川柳的逍遥 人の世の一家言
当たり前に慣れてしまったカタツムリ 奥山節子
京都流鎌倉武士の邸
鎌倉武士の邸宅は「頼朝が京様を学んで造られた」源平盛衰記にある。
「出撃か、迎撃か」(鎌倉殿の13人のドラマに出てくる屋敷のモデルにもなっている) 「宣戦の詔勅」を前に鎌倉は意見が二分した。
最初は上皇軍を待って、足柄・箱根の関所を固めるという「迎撃戦術」
が多数意見であった。 それに対して、老臣・大江広元は、「出撃論」を主張した。 かつて都の官吏であった彼に、朝廷への恐れはなかった。
政子もこれに賛成したが、決定には至らない。
そこに登場したのが、やはり都の官吏出身の三善康信で、
「たとえ大将一人でも出撃すべし」 という、
この老人の気迫の一言で、京への進撃が決った。
「承久記」によると2,3日待つという「慎重論」を唱えたのは、泰時
であり、対する父・義時は、息子を叱咤して即時、出発させたことにな っている。 有言実行に哀しみはいらない 福尾圭司
「鎌倉殿の13人」 承久の乱・前夜ー③
義時(小栗旬)の険しい表情 横には大江広元(栗原英雄) 義時の弱り顔、濡れ犬のような行く先の捨拾に迷う顔。
これはドラマで毎回、小栗旬が見せてきた表情である。
名優は語らずとも顔の表情筋で魅せる「ヨッ!名演技」である。 北条義時の屋敷は、鶴岡八幡宮の参道沿い二ノ鳥居のすぐ傍にある。
他の者が遠慮する中、義時の屋敷だけは臣下で唯一、参道に面した塀に
門が切られている。 夜中、大江広元が参道から門を潜ると、義時の家子は松明を手に広元を
迎え、即座に客間へと通した。 通された部屋でしばしの間待っていると、ややあって義時が現れた。
白の寝間着に、慌てて烏帽子を被ってきた、という風情で、
髪は櫛すら通しておらぬ有様だった。 広元に上座を譲り、どかりと床に座った義時は、項の辺りを指で掻いた。
やっぱり君も欠伸するんやな 山口ろっぱ
「申し訳ござらぬ。すでに休んでおりましたゆえ」
「ああ、夜分すまぬことを」
広元はそう応じたが、内心驚いた。
<これほどの難事を前に夜着に包まる心の余裕がこの男にあったのか>
と。 「して、本日は一体何用で」
「今からでも構わぬ。出兵を勧めに参った」
「兵を?まだ御家人が鎌倉に揃わぬというのに、ですか」
「うむ、今、御家人どもは揺れておる。人は揺れれば、悩むもの。
鎌倉が断固として禁裏と態度を示さぬと、いくら坂東武者といえども
牙が丸くなる。 味方の悩む時を与えぬのも、大将たる者の務めであるぞ、陸奥守殿」 うなだれた言葉がいとり歩きする 落合魯忠
義時は、「はは」と、軽く笑った。
まるで広元の苦言を躱すかのように。
「実は、同じことを、三善殿にもいわれてしもうたのです」
「三善……善信殿か」
三善康信入道善信は、元は、広元と同じ下級貴族の出で、頼朝の乳母の
一族であった。それゆえに頼朝の懐刀としてずっとあり、頼朝亡き後は 鎌倉の御意見番として、常に敬意を払われていた。 下級貴族出身だけあって、考えることは同じだったようだ。
「姉上を通じご意見を求めたのです。
鎌倉の知恵者であるお2人のご意見が揃ったなら、もはや煩いはあり ませぬ。 我が息子泰時を大将とし、即座に京へ送り込みましょう」 屈強な体も心はところてん 磯野真理
対座する義時と大江広元 釈然としなかった、その思いを、広元はそのまま口にした。
「これまで何を悩んでおられた。敵地で戦を開くは、兵法の定石であろ
うに」 しばしの間、義時は口ごもった。 言葉を選んでいるようだった。
しかし、ややあって、考えがまとまったのか、口を開いた。
「実は、前鎌倉右大臣(実朝)様のことを考えておったのです」
「ほう」
それを促しととったのか、義時は続けた。
「本来なら、鎌倉殿の地位は、源氏の血でもって相伝させるのが後腐れ
のないやり方でございました。が、前鎌倉右大臣様は親王将軍を望ま れた。そうなれば、禁裏の思惑に鎌倉が躍らされる懸念が拭えませぬ。 それを知りつつ、あえて親王将軍を迎えんとしたは、前鎌倉右大臣の 強いご希望と心得ておりましたがゆえのこと」 兆しあり壊れた脳の目覚める日 安土理恵
「そして、お亡くなりになられてからも、そのご希望を叶えんとしたわ
けか」 「あの痛ましい出来事の直前、前鎌倉右大臣様は鶴岡八幡宮の中門にて
足を止められ、<ここで待つよう>、某(それがし)に命じたのです。 <君臣の別をつけよ>と、仰せだったのでしょう。 某は頼朝公以来、鎌倉殿の楯でございました。 身体を張ってお守り申し上げねばならなかった。 されど、それは叶いませなんだ。 それゆえに、何としても親王将軍を迎えるという、前鎌倉右大臣様の ご遺志には、お応えしたかったのです」 「なるほど、禁裏に弓を引いては、親王将軍を迎えることなど難しくな
ろうな」 広元は得心した。
どうしても解けぬパズルが胸底に 靏田寿子
実朝(柿澤勇人)と義時 この男を逡巡させていたのは、戦術の是非ではなかった。
<主君の夢を頓挫させてしまうやもしれぬ>
という、懸念のなせる業だった。
誰よりも一段上に立ってものを見渡している。
方向性は違えど、それは亡き源実朝と並ぶ視座だった。
広元は、己が目の曇りを羞じた。 北条義時は、確かに茫洋としている。 <しかし、その内側には、鋼の如き意志がある。 これまで義時は数々の内紛に際し、生き残ってきた。 それは目立たぬからではないし、覇気がないがゆえでもなかった。 一見すると野の石のような男の内奥に、熱く煮えたぎる溶岩のよう な如き魂がある> 唐国の史書でいうところの王佐の才が、この男の危難を払う傘だった。 アバターの黒いタイツに電線が 河村啓子 一方で、興味もあった。 勝っても負けても、これから義時には、真の意味でも主君がいなくなる。
親王将軍を戴いたとしても、それは、鎌倉の武威によって祭り上げたかり そめの主に過ぎない。果たしてこの男の「王佐の才」は、虚ろなる玉座を 支えうるほど破格であろうか。 この男の行く末をも、己が双眸に納めてみたくなった。
広元は、ぽそりと口を開いた。
「年寄りの楽しみが、一つ増えたわ」
「え? 何か仰いましたか」
「いや。…時に、総大将を務めるのは、立場上、そなたかわしとなろうが、
草摺(くさずり)を着るも難儀する有様のわしでは、総大将などとても。 ここは陸奥守殿に総大将を務めてもらわねばならぬな」 「え、てっきり大江殿がやって下さるものとばかり」
「そなたの采配に期待しておる」
弱り顔を貼り付け、さながら濡れ犬のような面をする義時を前に、
広元は愉快な思いに、心を震わせていた。
(歴史街道・谷津矢車ゟ)
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