- 2013/11/20
- Category : ポエム&川柳
徳冨蘇峰・蘆花兄弟
徳冨蘇峰旧邸と蘇峰
「徳富蘇峰と徳冨蘆花」
徳富猪一郎(蘇峰)は新聞記者であり、歴史家、言論人。
文久3年(1863)1月25日熊本に生まれ、熊本洋学校から同志社に学ぶ、
が、明治13年、新島襄と衝突し,退学。
故郷に帰り,自由民権運動のかたわら、明治15年大江義塾を開く。
19年塾を閉鎖し上京、『将来之日本』を刊行し、
新進評論家として注目を集める。
20年「民友社」を設立、雑誌・『国民之友』を創刊、
青年層を中心に圧倒的支持を得る。
23年「国民之友」・「国民新聞」を創刊し日本言論界に不動の地位を築く。
この樽を出ると立派な酒になる 山本芳男
徳冨蘆花の本
徳冨健次郎(蘆花)は小説家。
明治元年10月25日生まれで、兄・蘇峰とは5歳の年の差。
名作「不如帰」・「自然と人生」で文壇の異色作家として注目を浴びる。
ともに京都の同志社で学ぶが、
蘇峰、蘆花、この兄弟の不和は歴史上あまりに有名。
ともかく二人の思想・活動は異なり、
とりわけ蘆花は蘇峰に一方的な葛藤と顕著な劣等感を抱いていた。
ひとりごとだけが出てくるボイスレコ 黒田忠昭
「蘆花の劣等感」-エピソード」
徳冨の名の兄・蘇峰は「富」(うかんむり)で、
蘆花は、わかんむりの「冨」の字で晩年まで冨で通した。
背景に、「蘇峰の富と区別したい、という気持ちがあったのは確か」
と蘆花文学館館長。
号に関して、蘇峰は故郷・熊本の名峰「阿蘇山」から取った雄大なもので、
蘆花は地味な「蘆の花」。
「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。
しか
然も其の見所なきを余は却って愛するなり」
と随筆に記している。
粘りつく入道雲を背負い投げ 山田ゆみ葉
蘇峰旧邸
「和解」ー「蘆花臨終の日まで続いた二人の断絶状態」
蘆花は、5歳年上の兄・蘇峰へ「告別の辞」を発表して絶交。
明治36年のことである。
何かにつけて兄に反発していた蘆花だが、
明治43年に一度、大逆事件の幸徳秋水らの減刑を願う、
桂太郎首相への嘆願書提出に蘇峰を頼った。
この嘆願は果たせず、
これ以後も兄弟のあいだには疎遠な状態がつづいた。
その後、14年続いた疎遠の二人が劇的な和解を果たすのは、
昭和2年、蘆花が群馬県伊香保で病床に就いたときである。
※ 大逆事件ー社会主義者・幸徳秋水らが、明治天皇暗殺計画を企てたとして、
検挙された事件
わたくしの天使の羽根が生え換わる 蟹口和枝
徳冨蘆花
病床の蘆花を見舞いに来た蘇峰が 「おまえは日本一の弟だ」
と話しかけると、
蘆花は 「兄貴こそ日本一だ。どうかいままでのことは水に流してくれ」
と泣きながら訴え、
そして兄に
「後のことは頼む」
と言い残し逝ったといわれる 。
蘆花、58歳だった。
ありがとうを言う汽笛になりながら 八上桐子
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