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「都市伝説」ー東京競馬場の「大欅」伝説

「都市伝説」ー東京競馬場の「大欅」伝説

                        「切ろうとすると怪死を遂げる謎の木」
東京競馬場の第3~4コーナーの間に立つ〔大欅〕。




観戦の邪魔となるような場所なのに今でも切られていないのは、
「切ろうとした人が、亡くなった」という言い伝えがあるからだという。
真偽を探したところ「誰かがなくなった」という事実を証明できないが、
そんな昔話も聞いているので、「誰も切りたがらない」そうだ…。
(ちなみに、この木は欅ではなく榎。大欅もあったが、十数年前に落雷で折れ
て小さくなり、今は榎の後ろに隠れてしまった。代わって榎が大欅と呼ばれる
ようになった)

        馬 頭 観 音
大欅のそばには、馬頭観音がある。このあたりで多くの馬が事故で亡くなる為
74年に建立された。
「ちょっと解説」
東京競馬場名物の1つが、3、4コーナー内側の〔大ケヤキ〕。
(このコーナーは競走馬が、一瞬見えなくなる目印としてお馴染みで、ファン
の間やレース実況でも今や「大欅」の愛称で親しまれている)
その下には井田一族の墓があり、ケヤキは井田家ゆかりのご神木とされている。
井田一族のうち最も有名なのが、1600年頃(安土桃山時代~江戸時代)にかけ
て、この地を開拓し、村の礎を築いた井田是政だ。
今もなお、この付近の地名や西武多摩川線の駅名に、その名を残す人物である。
 現在のところ、特別な異常や伐採の予定などはなく、府中コースの歴史を見守
る守り神として大切に維持されている…が。 





            東京競馬場博物館




「一時は…‼」
東京競馬場を建設するにあたり、この墓をどうするかが大問題になった。
『府中市史』には、問題解決へ向けての経緯が記されている。
 1929(昭和4)年10月、墓地を東京府(当時)指定の史蹟として永久保存し、
井田家による墓参は、競馬倶楽部の事業に差支えない限りいつでも自由にできる
との覚書が、競馬倶楽部と井田家との間で取り交わされた。
つまり、墓地は競馬場内に永久に残すことになったわけだ。
 ところが、翌11月になって倶楽部側はこれをひっくり返す。
墓地を無償で近所の寺に移し、樹木は伐採すると申し出た。
〔ちゃぶ台返し〕と言ってもいいこの提案に対し、井田家側は当然ながら猛反発、
倶楽部は、再考を余儀なくされる。
結局、1931(昭和6)年に当初の覚書どおり、墓地を永久保存するという証書が
改めて作成され、墓地問題は決着。新競馬場は1932(昭和7)年に着工の運びと
なった。

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都市伝説ー四谷怪談のお岩さん

都市伝説ー四谷怪談のお岩さん





                                「お 岩 稲 荷」

東京四谷にある。夜になると薄暗い中、幟がはためき『四谷怪談』
さながらの雰囲気。斜め向かいの陽運寺(東京新宿)では毎月一日
「お岩さま開眼祭」が行われる。




           「お岩の亡魂 神谷伊右エ門」 歌川国芳 東京江戸博物館所蔵



歌舞伎作者の鶴屋南北の代表作『東海道四谷怪談』は、夫に毒を盛られた妻・
お岩が化けて出る話で有名だ。
今もそんなお岩さんの祟りが語り継がれている。
四谷怪談の上演や映画化をすると、なぜかスタッフの交通事故や主演女優の自
殺などが絶えない。そのため関係者は初舞台前に、成功祈願に訪れるという。
「歌舞伎の舞台に限れば、四谷怪談は仕掛けが大掛かりになるため事故が多か
ったと聞いてはいますが、交通事故や自殺となると…怪談話は、作者の創作で、
実際のお岩は見た目も普通ですし良妻で有名でした」(「於岩稲荷」)
 彼女は1636年に亡くなったという。
その約80年後、彼女の屋敷は於岩稲荷となり、代々宮司を務めている。






