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川柳的逍遥 人の世の一家言
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嘘ひとつ浅蜊が砂を吐くように  雨森茂喜

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 フルベッキ群像写真

志士として特定されたのは22名だったが、
推論が積み重ねられるうち、このように全員の名が列挙された。



ルベッキ群像写真の中で西郷とされた人物

「西郷どんー⑤」 フルベッキ群像写真

幾つものエピソードが喧伝され「西郷の写真」は存在しないという説が

定着
してきた。その一方で、歴史上の人物で断然の人気を誇る西郷

「写真が
存在しないわけがない」という思いは、宝探しのように拡散した。

そして様々なメディアで「ついに西郷の写真が発見された」という見出し

躍り、いくつかの西郷の肖像と称される写真が紹介されては、鑑定者ら

実証によってことごとく否定されてきた。

そして忘れられた頃、発見が報道されるというサイクルが現代に至るまで、

繰り返されている。

探偵は死者続出後謎を解き  高野末次

そんな中、明治元年(1868)から翌年の初頭にかけ、高杉晋作坂本龍馬

ら多くの著名人の肖像写真を撮影し、黎明期の日本写真界を牽引した上野

彦馬が、明治元年(1868)から翌年の初頭にかけ、イタリア人宣教師の

フルベッキを中心にして総計46名の集合写真を撮影した。そこには西郷

写っていると話題になった「フルベッキ群像写真」である。
                         ともさだ ともつね
群像写真には、岩倉具視の次男にあたる具定具経兄弟をはじめ、肥後

藩士の大隈重信らの参加が確認されている。そのほかの被撮影者たちは

フルベッキの弟子たちとされ、写真の照合によって名前が確認できた者は

22名、残りの24名の素性はわかっていない。

あんたの事はシワの数まで知っとるよ  森田律子

昭和49年肖像画家の島田隆資は、容貌を解析して「フルベッキ群像写真

は薩長土肥の志士たちが一同に会した集合写真である」と新説を発表。

その中に、西郷も含まれていたことから注目を集めた。

但し、岩倉兄弟が長崎に留学したのは、明治元年12月であることが確認

されているため、前年の11月に暗殺された龍馬や中岡慎太郎が写ってい

るはずがなかった。また薩長土肥を主導すうる指導者たちが集合すること

は不可能という常識的判断から島田説は完全否定された。

何をしてこんなに鼻が伸びたのか  こうだひでお

以来、フルベッキ群像写真は新聞・雑誌、テレビなどで取り上げられては、

否定されるというサイクルが繰り返されている。

作家の加治将一は、著作「幕末維新の暗号」「西郷の掟」において、

フルベッキの左斜め後方に写る人物を西郷とみなした。またフルベッキの

斜め左下の人物は、若い日の明治天皇と提示(後に替え玉と判明)した。

加治は、岩倉が天皇のすり替えを主導したと推理している。明治天皇の

「尊顔」を拝することができるのは、高位の公家や女官に限られていた。

そのため綱渡り的ではあるが、すり替えが出来なくもない。

真っすぐな煙突なんてつまらない  嶋沢喜八郎

とはいえ、西郷や天皇までもが群像写真の被写体であったことは、

信頼
性の高い史料では、立証できず、仮説からの脱却は不可能に等しい。

フルベッキ群像写真では、右端近くの被写体が露光過多によって白濁

している。ただし、当時の写真技術からすると、46名が数十秒にも及ぶ

静止に耐え、群像写真といsて成立したのは称賛に値する。

また、維新の志士たちが一同に会して、心を一つにしてレンズを見つめて

いる姿は、微笑ましく頼もしいものである。

よこ糸たて糸こだわりの玉虫色  田口和代

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