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川柳的逍遥 人の世の一家言
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紫陽花の芯まで濡れている挽歌  笠嶋恵美子



右大臣拝賀の儀式を終えた実朝が鶴岡八幡宮の石段を下りていた。
この時、石段脇の根元に若い僧侶が、じっと潜んでいたことを実朝は
もちろん、警護の人々も知らなかった。


「鎌倉殿の13人」 実朝暗殺


承久元年(1219)1月27日、白雪山に満ち、地に積もる…。
その日、夜になってまた降りはじめ、二尺余になった。
雪のなか、実朝は、一千の兵を従えて鶴岡八幡宮に向かった。
実朝の傍らには、太刀持ちとして執権・北条義時の姿があった。
午後六時、一行は八幡宮の入口に到着した。
この時、太刀持ちの役を務めていた義時が、急に「気分が悪い」と訴え
出ている。
そして義時は、太刀持ちの役を実朝の側近、源仲章に託し、館へと引き
返してしまったのである。


ときどきは引き算をして身を軽く  津田照子




仲章を従え八幡宮の階段を下りる実朝



実朝と対立する北条義時が去り、代わりに、実朝が信頼する公家の源仲
が付き従うことになった。
やがて社殿で儀式がはじまった。
実朝とともに社殿に入ったのは、源仲章と都から参列した朝廷の公家た
ちだ。
そして儀式を執り行う僧侶で、実朝以外、武士の姿はなかった。
夜八時、儀式が終わった。
拝殿を出た実朝一行は、護衛の武士たちの待つ方向に進んだ。
雪がしんしん降りかかるなか、実朝は「理想の将軍となるための第一歩」
を記そうとしていた。

結び目の少し緩んだ祭りあと  山本早苗




    大木の陰に潜む公暁



「実朝・仲章瞬時の暗殺劇」


将軍に執着した三代将軍・実朝は、父・頼朝をしのぐ右大臣の官位を得、
望みを達したかに見えたのだが…。
石段脇の大銀杏の樹の根元に若い僧侶が三人、じっと潜んでいたことを
実朝はもちろん、警護の人々も知らなかった。
その中の一人が、実朝の装束の裾を踏みつけると、逃げる術を失った実
朝めがけ、太刀を一閃させた。
瞬時の暗殺劇だった。
実朝の理想の将軍への夢は、ここに無惨にも絶たれたのである。
続けて僧は、実朝の傍らに立つ太刀持ちの、源仲章につかと向かった。



終章が割れる守りを見せてから  上田 仁




         禅師公暁実朝公と仲章を討つ


「獅子身中の虫義時!義時覚悟!」
「ま、ま、待て…私は仲章だ。右京兆ではない」
「黙れ!」
源仲章にも僧の刃は、躊躇もなく振り下ろされた。
朝廷とつながる将軍と、その側近が殺されたのである。
直後、討ち取った実朝の首を高々と挙げ、僧が叫んだ。
「八幡宮別当阿闍梨公暁 父の敵実朝を討ち取った」
犯人は二代将軍・頼家の息子・公暁だった。
(「愚管抄」では、公暁は父・頼家に代わって将軍となった実朝を敵と
 恨み討ったとされている。


快哉を叫ぶ判決台の文鎮  山口ろっぱ



      鶴岡八幡宮の大銀杏



鶴岡八幡宮といえば、鎌倉幕府の象徴である。
頼朝がこの地に幕府を創設して以来、御家人の心の拠り所でもあった。
しかし、そんな八幡宮で、最も悲惨で皮肉な事件が、起きてしまった。
(「吾妻鏡」によると、右大臣就任の儀式が終わった帰りがけに石段の
 大銀杏のある辺りで、僧の姿をした3人の僧に殺されたーことになっ
 ている。 2代将軍・頼家の子・公暁が「父の仇を討ったぞー」と、
 叫び声を上げ、犯人は公暁とされている)
実朝頼家の実の弟だから、甥にやられたことになる。


ついさっきまではこの世の人でした  岡内知香



しかし、当日、実朝は、大勢の兵士を引き連れて鶴岡八幡宮に来ている。
もし石段で事件が起ったのなら、護衛兵の目前で暗殺が遂行されたので
ある。不自然である。
八幡宮で代々警護を務めてきた石井家には、実朝は、「社殿で殺された」
と伝承されているという。
「吾妻鏡」は、北条氏が編纂したものだから、事件直前の義時の発病な
ど内容を充分疑ってかかる必要があるだろう。
そうなると、公暁犯人説も怪しくなってくるが…。
(現在、鎌倉随一の観光名所として多くの人が訪れる鶴岡八幡宮。
 約800年前にここで起きた暗殺事件の真相は未だに闇のままである。
 石段の大銀杏は、このとき何を見たのであろうか)


サヨナラの手が裏向きでございます  きゅういち


「吾妻鏡」によると、公暁はこの直後に意外な人物に手紙を出している。
侍所次官・三浦義村宛である。
「今、将軍の位が空いた。次の将軍となるべきは私である。
 早く自分を将軍職に就けるよう取りはからえ」
義村の妻は、公暁の乳母だった。
義村と公暁は、親子同然の間柄だったのである。
実朝を殺した公暁が将軍になれば、三浦義村は、北条氏以上の力を持つ
ことができる。
しかも義村は、なぜか参列すべき儀式に姿を見せていなかった。
このことから、義村が「実朝暗殺」の黒幕の一人として疑いが出てきた。



黒幕の裾のほつれにみる毛脛  宮井元伸


ところが、三浦義村は、公暁からの手紙を受け取ると、即座に意外な人
物に連絡を取った。
執権・北条義時である。
義村は、対立していたはずの義時に、真っ先に公卿の居所を知らせた。
義時は、「公暁を討つよう」に命じている。
義村は、すぐさま兵を公暁のもとに差し向けた。
そして、「実朝暗殺」から数時間後、公暁は、三浦義村の家来によって、
討ち取られた。
(朝廷と深い関わりを持とうとした実朝、朝廷との連絡役を務めた側近
 源仲章、そして源氏の直系・公暁。
実朝が朝廷と結びつくことを、何より恐れた北条氏と鎌倉武士団の敵は、
ここに一人残らず姿を消したのである)


今は昔にならない闇の河  峯島 妙




暗殺の数時間前。鶴岡八幡宮に着く実朝


「実朝エピソード」


幕府の実権を握っていく北条氏に頭が上がらなかった観がある実朝だが
「吾妻鏡」ではそうそう北条氏の言いなりになっていない。
「承元3年11月14日、相州、年来の郎従のうち功ある者をもって、
 侍に准ずべきの旨、仰せ下さるべきの由、これを望み申さる。
 内々その沙汰ありて、御許容なし。そのことを聴かさるるにおいては、
 然るごときの輩、子孫の時に及びて、定めて以往の由緒を忘れ誤りて
 幕府参昇を企てんか、御難を招くべきの因縁なり。
 永く御免あるべからざるの趣、厳密に仰せ出さる…と云々」

叔父の義時が、「功績のある自分の家来を御家人の列に加えて欲しい」
と願い出たのを、実朝はそれを許さなかったというもの。
「御家人に引き立てれば、本人たちは特例であったことをわきまえても、
子孫の代にはそんなことをすっかり忘れ、後々争いのタネになりかねない」
と、実朝はそう厳しく言い渡している。
「実朝暗殺」の8年前、実朝18歳、義時との関係もまだ良好だった。


兆しあり壊れた脳の目覚める日  安土理恵

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