- 2026/05/24
- Category : ポエム&川柳
ニュースを読むー熊害事件
郷土資料館に展示されているヒグマ「北海太郎」の剝製。
体重は500キロにのぼり、「幻の巨熊」として知られる。後ろの鹿と比較しても
その大きさを推し量ることができる。この脅威の熊との攻防には、1世紀以上前
に起きた悲劇があった。
「最新のニュース」 令和8年6月19日に熊害事件が飛び込んできた。
19日午後1時頃、東京都奥多摩町日原の仙元峠近くで、警視庁青梅署員が上
半身のない遺体を見つけた。性別や年齢は不明。周囲には大型動物のフンや足
跡があり、同署は山岳事故のほか、クマに襲われた可能性もあるとみて身元の
確認を進めている。
半身のない遺体を見つけた。性別や年齢は不明。周囲には大型動物のフンや足
跡があり、同署は山岳事故のほか、クマに襲われた可能性もあるとみて身元の
確認を進めている。
「熊害(ゆうがい)事件」としてこのニュースから110年前、三毛別羆事件
(さんけべつひぐまじけん)というのがありました。
(さんけべつひぐまじけん)というのがありました。
1915年(大正4年)12月9日〜14日、場所は北海道苫前郡苫前村に
発生した事件である。死者7人、重傷者3人の被害が出ました。
発生した事件である。死者7人、重傷者3人の被害が出ました。
概要・・巨大なヒグマが複数の開拓農家を執拗に襲撃した、日本史上最悪の
「熊害事件」です。妊婦を含む7人が犠牲となり、討伐されるまで集落が恐
怖のどん底に陥れられました。
「熊害事件」です。妊婦を含む7人が犠牲となり、討伐されるまで集落が恐
怖のどん底に陥れられました。
「巨大熊の寸法」
「三毛別羆事件」で開拓集落を襲った巨大なエゾヒグマは、体長2.7m、体重
340㎏〜380㎏と推定されています。一般的なオスのヒグマ(体長2m強・
体重150㎏前後)と比べても、非常に巨大で重量感のある「穴持たず(冬眠に失
敗したクマ)」でした
340㎏〜380㎏と推定されています。一般的なオスのヒグマ(体長2m強・
体重150㎏前後)と比べても、非常に巨大で重量感のある「穴持たず(冬眠に失
敗したクマ)」でした
日本で記録された過去最大のヒグマは、1980年に北海道で駆除された体重
500kgの「北海太郎」です。一方で世界最大種のコディアックヒグマ(アラ
スカ生息)では、体重1000㎏を超える個体も確認されています
500kgの「北海太郎」です。一方で世界最大種のコディアックヒグマ(アラ
スカ生息)では、体重1000㎏を超える個体も確認されています
野生個体として最大級のコディアックヒグマは、北米のアラスカ・コディアッ
ク島周辺に生息するヒグマで、世界最大級の亜種です。
ク島周辺に生息するヒグマで、世界最大級の亜種です。
最大級のオスは立ち上がると 立ち上がった時の高さが約3.3m、体重は 1t近
く(約 966 kg)に達する個体が確認されています。
く(約 966 kg)に達する個体が確認されています。
『教訓』ー「もしヒグマに出会ったら」
① 熊は火を恐れない。
事件発生後、村民は火を焚いてヒグマを避けようとしており、人々が明景家に
避難した際や、分教場に退避する際に、多くの焚火が燃やされたことが記録さ
れている。これらの行動は、一般に言われる「野生動物は火を怖がる」という
風説を信じたものだが、実際は太田・明景両家の襲撃にみられるように、ヒグ
マは灯火や焚火などに拒否反応を示すことはない。
避難した際や、分教場に退避する際に、多くの焚火が燃やされたことが記録さ
れている。これらの行動は、一般に言われる「野生動物は火を怖がる」という
風説を信じたものだが、実際は太田・明景両家の襲撃にみられるように、ヒグ
マは灯火や焚火などに拒否反応を示すことはない。
② 執着心が強い
トウモロコシを何度も狙っている点や、以前に複数の女を食い殺したヒグマが
三毛別でも、女の衣類などに異常な執着を示している点からも確認できる。
また、阿部マユを食害した際に「食べ残しを雪に隠した」こと、太田家に何度
も出没したことなども同じヒグマの特性による。
三毛別でも、女の衣類などに異常な執着を示している点からも確認できる。
また、阿部マユを食害した際に「食べ残しを雪に隠した」こと、太田家に何度
も出没したことなども同じヒグマの特性による。
その一方で、馬への被害は皆無だった。
③ 逃げるものを追う