              戸 板 流 し




『四谷怪談』
四谷左門には、お岩お袖というふたりの娘がいました。
お岩の夫・伊右衛門は、御用金横領を知られたために義父である左門を殺しま
した。そして、お袖の夫・与茂七は、横恋慕した薬売りの直助によって殺され
てしまいました。伊右衛門も直助も、自らが殺しておきながら仇討ちを誓って、
伊右衛門は、お岩と暮らし続け、直助はお袖と同居を始めます。
お岩と伊右衛門は、しばらくは仲よく暮らしていましたが、伊右衛門は伊藤喜
兵衛の孫娘を気に入り、伊藤喜兵衛も伊右衛門を孫娘の婿に迎えたいという思
惑が一致し、事態は一変します。喜兵衛は、お岩に毒を盛り、毒の影響でお岩
の容姿が崩れていくにつれ、伊右衛門の心はさらにお岩から離れていきました。
喜兵衛の企みを知ったお岩は、恨みと悲しみを抱いたまま死んでいきます。
しかも、(伊右衛門の家系に代々伝わる妙薬盗人のために)伊右衛門が殺した
男とともにお岩を戸板にくくりつけ、そのまま川に流してしまうのです。
喜兵衛の孫娘と伊右衛門の婚礼の晩、伊右衛門の前に幽霊姿のお岩現われます。
錯乱した彼は喜兵衛と孫娘を殺し、そのまま逃亡。
お岩は伊右衛門の母親にも噛みついて殺してしまいます。
「一方、袖と直助は…」
直助と暮らしていましたが一線を越えてはいませんでした。
お岩が殺された知らせを聞き、お岩の仇討ちに協力してもらうため直助と関係
を持っているときに、なんと、殺されたはずの夫・与茂七が帰宅します。
殺された与七は実は人違いだったのです。
袖を殺害し直助が自害して果てたのち、与茂七もまたことの真相を知りました。 
伊右衛門を討つため、彼が向かったのは蛇山の庵室でした。
そこには、燃えさかる提灯の中から現れたお岩の幽霊に苦しめられる伊右衛門の
姿があった。





      北 斎 が 描 い た お 岩




大きく口を開け、破れ提灯の姿となったお岩の形相は、見る者を圧倒するほどの
恨みに満ちています。白目まで赤く染まっているのは、激しい怒りの表現と思わ
れます。これまでの伊右衛門の所業を振り返れば、もはや命乞いをしても許され
るはずがありません。
そこへ与茂七が現れ、ついに伊右衛門に引導を渡し、物語は幕を閉じます。





               「於岩稲荷」
実在したお岩さんは、夫に裏切られて毒殺された悲劇のヒロインではなく、
夫の田宮伊右衛門と夫婦仲良く家を再興した良妻でした。
江戸時代初期の御家人・田宮家の娘「岩」という女性です。
夫の伊右衛門と協力して田宮家を立て直し、深く信仰していたお稲荷さん
(於岩稲荷田宮神社)を大切にして平和に暮らしました。

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都市伝説ー平将門の祟り

都市伝説ー平将門の祟り



           首 塚  (東京都千代田区)

平安時代、この地には神田明神が建立しており、それ故今でもご利益がある
場所と考える人がいる。







平安中期、関東の独立を企て、志半ばで朝廷軍に討たれた武将・平将門。
「将門の祟り」は伝説として、あちこちで語り継がれてきた。
その一つが「将門の首塚」だ。





首塚を建てたことで将門の御霊は、一度は怒りを鎮めたかに思われたが、そう
ではなかった。周辺地域では何年もの間、水害や水難の類いが頻発し、人々は
それを「将門の祟り」と捉えて恐れ、震え上がった。
そこで時の僧侶が板石塔婆を建てて、改めて供養したのが徳治2年(1307)の
こと。この際、近隣の神田明神に将門の霊を祀ったことで、ようやく怨念は鎮
まったという。
 ところが大正13年(1923)の関東大震災で塚が倒壊したのを機に、再び将門の
怨霊は猛威をふるい始める。具体的には、この地で不自然な事故や災害が相次
いだのだ。





