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川柳的逍遥 人の世の一家言
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葬儀屋の事務所に置けぬ招き猫  ふじのひろし

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    平忠度

(画面をクリックすると大きく見れます)

「清盛の五十歳を祝う宴」

名の"ただのり"から無賃乗車のことを、

「薩摩守」(さつまのかみ)という隠語にもなった、平薩摩守忠度は、

天養元年(1144)平忠盛の六男として生まれる。

母は藤原為忠の娘ともいわれ、いわゆる、

種も畑も違う、清盛の一番下の弟にあたる。

忠度が生まれたとき、忠盛は49歳、

長男の清盛は29歳であった。

そして謎として、何故か正盛・忠盛一族で、

"盛"の字がついていないのは、忠度だけである。

≪清盛の長男・重盛(1138生)は、6歳年下の忠度を、

  やはり
”叔父上”と呼んだのだろうか≫

いい名前つけてもらった黄金虫  新家完司

忠度は、文武両道に優れ、ことに「歌人」としては、

当代随一といわれた人である。

このような素質を持った忠度の、DNAを見てみよう。

父・忠盛は、武家の棟梁としてのみならず、

和歌や音楽の道でも一流であることをめざした。

特に和歌は『金葉和歌集』に入集するほどの、

名手であった。

『平家物語』にも備前から帰ってきた忠盛が鳥羽院

「明石浦はどうであった」と聞かれて、即座に

"有明の月も明石のうら風に 浪ばかりこそよるとみえしか"

(残月の明るい明石の浦に、風が吹かれて波ばかり寄るとみえました)

とよんだエピソードが残る。

広重の雨は45度に降る  井上一筒

管弦では笛をよくした。

小枝という笛を鳥羽院から賜り、

それを子の経盛に譲り、さらに孫の敦盛に伝わったことが、

同じく『平家物語』の「敦盛最期」にある。

舞は元永二年(1119)「賀茂臨時祭」で舞人を務め、

見物の公卿に

「舞人の道に光華を施し、万事耳目を驚かす」

と称えられた。

生まれつき器用だったのであろうが、

朝廷における平家の地位を高めるために

血のにじむような努力も、重ねていた人なのである。

飛躍するためにしゃがんでいるのです  嶋澤喜八郎 

一方、忠度の母親は、

平家物語①「鱸(すずき)の事」で、

忠盛の「最愛の女房」だったとある。

ずっと以前に、このブログに記したことだが、

忠盛が月の絵が描かれた扇を、

この女性のもとに忘れ、ほかの女官たちが、

「これはいづくよりの月影ぞや、出所(いでどころ)覚束なし」

とふざけると、女房は機転よく、

”雲居よりたゞ盛り来たる月なれば おぼろげにては云はじとぞ思ふ”

