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川柳的逍遥 人の世の一家言
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その紐を引くと雷落ちますよ  西田雅子

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伝説化された清盛の姿

(画面をクリックすれば拡大されます)

雷となって清盛を襲った悪源太義平の怨霊

清盛の生涯は、さまざまな伝説に彩られ、

人々に語り伝えられた。


「清盛ー布引の滝にまつわるエピソード」

時は仁安3年(1168)7月7日。

出家して福原の別荘で暮らしていた清盛は、

名勝として知られる布引の滝へ遊覧に出かけた。

ところがその帰り道、突然空が曇ったかと思うと、

雷が清盛の近くに落ち、

家人の難波経房が雷に打たれて惨死したのである。

お知らせが回るかなしいことばかり  森中惠美子

実はこの雷は、

「平治の乱」で処刑された源義平の怨霊であった。

義平は源義朝の長男で、

「悪源太」の異名を付けられたほどの勇将である。

ここでの「悪」とは、

優れた力量の持ち主に対して、

「恐るべし」という意を表した、一種のほめ言葉だ。

イメージを壊さぬように落し蓋  桑原伸吉

平治の乱でも義平は奮戦したが、義朝軍は敗れた。

義平は潜伏して、清盛の命を狙ったものの、

果せずに難波経房に捕らえられ、

六条河原で処刑された。

処刑される際、義平は処刑役の経房に向かい、

「死後には雷となり、

 清盛からお前に至るまでみな殺しにしてみせよう!」


と言い放ったという。

「悪源太」の異名に違わぬ、気概に満ちた逸話である。

持国天グイッと突き出す股関節  岩根彰子

当時の人々は、雷に打たれた経房の死に様を、

怨霊となった義平の祟りによるものと考えた。

その祟りはなぜ、清盛に降りかからなかったのか。

『平治物語』によると、その理由は、

清盛が身につけていた"あるお守り"のおかげであった。

雷が鳴ると冷酒に切り替える  井上一筒

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空海自筆・金剛般若経開題残巻

清盛は首からかけた袋の中に、

弘法大師・空海の自筆の御経を入れており、

これを振ると雷は、鳴り止んだというのだ。

空海の霊力の加護で、

「清盛は祟りから逃れた」

と信じられていたのである。

それからのことはふれまい明日は晴れ  小林のこ

数々の戦乱を乗り越え、

貴族社会の頂点に登りつめた清盛。

その幸運の源を当時の人々が、

どのように考えていたのかをうかがわせる、

伝説の一コマと言えよう。


コバルトになるまでヘドロに届くまで  山口ろっぱ

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