- 2013/10/02
- Category : ポエム&川柳
時雄とみね
同志社第一期卒業生
「峯と時雄」
覚馬の娘・山本みねは新島襄が設立した同志社女学校に入学し、
勉学に励んでいるとき、同校の横井時雄と出会い、恋が芽生える。
横井時雄とは、安政4年(1857年)、
熊本藩士・儒学者の横井小楠の長男として肥後国に生まれる。
金森通倫・徳富蘇峰・徳冨蘆花は、母方の親戚にあたり、
妹は海老名弾正の妻である。
熊本洋学校に学び、明治9年には「熊本バンド」の結成に参加、
同年に上京し、開成学校(現・東京大学)に入学するが、
翌年に同志社に転入する。
身の丈に合った貝殻探してる 寺島洋子
熊本バンド
横井小楠の嫡男 として生れながら何故、井上の姓を名乗ったのか。
それは時雄が4~5歳の時に、
父・小楠が江戸で遭遇した切り込み事件で、
「士道忘却罪」に問われ、危険と見た小楠の弟子の井上毅が、
井上家の相続を願い出て、養子とした経緯がある。
(時雄には、日下部太郎という別名もある。
上記の難を逃れるために藩主の松平春嶽が、時雄を守るため、
八木八十八(やぎやそはち)に日下部の襲名を命じた)
常識の沼へミズスマシを放つ 和田洋子
左から2人目が時雄・4人目がみね
明治12年、同志社を卒業後、
新島襄により按手礼を受け、初代・牧師として愛媛県今治市に赴任。
時雄とみねは明治14年に結婚する。
2年後に長女・悦子が誕生、明治20年には長男・平馬が生れる。
時雄の父・横井小楠の通称は平四郎、そこから「平」と、
山本覚馬の「馬」から「平馬」と名づけられている。
しかし、みねは産後に体調が悪化して、
明治21年27歳の若さで亡くなる。
(長男・平馬は、山本家の養嗣子になる)
時雄は明治30年に同志社の第3代目総長に就任。
明治32年に辞職。
是非ぜひの話に馬の耳になる 山本昌乃




