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川柳的逍遥 人の世の一家言
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「御意」という返事以外はありえない  居谷真理子



         義経之軍兵一ノ谷逆落し之図  (一恵斎芳幾 画)
中央上、黒太夫と義経、熊井太郎 下、武蔵坊弁慶


  司馬遼太郎さんに訊きました「義経の一ノ谷・逆落とし」


司馬遼太郎さんは『源義経』について、
「義経は日本史上ただ一人の、若しくは、世界史上数人しかいない騎兵
 の運用者だった」という。
「騎兵というものは、集団的に使うと、非常に強い力を発揮する。
そして、その機動性を生かすと、思わぬ作戦を立てることができる。
反面、騎兵はガラスのようにもろくて、いったん敵にぶつかると、
すぐ全滅したりもする。
ですから、この機動性を生かして、はるか遠方
の敵に奇襲をかけようと
いう場合には、よほどの戦略構想と、チャンス
を見抜く目を持たなけれ
ばならない。
天才だけが騎兵を運用できるわけです」


だとしても捨てられません理想論  津田照子


「騎兵を運用して成功した例は、フレデリック大王の一、二の例と、
ナポレオンとプロシャ有名なブレドー旅団の襲撃などで、全部近世以降
に属したもので、それをはるか昔の平安時代の末期に、義経が考案し成
功している。これは先例がない。
日本の歴史の上でも、義経以降、日露戦争の場合などを含めて、うまく
いった例は少ない。わずかに織田信長の「桶狭間」だけである。
すると、義経という人はたいへんな天才だということにことになる。
私は義経を考える上において『天才というのは、やはりいるもんだな』
と感じたのです」
 
 
百済観音の猫背へ那智の滝  井上一筒
 
 
「それではなぜ、義経がそういうことを思いついたのか?」
義経が考案した戦法は、その騎馬武者たちを集団として使って、
敵に衝撃を与える。
あるいは騎兵の脚の速さを生かして、敵の思わぬところに出現する。
彼はそういうことを思いついた。
では当時、まだ20歳そこそこの義経が、なぜ、こんな戦法を思いつい
たの? である」
 
 
気がつけばまさかが横に座ってる  佐藤正昭



         モンゴル兵の騎射


義経は20歳過ぎまで奥州にいました。その奥州の牧場で、たとえば
一頭の馬が走り出すと、たくさんの馬がそれについて、目的なしで走り
出す。馬には、すぐマスになる習性がある、ことを知ります。
それを見ていて、彼は利用しようと考えたのか、あるいは、奥州という
ところには、沿海洲から異民族が沢山来ているはずで、藤原氏との接触
もあったにちがいない。そこで満州・蒙古の騎馬民族の人たちが、
「馬」の話をするのを、義経が聞いていたとも考えられます」
たとえば、13世紀のチンギス・ハーンのモンゴル兵は、
誰でもが20頭ほどの替え馬を持ち、乗り換え乗り換えて遠征する。
馬の疲労と習性を考えてのことである。
義経は、馬というものについても、見るもの聞くこと、すべてが教科書
になったようだ。


出来不出来答えを聞かず陽は沈む  梶原邦夫


先にも述べたが、馬は、一頭が駈けだせば、数百頭がこれを追うという
習性を持っている。奥州にいた義経が、奥州の牧場で、そういう情景を
みて独創的に思いついたのだろう。
義経の軽騎兵団は、一ノ谷の上に立って、<急斜面から逆落としに平家
軍の頭上に舞い降りる>という構想だ。
義経は、まず一頭の馬に崖を駆け下りさせることを考えた…。
「奇想天外より落つ」というべきものであったろう。
この1184年は、若い義経によって戦いが「作戦」になった歴史的な
年だった。


