ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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菓子の歴史
回り続けたらバターになった僕 指方宏子
「伊達政宗の趣味」
伊達者の語源となった
伊達政宗
の知られざる趣味が、
何を書くそう
「料理」
である。
もともとは、兵糧開発のために食材の研究をおこなっていたのだが、
戦国時代も終焉し兵糧の必要がなくなると、
美食のために料理を研究するようになったという。
正宗は料理について
「少しも料理心なきは、つたなき心なり」
という
名言も残しており、料理に対するこだわりは相当のものだった。
二代将軍・
徳川秀忠
を接待した際には、
正宗自らが作った料理を秀忠の側近が毒見しようとしたため、
「正宗ともあろう者の膳を毒見するとは何事ぞ」
と
もの凄い剣幕で叱責し、徳川家の家臣を震え上がらせたという逸話も残る。
レンコンの節は物怖じなどしない 美馬りゅうこ
ずんだ餅
仙台発祥の料理が多いのも、正宗の影響といわれている。
かつて政宗が本拠としていた岩出山の名物・
「凍り豆腐」
と
「納豆」
は、
兵糧用に正宗が開発したものが、改良されたものだというのは有名な話。
また仙台名物の
「ずんだ餅」
も正宗が開発したとされる。
ず だ
「ずんだ」
は豆を潰す意味の
「豆打」
が
「ずんだ」
に変化したもので、
開発者でもある政宗が名付けたと言われている。
それらの開発はトイレで行なっていたとされている。
もともとトイレが好きだった政宗は、1日3回、1~2時間は籠っていた。
そこで朝夕の献立、政治判断、書状の執筆、書見なども行なっていたという。
戦でも政治でも柔軟な発想で周囲を驚かせた政宗。
元来、凝り性の彼にとって、料理はぴったりの趣味だったのかも知れない。
豆ごはん旨いうまいと言う節目 山本早苗
こんぺいとう
「菓子の歴史」
菓子の始まりは縄文時代の
「焼き菓子」
で、
クリやトチなどの木の実を砕いて
粉にしたものを、
こねて焼いたものだったという。
弥生時代
には、米を
「餅」
や
「団子」
に加工したものが生まれ、
奈良時代
には、唐の僧・
鑑真
が蜂蜜、石蜜、蔗糖、甘蔗をもたらし、
「揚げ菓子」
が伝えられた。
米粉や小麦粉に甘味料を入れてこね、
小さく形作ってごま油で揚げたもので、
唐菓子
(からくだもの)
と呼ばれた。
大豆餅、小豆餅、煎餅の名もこの時代の書物に
見える。
鎌倉から室町時代
になると、最澄が唐より砂糖を持ち帰り、
空海
は唐国から煎餅の製法を伝えている。
そして、明で学んだ僧たちは
「羊羹」
や
「饅頭」
を日本にもたらした。
にぎやかに指をならして南下せよ 酒井かがり
ドラマの時代
、いわゆる戦国時代以降になると、
南蛮貿易を通じて
「南蛮菓子」
と呼ばれる菓子がもたらされる。
主なものは、小麦粉や卵を用いたカスティラ、パン、
ボーロ、カルメラ、
ビスカウトなどの
「焼き菓子」
、
又、
金平糖や有平糖
などの
「砂糖菓子」
がその代表である。
当時、砂糖は高価で希少だったため、
「
金平糖」
は公家や上流武将などの間の贈答品となった。
ドラマでは、
北条氏政
が時折、口にしている。
ポルトガルの宣教師・
ルイス・フロイス
が、信長に、
「金平糖を献上した」
という
記録も残っている。
そして、おこし、米煎餅、きんとん、羊羹、上り餅、みたらし、団子、
ちまき、
葛餅、わらび餅などが、料理から離れ、
独立した一品の菓子となる。
まんまるい金平糖の非行歴 上田 仁
[3回]
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y2016/07/06 09:30 z
CATEGORY[ポエム&川柳]
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