川柳的逍遥 人の世の一家言
補助線はリハビリ中でございます 河村啓子 国生みの絵 伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二神は淤能碁呂島(おのごろじま) に続き、大八島国を産み、山の神、海の神など様々な神を産んだ。 しかし、火の神を産んだ時、イザナミは火傷を負い死んでしまうのです。 「女尊男卑」 一般に日本は男尊女卑で、欧米の文化は女性を大切にするというイメージ があるが、それは誤解でむしろ逆なのである。 伝統的に欧米は徹底した男尊女卑で、逆に日本では女性の地位が高かった。 戦後、女性と靴下が強くなったといわれるが、今日の状況はもともと伝統 的に高い女性の地位が、戦後欧米から入ってきた男女平等やフェミニズム などのイデオロギーが加わって一層高くなり、もはや「女尊男卑」とでも 言っていいものになっている。 食べ尽した男をゴミに出しました 渡辺富子 旧約聖書によれば、イヴはアダムのあばら骨から「アダムを慰める」もの として神が創ったとされる。 ここには男性の絶対優位と女性の絶対服従が示されている。 その意味では、キリスト教国は基本的に男尊女卑の文化を持っている。 実際、今でも夫が財布の紐を握っていて、妻は夫から生活費をもらうのが 普通で妻の職業従事の自由が認められたのは、1965年のこと。 今でも家のインテリアや壁の色は、夫が決めるのが常識という。 このような文化が背景にあったからこそ、女性の自由の獲得をスローガン にウーマンリブ運動やフェミニズム運動が起こったのは頷けるだろう。 芥川の鼻読んでから横道へ 小林満寿夫 二神が天の沼矛で海原をかき回す絵 いざなぎのみこと これの対して日本の場合は、「古事記」に出てくる男神・伊邪那岐尊と いざなみのみこと 女神・伊邪那美命は平等な存在である。 その2人の神が協力して「国を生む」という話になっている。 そこにはどちらが上でどちらが下かといった上下関係、支配・服従関係 もない。そればかりではない。 産後の肥立ちが悪くて亡くなった妻を追いかけて黄泉の国に行き、 「帰ってきてくれ」と懇願する夫の伊邪那岐尊に伊邪那美命は、 黄泉の国の神と相談してみるけれども、 「その間、私をご覧になってはなりません」と述べる。 あまりにも帰りが遅いので伊邪那岐尊はつい中を覗いてしまう。 死後の醜い姿を見られた伊邪那美命は「恥をかかせた」と言って 鬼の形相になり追いかけてくる。 夫の不実を鬼の形相でなじる現代の妻の原型が、ここに示されている。 耳鍛え妻の小言に耐えてます 上田 仁 さて次は、家庭の実態をとらえたサラリーマン川柳を少し覗いてみよう。 「寒いよね ママ目で合図 動くパパ」 「”めし””ふろ”に 下さいついて 妻動く」 「力関係 躾けてないのに 分かる犬」 「ゴミだし日 捨てにいかねば 捨てられる」 「円満は 見ざる言わざる 逆らわず」 「ぼくの嫁 国産なのに 毒がある」 その顔はトイレ掃除をサボったな ふじのひろし 平安時代中期に飛んでみる。 おおえなりひら 文章博士である大江匡衡が妻で歌人の赤染衛門との間で交わした歌がある。 「果かなくも 思ひけるかな 乳もなくて 博士の家の 乳母せむとは」匡衡 乳は掛詞で知識のこと。 要するに自分の家に乳母を雇ったが、その乳母に乳が出ない。 インテリの博士の家の乳母をするのに、 「それしきの知識がなくていいのか」と嘆いてみせた。 これに対して妻の赤染衛門は、次のように返した。 「さもあらばあれ 大和心し 賢くば 細乳に附けて あらずばかりぞ」 そんなことどうでもいいではありませんか。 大和心すなわち美しいものを美しいと感じる心、 情緒があれば十分ではありませんか、と夫の主張を跳ね除けたのである。 これが平安時代の家庭における力関係の実態である。 あの世ではあなたと出会いませぬよう 楠本晃朗 次は古典落語「芝浜」から。 亭主はだいたいボンクラ、女房はしっかりものというのが相場だ。 呑兵衛の亭主がある夜、大金の入った財布を拾う。 その金をあてにして亭主が働かなくなることを心配した女房は、 「あれは夢だった」のだと嘘をつく。 亭主は「怠け心からそんな夢を見るようにまでなったのか」と自分を責め、 心を入れ替えて働くようになった亭主はその結果、店を持つほどになる。 三年後の大晦日の夜、女房は、「あれは夢ではなく、本当のことだった、 これがその時の財布だよ、嘘をついて悪かった」と謝る。 「いやお前のお陰でこうして店を持てるようになった」と 亭主は女房に感謝するお話。 ここにも妻が主導権を握り、夫をリードする姿が垣間見えるのである。 くしゃみ二つ言った言わない物忘れ 山本昌乃 明治時代の女性 はたして明治時代はどうだったか。 家制度で女性は家に縛られ、自由がなかったのでは、という指摘がある。 