- 2013/09/07
- Category : ポエム&川柳
襄と八重-結ばれる
「八重と襄‐結ばれる」
「幕末のジャンヌ・ダルク」と讃えられるほどの武勇伝を
のこした八重は、明治4年8月に兄・覚馬を頼って京都に行き、
いち早く英語を学んで洋装のモダンレディへと変身する。
日本は明治5年に「キリシタン禁令」を解いたが、
それは諸外国の圧力をうけて黙認したというにすぎない。
いてき
人々が「夷狄」とよんでおびえている外国人とつきあい、
宣教師から聖書まで習っている八重の大胆不敵さに、
保守的な京都人は腰をぬかさんばかりに仰天した。
さざなみへ石を投げてはいけません 北川ヤギエ
そうした八重の、向こう見ずな女傑ぶりに惹かれて
プロポーズしたのは、アメリカ帰りの新島襄である。
八重は洋学者・川崎尚之助と一度結婚をしているが、
八重が新島と出会ったときには、
すでに川崎尚之助は病死していたから、
二人の結婚に障害となるものはなかった。
夕日にも予防注射しておいた 井上一筒
どくりつふき
襄にとって八重は、まさに「独立不羈」の魂を持った女性だった。
「政府や国家に依頼心を持たず、独立不羈の一己の見識と
品格に基づいて、天地に恥じない『一国の良心ともいうべき者』
であり、そのような者は、キリスト教の普遍的真理に基づく
徳育により養われる」
これが新島襄の考える近代国家を支えるべき人間なのだ。
独立不羈=どこからも何の束縛も制約も受けることなく、
自らの考えに従って事を行うこと。
鍵のないドアで自由が出入りする 河村啓子
しかし、いくら英語を学び、キリスト教に感心をもっていたとしても、
相当の覚悟と勇気がなければ、
クリスチャンとの結婚には踏み切れない。
八重だからこそ受け入れたのだ。
明治9年1月に、八重は京都で初めての洗礼をうけ、
新島襄とキリスト教による結婚式をあげた。
凶のみくじはコヨリにしておこう 山本昌乃
明治9年1月2日、襄と八重のキリスト教式の結婚式が行われた。
これは京都では初めてだった。
2人とも洋装で、襄はフロックコート、八重はドレス姿。
参列者は家族、宣教師、同志社の学生たち10数人で、
質素なものだった。
襄が32歳、八重は30歳だった。
R30指定手前の固結び 酒井かがり
そして襄と共に理想の教育実現に全力を尽くしていくこととなる。
八重はキリスト教の洗礼を受けたこともあって、
女紅場を免職されるが、
結婚後、同志社女学校の設立に力を注いだ。
また、襄の理想に従い、
西洋的な「レディ」の生き方を実践してみせた。
洋装し、夫を「ジョー」と呼び捨てにし、一緒に並んで人力車に乗る・・・。
そんな態度は、京都の人々には決して理解されるものではない、
同志社の生徒たちからすら白眼視された。
くるぶしの辺りを騒いでいるカモメ 森田律子
PR