将門に関連する神社など赤で白抜きの所を戦にして結ぶと「北斗七星」の形に
なる。将門は、北斗七星を信仰していたことでも有名。



「大蔵省の悲劇」
戦後GHQが、この地を駐車場にしようと区画整理を行った際、工事関係者の
不慮の事故死や怪我が相次ぎ、計画が断念されたという。
その後も、周辺のビルで奇妙な不幸や病気が続くと噂された。





 





「首が東へ飛んだ」
京都で晒し首にされた平将門の首が「自分の体を探す」ために、故郷の関東へ
向けて空を飛んで落下したのが、この首塚の地とされる。


「八幡の藪知らず」
千葉県にある「八幡の藪知らず」にも「家臣6人がここで死に絶えた祟りから
藪に踏み込めば出てこられない」という将門伝説がある。
「実際は、約200坪の小さな藪で迷うことはないが、ジメッとした不穏な空気が
感じられた。

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都市伝説ー長命寺の井戸

都市伝説ー長命寺の井戸






                 姿 見 の 井 戸

姿見の井戸は、境内の左奥の木陰にある。
そのモデルとなった井戸寺は、1300年以上の歴史を誇る。





日本で「都市伝説」という言葉が知られるようになったのは、80年代後半。
そのきっかけとなったのは、アメリカの民俗学者、ジャン・ハロルド・ブルン
ヴァン氏の著書『消えるヒッチハイカー』
これは、現代社会にまつわる噂話を集めた本で、民話や伝説と区別して「アー
バン・レジェンド」という言葉が使われた。
それが「都市伝説」と翻訳されたのだ。いわゆる語源である。
近年、都市伝説めぐりをする人たちも増えてきている。
都市伝説に詳しい芸人の島田秀平氏は、巡る際の注意点をこう語る。
「塩を持参すること。訪れた場所を離れる際に舐めてみて無味、もしくは苦み
が強いと感じたら要注意。何かが憑いている場合もあるので、直接帰宅せずに、
喫茶店など、30分以上滞在できる場に立ち寄るなどして” 霊 ”を落とすようにし
てください」と。





       長 命 寺 の 井 戸




江戸時代から「東の高野山」として信仰を集めてきた長命寺。
その境内にあるのが「姿見の井戸」だ。この井戸には「覗き込んで水面に自分
の顔がハッキリと映れば長生きできる。しかし、歪んで映ったら厄災が降りか
かる」という都市伝説がある。
最近では、それに追加する話として「ある大学生がふざけて石を投げ入れたと
ころ、井戸水に映った自分の顔が歪んだ。しばらくするとその学生は交通事故
で亡くなった」という逸話まで出てきている。












「覗いて分かる自分の寿命の残り」
長命寺の井戸は、四国四十八ヶ所霊場のひとつ井戸寺の面影の” 井戸 ”がモデル。
井戸は、弘法大使・空海が掘ったといわれ『姿見の井戸』と同じ伝説が残って
いる。『残りの寿命が分かる井戸』の伝説が昔から伝わっているのは本当のこと
だが、大学生の話しは、作り話っぽい。