明景ヤヨらは、ヒグマが逃げる要吉に気を取られたため助かった。
このように、たとえ捕食中であってもヒグマは、逃避するものを反射的に追っ
てしまう傾向にある。
このように、たとえ捕食中であってもヒグマは、逃避するものを反射的に追っ
てしまう傾向にある。
④ 死んだふりは無意味
明景ヒサノと胎児はヒグマに攻撃されなかった。
これは、ヒグマが、動かないものを襲わないというわけではなく、そのときに
ただ単に他に食べ物があっただけと考えられる。
これは、ヒグマが、動かないものを襲わないというわけではなく、そのときに
ただ単に他に食べ物があっただけと考えられる。
⑤ 予防策として熊よけ鈴(熊鈴)を常備する。
クマに人間の存在を音で知らせ、出会い頭の事故を防ぐための登山・アウトド
ア用アイテムです。クマは、本来臆病で人間を避けるため、こちらの存在を早
めに気づかせることが最も有効な予防策とされています。
ア用アイテムです。クマは、本来臆病で人間を避けるため、こちらの存在を早
めに気づかせることが最も有効な予防策とされています。
「突然、人間の数倍もある熊が乱入」
「三毛別熊害(ゆうがい)悲劇の概要」
太田家からヒグマが消えて20分と経たない20時50分ごろ、激しい物音と
地響きを立てながら、窓を突き破って黒い塊が侵入してきた。
ヤヨはその塊に「誰だ」と呼びかけたが、それはヒグマであった。混乱の中で
囲炉裏とランプの火が消え、ヒグマは暗闇の中で、人々に次々と襲いかかった。
地響きを立てながら、窓を突き破って黒い塊が侵入してきた。
ヤヨはその塊に「誰だ」と呼びかけたが、それはヒグマであった。混乱の中で
囲炉裏とランプの火が消え、ヒグマは暗闇の中で、人々に次々と襲いかかった。
ヤヨと彼女に背負われていた梅吉は、クマに噛まれて負傷するも、クマは逃げ
る要吉に気を取られたため難を逃れ、外に逃れた。一方で、追われた要吉は牙
を腰のあたりに受けて重傷を負った。さらにヒグマは居間にいた金蔵と春義を
殺害、巌に噛みつき重傷を負わせる。野菜置き場に隠れていたタケは気づいた
ヒグマによって居間に引きずり出され、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺
して!」と胎児の命乞いをしたが、やがて意識を失い、上半身から食われて殺
害された。
る要吉に気を取られたため難を逃れ、外に逃れた。一方で、追われた要吉は牙
を腰のあたりに受けて重傷を負った。さらにヒグマは居間にいた金蔵と春義を
殺害、巌に噛みつき重傷を負わせる。野菜置き場に隠れていたタケは気づいた
ヒグマによって居間に引きずり出され、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺
して!」と胎児の命乞いをしたが、やがて意識を失い、上半身から食われて殺
害された。
激しい物音と絶叫を聞いて駆けつけた村の男たちは、負傷したヤヨに助けを求
められた。「家を焼き払う」「一斉銃撃をする」などの案も出たが、中に生存
者がいることを案じたヤヨの反対で止められた。生存者を救出したうえで家を
取り囲み鉄砲を空に向かって放つと、ヒグマは、玄関から躍り出て男たちの前
に現れ、彼らが撃ちあぐねているうちに裏山の方へと姿を消した。
男たちが家の中に入って様子を確認したところ、殺害されたタケの腹は、破ら
れ胎児が引きずり出されていたが、ヒグマが手を出した様子はなく、そのとき
には少し動いていたという。
められた。「家を焼き払う」「一斉銃撃をする」などの案も出たが、中に生存
者がいることを案じたヤヨの反対で止められた。生存者を救出したうえで家を
取り囲み鉄砲を空に向かって放つと、ヒグマは、玄関から躍り出て男たちの前
に現れ、彼らが撃ちあぐねているうちに裏山の方へと姿を消した。
男たちが家の中に入って様子を確認したところ、殺害されたタケの腹は、破ら
れ胎児が引きずり出されていたが、ヒグマが手を出した様子はなく、そのとき
には少し動いていたという。
結果的にこの日の襲撃では、タケ、金蔵、巌、春義、タケの胎児の5人が殺害
され、ヤヨ、梅吉、要吉の3人が重傷を負った。力蔵は雑穀俵の後ろに隠れ生
還、ヒサノは失神し居間で倒れていたが、同じく生還した。勇次郎は、母・ヤ
ヨや弟・梅吉が重傷を負いながらも共に脱出し、奇跡的に無傷だった。
され、ヤヨ、梅吉、要吉の3人が重傷を負った。力蔵は雑穀俵の後ろに隠れ生
