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川柳的逍遥 人の世の一家言
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カーテンを細目に開けて月見てる  森田律子


 徳川家康

「おんな城主-直虎」の予習―⑥

女性ながらも当主となり、井伊家を守り抜く覚悟を決めた直虎

そんな彼女が頼むに足ると見込んだのが、三河の徳川家康であった。

井伊家と徳川家のつながりは、直虎に始まったことではない。

直虎の元許婚で、23代当主となった直親は、今川家と小野家の企みで

謀殺されたが、その背景にあったのが、直親の徳川への接近であった。

身の丈の紐をさがして日が暮れる  八上桐子


井伊家家系図

桶狭間の合戦後、直親は今川家と距離をおくべく動き始めた。

直親にとって服従はしているものの、今川が亡き父・直満の仇であることに

変わりはなかったからだ。

また織田信長の前に大敗を喫し「海道一の弓取り」と謳われた義元亡き今、

今川の行く末にも明るい展望は見えなかっただろう。

そんな中、直親が心を寄せたのが、家康であった。

家康の妻・築山殿の母方の祖父は、20代当主・井伊直平である。

直親にとって、築山殿は年下の従兄弟であり、その夫である家康に親近感

を抱くのは当然のことであった。

だがだがだがといつも抱いてる非常口  太田のりこ

しかし直親の「親徳川」の理由は、それだけではなかったろう。

徳川も桶狭間まで今川の支配下にあり、家康はかって駿府で松平元信時代

人質生活を送っている。

後に天下を取った徳川だが、当時は当時は一豪族にすぎず、

過酷な戦国時代を生きるために大樹に寄らざるを得なかった。

義元が討死した後、晴れて独立するのである。

そんな徳川の姿は、よく似た境遇で苦しんでいた井伊家の者からすれば、

共感を覚えたに違いない。

巨大なる空洞 あの日の記憶!  徳山泰子

『井伊家伝』によれば、直親は家康の元へ足しげく通って密談を重ねたという。

そして、そんな動きを警戒した今川は、直親を暗殺するのである。

当然、直虎もこうした直親の動きは知っていたはずで、

同じように徳川を見ていただろう。

もしかしたら、直親から家康の才気について聞いていたかも知れない。

いずれにせよ、井伊家の命運を託された直虎は、

家運を切り拓く突破口を徳川に求めていくのである。

向こうから近づいてきたのが出口  中村幸彦


   築山御前

「戦国女性の不幸を一身に背負った築山御前」

築山御前(瀬名姫)は今川一門である関口親永の娘だが、

井伊氏の血を引いているともいわれている。

弘治3年(1557)今川義元の養女となり、

今川家の人質として駿府にいた松平元信(家康)の正室となった。

だが義元が桶狭間で討たれた後は、決して幸せな人生ではなかった。

最期は武田勝頼に内通した疑いをかけられ、家康の家臣により殺害される。

孤独一盛夜が流れてまいります  山口ろっぱ

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