川柳的逍遥 人の世の一家言
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組み立ててみたら余ったのは兵器 吉川 幸
「ゲベール銃」 口径:17.5mm 全長:137.5cm 重量:4.5kg 射程距離:100m~300m 長崎の砲術家・高島秋帆によって、 輸入の先鞭がつけられた.。 その後、各藩で大量に倣製され、 幕末期の洋式銃の代名詞的存在となった。 燧石式または雷管式の点火機構であるため、 火縄銃よりは弾丸の装塡時間が短く、雨にも強かった。 しかし、施条(ライフル)が刻まれていない滑腔式で、 しかも発射時の衝撃が大きいため、 命中精度が低いなどの問題点も多かった。 会津戦争時にはすでに旧式化しており、 二線級の銃と広く認識されていたが、 会津藩は新式銃を十分に揃えておらず、 ゲーベル銃を主力とせざるを得なかった。 ゲーベル銃 (画面をクリックするとかくだいされます。) 左手の親指曲げてこれが能登 山田ゆみ葉 「エンフィールド銃」 口径:14.7mm 全長:123.2cm 重量:3.9kg 射程距離:1.100m 1853年にイギリス陸軍が制式採用した、 ミニエー銃の改良式銃。 日本に輸入されたミニエー銃の中で、ほぼ主流を占めた。 筒の内側に螺旋状に溝を刻む「施条(ライフル)式」を、 取り入れたことで、 弾丸に回転を加えることができ、 命中精度、飛距離、破壊力が格段に向上した。 しかも、底部をくりぬいた椎の実型の弾丸が、 発射時の圧力で拡張して、 銃の筒内にフィットするため(ミニエー効果)、 弾丸を口径より小さく造ることができ、 装塡の容易さとライフルの高性能とを両立できた。 幕末期には50000挺以上が輸入され、 会津戦争では、新政府軍が主力銃として用いた。 エンフィールド銃 らりるれろが正気になるとなお恐い 河村啓子 「スペンサー銃」 口径:13.2mm 全長:99cm 重量:3.7kg 射程距離:700m~820m 会津戦争で、八重が鶴ケ城籠城戦に用いた最新鋭の銃。 1863年、南北戦争中のアメリカで製造が始まった。 射程はエンフィールド銃と比べてやや短いものの、 弾丸を弾倉に入れて銃尾から装塡できる方式を 取り入れたことにより、 レバーアクションで7発の銃弾を連発できた。 幕末の日本には、4700挺以上が輸入されており、 佐賀藩が標準装備にしたのをはじめ、 新政府軍に重宝された。 会津藩砲術師範・山本家の娘である八重は、 この銃を手に新政府軍に抗戦、 北出丸に来襲した新政府軍を狙撃した。 スペンサー銃 耳の底銃は装填されたまま 小嶋くまひこ
みどりごのために常盤は色をかへ 江戸川柳
常磐御前 これは平治物語を基に、江戸時代に詠まれた川柳です。 ≪常磐は常緑樹の葉が、いつも色を変えない様子を、 逆手にとり、子どもの命を救うために、 常盤が源義朝から、平清盛へ乗り換えたことを皮肉った≫ 「常磐と川柳」 ぎりぎりの処で常磐色を変え 江戸川柳 ≪トップの句と、上の五を変えて詠ったもの≫ 平治の乱の処分はそれは厳しいもので、 勝った平家は、源氏を根絶やしにしようと、 捕らえては、情け容赦なく殺しました。 逮捕された義朝の長男の頼朝も、 すぐに処刑の日時が決まりました。 預かっていた平家の武士は、 日一日と少年の命数が短くなるにつれ、 いよいよいたたまれなくなり、池禅尼(清盛の継母)の袖に、 「いくらなんでも、13歳の子供を殺すのは可哀想。 何とか助けて下され」 と縋りつきました。 小松より親が常磐の色に染む 江戸川柳 ≪小松は小松内府と称した重盛のこと≫ 禅尼が少年に会うと、 若死にした自分の息子の家盛に瓜二つです。 彼女は早速、清盛に助命をかけ合いましたが、 取り合ってもおらえず、 そこで長男の重盛に哀訴嘆願しました。 人情家の重盛は、 「小童(こわっぱ)一人くらい生かしておいても大事はあるまいに」 と清盛を説き伏せ、 伊豆の蛭ヶ小島(韮島)に流しました。 子ゆえの闇明るみに常磐出る 江戸川柳 (画面をクリックして下さい) 常磐御前の母も捕らわれました。 母が拷問に掛けられ、 自分の居場所を尋問されていると、 逃亡先の大和竜門で聞いた常磐は、 「母の命を助け、できれば子の命も助けたい」 と幼い今若丸・乙若丸・牛若丸の三児を連れて、 出頭しました。 清盛は美貌の常磐を一目見るなり、 好色心がメラメラムクムク膨らんで、 「ワシの妾になれば、母と子の命は赦してやる」 との条件をだしました。 常磐は泣く泣くその条件を飲みました。 常磐は子のため常磐津は親のため 江戸川柳 ≪常磐津は浄瑠璃の一派で、親のために娘が語り金を稼いだ。 当時、常磐津はなかったが≫ 子の手足のばす気で解く後家の帯 江戸川柳 ≪子のためという良い言い訳で生きる決意をする常磐。、 戦国の世なら女は愛する男と命をともにしたものだが≫ 常磐の歳は、当時としては爛熟盛りの23歳。 男のあしらいかたは、充分知り尽くしているとみて、 「子のため」と母入道をひん丸め 江戸川柳 清盛は入道となり「浄海」と号しました。 清盛の鼻毛所帯崩し読み 江戸川柳 色香に迷っている男性を、 翻弄することを ”鼻毛読む” といい、 旦那との仲を解消した女を ”所帯崩し” と言いました。 浄海は常磐の方につけたい名 江戸川柳 あげまんの常磐を手中にしてから、 ますます運がむいた清盛でした。 庇を貸したで母屋常磐取り 江戸川柳 ≪この場合の母屋は天下のこと≫ このあと平家は、 常磐の毒気にあたったかのように、 徐々に衰退していきます。 平家を滅ぼしたのが、 常磐の三男・義経でした。 後家を手に入れて子孫の骨がらみ 江戸川柳 「江戸川柳で愉しむ日本の歴史」・松田征士 |
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