忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[236] [235] [234] [232] [233] [231] [230] [229] [228] [227] [225]

抽象画吊るす迷路の入り口に  嶋澤喜八郎

8d22f2ca.jpeg         

   沙羅双樹ー1 

 

仏教では、自分の寿命を悟った釈尊は、

「形あるものは必ずこわれ、生あるものは死ななければならない」

と最後の説法をして、

沙羅双樹の下で、涅槃に入ったとされている。

  

人は皆何時かは一人 林檎剥く  吉川幸子

ba0b8b19.jpeg

  沙羅双樹-2

「平家物語ー①」

「生者必滅」の言葉で、綴られてきた『平家物語』は、

作者の意識で、いつの頃のころからか、

「盛者必衰」に書きかえられ、 

"祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり

  沙羅双樹の花の色   盛者必衰の理をあらわす

  おごれる人も久しからず   ただ春の夜の夢のごとし

  たけき者もついには滅びぬ   偏に風の前の塵に同じ "

 

という誰もが知っている書き出しで、いまに伝わる。 

沙羅の花いつもこぼれてしまう恋  たむらあきこ

 

物語は、十三世紀初頭に生まれ、

琵琶法師たちによって、語り継がれた「語り本」と、

物語として読むことを目的に作られた「読み本」に分けられる。

内容には、ともに「祇園精舎の鐘の声」で始まる。

今日、文庫本や文学全集などで、

一般的に読まれているのは、前者である。 

切り口は鋭角 春は定位置に  森田律子

 

「語り本」は、

平家嫡流・六代維盛の子)の処刑で幕を閉じ、

全体的に「平家滅亡の物語」という性格が強い。

一方、「読み本」は、

関東における源頼朝の動向に詳しく、

「頼朝の世の到来を喜んで終わる」というふうに、

源平の抗争や源氏政権樹立に、軸足がおかれている。 

※ ≪「覚一本」、「延慶本」、「源平盛衰記」≫

 

パプリカの定理を喋り過ぎる赤  くんじろう

8589df3c.jpeg

平家物語を普及する琵琶法師

『覚一本』最も有名な琵琶法師の権威書、

室町時代の初期、琵琶法師たちは、

「平家物語」を弾き語るコトで生活をしていた。

しかし、 

「琵琶法師の数だけ、平家物語を語る人がおれば、

どれが正しい平家物語なのか、後世の人は混乱するだろう」

 

と懸念した足利尊氏の従兄弟・明石覚一(検校)が

足利家の支援を受けながら、

琵琶法師の組織を立ち上げ、
その長として弟子たちに、

口述筆記の形で「平家物語」を一冊の本にまとめさせた。

これが「覚一本」である。 

※ ≪琵琶法師=職業的名称で、琵琶を弾く盲目僧≫

 

(この様な経緯があって、

この本には、平家物語の正当な本としての権威がつき、

平家物語といえば殆どが、この本を指すようになる)

高炉から出したばかりの琵琶法師  井上一筒

 

『延慶本』平家物語中、最も古い本

延慶二年(1309)夏から約一年の期間を要し、

高野山・根来寺で筆写された。 

綿ぼこり積もってなぐさめられている  岩田多佳子

 

『源平盛衰記』源氏、平家の盛衰興亡を著した軍記物語

「語り物」として流布した『平家物語』に対し、

「読ませる事」に力点を置かれた「盛衰記」は、

平家物語を下敷きに改修されたもので、

源氏側の加筆、本筋から外れた挿話が多く、

冗長さと加筆から生じる、矛盾が多々ある。

≪ただ、「読み物」としての様々な説話の豊富さから、

   後世の文芸への影響は大きい)

しゃきしゃきと嘘の上塗り胡瓜もみ  岩根彰子

f9fbc027.jpeg


   平家物語絵巻

ともかく、「平家物語」ほど、謎の多い古典はない。

「何時、誰が、どのような目的でつくったのか?」

ほとんど解っていない。

13世紀頃と推測されるが、正確な成立時期も不明である。

もっとも古い記録では、

延応2年(1240)『治承物語 六局号平家』

正元元年(1259)『平家物語 合八帖本』 

13世紀半ば、『原・平家物語』

これらのものをテキストにしたのかどうか、確証はない。 

さくらさくら確かなことは分からない  清水すみれ

 

「作者はいったい誰か?」

『徒然草』で紹介されている信濃前司・行長が本命といわれる。

朝廷で恥をかいたことから出家し、

天台座主・慈円の世話を受けていた行長が、

平家の物語をつくって、  

「盲目の生仏に語らせた」  のが始まりであるとするが、

もちろんこれも、決定的な証拠があるわけではない。

≪この世に生存する総ての者は、何時かは必ず滅びる

  という「生者必滅」の原文を、行長が「盛者必衰」に替えたという話がある≫

真四角になりたがってる楕円形  合田瑠美子

aba8f741.jpeg

琵琶法師ー蝉丸

「盛者必衰」

祇園精舎にある鐘の音は、

諸行無常の教えを唱えるかのごとくに鳴り響きます。

釈迦入滅の時に白色に変じたという、

沙羅双樹の花の色は、

あたかも盛者必衰の道理を表しているかのように思えます。

驕り高ぶった人も、

いつまでも驕りにふけっていることはできません。

耳の奥ほら潮騒が聞えてる  河村啓子

それはあたかも春の夜の夢のように儚いものです。

勇猛な者でさえ、ついには滅びてしまうものです。

それはあたかも、風の前の塵のようなものです。

遠く外国の古例を捜し挙げてみると、

秦の趙高、漢の王莽、梁の朱昇、唐の安禄山、

これらの人々は皆、

旧主先皇の政治に従わず快楽を極め、

他人の諫言を真剣に聞こうとせず、

このままでは天下が乱れてしまうということを、

予測しませんでした。

タマシイノモロサ飴細工の危うさ  山口ろっぱ

また、嘆き、悲しみ、憂い、戸惑う民衆を、

顧みなかったので、

末永く栄華を続けることができませんでした。

そしていつしか、

滅びてしまった人たちでありました。

※ 「生者必滅」=この世に生存する総ての者は、何時かは必ず滅びる。

" これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関 "

                                                             百人一首・10番 蝉丸

花冷えのましてや拭いきれぬもの  山本芳男

97c8d436.jpeg

【蛇足】-琵琶法師
                        
琵琶法師の組織は、全国各地にあり、

時の権力者は、それに保護を与え育成した上、

「検校」という階位も与えた。

保護を与えた理由の一つは、

当時は都の情報を地方に伝え、

地方の情報を、都へ吸い上げる手段が少なく、

琵琶法師を、情報発信と収集の手段として、

権力者が、利用したものと考えられている。

≪その政策は、江戸時代まで続いたが、明治になって、

   保護政策が廃止され、、琵琶法師も衰退する≫

情報のひとつに入れる鮭の貌  筒井祥文

拍手[3回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開