- 2010/07/27
- Category : ポエム&川柳
龍馬伝・塞翁が馬
諸行無常の水吸って夏椿 山本早苗
「神戸海軍操練所がスタート直後に頓挫して」
事実上、閉鎖されると、龍馬らは海舟の計らいで、薩摩藩邸にかくまってもらった。
しかし、人生とは皮肉なもので、
この一連の出来事が、龍馬にとっては幸いすることになった。
≪予定より早く、夢であった海運業をおこすチャンスが、めぐってきたからである≫
龍馬は、約20人の仲間と、大坂の薩摩藩邸に潜んでいたが、
慶応元年(1865)4月25日に、藩邸を出発。
薩摩藩の西郷隆盛、小松帯刀、大山彦八らと、薩摩藩船の胡蝶丸に乗り込み、
瀬戸内海を経て、5月1日に、鹿児島に着いた。
鹿児島に10日間ほど滞在したあと、龍馬らは、帯刀と長崎に向かっている。
無印の無色気軽にとんでいる 小山紀乃
幕末の長崎は、日本の国内外の人・モノ・情報が集まる町だった。
特に、政治情勢が日々変わる幕末において、
正確な情報をいかに早く入手するかは、
幕府や藩の命運を、左右するほど大切なことだった。
薩摩藩や長州藩など、西日本の各藩が蔵屋敷をおいており、
かつ多くの人々が情報を求めて、全国から集まっていた。
≪龍馬もここで、最新の情報を収集し、政治活動などに役立てたのである≫
龍馬の長崎への旅は、帯刀がイギリス商人・トーマス・グラバーから、
新しい蒸気船を購入する交渉に、同行したのだが、
その最中、龍馬の夢である”海運業”をおこすという話が、
とんとん拍子に進んでいった。
そして、薩摩藩と海舟の知人でもある長崎の豪商・小曾根家の資金提供によって、
龍馬は、「亀山社中」の設立を実現する。
亀山社中の目的は、
表向きには海運業で、
グラバー商会などの西洋商人から、購入した武器や物資を、
薩摩藩などへ輸送する事業を営むことである。
夏椿(さらの木)
しかし、龍馬の真の目的は、
薩摩名義で購入した武器類を、長州藩に提供することにより、
「薩長両藩の橋渡しを行なう」ことにあった。
当時、朝廷と幕府の共通の敵であった長州は、
幕府の攻撃を目の前にして、武器や弾薬の調達を、急務としていた。
ところが長州は、経済活動を制限されていたので、
龍馬は、武器の購入や輸送を受け持つ亀山社中を通して、
薩摩に窮地の長州を助けさせ、
両藩の結びつきを、深めようとしたのだ。
『豆辞典・「沙羅双樹」』
≪釈迦が沙羅林の中で涅槃に入ったときに、東西南北の四方に、
それぞれ2本の沙羅の木があったとされている。
釈迦が涅槃に入るや、四方の双樹は、それぞれ一樹となり、林を覆い白くなって枯れた。
東西南北の双樹は、それぞれ「常と無常」、「我と無我」、「楽と無楽」、「浄と不浄」
とにたとえられている。
そこから沙羅双樹と言う言葉になったとされる。(広辞苑)≫
薩摩藩が資金提供したのは、
帯刀が西郷らと相談し、航海術を学んでいた龍馬らを、
「うまく利用しよう」と、考えたためだった。
そんな薩摩藩の思惑に、龍馬がうまくのったという見方もできる。
≪社中を運営するなか、龍馬は海運業に勤しむだけでなく、
航海術やオランダ語の勉強、武芸などもおろそかにせず、何に対しても貪欲だった≫
座布団ほどの我慢をボクはしてきたか 武内美佐子




