- 2012/03/25
- Category : ポエム&川柳
清和源氏
八幡太郎義家(月岡芳年)
義家は、「清和源氏」に発する「河内源氏」の嫡流として、
7歳の時、岩清水八幡宮で元服、
よって八幡太郎と号す。
「前九年の役」・「後三年の役」で、
卓抜した武勇をあらわした公の代に、
源氏の武威の最盛期を迎えた。
"鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、
同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや"
後白河法皇・『梁塵秘抄』
有名になりたいですか はい少し 笠原道子
【源氏系図】
50.桓武天皇 ┬ 万多親王──桓武平氏
├ 葛原親王──桓武平氏
51.平城天皇
52.嵯峨天皇┬54.仁明天皇 ┬ 55.文徳天皇 ────┐
53.淳和天皇 ├本康親王─仁明平氏
├嵯峨源氏
├仁明源氏
┌────────────────┘
└┬56.清和天皇─┬ 57.陽成天皇
─陽成源氏
├貞純親王─清和源氏
百匹の蟻を数えたことがない 前中知栄
源為朝
「源氏のルーツ」
源氏は、光仁5年(814)、
嵯峨天皇が,諸皇子を臣籍に降下させ、
「源」の姓を賜ったことに始まる。
以後、仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐・村上・
花山・三条ら、各天皇も皇子たちに「源の姓」を与えたので、
多くの源氏が生まれることになった。
≪平安時代、天皇家の血筋を絶やさないように、
皇子が多く設けた事が、朝廷の財政を圧迫したため、
皇位を継ぐ可能性が無くなった皇子を、
皇籍を離れさせ、臣籍に下すということが行われた。
この際に「源朝臣」や「平朝臣」の氏姓を賜った≫
生まれ変わるつもりなのか綿埃り 酒井かがり
これらを区別するために、
それぞれ天皇名を冠して呼称しているが、
源氏諸流のうち、貴族社会でもっとも興隆したのは、
平安前期の「嵯峨源氏」と、
平安後期の「村上源氏」といえる。
これに対して、
「清和源氏」は、貴族社会での栄達よりも、
「武士」として、発展する道を選んだ。
「清和源氏」
源頼朝や木曾義仲な血筋である「清和源氏」は、
清和天皇の孫で、
「平将門の乱」や「藤原純友の乱」で活躍した
経基王(つねもとおう)「源経基」に始まる。
その子・満仲や孫の頼光は摂津を、
頼信は河内を拠点として、
それぞれ「摂津源氏」・「河内源氏」の祖となった。
転居届け壁と呼ばれた男から くんじろう
源氏と東国とのかかわりは、頼信の時代に始まる。
11世紀初頭に関東で起きた「平忠常の乱」を、
短期間で鎮圧して武名をあげ、
源氏の関東進出の土壌をつくった。
その子・頼義は、「前九年の役」を平定、
頼義の子・義家は,「後三年の役」を主導したが、
この過程で東国の武士団の多くが、
頼義・義家と、主従関係を結んだといわれる。
≪ 頼朝が伊豆で旗揚げし、瞬く間に関東を席巻する素地は、
この時代に育まれた≫
骨拾う箸がことさら手に馴染む 桑原伸吉
河内源氏を中心に「清和源氏」が繁栄する一方で、
「伊勢平氏」は、維衡の子や孫の代になると、
勢いがなくなり、上流貴族に仕える、
侍や、中央官庁の三等官程度の地位に低迷していた。
≪この時代の侍は、高級貴族に仕える「六位クラス」の官人をいう≫
五位以上の位階をもつ人が、「貴族」だから、
一般庶民よりも、少し身分が高い程度だ。
平氏にとっては、まさに雌状の時代といえる。
酸欠の青大将であった頃 井上一筒
源氏と平氏の地位を逆転させたのが、
清盛の祖父・正盛であった。
源義家の嫡子・義親が出雲で反乱を起こすと、
隣国因幡守として、義親の追討をみごとに果たし、
一躍武門のトップに踊り出たのである。
一方、源氏の惣領は義親の子・為義が継いだが、
粗暴なふるまいが多かったため、
受領にすらなれず、義朝が棟梁になったときには、
すでに平氏との差は、
抜きがたいものになっていた。
『余談-①』
平氏には、桓武平氏・仁明平氏・光孝平氏・文徳平氏の
4流があり、桓武平氏の他、仁明平氏から、
公卿を輩出している。
また、桓武天皇以外の三者からは、
「源」も賜与されている。
平姓は、平安遷都を行った桓武天皇以降、
四代にのみに見られるので、「平」という字は、
平安京に由来しているともいわれている。
『余談ー②』
源義朝は、東国の鎌倉を基盤に勢力を固めてきたが、
嫡子の義平に後事を託して、京都に戻ってきている。
保元の乱では、父・為義や弟たちが崇徳院について、
処刑されてしまったために、
義朝が「河内源氏」の嫡流の位置を占めた。
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