この辺に落ちてきましたか流れ星  酒井かがり
 


  黒大夫決死の一ノ谷の逆落としの図
 

「鎌倉殿の13人」・ドラマを面白くみるために‐10


「義経ー3 一ノ谷逆落とし」


「あり得ぬ…」
背後で呟いた郎党の声が震えていた。
声の主を見咎めもせず、源九郎義経は眼下を眺めている。
己が体を預ける愛馬・太夫黒が、先刻から幾度も足踏みしていた。
前へ進むのを嫌がるように首を左右に振りながら、鞍にまたがる義経に
瞳で哀願している。
「やめようよ 旦那、死んじまうよ」
これ以上、一歩も前に出たくない、と潤んだ目が訴えている。


腐れ縁ほど美しいものはない  瀬川瑞紀


この辺りは「鵯越」(ひよどりごえ)と呼ばれているという。
人の往来などなく、足を踏み入れるのは猟師杣人(そまひと)のみ。
ここまで義経たちを案内してきたのも地元の猟師である。
そんな男ですら、この崖を降りたことはないという。
「死ぬ!」まさにこれである。
剣を交えて死ぬのではない。
崖下りに失敗をして、命を落とそうとしているのである。
「九郎さま、お考えを改められた方がよろしいのでは、ござりますまい
 か」
傍らに寄ってきた僧形の大男が言った。
武蔵坊弁慶である。


蓮だってたまに反抗して開く  山本昌乃


長大な薙刀を弓手に持った弁慶は、己とさほど変わらぬ馬にまたがって
いた。余りにも重い主を乗せた栗毛の馬が、首を下げてうなだれている。
これまでの急峻な山道を、弁慶を乗せて登ってきたことを、褒めてもら
いたそうに義経は見えた。 が、褒めてやるにはまだ早い。
この哀れな馬には、これからまだやるべきことが残っている。
「実際ここまで来てお解りになられたでしょう。
 このような崖を、馬で降りるなど、到底成し得ませぬ」
現地に立てば諦めるはず、はじめから弁慶は、そういう魂胆だったのだ
ろう。うまで崖を降りるなどとというバカげたことを言いだした主は、
実際に、己が目で見なければあきらめない。
そう思って、ここまで文句ひとつ言わずに付いてきたのだ。


いざというときの梯子が短かすぎ  笠嶋恵美子
 

 
義経の突飛な考えに不安が隠せない兵士たち

一番手前が畠山重忠。但し重忠は一ノ谷には来ていない。


弁慶だけではない。

「義経という人は、気がおかしいのじゃないか」
馬さえも、ここにいる誰もがそう思っているのだ。
近習である弁慶からして、主を説き伏せるような扱いをしているのだか
ら、兄からの借り物である坂東の兵たちは、言わずもがなである。
鎌倉にいる兄、源頼朝の力がなければ、何もできない非力な若者。
その程度にしか、義経は思われていない。
自分の存在感を示す絶好の機会がやってきた…。
義経は大半の兵を、関東御家人の有力者、土肥実平にあずけてしまう。


びっくり箱から取り出す出来心  雨森茂樹


寿永3年(1184)2月7日。三草山の勝利の後。
清盛の三周忌の法要に集っている平氏一門を殲滅するための戦であった。
義経の兄・範頼が率いる5万6千騎の源氏本隊は、西国街道を西に進ん
で福原の東、大手を攻める。
別動隊を任された義経は、2万騎を丹波路を西行、福原の北方の山々を
越えて西に回り、一ノ谷に入って搦手を攻める。
7万をはるかに超す大軍で、東西から挟み撃ちにして、平家の本拠地で
ある福原を攻め落とす。
それが今回の戦の主眼であった。
しかし、搦手には義経はいない。
聞こえてくる兵たちの声は、土肥実平に預けた者たちのものである。


同床異夢あなたの時を刻まない  原 洋志


 ーーーーー
     土肥実平                阿南健治


今回の戦は、義経にとって二度目の戦であった。
我が世の春を謳歌していた平家一門を都より追い払った朝日将軍・義仲
を討伐するための初陣だった。
この戦で義経は、義仲を破るという大功をあげた。
初陣としてはこれ以上ない武功である。
それなのに…。
関東の御家人たちは、義経を一人前の武士とは認めなかった。
所領も持たず、己が手勢を動員することもできない。
率いているのは、兄・頼朝から借り受けた兵のみ、そんな義経を、年寄
たちは認めなかった。
今回の戦で、搦手の大将となれたのも、兄の威光があってこそ。
本来の指揮は、目付である土肥実平が取ると誰もが思っている。


