ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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常磐ー江戸川柳
みどりごのために常盤は色をかへ 江戸川柳
常磐御前
これは平治物語を基に、江戸時代に詠まれた川柳です。
≪常磐は常緑樹の葉が、いつも色を変えない様子を、
逆手にとり、子どもの命を救うために、
常盤が
源義朝
から、
平清盛
へ乗り換えたことを皮肉った≫
「常磐と川柳」
ぎりぎりの処で常磐色を変え 江戸川柳
≪トップの句と、上の五を変えて詠ったもの≫
平治の乱の処分はそれは厳しいもので、
勝った平家は、源氏を根絶やしにしようと、
捕らえては、情け容赦なく殺しました。
逮捕された
義朝
の長男の
頼朝
も、
すぐに処刑の日時が決まりました。
預かっていた平家の武士は、
日一日と少年の命数が短くなるにつれ、
いよいよいたたまれなくなり、
池禅尼
(清盛の継母)
の袖に、
「いくらなんでも、13歳の子供を殺すのは可哀想。
何とか助けて下され」
と縋りつきました。
小松より親が常磐の色に染む 江戸川柳
≪
小松
は小松内府と称した
重盛
のこと≫
禅尼が少年に会うと、
若死にした自分の息子の
家盛
に瓜二つです。
彼女は早速、清盛に助命をかけ合いましたが、
取り合ってもおらえず、
そこで長男の重盛に哀訴嘆願しました。
人情家の重盛は、
「小童
(こわっぱ)
一人くらい生かしておいても大事はあるまいに」
と清盛を説き伏せ、
伊豆の蛭ヶ小島(韮島)に流しました。
子ゆえの闇明るみに常磐出る 江戸川柳
(画面をクリックして下さい)
常磐御前の母も捕らわれました。
母が拷問に掛けられ、
自分の居場所を尋問されていると、
逃亡先の大和竜門で聞いた常磐は、
「母の命を助け、できれば子の命も助けたい」
と幼い
今若丸・乙若丸・牛若丸
の三児を連れて、
出頭しました。
清盛は美貌の常磐を一目見るなり、
好色心がメラメラムクムク膨らんで、
「ワシの妾になれば、母と子の命は赦してやる」
との条件をだしました。
常磐は泣く泣くその条件を飲みました。
常磐は子のため常磐津は親のため 江戸川柳
≪常磐津は浄瑠璃の一派で、親のために娘が語り金を稼いだ。
当時、常磐津はなかったが≫
子の手足のばす気で解く後家の帯 江戸川柳
≪子のためという良い言い訳で生きる決意をする常磐。、
戦国の世なら女は愛する男と命をともにしたものだが≫
常磐の歳は、当時としては爛熟盛りの23歳。
男のあしらいかたは、充分知り尽くしているとみて、
「子のため」と母入道をひん丸め 江戸川柳
清盛は入道となり
「浄海」
と号しました。
清盛の鼻毛所帯崩し読み 江戸川柳
色香に迷っている男性を、
翻弄することを
”鼻毛読む”
といい、
旦那との仲を解消した女を
”所帯崩し”
と言いました。
浄海は常磐の方につけたい名 江戸川柳
あげまんの常磐を手中にしてから、
ますます運がむいた清盛でした。
庇を貸したで母屋常磐取り 江戸川柳
≪この場合の母屋は天下のこと≫
このあと平家は、
常磐の毒気にあたったかのように、
徐々に衰退していきます。
平家を滅ぼしたのが、
常磐の三男・
義経
でした。
後家を手に入れて子孫の骨がらみ 江戸川柳
「江戸川柳で愉しむ日本の歴史」・松田征士
[2回]
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y2012/07/19 09:30 z
CATEGORY[演劇・映画]
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