取りが描かれる。 いわば、恋愛小説なのである。 修行中の坊さんまで愛読したというのだから、よっぽど健全なものなのだろう。
凡人は痒いところが判らない くんじろう
『傾城買四十八手』 (山東京伝画) (大東急記念文庫蔵本)
寛政2年(1790)刊。山東京伝作、洒落本の頂点をなす傑作である。 原の世界に、5組の男女の遊びの様を描く中で、作者の筆は登場人物の内容
描写にまで及ぶ。まさに名人芸。 挿絵は、中国の仙人で鯉 を巧みに乗りこなしたという琴高仙人(きんこうせん にん)を、遊女に見立てたもので、浮世絵の図柄としてよく用いられる。 『傾城買四十八手』「作家京伝の人間への眼差し」
年は十六、この春から、突き出しの遊女と、上役なのか年上の客なのかに吉原
に連れてこられた「息子」は、年のころ十八くらい、会話が苦手らしく遊び慣 れていない風だが、身なりが良い。 「お前さまみたいな人には、家におかみさんがござんしょうね」
「まだそんなものはいないよ」
「じゃ、どこぞの良い人と、お楽しみがあるんでしょう?」
「家がやかましいから、ここ(吉原)には去年お酉様(酉の市)の還りに来た
きりさ。私のことだけじゃなくて、お前の良い話も聞かせておくれよ」
「わっちのことなんて、誰も相手をしてくれないもの」
「よく嘘をつくね。そうだ、名を嘘つきと呼ぼうか。惚れた客があるんだろう」
「好きになるような客なんていないのさ」
「そりゃあ残念。私になんか、尚更だろうね」
「ぬしにかえ-------?もう言わない」
「おや、ずいぶんと焦らしなさるね」
世界一内気だと思う…たぶん 河村啓子
何を読まされているんだという気にもなるが、もうすこし我慢を。
「わっちが惚れたお人は、たった一人でござんすよ」
「そりゃあ、うらやましい男だ」
「…お前さまさ」
「ずいぶんとあやしてくれるね」
「ホントのことだもの」
「お前のような美しい女が惚れてくれるなんて、私にゃもったいない話だ」
「また来てくれる?」
「呼んでさえくれたら、きっとくるとも」
「ホントに?うれしい」
どんな風に口説けば堕ちてくれますか 石神孔雀
ため息ついて、遊女の誠を確かめようとした矢先に、相手の遊女に振られた連
れの男がやってきて、しっぽりがご破算になるというオチがつく。 しかし、遊女と初心男は、入ってきた野暮男を無下にすることなく、ボヤキを
聞いてやっている。 振られた男が部屋を出て行くと「あとはふたり、ほっとする」。 真面目で遊び慣れていない男が、結果的にもてるというオチは、明和7年刊行
田舎老人・多田爺作『遊子方言』にもあり、通人をきどる半可通の滑稽をあし
らいながら遊里における一昼夜の遊びを描くという型ができあがったのである。 新天地求めて風にのった種 吉岡 民
「通 人 総 籬」
「江戸生艶気樺焼」の登場人物=艶二郎・喜之介・志庵の三人が登場。
艶二郎は、あまりもてない男として描かれる。
「仕 懸 文 庫」
京伝が生まれ育った深川仲町の遊女の風俗を描いた作品 京伝は、蔦重の期待に応えて洒落本でもヒットを連発し、傑作『通言総籬』で
その頂点を極めた。 やがて寛政の改革によって出版統制が始まると、遊里文学である洒落本は風紀 を乱すものとして取締りの対象となる。 それでも蔦重と京伝は、幕府の検閲をかいくぐり、寛政3年(1791)三部作の洒
落本・『仕懸文庫』『錦之裏』『娼妓絹麓』を出版。これを幕府に咎められ、 京伝は、手鎖50日の禁固刑を受けることとなる。 しかし、京伝はくじけることなく黄表紙の執筆をつづけ、さらには文才を活か
して、『忠臣水滸伝』などの読本や『骨董集』『大尽舞考証』などの風俗考証 でも多くの作品を残した。 生きてゆく重さ海月にある重さ 前中知栄
奉行所へ捕縛連行された鳥山検校と瀬以 <べらぼう 第14回のちょっと、あらすじ>
幕府による当道座の取り締まりで、検校(市原隼人)と瀬以(小芝風花)は、
捕らえられ、蔦重までも同心に連行されてしまう。 その後、釈放された蔦重は、大文字屋(伊藤淳史)から五十間道に空き店舗
が出ると聞き、独立して自分の店を持てないかと考える。 そんな中、いね(水野美紀さん)からエレキテルが効果のない代物だと聞き、
源内(安田顕)を訪ねた蔦重。
源内は、エレキテルが売れないのは、弥七(片桐仁)のせいだと訴えるが----。
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