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川柳的逍遥 人の世の一家言
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そっと頬 泪が伝うための皺  河村啓子


          青葉の笛
青葉の笛は,井伊直親が幼少(亀之丞=直虎の許嫁)のころ、
信州松源寺で、故郷をしのんで吹いていたもの。
井伊谷に帰還する際、直親は今川氏の追っ手から逃れるために
身を隠していた長野県から、拠点の引佐に戻った際に、
援助を受けた僧に愛用の『青葉の笛』を贈ったとされる。

「おんな城主-直虎」の予習ー⑦

天正2年(1574)12月、井伊直親の13回忌がめぐりきた。

徳政令をきっかけに、直虎が城を失ってから、6年の歳月が経っていた。
           ゆうちんに
次郎法師にも母の祐椿尼にとっても伊井家再興は、何よりの望みであり、

そのために直親の13回忌は、待ちに待った好機だった。

奥三河の鳳来寺に潜ませている虎松(のちの直政)は、14歳になっていた。

次郎法師は、この少年を呼び戻して、念願を叶えようと考えたのだ。

虎松の仕官である。

そのため祐椿尼と相談して、入念な計画を立てた。

まずは女だけでは心もとないため、虎松の実母を再婚させて、

その再婚相手を頼りにすることにした。

瞬きは目を開けるのか閉じるのか  板垣孝志

彼女たちが再婚相手に選んだのは、松下源太郎という武将だった。
          ずだじ
浜松城の東に頭陀寺城があり、この城主が松下加兵衛といって、

松下源太郎は、その一族だった。

源太郎も連れ合いを亡くしており、

そんな縁から互いに心憎からず思ったのかもしれない。

一方、次郎法師は万全を期して虎松を龍潭寺に迎え、

直親の13回忌を執り行った。

そして法要後も虎松を奥三河の鳳来寺に戻さなかった。

その代わり実母の連れ子として松下源太郎の養子とした。

井伊の姓を名乗るのは危険であり、まずは松下姓を使ったのだ。

そして次郎法師は、さらなる重要な決断をくだした。

虎松の主人として、徳川家康を選んだのである。

八起き目の朝こそえくぼたしかめる 桑原すゞ代


  井伊直虎連署古文

ただこの時点では、徳川家康の力はまだまだ未知数だったが、

仕官先に家康を勧めたのは、ほかならぬ源太郎だった。

当時、源太郎の弟・常慶が修験者で、御札などを売り各地を旅していた。

行く先々で情報を収集しては、また別の土地に赴き御札のみならず、

武将相手に情報も売っていた。

これを歓迎したのが家康であり、常慶のほうも、ほかの武将たちと比べて、

家康の特出した力量と将来性を確信し、源太郎に推挙したのである。

次郎法師は、家康との出会いに周到な準備を進めた。

花になる番は巡ってくるかしら  高田圭子

まずは家康の「鷹狩り」を利用することにした。

鷹狩りは、平時の軍事訓練で家臣団が隊列を組んで大々的に出かけていく。

また家康自身も城から出るために、じかに接触する機会ができる。

その日に備えて次郎法師は祐椿尼と手分けして虎松の為に小袖を縫った。

厳しい暮らしの中で、この時とばかりに新しい着物を仕立てたのだ。

ひょうたんから駒 ながそでから愛が  田口和代


亀之丞(直親)
虎松は直親に似ていたといわれ、さしずめこのような容姿だったのだろう。
また、虎松は本能寺の変が終わる22歳まで元服しなかった。


13回忌の2ヶ月後、虎松は次郎法師と母が準備してくれた小袖を

身に付けて、鷹狩りの行列が通る道端に立った。

虎松は顔立ちがよく、そのうえ新品の小袖を着ていれば、

どうみても一人で道端に立っているような子供ではない。

案の定、家康はそんな虎松に目を留めた。そして尋ねた。
つらだましい
「面魂が尋常ではない。いかなる者の子だ」

「これこそが、この地を治めていた井伊家の孤児でございます」

筋書き通り、近くに身を隠していた常慶が、状景を見計らい説明した。

感心を抱いた家康は、浜松城に連れ帰り、改めて事情を聞くと、

虎松は臆することなく、今までの事情を語った。

改札を抜けると今日の瀬戸際だ  牧浦完次

その堂々たる態度はもとより、家康は井伊直親の子と聞いて驚いた。

かつて遠江への進軍について、直親に意見を聞いたことがあったのだ。

だが、その接触が原因で、今川家の不審を招いて殺されたと知り、

虎松を不憫に思って、いきなり300石で召抱えた。

また家康の正室である築山殿が、井伊家の出だったために、

その縁もあって召抱えられたともいう。

築山殿は、次郎法師の曽祖父の娘であり、虎松からみると大叔母にあたる。

召抱えに際して、虎松は「井伊姓」への復帰を認められ、

さらに家康の幼名・竹千代の千代から「万千代」という名を賜った。

ドーナツの穴から桜の花吹雪  前中知栄

万千代と改めてからは長篠の戦いや又高天神の陣で家康の命を狙う武田の

間者を捕らえるなど、目覚しい働きをみせ瞬く間に3千石の家持ちになる。

そしてその4年後の22歳のときに、本能寺の変が起きる。

この時、家康は堺見物中で、僅かな従者しかおらず、

命からがら伊賀の山々を越えて逃げた。

従者の中には、万千代もいた。

次郎法師はこの知らせを龍潭寺の庵で聞き、さぞ気を揉んだことだろう。

だが「伊賀越え」は成功し、無事に帰城を果たした。

次郎法師と祐椿尼は家康と万千代の強運に感嘆したに違いない。

その後も万千代の続く強運と政治手腕や交渉術など、

もって生まれた資質な高さで、徳川四天王の一人へと名を連ねていく。


汚名一枚被りましてファンタジー  山口ろっぱ

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