- 2010/06/29
- Category : ポエム&川柳
龍馬伝・桂小の女遍歴
梅干しの咲きたい気持ちなら分かる 壷内半酔
桂小五郎(通称・桂小)
「おれは ぶっ壊すのは大の得意だが、作り上げるのは大の苦手とするところだ。
作るのは 桂しかなかろう」
そう言い放ったのは、高杉晋作である。
そこで、京都から離れ、団子屋をやっていた桂小五郎を、
亡命先の但馬出石から呼び戻して、この男に、藩政のすべてをまかせた。
”蛤御門の変”で長州がたたかれた後、
長州の残兵を探しに行った戦場の、京都から逃れ、
但馬で骨休めしていた小五郎にとっては、損な役回りである。
しかし、藩命とあればやむを得ない。
高杉の一報で、長州・萩に戻った。
青竹の節の一つになっている 西美和子
「おれは古い家を壊すのはおおいに得意とするところだ。
しかし、新しい家となれば、大変苦手である。
それは、大久保が適任と考えている」
そう語るのは西郷隆盛である。
高杉の言葉と、内容はまったく同じだ。
まさに維新は、役割分担で実現した。
西郷は維新達成後、大久保利通と対立したが、
自分の言葉通り、明治政府に出番はなかった。
高杉晋作は、維新前年に死んでしまったから、維新後にその姿はなかったが、
もし明治政府をぶっ壊す役に、回ってしまえば、
高杉のイメージも変わってしまっただろう。
≪壊し屋と言われた民主党の前幹事長・小沢氏は、なぜだか、
逆を行っている、作り屋・大久保利通を「尊敬している」と言い、
壊し屋・高杉を「尊敬している」と言うのが作り屋・菅首相というのが可笑しい≫
あすという泥鰌のいない安木節 奥山晴生
京都三条・桂小五郎像
幕末維新の英傑たちは、
それぞれが、自らの能力の限界というものを、悟っていたのだろう。
また、どういう舞台で自分を表現できるか、
また、どんなところでは、損な役者になるのかを知っていた。
頑張りどころの見極めが、きちんと出来ていたと言える。
そして、予測どおり、小五郎も大久保も、新政府の建設に参加することになる。
桂小五郎は、長州藩の意向により、名前を木戸貫治と名を変え、
また後に木戸孝允と改名した。
藩の意向とはいえ、
どこか、自由になれない損な役者という、感じがしないでもない。
惰性で書いた正方形は丸くなる 森 廣子
京都鴨川沿いの”幾松”
小五郎が、幾松に逢うために通った幾松の料亭。
≪変幻自在で多彩、との印象のある桂小五郎だが、
そういうイメージが先行したためか、『鞍馬天狗』のモデルだともいわれる≫
石畳を奥へ歩くと幾松の玄関
「桂小五郎の女遍歴・・・あんまりな・・・男でもある」
維新三傑の1人、桂小五郎は、坂本龍馬をはじめ、多くの維新志士と交友したが、
女性関係も派手だった。
美形で、弁舌さわやかな小五郎は、女性受けの良い男だったのだ。
小五郎の最初の結婚は、27歳のときだが、
わずか3ヶ月で離縁している。
この妻との間に、子どもがいたものの早世。
小五郎は、江戸に上って志士活動を開始することになる。
信号は青引き返すのは難しい 森田律子
その後、江戸で斉藤弥九郎道場の塾頭を務めた小五郎は、
隣家の娘・千鳥と知り合う。
小五郎は、彼女に手を出したものの、ほどなく千鳥を放り出して、
志士活動のため上洛。
千鳥は、小五郎の出立後に妊娠が判明し、
乳飲み子を抱えたまま、京都へ向かった際に、
”蛤御門の変”の混乱に巻き込まれ、会津藩兵に斬り殺された。
≪子どもは、後に会津で養育されたと伝えられる≫
一方、そんな事情を知らない小五郎は、
京都で三本木の芸妓・幾松に惚れ込み、大金を払って彼女を落籍する。
すでに志士として、名を知られていた小五郎は、
常に命を狙われる毎日だったが、幾松の存在は、
彼の心を和ませた。
次のような有名な話が残っている。
新撰組が、料亭に踏み込んだ時、舞を踊り、つつすばやく小五郎を逃がしたり、
蛤御門の変以降、小五郎がお尋ね者になって窮すと、
加茂川大橋付近で潜伏する小五郎に、食料や水を運んで助けた話。
≪ときに幾松は、派手な着物をきたまま、桂の元を訪ねるなど、
騒動を起こすも、
奔放な彼女の性格を小五郎は、好きだったようだ≫
毒蛇がクレオパトラを呑みました 泉水冴子
小五郎は、幾松と知り合ってからも、多くの女性に手を出しているが、
幾松が、浮気に寛容だったことも、
二人の仲が、うまくいった理由かもしれない。
命をものともせず、小五郎に尽くした幾松の想いは、本物だった。
のちに長州に落ちのびた幾松は、
潜伏中の小五郎に、高杉晋作の”藩政クーデター”の成功を伝えるために、
単身で但馬へ向かうなど、小五郎を最大限に支えている。
一方で逃亡中の小五郎は、但馬の娘と偽装結婚したり、
城崎の宿屋の娘を妊娠させたりしていたが、幾松は意に介さなかった。
幕末当時の”献身と浮気への寛容”さから、
小五郎は、幾松に頭が上がらなくなった。
維新後に、木戸孝允と改名した彼は、
幾松を正妻に迎え、松子と名乗らせる。
幾松は買い物と芝居が大好きで、贅沢をしたが、
木戸(小五郎)としては、文句をいえない。
”うめと桜と 一時に咲し さきし花中の その苦労” 木戸孝允
≪それでも二人の夫婦仲は良く、
幾松は、夫の死後は尼になって、生涯を終えている≫
ショッツルにしばらく漬けてあるあなた 井上一筒




