- 2026/09/20
- Category : アルバム(風景)
「都市伝説」ー東京競馬場の「大欅」伝説
「都市伝説」ー東京競馬場の「大欅」伝説
「切ろうとすると怪死を遂げる謎の木」
東京競馬場の第3~4コーナーの間に立つ〔大欅〕。
観戦の邪魔となるような場所なのに今でも切られていないのは、
「切ろうとした人が、亡くなった」という言い伝えがあるからだという。
真偽を探したところ「誰かがなくなった」という事実を証明できないが、
そんな昔話も聞いているので、「誰も切りたがらない」そうだ…。
そんな昔話も聞いているので、「誰も切りたがらない」そうだ…。
(ちなみに、この木は欅ではなく榎。大欅もあったが、十数年前に落雷で折れ
て小さくなり、今は榎の後ろに隠れてしまった。代わって榎が大欅と呼ばれる
ようになった)
て小さくなり、今は榎の後ろに隠れてしまった。代わって榎が大欅と呼ばれる
ようになった)
馬 頭 観 音
大欅のそばには、馬頭観音がある。このあたりで多くの馬が事故で亡くなる為
74年に建立された。
「ちょっと解説」
東京競馬場名物の1つが、3、4コーナー内側の〔大ケヤキ〕。
(このコーナーは競走馬が、一瞬見えなくなる目印としてお馴染みで、ファン
の間やレース実況でも今や「大欅」の愛称で親しまれている)
の間やレース実況でも今や「大欅」の愛称で親しまれている)
その下には井田一族の墓があり、ケヤキは井田家ゆかりのご神木とされている。
井田一族のうち最も有名なのが、1600年頃(安土桃山時代~江戸時代)にかけ
て、この地を開拓し、村の礎を築いた井田是政だ。
今もなお、この付近の地名や西武多摩川線の駅名に、その名を残す人物である。
て、この地を開拓し、村の礎を築いた井田是政だ。
今もなお、この付近の地名や西武多摩川線の駅名に、その名を残す人物である。
現在のところ、特別な異常や伐採の予定などはなく、府中コースの歴史を見守
る守り神として大切に維持されている…が。
る守り神として大切に維持されている…が。
東京競馬場博物館
「一時は…‼」
東京競馬場を建設するにあたり、この墓をどうするかが大問題になった。
『府中市史』には、問題解決へ向けての経緯が記されている。
『府中市史』には、問題解決へ向けての経緯が記されている。
1929(昭和4)年10月、墓地を東京府(当時)指定の史蹟として永久保存し、
井田家による墓参は、競馬倶楽部の事業に差支えない限りいつでも自由にできる
との覚書が、競馬倶楽部と井田家との間で取り交わされた。
つまり、墓地は競馬場内に永久に残すことになったわけだ。
井田家による墓参は、競馬倶楽部の事業に差支えない限りいつでも自由にできる
との覚書が、競馬倶楽部と井田家との間で取り交わされた。
つまり、墓地は競馬場内に永久に残すことになったわけだ。
ところが、翌11月になって倶楽部側はこれをひっくり返す。
墓地を無償で近所の寺に移し、樹木は伐採すると申し出た。
〔ちゃぶ台返し〕と言ってもいいこの提案に対し、井田家側は当然ながら猛反発、
倶楽部は、再考を余儀なくされる。
墓地を無償で近所の寺に移し、樹木は伐採すると申し出た。
〔ちゃぶ台返し〕と言ってもいいこの提案に対し、井田家側は当然ながら猛反発、
倶楽部は、再考を余儀なくされる。
結局、1931(昭和6)年に当初の覚書どおり、墓地を永久保存するという証書が
改めて作成され、墓地問題は決着。新競馬場は1932(昭和7)年に着工の運びと
なった。
改めて作成され、墓地問題は決着。新競馬場は1932(昭和7)年に着工の運びと
なった。
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