還、ヒサノは失神し居間で倒れていたが、同じく生還した。勇次郎は、母・ヤ
ヨや弟・梅吉が重傷を負いながらも共に脱出し、奇跡的に無傷だった。
「情け容赦もない熊の表情」
この夜の襲撃を受けて、六線沢集落の全住民は、三毛別にある三毛別分教場へ
避難することになり、重傷者達も3キロ川下の辻家に収容されて応急の手当て
を受けた。巌は母・タケの惨死を知る術もないまま、「おっかぁ!クマとって
けれ!」とうわ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えた。
避難することになり、重傷者達も3キロ川下の辻家に収容されて応急の手当て
を受けた。巌は母・タケの惨死を知る術もないまま、「おっかぁ!クマとって
けれ!」とうわ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えた。
ヒグマには、獲物を取り戻そうとする習性があり、これを利用してヒグマをお
びき寄せる策が提案され、討伐隊隊長の菅はこの案を採用し、遺族と住民に説
明した。こうして、明景宅に残された犠牲者の遺体を餌にしてヒグマをおびき
寄せるという作戦が採用された。作戦はただちに実行されたが、家の寸前でヒ
グマは歩みを止めて中を警戒すると、何度か家の周囲を巡り、森へ引き返して
いった。その後、太田宅に3度目の侵入を企てたが、結局、射殺することはで
きなかった。
びき寄せる策が提案され、討伐隊隊長の菅はこの案を採用し、遺族と住民に説
明した。こうして、明景宅に残された犠牲者の遺体を餌にしてヒグマをおびき
寄せるという作戦が採用された。作戦はただちに実行されたが、家の寸前でヒ
グマは歩みを止めて中を警戒すると、何度か家の周囲を巡り、森へ引き返して
いった。その後、太田宅に3度目の侵入を企てたが、結局、射殺することはで
きなかった。
翌13日、陸軍歩兵第29連隊の将兵30人が出動した。一説には、この日は
出動せず、14日までにヒグマが討伐されなければ、出動を要請することにな
ったともいわれるが、陸軍のいた旭川から六線沢までは、当時数日かかったた
め、しばらくは警察と住民のみで集落を守らなければならなかった。
同日には、住民が避難して、無人になっていた六線沢の8軒が、ヒグマに侵入
される被害に遭い、猟師の山本兵吉(当時57歳)が、そのうち1軒にヒグマが
侵入するのを目撃したが、射殺には至らなかった。
出動せず、14日までにヒグマが討伐されなければ、出動を要請することにな
ったともいわれるが、陸軍のいた旭川から六線沢までは、当時数日かかったた
め、しばらくは警察と住民のみで集落を守らなければならなかった。
同日には、住民が避難して、無人になっていた六線沢の8軒が、ヒグマに侵入
される被害に遭い、猟師の山本兵吉(当時57歳)が、そのうち1軒にヒグマが
侵入するのを目撃したが、射殺には至らなかった。
20時ごろ、三毛別と六線沢の境界にある氷橋(射止橋)で警備に就いていた
1人が、対岸に6株あるはずの切り株が、明らかに1本多く、しかもかすかに
動いていることを不審に感じた。菅は、その方向に呼び掛けたところ返事がな
かったため熊だと判断、菅の命令によって、撃ち手が対岸や橋の上から銃を放
つと怪しい影は動き出し、闇に紛れて姿を消した。
1人が、対岸に6株あるはずの切り株が、明らかに1本多く、しかもかすかに
動いていることを不審に感じた。菅は、その方向に呼び掛けたところ返事がな
かったため熊だと判断、菅の命令によって、撃ち手が対岸や橋の上から銃を放
つと怪しい影は動き出し、闇に紛れて姿を消した。
被災直前の明景一家(三男金蔵はいない)
左から・長女ヒサノ、長男力蔵、四男梅吉、母ヤヨ、父安太郎
次男勇次郎 (大正4年11月)
「事件終息」
熊に傷を負わせた翌朝、足跡と血痕が発見された。怪我を負っているなら動き
が鈍るであろうと判断した菅は、急ぎ討伐隊を足跡が続く山の方角へ差し向け
る決定を下した。一方、前日にヒグマの姿を目撃していた山本は、討伐隊の一
行とは別行動で山に入った。山本は討伐隊より先に山を登りヒグマを発見した。
が鈍るであろうと判断した菅は、急ぎ討伐隊を足跡が続く山の方角へ差し向け
る決定を下した。一方、前日にヒグマの姿を目撃していた山本は、討伐隊の一
行とは別行動で山に入った。山本は討伐隊より先に山を登りヒグマを発見した。