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都市伝説を検証する

都市伝説検証する





         「東 都 三 ツ 股 の 図」




天保2年(1831)に歌川国芳が、隅田川と小名木川が交わる中州から対岸
方向(深川)を見て、手前には、川岸に置かれた船の底を、2人の船大工が、
防腐処理のため火で炙っている様子が描写され、背後には川を隔てて「佃島」
の町並みや「永代橋」小名木川河口にかかる「萬年橋」が見え、一見すると、
江戸の水辺を描いた日常の風景である。
ただこの中に目につくのが「東京スカイツリー」にそっくりな塔が描かれてい
ることだ。国芳は180年も前に、スカイツリーの建設を予言していたのだろ
うか。歴史研究家・能城秀喜さんは「木の積み方から見て、”井戸掘り櫓” では
ないか」と予測する。
「国芳はほかにも、同じ櫓を描いていて、形も似ています。ちなみにその左隣
に描かれている少し低い塔は、火の見櫓であるといわれています」
しかし、井戸掘り櫓にしては、あまりにも高さが際立っているという指摘もあり、
真実は不透明のまま。
「伝説の発端」
江戸時代にこれほどの高さを有する建造物は、少なくとも町中には、ほぼ存在
しないことから、歌川国芳が未来を予言し、東京スカイツリーを描いたのでは
ないかと囁かれるようになった。
当時の火の見櫓は、高さが最大で約10m。1841年(天保12年)に出された「菓
子話船橋」
(江戸の菓子屋[船橋屋]の主人が菓子の作り方を記した本)のなか
にも、三ツ股付近にそびえる火の見櫓の絵が描かれている。
 もし火の見櫓のすぐ傍に、謎の塔が立っていたとすれば、高さは20m程度で十
分。さらに、当時、町なかに建てる塔で相応の高さを有するのは「井戸掘り用の
櫓」
くらいしか存在しない。つまり「東都三股の図」に描かれているのは東京ス
カイツリーではなく、たんなる櫓に過ぎなかったということになる。
「あらためて実際の絵を見てみると、川幅も広めに描かれ、遠近感がダイナミッ
クに演出されていることが分かります。浮世絵は写実よりも印象を重視するのが
醍醐味。歌川国芳の遊び心やサービス精神が、没後150年以上を経て、再び日の
目を見ることになったというのが真相か」





役者の似顔絵御法度の時世だから落書きにしてみました。
バンクシーよりも180年早く「落書き」を残した国芳である。






         『相 馬 の 古 内 裏』





原作(山東京伝『善知安方忠義伝』では数百の骸骨と戦うと
ところを、国芳は一体の巨大なものに変えた。さらに三枚続は
一片でも成立するよう描くのが慣例のところを、画面いっぱい
に骸骨を描き込んだ。そこが国芳の画法である。また、骸骨の
描写は学術的にもかなり正確になされていることから、国芳は
西洋の解剖学に関する書物を参考にしたものと考えられている。




「遅咲きの奇才・歌川国芳」
画才を認められた歌川国芳は、15歳で歌川豊国への弟子入りが認められ、若く
して絵画の道を歩みはじめました。
ところが、国芳の絵はまったく世間に認められません。絵は売れず、師匠に月
謝を払うこともできない。兄弟子の家に居候して日銭を稼ぎながら腕を磨くと
いう、長い下積み時代を過ごすことに…。
 国芳が日の目を見るのは、30歳を過ぎてからでした。
歴史上の武将・伝説の英雄や、その合戦の様子を描いた「武者絵」に活路を見
出して、中国の小説・『奇譚水滸伝』を題材に「通俗水滸伝豪傑百八人之一個
[壱人(いちにん)]」を描くと大ヒットを得ました。
躍動感あふれる自由な筆致と、カラフルな色彩が江戸っ子の心を鷲づかみにし、
ようやく画家としての第一歩を踏み出したのです。
そしてその奇才ぶりが発揮され、民衆を喜ばせました。




高さではこんな絵も描いています

歌川国芳ー奇才絵師の魔力 大阪中の島美術館

図では大判の紙を縦に三枚つなげて塔の高さを表現。
塔の上下で、にらみ合う二人の視線に合わせて塔の上部は仰ぎ見るように、
下部は見下ろすように描き、迫真の空間を作り出している。
屋根から突き出た相輪にわずかな雪を残すなど、雪景色を細部まで丁寧に
描き、臨場感を持たせている。








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