運命線ザクロの赤と戯れる  舟木しげ子


眼下に見える福原の地では、すでに戦が始まっていた。
事前の約束通り、兄・範頼の率いる5万6千の兵が大手から福原に攻め
寄せ、搦手の実平もすでに福原に迫っている。
東西から聞こえる喚声は、戦いの激しさを物語っていた。
男たちの雄叫びが、崖を上ってくる風に乗って運ばれてくる。
それを耳にした男たちが、焦りを露わにして義経の背を睨みつけていた。
「一刻も早う引き返し、土肥殿と合流いたしましょうぞ」
白い頭巾で頭を覆った弁慶が、薙刀を振った。
肩越しに近習を見る。
剥き出しの刀身が陽の光を受けて白色に輝いていた。
今すぐにでも山を駆け下り、敵の血を吸いたくてたまらない。
そう義経に訴えかけているようだった。
「待て!すぐに吸わせてやる」
「はっ……?」
主の的外れな言葉に、弁慶が小首を傾げる。


ガリガリと音はするけど見つからず  喜多川やとみ
 


     義経の愛馬・黒太夫
 
藤原秀衡が自身の愛馬を義経の出陣の際に贈った名馬。
「一の谷の合戦」の鵯越えで活躍したことでも知られる。
もともとは、藤原秀衡の愛馬で、淡墨という名前だったが、
義経とともに連戦し、義経が功により五位之尉に任官した時に、
馬にも仮に五位の位を与え、太夫黒と呼ばれるようになった。
 
 
義経はあらぬ方向をみると、人の気持ちを斟酌することなど、考えない。
己を信ずるのみである。
「ここから降りたことはないのか」
義経は、愛馬の足元に片膝立ちで侍る髭ずらの男に問うた。
「先刻もお答えした通り死にまするゆえ、獣でもなければ、このような
 場所を降りようなどと思いますまい」
ここまで道先案内をしてきた猟師である。
猟師と義経の間で、是非の問答が繰り返される。
「獣は降りるか」
「御覧になられたでありましょう。先刻、鹿が降りてゆきました」
いきなり現れた義経たちに驚いて、雄鹿が2匹、雌鹿が一匹、崖を滑り
落ちて、麓の敵兵の只中に躍り出た。
「生きて敵中を駆けておったぞ」
雄は2頭とも敵に射られて死んだが、雌鹿は敵中を駆け抜けて消えた。
「獣にござりますゆえ」
「馬も我らも獣ぞ」
猟師は言葉を失った。


口角の泡が主張を譲らない  武下幸子


背後で兵士が、信じられない面持ちで、2人の会話を聞き、義経を見据
えている。兵士の震える気を感じた義経は、
「お主たちは、何を恐れておるのだ」
答えは返ってこない。
義経は続ける。
「死することか。だとすれば、武士であることを止めろ。
 ここは戦場ぞ。敵の矢を受け、死ぬることを恐れておっては戦うこと
 もままなるまい。そのような者は、今すぐここを立ち去れ」
「九郎さま、敵の矢を受けて死ぬるのと崖を飛び降りて死するのは…」
「違わぬ!」
弁慶の言葉を断ち切り、義経は断言した。


弱音吐く男に手荒い活入れる  藤原邦栄


その間も、研ぎ澄まされた視線は、恐れおののく男たちに向けたままで
ある。
「死中に活を得てこそ武功は成る。崖を落ちて死するような者は、
 敵中にあっても、誰が射たかも知れぬ矢に当たって死するは必定。
 恐れておる者に、真の武功など得られはせぬ」
腰の太刀を抜き、切っ先で蒼天を貫く。
「我は死など恐れぬ。功なく名を成すことなく朽ち果てることを恐れる」
義経は檄をとばし、皆を睥睨し、切っ先を崖下に向ける。
                          (矢野隆ゟ)  
                       つづく

二枚目の舌にピラニア住みついた  斉藤和子

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