ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
[
268
] [
267
] [
266
] [
265
] [
264
] [263] [
262
] [
261
] [
260
] [
259
] [
258
]
信西の首
法則を守って雑巾が乾く 山本早苗
「平治物語絵巻・信西巻」
(国立国会図書館)
信西の首は獄門に晒された。
そして信西の息子たちは、一斉に配流されて一族は壊滅した。
「信西の首」
平治元年
(1159)
12月9日、
「平治の乱」
が勃発する。
清盛
が一家をあげて熊野参詣のため、
京を留守にしていた最中だった。
後白河の近臣・
藤原信頼
と
源義朝
らの軍勢が、
後白河上皇
の院御所・三条殿を突如襲撃した。
彼らの目的は
信西
である。
信西は下級官人出身だが、
非常に有能で、実務官僚系の院近臣として、
鳥羽院
に接近し、
後白河の乳母を妻にしていることから、
後白河の側近にもなり、
「保元の乱」
後の混乱の中
政治の中枢に躍り出た人物だ。
ポケットの中の心が見つからず くんじろう
信西の生首を持ち帰る道中 前列の4人が首を掲げる
後白河
を大内裏に移し、
義朝らは
信西
を捜索するが、
信西は危険を察知し、逃亡したあとだった。
のちに、自ら胸に刀を突き刺し自殺した姿で、
信楽山の山中で発見され、
その首は落とされ西獄門に晒された。
謀叛罪として梟首に処せられたのである。
子息たちも解官、配流された。
50年前、鎮西で反乱をおこした
源義親
(義朝の祖父)
以来の
「梟首の刑」
である。
一昼夜拍手を浴びてオポッサム 富山 悠
信頼
・
義朝
はさっそく
「除目」
をおこない、
自らはもちろん、一門や同志の貴族たちの官位を進めた。
しかし、反信西では一致していた彼らに、
早くも分裂が始まっていた。
除目=官職に任命する儀式。
知らぬところで鏡の割れる音がする 洗い慶子
すなわち
二条天皇
の外戚・
藤原経宗
(つねむね)
や
側近・
藤原惟方
(これかた)
など親二条派が、
9日の事件に、
強い危機感を抱いた内大臣・
藤原公教
(きみのり)
が、
秘密裏に進めていた反信西派の結集工作に、
加わったのだ。
彼らの手引きで、公教は
二条天皇
を内裏から、
密かに脱出させるという作戦を企て、
その実行役として、
清盛
が起用された。
終りでも始めでもある判を押す 中川隆充
「六波羅合戦図」
(国際日本文化研究センター)
赤い旗をなびかせながら出陣する平氏軍。
中央の赤い甲冑を着た武士が、清盛。
(デジタル復元図)
もともと、二条親政派であった藤原経宗、
惟方にしてみれば、
後白河院政派から鞍替えしたばかりの、
信頼、義朝が、自分達を差し置いて、
二条天皇を擁立し、政権を牛耳るのは、
バカバカしい話であった。
そこに目を付け、反信西派に打ち込んで分断した、
藤原公教の目の付け所は見事というほかない。
≪公教は、
信西
によって荘園整理のために設置された、
記録所の責任者とされた人物だが、
信西にそれだけ高く評価されるだけのことはあったのだろう≫
砂時計倒れたままの裏表紙 笠嶋恵美子
[4回]
PR
y2012/07/05 09:30 z
CATEGORY[ポエム&川柳]
<<
六波羅合戦‐①
HOME
平治の乱
>>
Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ
[PR]
カウンター
1日1回、応援のクリックをお願いします♪
最新記事
式部ー藤壺・花陽炎-①
(11/21)
式部ーどうにもとっまらない-賢子
(11/14)
式部ーどうにもとまらない賢子
(11/07)
式部ー賢子--跳んで弾けてとまらない
(10/31)
式部ー恋の手立ては手紙から
(10/24)
リンク
管理画面
新しい記事を書く
メールログイン
カテゴリー
演劇・映画 ( 8 )
ポエム&川柳 ( 1091 )
アルバム(風景) ( 2 )
アルバム(催事) ( 2 )
アルバム(動物) ( 0 )
雑学 ( 43 )
名言・辞世の句 ( 0 )
未選択 ( 0 )
プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開