と返した。
 
というように、忠度は、父からも母からも、

和歌の名人になるべく、その才能を受け継いでいる。

酒も背も追い越した子に期待する  松本綾乃

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「本編へ」

藤原摂関家の基房、兼実の兄弟は、

武士である清盛が、

「貴族を蔑ろにして、国のことを決めている」

と苛立ちをおぼえていた。

なんとか、「目にものを見せてやりたい」と、

その機会を狙っていた。

その時は、すぐにやってきた。

六波羅の清盛の館で、

清盛の「五十歳を祝う宴」が催されたのだ。

犬猿の三水偏と二水偏  筒井祥文

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宴には、平家一門はもとより、

源頼政と、その嫡男の仲綱など平家に仕えるものたちや、

今は公家の一条長成に嫁いだ常磐も、

我が子の牛若丸と共にやってきた。

牛若丸は、五歳の頃まで清盛の館で生活していたからか、

清盛のことを父と慕っていた。

清盛としても、友であり、ライバルだった亡き義朝の、

忘れ形見の牛若丸が可愛かった。

新しい形の愛を模索中  三村一子

そんな和気あいあいとした雰囲気の中、

摂政・基房と、右大臣・兼実の兄弟も宴にやってきた。

二人は、最初こそ儀礼的に祝いの言葉を述べたが、

言動は挑発的だった。

「政とは、花鳥風月、雅を解する目と、

 心があるものが行うのが、道理であり、

 長い間、太刀を振り回すばかりの王家の番犬に、

 その才があるとは思えない」


と言い放ったのだ。

継ぎ足した言葉が致命傷になる  平尾正人

しかし、清盛は二人の挑発には乗らず、

「客としてもてなそう」と家来に命じて膳を運ばせた。

その膳は、貴族並みの豪華なもので、

二人は驚いたが、ある企みを実行に移した。

兼実がもてなしの祝いにと、

得意の舞を舞って見せたのだ。

ふらふらと湯立て神楽の湯を浴びる  岩根彰子

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その返礼にと経盛、重盛、宗盛が舞った。

それは、兼実に勝るとも劣らない立派なものだった。

面目を潰した格好の兼実は、

次に和歌で挑む。

清盛が指名したのは、

今日の宴に出るために熊野から都に出てきた、

清盛の末の弟・忠度だった。

教室に鶴を呼んではいけません  湊 圭司

「兼実 VS 忠度ー歌合戦」

”帰りつる名残りの空をながむれば 慰めがたき有明の月”

(あのひとが帰ってしまったあとの、なごり尽きない空を眺めると、

  ただ有明の月が残っているだけ・・。なんの慰めにもなりはしないわ)


兼実がこの句で挑むと、忠度は次の歌で返す。

”たのめつつ来ぬ夜つもりのうらみても まつより外のなぐさめぞなき”

(期待させながら、来ない夜が積もり積もった。

津守の浦ではないけれど、いくら恨んでみたところで、

結局、松ならぬ待つよりほか、私には慰めなどないのだ)


つよ気とよわ気はしる稲妻もて余す  桜 風子

さらに、兼実が

”行きかへる心に人の馴るればや 逢ひ見ぬ先に恋しかるらむ”

(いつもあの人のもとに通っている私の心に、

 あの人も馴れ親しんだのではないか。  だからきっと、

 実際に逢う前からもう、私のことが恋しくてならないことだろうよ)


と詠うと忠度は、負けずに

”恋ひ死なむ後の世までの思ひ出は しのぶ心のかよふばかりか”

(私はもう、恋に焦がれて死んでしまうだろう。 そうして来世まで、

  持ち越す思い出といったら、ただお互いに堪え、

  隠し通した恋心だけなのか)


と受けた。

寿限無じゅげむ今日はなんだか暇だなあ  河村啓子

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清盛は初めて会った弟が、どれほどの力量があるか

わからなかったが、自分の勘に賭けたのだ。

その賭けは、見事に清盛の勝ちだった。

忠度は、そのがさつなみかけからは、

想像できないくらいの和歌の才能を発揮し、

見事、兼実を打ち負かしてしまったのだ。

一本のロープと揺れている小舟  笠嶋恵美子

さらに清盛は、

二人に厳島神社の完成予想絵図を見せた。

それは海に浮かぶ社ともいえる、「雅やか」なものだった。

二人は逃げ出すようにして帰っていった。

くちびるをふさぐ とどめの五寸釘  上嶋幸雀

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(画面をクリックすると拡大されます)

清盛は、気分よく飲み酔った。

酔って、ふらつきながら立ち上がると、

懐から扇子を取り出して陽気にいう。

清盛 「ああ、愉快じゃ。愉快じゃ。かように愉快な日が、

     終わってほしゅうない。おもしろや、おもしろや・・・」


そういうと、沈みゆく夕陽を扇子であおいでみせた。

すると、あろうことか夕陽が再び昇り、

清盛を照らしたのだ。

この話が都中に知れ渡ると、

清盛の世が未来永劫に続くと人々は噂した。

着地まで夢を見る長い睫  酒井かがり

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