ヒグマは、討伐隊の方向に意識を向けており、山本には気づいていなかった。
20m という至近距離まで接近した山本は、ハルニレの樹に一旦身を隠し銃を
構えて背後から発砲し、心臓付近に命中させた。しかしヒグマは怯むことなく
立ち上がり、山本を睨みつけた。山本は油断なく2発目を発砲し、ヒグマの頭
部を貫通。10時、一連の事件を引き起こしたヒグマは絶命し事件は終息した。
20m という至近距離まで接近した山本は、ハルニレの樹に一旦身を隠し銃を
構えて背後から発砲し、心臓付近に命中させた。しかしヒグマは怯むことなく
立ち上がり、山本を睨みつけた。山本は油断なく2発目を発砲し、ヒグマの頭
部を貫通。10時、一連の事件を引き起こしたヒグマは絶命し事件は終息した。
☆ 「熊の急所は一つ」
ヒグマの脳は小さく、さらに鉄兜のような分厚い頭蓋骨に守られているので、
頭部への銃撃では、致命傷を与えることは難しい。だからこそ熊猟師は首元や
わき腹をを狙って、心臓を打ち抜くことに全神経を傾けるという。
頭部への銃撃では、致命傷を与えることは難しい。だからこそ熊猟師は首元や
わき腹をを狙って、心臓を打ち抜くことに全神経を傾けるという。
「三毛別羆事件の現場近くにある石碑」
三毛別羆事件の現場近くに石碑が立っている。
北海道苫前村三毛別の開拓地で起きた「三毛別ヒグマ事件」から110年を過ぎた。
「戦闘の跡」
12日からの3日間で投入された討伐隊員は、官民合わせて延べ600人、
アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼった。ヒグマの死骸は
住民たちによってそりで下ろされた。すると、俄かに空が曇り雪が降り始め、
事件発生から3日間は晴天が続いていたが、この雪は激しい吹雪に変わり、
そりを引く一行を激しく打ちつけた。この天候急変を村人たちは「熊風」と
呼んで語り継いだ。
アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼった。ヒグマの死骸は
住民たちによってそりで下ろされた。すると、俄かに空が曇り雪が降り始め、
事件発生から3日間は晴天が続いていたが、この雪は激しい吹雪に変わり、
そりを引く一行を激しく打ちつけた。この天候急変を村人たちは「熊風」と
呼んで語り継いだ。
集落に下ろされたヒグマは三毛別分教場で解剖され、胃から人肉や衣服など
が発見された。さらに解剖を見物しに来た人々が「このクマは太田宅を襲撃
する数日前に雨竜、旭川付近、天塩で3人の女性を殺害し食害に及んだクマ
である」と次々に証言、胃の中からは実際に彼女らが身に着けていたとされ
る衣服の切れ端などが見つかり、その証言が裏づけられることとなった。
その後、ヒグマの毛皮や頭蓋骨などは、それぞれ人の手に渡った後に、現在
は行方不明になっている。
が発見された。さらに解剖を見物しに来た人々が「このクマは太田宅を襲撃
する数日前に雨竜、旭川付近、天塩で3人の女性を殺害し食害に及んだクマ
である」と次々に証言、胃の中からは実際に彼女らが身に着けていたとされ
る衣服の切れ端などが見つかり、その証言が裏づけられることとなった。
その後、ヒグマの毛皮や頭蓋骨などは、それぞれ人の手に渡った後に、現在
は行方不明になっている。
☆ 「三大熊害事件」
「三毛別熊害事件」を含む三大熊害事件として「札幌丘珠事件」(明治11年・
北海道)1878年(明治11年)11月、札幌市東区丘珠および苗穂地区で起
きた事件です。冬眠に失敗したとみられる巨大なヒグマが、農作業中の人々次
々と襲撃し、開拓者3名が死亡する惨事となりました。
北海道)1878年(明治11年)11月、札幌市東区丘珠および苗穂地区で起
きた事件です。冬眠に失敗したとみられる巨大なヒグマが、農作業中の人々次
々と襲撃し、開拓者3名が死亡する惨事となりました。
「十和利山熊襲撃事件」(平成28年・秋田県)5月。
秋田県鹿角市の十和利山麓の山林で、竹の子採りをしていた人々が相次いでヒ
グマに襲われました。主犯とみられる体長1.3 m のメスグマが射殺されるまで
に、計4名が命を落とす痛ましい事態となりました。
グマに襲われました。主犯とみられる体長1.3 m のメスグマが射殺されるまで
に、計4名が命を落とす痛ましい事態となりました。
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