川柳的逍遥 人の世の一家言
沙羅双樹ー1 仏教では、自分の寿命を悟った釈尊は、 「形あるものは必ずこわれ、生あるものは死ななければならない」 と最後の説法をして、 沙羅双樹の下で、涅槃に入ったとされている。 沙羅双樹-2 「平家物語ー①」 「生者必滅」の言葉で、綴られてきた『平家物語』は、
作者の意識で、いつの頃のころからか、 "祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ " という誰もが知っている書き出しで、いまに伝わる。 沙羅の花いつもこぼれてしまう恋 たむらあきこ 物語は、十三世紀初頭に生まれ、 琵琶法師たちによって、語り継がれた「語り本」と、 物語として読むことを目的に作られた「読み本」に分けられる。 内容には、ともに「祇園精舎の鐘の声」で始まる。 今日、文庫本や文学全集などで、 一般的に読まれているのは、前者である。 切り口は鋭角 春は定位置に 森田律子
「語り本」は、 全体的に「平家滅亡の物語」という性格が強い。
一方、「読み本」は、 「頼朝の世の到来を喜んで終わる」というふうに、 源平の抗争や源氏政権樹立に、軸足がおかれている。 ※ ≪「覚一本」、「延慶本」、「源平盛衰記」≫ 平家物語を普及する琵琶法師 『覚一本』=最も有名な琵琶法師の権威書、 室町時代の初期、琵琶法師たちは、 「平家物語」を弾き語るコトで生活をしていた。 しかし、 「琵琶法師の数だけ、平家物語を語る人がおれば、 どれが正しい平家物語なのか、後世の人は混乱するだろう」 と懸念した足利尊氏の従兄弟・明石覚一(検校)が
足利家の支援を受けながら、 口述筆記の形で「平家物語」を一冊の本にまとめさせた。 これが「覚一本」である。 ※ ≪琵琶法師=職業的名称で、琵琶を弾く盲目僧≫ (この様な経緯があって、 この本には、平家物語の正当な本としての権威がつき、 平家物語といえば殆どが、この本を指すようになる) 高炉から出したばかりの琵琶法師 井上一筒 『延慶本』=平家物語中、最も古い本 延慶二年(1309)夏から約一年の期間を要し、 高野山・根来寺で筆写された。 綿ぼこり積もってなぐさめられている 岩田多佳子 『源平盛衰記』=源氏、平家の盛衰興亡を著した軍記物語 「語り物」として流布した『平家物語』に対し、
「読ませる事」に力点を置かれた「盛衰記」は、 源氏側の加筆、本筋から外れた挿話が多く、 冗長さと加筆から生じる、矛盾が多々ある。 ≪ただ、「読み物」としての様々な説話の豊富さから、 後世の文芸への影響は大きい) ともかく、「平家物語」ほど、謎の多い古典はない。 「何時、誰が、どのような目的でつくったのか?」 ほとんど解っていない。 13世紀頃と推測されるが、正確な成立時期も不明である。 もっとも古い記録では、 延応2年(1240)『治承物語 六局号平家』 正元元年(1259)『平家物語 合八帖本』 13世紀半ば、『原・平家物語』 これらのものをテキストにしたのかどうか、確証はない。 さくらさくら確かなことは分からない 清水すみれ 「作者はいったい誰か?」 『徒然草』で紹介されている信濃前司・行長が本命といわれる。 朝廷で恥をかいたことから出家し、 天台座主・慈円の世話を受けていた行長が、 平家の物語をつくって、 「盲目の生仏に語らせた」 のが始まりであるとするが、もちろんこれも、決定的な証拠があるわけではない。 ≪この世に生存する総ての者は、何時かは必ず滅びる という「生者必滅」の原文を、行長が「盛者必衰」に替えたという話がある≫ 琵琶法師ー蝉丸 「盛者必衰」 祇園精舎にある鐘の音は、 諸行無常の教えを唱えるかのごとくに鳴り響きます。 釈迦入滅の時に白色に変じたという、 沙羅双樹の花の色は、 あたかも盛者必衰の道理を表しているかのように思えます。 驕り高ぶった人も、 いつまでも驕りにふけっていることはできません。 耳の奥ほら潮騒が聞えてる 河村啓子 それはあたかも春の夜の夢のように儚いものです。 勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうものです。 それはあたかも、風の前の塵のようなものです。 遠く外国の古例を捜し挙げてみると、 秦の趙高、漢の王莽、梁の朱昇、唐の安禄山、
これらの人々は皆、 他人の諫言を真剣に聞こうとせず、 このままでは天下が乱れてしまうということを、 予測しませんでした。 タマシイノモロサ飴細工の危うさ 山口ろっぱ また、嘆き、悲しみ、憂い、戸惑う民衆を、 顧みなかったので、 末永く栄華を続けることができませんでした。 そしていつしか、 滅びてしまった人たちでありました。 ※ 「生者必滅」=この世に生存する総ての者は、何時かは必ず滅びる。 " これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関 " 百人一首・10番 蝉丸
【蛇足】-琵琶法師 時の権力者は、それに保護を与え育成した上、 「検校」という階位も与えた。 保護を与えた理由の一つは、 当時は都の情報を地方に伝え、 地方の情報を、都へ吸い上げる手段が少なく、 琵琶法師を、情報発信と収集の手段として、 権力者が、利用したものと考えられている。 ≪その政策は、江戸時代まで続いたが、明治になって、 保護政策が廃止され、、琵琶法師も衰退する≫ 情報のひとつに入れる鮭の貌 筒井祥文 PR |
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