川柳的逍遥 人の世の一家言
「岡田ジャパンのキーパーソン」 年がいもなく、今日は、”日本VSデンマーク戦”で徹夜をしてしまいました。 サッカーは、広いグランド内での格闘技みたいなものだから、 結果は、本田が決め、遠藤が決め、岡崎が決め、3対1の勝利。 大久保もがんばって、5本のシュートを打ち込んでいたが、全部キーパーの正面。 正面を狙っていたかの感じだったね。 そのうち2本は、パス回しにすれば、点に繋がっていたかもしれないのに・・・。 大久保の反省点だな。 最後、岡崎が決めた1点は、本田のチームプレイが演出したもので、 大久保も、”コレを見ならはなければいけない” と感じた一戦であった。 とにかく、やる男”HONDA”がすばらしかった。 「モンスターレフティー」、といわれる本田圭佑の左足から蹴り出されるフリーキック。 彼は、ゴール前で落ちる”曲線を描く”シュートと、 ”ブレ球”といわれる、 日本では、’07年北京五輪の予選で見せた”ブレ球”から、 その左足に注目が、集まるようになった。 しかし、本田は岡田ジャパン発足時から、日本代表メンバーだったわけではない。 彼がはじめて、日本代表に入ったのは’08年6月22日であり、 定着したのは最近のことだ。 海外で得点をあげる本田が、得点力不足に悩む日本の「救世主」として、 代表に召集されるようになり、 岡田ジャパンの”キーパーソン”となって、今に至っている。 ヨーロッパのサッカーには、100年もの歴史がある。 日本は、J・リーグが生まれてまだ、20年足らずだ。 日本におけるサッカー文化が成熟するためには、いま少し時間が必要。 「長い目で見てほしい」 と本田は言った。 世界の一流プレーヤーたちと、同じピッチに立ったからこそ、 気づいたことことが本田にはある。 その上で、 未来図に君の笑顔を描き入れる 田岡 弘 そして、彼の小さい頃から変わっていない夢が、今につながる。 「W杯で優勝すること。 なんとなく夢として思うのか、本気で狙いにいくかは、自分次第だと思うので、 僕は本気で、目指したいと思っている」 と、言葉をしめくくった。 頼もしい金髪のサムライに、大いなる期待をしよう。 「ここからは龍馬伝へ・・・幕末の二人のキーパーソン」 元治元年(1864)11月、操練所生徒の池田屋事件がもとで、 責任者の勝海舟は、江戸に召還され、軍艦奉行の職を解任、 さらに謹慎を命じられてしまった。 責任者を失った海軍操練所は、翌・慶応元年3月、閉鎖され、 行き場を失った龍馬は、同士たちとともに、 薩摩藩の保護の下に、置かれることとなった。 ≪勝が、旧知の西郷に頼んだとも、言われているし、 薩摩の側にも、自藩の海軍力を整備するために、 操練所で教えていた操艦方や、海軍にまつわるさまざまな技術を、 必要としていた、事情があったともいわれる≫ いわゆる西郷が、龍馬らを預かるのにも、様々な腹づもりが動いたようだ。 右手に犬を連れ、 左手で刀の鞘をにぎり、 無私で肝っ玉が太く、 ギョロ目で、堂々としている、 東京上野公園に立つ”西郷隆盛の像”(高村光雲作)には、 が、実はその内側に、虚像の部分も、 西郷隆盛の身長は、180cm、体重は、120kg近くあったようだ。 心は繊細、かつ思考は鋭く、孫子とか韓非子に傾倒し、 その”非情の理論”について、深く研究をすすめていた。 それをもとに、戦略を練り、知的謀略は一流で、挑発と攪乱の策に、 恐るべき才能を発揮した。 そのような西郷は軍人でありながら、一寸学者ふうであり、 それを理由に、 「正体をよくつかめない人物の姿が隠れている」 とも言われ続けてきた。 上野の西郷像のイメージと、 実際の西郷とは、かなり異なっているのだ。 人物評論の好きな勝海舟が、西郷と初対面の龍馬を前に言った。 「西郷には、どうもわからないところがあったよ。 大きな人間ほど、そんなものでな・・・ 小さなやつなら、どんなにつくろっても、すぐに腹の底が見えてしまうものさ。 西郷ほどの大きなやつになると、そうではないのうー」 フェロモンのようなオーラに魅せられる 片山かずお それに応えて、龍馬は、 「先生、なるほど西郷というやつは、わからんやつです。 