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川柳的逍遥 人の世の一家言
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どうぞそのまま刺が抜けたら君じゃない  加藤ゆみ子



        「新形三十六怪撰」 (月岡芳年)

平治の乱で殺された源氏の怨霊が、庭の樹木や築山、灯篭までもが髑髏
となって清盛に襲いかかった。


「はじめは駄馬のごとく」永井路子さんは、小四郎義時に次いで
源義経についてもナンバー2論を展開している。
「義経こそはナンバー2ではないか」
「彼が挫折したのは、頼朝に妬まれたためだ。頼朝が悪いのだ。
そんな兄貴をもった義経が不運なのだ」
もし、そう思っておられるとしたら、失礼ながら、あなたはナンバー2
にはなれない。 義経は単に不運だったのではない。私の眼から見れば、
彼にはもともと「ナンバー2」たる性格が欠如していたのである。


こぼれたインクのように生きた私  岩根彰子


「鎌倉殿の13人」・ドラマを面白くみるために‐⑧
 
 
「義経ー①」


血筋からいえば、たしかに義経は、頼朝の弟だ。
「ナンバー2」の資格十分と見えるが、実は、彼と頼朝とは母親が違う。
付け加えておくと、頼朝は、源義明藤原季範という中流貴族の娘の間
の子だが、この母は、宮仕えしていたと思われる。
だから頼朝は東国武者の子というより、都育ち公家風の環境で成長した。
一方の義経の母は有名な常盤御前だが、これは宮仕えといっても雑仕女
(ぞうしめ)という下働きで、氏素性もたしかではない。
つまり出自には、格段の開きがある。


生誕へばさり宿世と臍の緒と  森井克子


おそらく、彼らは兄弟といっても、少年時代に顔を合わせることもなか
ったに違いない。やがて「平治の乱」が起って敗れた源氏方・義朝の子
頼朝は伊豆へ、義経は鞍馬へという道を辿る。
では旗揚げ後、なぜ黄瀬川に駆けつけてきた見知らぬ弟、義経を歓迎し
たのか…。
おそらく頼朝は、このとき心細かったに違いない。
東国武士の主として仰がれても、頼りになるのは、妻の政子とその一族
北条氏だけ…。
それが、義経の手を握って涙ぐんだ大きな原因ないかと思う。
実はこれより前、義経の実の兄・全成(ぜんじょう)も頼朝のところに
駆けつけているのだが、このときも頼朝は、涙を流して迎えいれている。


弟のシャツを見ている 撫でている  福尾圭司
 
 
ーーーー ー
 阿野全成 (新納慎也)     実衣(阿波の局)宮澤エマ
 

「阿野全成と源義経」

義朝の七男・阿野全成((あのぜんじょう)は、仁平2年(1152) に
生まれた。幼名は今若。7歳の時、清盛の命令で醍醐寺に預けられる。
僧侶として、日々を穏やかに過ごしていた全成だが、それは見せかけで、
「あのぜんじょう」を文字ってついた仇名が「悪禅師」である。実際は
どんな人物だったか、腹の裏には、一物も荷物もあったらしい。
兄の頼朝が挙兵したと聞くや、こっそり寺を抜け出し、修行僧の扮装で、
下総「鷺沼の宿」で兄・頼朝と対面を果たしている。
その時、頼朝は、「兄弟の中で、誰よりも早く来てくれた」と、泣いて
喜んだ。全成は、政子の妹・阿波局と結婚したが、ほとんどの人生を、
政治の表舞台に現れずに過ごし、頼朝死後、政界の裏で暗躍し、非業の
死を遂げる。
(阿波局は、頼朝の次男・千幡(後の実朝)の乳母)


マウスころころ自分探しの果てしなく みつ木もも花


ーーーーーー
      源義経              義経(菅田将暉)  


義朝の九男・義経は、平治元年(1159)に生まれた。
兄・頼朝とは12歳、全成とは7歳の年の差がある。
幼名は牛若。僧として遮那王を、元服をして九郎義経と名乗る。
「黄瀬川の宿」に出現するまでの義経はー牛若丸時代、清盛の命令で
僧侶になるよう、京の鞍馬山に預けられた。
同じ親の血をひく兄・全成と同じで、仏道の修行はそっちのけ、木の葉
天狗を相手に剣術の稽古に熱中し、洛中に出ては腕試しをしていた。
そんなある日、五条の橋でたまたま肩を触れ合った相手が、鋸、斧、槌
など7つ道具で完璧に身を固めた、比叡山延暦寺の僧兵崩れの武蔵坊弁
であった。その時の漫画的な2人の格闘は、書くまでもないだろう。


ひとり身の淋しい分は自由です  油谷克己


黄瀬川後、義経は、もう1人の母の違う義朝の六男・範頼とともに、
東国武士団で編成された大軍団の大将として西国に向った。
そして義経は、平氏を追い、数々の戦さでその天才ぶりを発揮して、
「平氏打倒」に貢献をした。「一ノ谷の戦」「壇ノ浦の戦」である。
だが、やりすぎはよくなかった。
出陣にあたって、頼朝は本陣にいて指示を出す立場。
範頼と義経は、現場の総大将という立場。
すなわち総大将は、頼朝の「身代わり」をつとめる象徴的な存在で、
独断専行は許されない。頼朝は、
「義経は、俺にも相談なしに勝手なまねばかりやりよる」
と、不快感をあらわに、怒った。


