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川柳的逍遥 人の世の一家言
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梅干しの咲きたい気持ちなら分かる 壷内半酔

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桂小五郎(通称・桂小)

「おれは ぶっ壊すのは大の得意だが、作り上げるのは大の苦手とするところだ。

 作るのは 桂しかなかろう」

そう言い放ったのは、高杉晋作である。

そこで、京都から離れ、団子屋をやっていた桂小五郎を、

亡命先の但馬出石から呼び戻して、この男に、藩政のすべてをまかせた。

”蛤御門の変”で長州がたたかれた後、

長州の残兵を探しに行った戦場の、京都から逃れ、

但馬で骨休めしていた小五郎にとっては、損な役回りである。

しかし、藩命とあればやむを得ない。

高杉の一報で、長州・萩に戻った。

青竹の節の一つになっている  西美和子

「おれは古い家を壊すのはおおいに得意とするところだ。

 しかし、新しい家となれば、大変苦手である。

 それは、大久保が適任と考えている」

そう語るのは西郷隆盛である。

高杉の言葉と、内容はまったく同じだ。

まず走れ結果あとからついてくる  有田晴子

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まさに維新は、役割分担で実現した。

西郷は維新達成後、大久保利通と対立したが、

自分の言葉通り、明治政府に出番はなかった。

高杉晋作は、維新前年に死んでしまったから、維新後にその姿はなかったが、

もし明治政府をぶっ壊す役に、回ってしまえば、

高杉のイメージも変わってしまっただろう。

≪壊し屋と言われた民主党の幹事長・小沢氏は、なぜだか、

 逆を行っている、作り屋・大久保利通を「尊敬している」と言い、

 壊し屋・高杉を「尊敬している」と言うのが作り屋・菅首相というのが可笑しい≫


あすという泥鰌のいない安木節  奥山晴生

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  京都三条・桂小五郎像

幕末維新の英傑たちは、

それぞれが、自らの能力の限界というものを、悟っていたのだろう。

また、どういう舞台で自分を表現できるか、

また、どんなところでは、損な役者になるのかを知っていた。

頑張りどころの見極めが、きちんと出来ていたと言える。

そして、予測どおり、小五郎も大久保も、新政府の建設に参加することになる。

桂小五郎は、長州藩の意向により、名前を木戸貫治と名を変え、

また後に木戸孝允と改名した。

藩の意向とはいえ、

どこか、自由になれない損な役者という、感じがしないでもない。

惰性で書いた正方形は丸くなる  森 廣子

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 京都鴨川沿いの”幾松”

小五郎が、幾松に逢うために通った幾松の料亭。

≪変幻自在で多彩、との印象のある桂小五郎だが、

そういうイメージが先行したためか、『鞍馬天狗』のモデルだともいわれる≫

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石畳を奥へ歩くと幾松の玄関

「桂小五郎の女遍歴・・・あんまりな・・・男でもある」

維新三傑の1人、桂小五郎は、坂本龍馬をはじめ、多くの維新志士と交友したが、

女性関係も派手だった。

美形で、弁舌さわやかな小五郎は、女性受けの良い男だったのだ。

小五郎の最初の結婚は、27歳のときだが、

わずか3ヶ月で離縁している。

この妻との間に、子どもがいたものの早世。

小五郎は、江戸に上って志士活動を開始することになる。

信号は青引き返すのは難しい  森田律子

その後、江戸で斉藤弥九郎道場の塾頭を務めた小五郎は、

隣家の娘・千鳥と知り合う。

小五郎は、彼女に手を出したものの、ほどなく千鳥を放り出して、

志士活動のため上洛。

千鳥は、小五郎の出立後に妊娠が判明し、

乳飲み子を抱えたまま
京都へ向かった際に、

”蛤御門の変”の混乱に巻き込まれ、会津藩兵に斬り殺された。

≪子どもは、後に会津で養育されたと伝えられる≫

よくもまあまめにちょっかい出しなはる  藤井孝作

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一方、そんな事情を知らない小五郎は、

京都で三本木の妓・幾松に惚れ込み、大金を払って彼女を落籍する。

すでに志士として、名を知られていた小五郎は、

常に命を狙われる毎日だったが、
幾松の存在は、

彼の心を和ませた。

次のような有名な話が残っている。

新撰組が、料亭に踏み込んだ時、舞を踊り、つつすばやく小五郎を逃がしたり、

蛤御門の変以降、小五郎がお尋ね者になって窮すと、

加茂川大橋付近で潜伏する小五郎に、食料や水を運んで助けた話。

≪ときに幾松は、派手な着物をきたまま、桂の元を訪ねるなど、

騒動を起こすも、

奔放な彼女の性格を小五郎は、好きだったようだ≫

毒蛇がクレオパトラを呑みました  泉水冴子

小五郎は、幾松と知り合ってからも、多くの女性に手を出しているが、

幾松が、浮気に寛容だったことも、

二人の仲が、うまくいった理由かもしれない。

命をものともせず、小五郎に尽くした幾松の想いは、本物だった。

のちに長州に落ちのびた幾松は、

潜伏中の小五郎に、高杉晋作の”藩政クーデター”の成功を伝えるために、

単身で但馬へ向かうなど、小五郎を最大限に支えている。

冷や奴ことばを飾ることはない  西山春日子

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     松 子

一方で逃亡中の小五郎は、但馬の娘と偽装結婚したり、

城崎の宿屋の娘を妊娠させたりしていたが、幾松は意に介さなかった。

幕末当時の”献身と浮気への寛容”さから、

小五郎は、幾松に頭が上がらなくなった。

維新後に、木戸孝允と改名した彼は、

幾松を正妻に迎え、
松子と名乗らせる。

幾松は買い物と芝居が大好きで、贅沢をしたが、

木戸(小五郎)としては、文句をいえない。

”うめと桜と 一時に咲し さきし花中の その苦労”
  木戸孝允

≪それでも二人の夫婦仲は良く、

幾松は、夫の死後は尼になって、生涯を終えている≫

ショッツルにしばらく漬けてあるあなた  井上一筒      

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