少したたけば、少し響き、大きくたたけば、大きく響くところがあります。 もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口者なのでしょう」 「さすが、龍馬も鑑識の高いやつだよ」 ≪人物を見る能力に、絶対の自信を持つ二人が、そう評価するのだから、 ”西郷はやはり、虚像の部分も、かなり備えもっていた” に違いない≫ 海軍操練所が閉鎖されたことにともない、行き場を失った龍馬に、 海舟は、最後の世話を焼いてくれた。 薩摩藩の指導者だった西郷隆盛に、彼を紹介したのである。 「西郷隆盛なら、ヤツを上手に使うだろう」 そう目論んだからである。 龍馬が、薩摩藩亭を訪ねると、すでに龍馬の名前は知られており、 西郷にも、すぐに会えたという。 だが、初対面の二人は、お互いの相手の腹をさぐるように、 たわいのない、会話を交わしただけだった。 知能派の鯛で疑似餌に騙されぬ 有田晴子 龍馬の眼力は、2、3分のこの短い時間で、 上記の海舟との会話にあるように、 その後も龍馬は、薩摩藩邸へ西郷を訪ねていっているが、 たいした話はせず、短い会話を交わすだけだった。 それでも、互いに、「なかなかの人物」 と認め合っう関係は築いていく。 ≪実際、西郷と龍馬の面談は、海舟が予想した通り、 両者ともに、惹きつけ合うところがあったようだ≫ 百均の皿でも鯛は鯛である 山口ろっぱ 「西郷を大きく響かせることのできる男、それは、お前さんだよ」 と、海舟は言いたかったのだろう。 龍馬と西郷という二人の英雄を、出会わせたことは、 幕府にとって脅威になることも、海舟は予測していた。 だが海舟は、幕臣という立場にこだわらず、 日本の未来によかれと思う方を、選んだのだ。 かたや西郷隆盛の方は、龍馬の印象を、次のように述べている。 「天下に有志あり、余 多く之と交わる。 然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。 龍馬の度量や 到底測るべからず」 と。 『龍馬伝』・第26回-「薩摩の怪物」 あらすじ 龍馬(福山雅治)たちの、行く末を案じる勝(武田鉄矢)は、 薩摩藩の参謀・西郷吉之助(高橋克実)に会うよう龍馬に勧める。 脱藩浪士たちを、 薩摩といえば、 先の「蛤御門の変」で、京の都に火をつけたという幕府側の雄藩。 桂小五郎(谷原章介)たち長州勢が、腹の底から憎んでいる相手だ。 勝の勧めといえども、長州の悔しさを知る龍馬は、 おいそれと、薩摩を頼る気にはなれなかった。 結局は師に押され龍馬は、西郷との初対面の日を迎える。 西郷は、薩摩軍を率いる重鎮だ。 薩摩と幕府が、「再び長州に攻め入る」 と耳にしていた龍馬は、 「今、日本人同士で戦を始めたら、日本はどこかの国の属国にされるかもしれない」 と西郷に意見する。 それに対して西郷は、 「薩摩にとって、長州も土佐も徳川であっても、敵だ」 2人は、真っ向から意見を対立させるのだ。 しかし西郷は、そんな龍馬たちを、 「船乗りとして雇ってもいい・・・ すべては、坂本さんしだいでごわす」 と告げる。 龍馬は西郷に圧倒され、 柔和な外見とは裏腹に、底知れない力をもっていると直感する。 そんな中、操練所閉鎖の日がやってきた。 勝は、操練所を去る訓練生たちへ、自らの思いを託す。 「日本を世界と互角に渡り合える国にしてみろ! お前達は、俺の希望だ!」 この勝の言葉を、龍馬は胸に深く刻みつつも、 寂寥感や心細さにさいなまれながら、新たな道を模索する。 だだ、これまでと違うのは、いまや龍馬は、1人ではないということだった。 そしてひとまず、長次郎(大泉洋)の妻・お徳(酒井若菜)がいる 大坂へ向かうことになる。 同じ頃、弥太郎は、武市半平太(大森南朋)から、 弥太郎は以蔵の苦しみを間近で見て、毒殺すべきかどうか迷う。 悩んだ末、 そう悲観なさるな葉にも表うら 吉道航太郎 PR |
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