縄になり青大将は木に登る  吉岡 民
 


     義 経 (歌川国芳)


義経は滅茶苦茶に勝ち過ぎた。
これは頼朝の望むところではなかった。
頼朝は、朝廷から合戦にあたって、
「平家一門に奉じられて、都落ちした安徳天皇と三種の神器を、無事に
 取り戻すこと」を条件として申し入れられている。
が、結果はどうか。
安徳天皇は入水し、「宝剣」は行方知れず、取り戻したのは「鏡と玉璽」
(ぎょくじ)のみ。これは頼朝として喜ぶわけにはいかない。
一方、世間のルールに疎い義経は、
「勝ちゃあいいんだろう。文句あるか。合戦の現場に立ってみろ。
 そんな器用な真似が出きるかっていうんだ」と、考えた、だろう。
この兄・頼朝考え方の違いに、彼を待ち受けていたのは…、
「悲劇」のシナリオだった。


四角張った話やめましょ花曇り  柴本ばっは


「時を少し巻き戻す」
 平治元年(1159)に起こった「平治の乱」は3年前の「保元の乱」
で戦功のあった源義朝平清盛が、両雄並び立たずで、戦った最初の
「源平合戦」である。
義朝は、後白河上皇を抱き込み、清盛に、先制攻撃を仕掛けたものの、
上皇が御所から逃走したため、「錦の御旗」を失い、二条天皇を擁した
清盛に完敗した。
その合戦で、義朝の長男の悪源太こと義平は、獅子奮迅の活躍をするが、
難波恒房に斬られ落命。
次男・朝長は、京を脱出した際に大腿部に矢を受けて負傷。
三男・頼朝は、近江から美濃国青墓宿へ向かった際、疲労の為に脱落し
平家方に捕らえられてしまった。


台風が逆走します弥勒さま  笠嶋恵美子


青墓宿(あおはかのしゅく)の円興寺で、一時、身を隠した義朝は、
息子の悪源太義平朝長に対し、
「ばらばらに逃げて、誰か一人でも落ち延び再起するよう」
と指示をしたが、平家の矢に大腿部をやられていた朝長は、
「傷の為にこれ以上逃げることが出来ないので捕まる位なら父上の手で
 殺してほしい」
と、懇願した。義朝はこの願いを聞き入れ朝長を殺害した。


君のため君のためってそればかり  高野末次



  長田庄司に風呂場で襲撃をうける義朝


朝長を自らの手で葬った後、義朝鎌田政清など、数騎の家来とともに
12月29日、尾張知多の野間を治める家来の長田家の元に辿り着く。
当主の長田庄司は、鎌田の妻の父なので「婿殿やすごっしゃい」と一行
を歓迎した。
そして長田は「お疲れですやろ」といって、義朝を風呂場へ案内した。
それは義朝を武器のない裸の無防備にするためであった。
「まさかに…」平家側に寝返っていた長田は、時をおいて義朝を襲い、
不意をくらった義朝は、抵抗の間もなく湯舟を血に染めて死んだ。
鎌田は面目がなく自刃、長田は意気揚々と上洛した。が、
無防備者を騙し討ちにした科で処刑された。(『平家物語』)


喉仏スルリと嘘が通り抜け  吉川幸子


義朝の長男の悪源太こと義平は、義朝と別れてから飛騨に向かい兵を集め、
再起をかけた。が、「義朝死す」の報に弱気になった兵が、とんずらして
しまい失敗する。
「こうなればいちかばちか、清盛かその嫡男の重盛を討つしかない」と、
義平は暗殺を企てて京に戻り、協力者も得たが果たせず、難波恒房に捕え
られて処刑された。 
義平は、その処刑の直前、「我、雷となりて、汝を蹴散らし殺さん」と、
叫び、難波を睨みつけた、という伝説がある。
後、実際に、難波は雷に撃たれ死んだという。  (『平家物語』)


八つ当たりしてはいけない日雷  宮井いずみ


「義朝の子孫」

長男・義平と次男・朝長は上記の通り。
三男の頼朝は、平氏に捕えられたが、朝廷に顔のきく清盛の義理の母・
池ノ禅尼の嘆願によって命は助けられ伊豆に流罪が決まる。
四男の義門は、早世。
五男の希義は、頼朝に準じ裁で、土佐へ流罪。頼朝挙兵に参加して討死。
六男の範頼は、藤原範季の養子となるも、頼朝挙兵には参加。
      「義経追討」を兄・頼朝から命ぜられるが辞退した。
      ため、義経の同罪として建久4年(1193)伊豆国修善寺
      に幽閉され、兄の手によって殺害される。
      ※ 以下、母は絶世の美女として有名な常盤御前
七男 全成    幼名 今若。頼朝死後、二代鎌倉殿頼政により誅殺。
八男 義円 幼名 乙若。 墨俣川の戦いで討死。
九男 義経 幼名 牛若。兄との不和。悲劇の発端は次回に。
 
 
う回路はまるで迷路のような道  北原おさ虫

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