しかしわが国の家制度はヨーロッパの家父長制と違って戸主の権限は もともと弱いもので、その分、女性の地位も高かった。 明治期、日本に滞在した英国の写真家・ハーバート・ポンティングは、 日本の家庭の様子を次のように語っている。 「日本の妻は独裁者だが、大変利口な独裁者である。 妻は実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、 それは極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると 思っている。妻が導くままに従っているのを知らないのだ」 ポンティングさんよく観察していらっしゃる。 ぬるま湯にどっぷりつかるのも処世 丸山不染 『古事記』によれば、大八島は次の順で生まれたそうです。 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島 伊予之二名島(いよのふたなのしま):四国 隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島 筑紫島(つくしのしま):九州 伊伎島(いきのしま):壱岐島 津島(つしま):対馬 佐度島(さどのしま):佐渡島 大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):本州 春ですね笑い袋の紐を解く 須磨活恵 PR
踊りの輪にあえて残留する覚悟 竹内いそこ
源氏物語を執筆する紫式部(月岡芳年『月百姿』) 「紫式部こぼればなし」 紫式部が生まれたのは973年前後。幼い頃から漢文の覚えが早いなど優 れた才能を見せていたようです。年齢が20歳を過ぎたころ、父・為時が 越前守となり父とともに越前に赴くも、1年余りで単身で帰京する。 その後親子ほど歳の離れた藤原宣孝(宣孝50歳)と結婚。結婚後すぐに賢子 という娘を出産すると間を置かず、夫の宣孝が死去してしまう。紫式部が 27歳のことで、夫との死別の悲しみを癒すため源氏物語を書き始めたと いう。思えば結構、遅咲きの作者だが1005年頃には、時の天皇はじめ 多くの公達たちや女房たちの愛読書になった。 撫でて下さい耳たぶが冷めるまで 岡谷 樹 しょうし 丁度この頃に、紫式部は、藤原道長の娘・彰子に仕える女房になる。 「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の歌に 見るように自信家の道長は、彰子を12歳で一条天皇の後宮に入れている。 彰子が男の子を産んでくれればその子は皇太子になり、やがて天皇になる。 そして自分は天皇の外戚になる。ところが時の一条天皇は、数多い後宮の ていし 妃たちのなかで、藤原道隆の娘・定子という年上で才色兼備の皇后を熱愛。 しかも定子のところには、才気煥発で随筆を書ける清少納言がいるから、 面白い話を聞きたい公達たちは、天皇と一緒にやってきて、定子のサロンは 大いに賑わった。 ありふれた話でいいのもう少し 阪本こみち 焦った道長は、定子に負けないように彰子のサロンを盛り立てるため、向こ うが随筆ならこちらは小説でいこうと、源氏物語の評判も上々、名前も売れ 始めていた紫式部を彰子の教育係として採用した。 平安中期といえば、女流文学の花が咲き誇った時代である。権力者たちは、 自分の娘などに教養をつけさせるために、文学に秀でた女官を集めサロン を形成。いわばカルチャースクールの開講である。これにより教師の女官 たちは、切磋琢磨して高質な作品を作り上げていくのである。こうして紫 式部は宮仕えをしながら「紫式部日記」を著し、源氏物語を書き続けた。 ちゃんと名はあります花も咲かせます 八田灯子 一条天皇は文芸に深い関心を示し、音楽にも堪能で本を読むことが好きな 人であった。紫式部の「源氏物語」を楽しみに、しだいに彰子のサロンに 足を運ぶようになる。その効果もあって彰子が成熟すると一条天皇の元へ 入内し、やがて敦成親王を生む。すべてが道長の思惑通り、彰子の生んだ 後一条天皇の即位を実現して、道長は摂政となる。 この結果、紫式部は不要の存在になる。紫式部は敏感な人だから、道長が 自分を必要としなくなったことを察したのだろう。プライドの高い彼女は、 「41巻ー幻」を執筆した後、読者の夢を奪うように光源氏を雲隠れさせ、 数年後に再び登場させると、たちまち出家させ、殺してしまう。 紫式部もこの頃に出家している。 紫式部は1014年前後に死去、享年40歳前後であった。 無理ですよ昨日はやって来ないから 太下和子 【エピソード】 清少納言と紫式部とのライバル関係は、後世おもしろ可笑しく喧伝されて いるが、実際のところ、紫式部が中宮・彰子に伺候した時期と、清少納言 が宮仕えした時期に、2、3年のずれがあり2人に面識はないはず。 (また1000年に中宮定子が出産時に亡くなって、まもなく、清少納言 は宮仕えを辞めている) うなぎの寝床で法螺貝吹いてます 和田洋子 清少納言の性格を紫式部は、「紫式部日記」に次のように書いている。 「清少納言は。高慢な顔をして、まことにいやな女です。 利巧ぶって、いかにも学問に優れているようなことを、言っているけれ ども、よく見れば、まだまだ不充分な者です。それなのに、何かにつけ、 人とは違うところを表そうとばかりする。そんな人は必ず、ぼろを出し、 やがては、ろくでもないことになるでしょう・・・」 実弾を一発隠していた日記 くんじろう 紫式部と同じ「彰子サロン」の所属する 和泉式部は、平安女流文学者中、 美人度、好色度ナンバー1で、関白・道長から大勢の前で、「浮かれ女」 と揶揄された女性。人妻であるにも関わらず複数の皇子とのスキャンダル に始まり、公家僧侶から牛飼に至るまで、言い寄る男を「もののあわれ」 で、包み込んだという。 (そんな中のエピソード) 和泉式部の二番目の夫は藤原保昌。保昌は、「新しい情夫はつくるなよ」 と意見したものの、和泉はどこ吹く風で男を漁りまくり。それでも保昌は 根っからお人好し、洛内外の境の九条辺りまで迎えにいったとか・・・。 とにかく、活発な和泉式部なのだ。 ≪不倫こそ文化≫と言いたげな、平安のとんだ女丈夫であった。 トリセツが欲しい不倫の進め方 松下和三郎
近頃は顎の線まで崩れだす 山本昌乃
薫と僧都と小君 法の師と たづぬる道を しるべにて 思はぬ山に 踏み惑ふかな 横川の僧都を、仏道や心の師と仰いで訪ねてきた道ですが、 思いがけない恋の山道に迷い込んでしまったようです。 「巻の54 【夢浮橋】」 薫は明石中宮が言っていた浮舟生存の話を確かめるため、 浮舟の弟である少年の小君を連れて、横川の僧都を訪ねた。 そこで薫は、僧都から浮舟の様子を聞き、浮舟に違いないと思った薫は、 「私が心を寄せていた人で、突然、消息を絶ち訳も判らず葬儀を してしまった人がいます。それが尼君のお世話になっている人です。 きちんと確認できたら、母親はじめ家族に合わせてあげたいのです」 と言う。 恋してるうちに雨は本降りに 森田律子 それを聞いた僧都は、深く考えず浮舟を出家させてしまったことを悔む。 が、引き合わせて欲しいという薫の要望は、頑として受け入れなかった。 一度出家した者を破壊者(戒律を破る者)にする訳にはいかないからである。 そこで薫は、僧都に事情を記した手紙を書いてもらい、 「お前の姉様は、死んだと諦めていたのだが、生きておられたんだよ。 姉様は他の人には、知られたくないと思われているようだから、 お前が行って、この手紙を渡してきておくれ」 と言って手紙を小君に託す。 翌日、小君は僧都と薫の二つの手紙を持って小野の庵を訪ねた。 夜桜の優しさごっこ受け入れる 前中知栄 浮舟への手紙を書く僧都 簾越しに弟の姿を見た浮舟は、動揺をしていた。 門前にいる小君は、自殺の決心をした夜にも、恋しいと思った弟である。 一緒に住んでいた頃は、まだ腕白で、両親の愛に驕って憎らしかったが、 宇治へもよく遊びにきて、姉弟の愛を感じ合うようになっていた。 逢いたい、会って、何よりも母がどうしているのかと聞きたい。 他の人々のことについては、誰からともなく噂を耳にはするが、 母の消息は知ることができなかった。 それを思うと、目の前にいる弟を見ていると、何とも悲しくなり、 浮舟は涙をおさえられなかった。 左手の手袋ばかり見失う 三村一子 尼君は小君と話すように促すが、浮舟は首を横に振らない。 本心は弟に母の様子を聞きたくてたまらないが、 出家した身だからと強く自制して「人違いだ」と言い張って、 顔を見せることすら拒み続けた。 仕方なく尼君が対応に出て、僧都の手紙を受け取る。 薫からの手紙は受け取るものの、浮舟は見ようとしないので、 尼君が開いて浮舟に手渡した。 紙の匂いは昔のままで芳ばしく、薫の懐かしい筆跡に涙が零れる。 のぞき見をして風流好きな尼君は、美しいものと思った。 僧都の方の手紙には「薫の執着心を取り除いてあげなさい」とある。 過去のことを知らない尼君は、その手紙を見て、薄々事情を知る。 耳掃除ばかりしている春の欝 笠嶋恵美子 夢見心地に姉を待つ小君 泣いてひれ伏したままの浮舟の様子に尼君は困って、 「折角来てくれた弟さんに どう返事をすればいいのです」 と浮舟を責めると、 「今は気持ちも落ち着かず、心がかき乱されています。 それに昔のことを思い巡らせても、思い当たることがありません。 落ち着きましたら手紙の意味が分かることもあるでしょう。 ひょっとして手紙の受け取り人が、違っていたりしては迷惑なことです。 このまま手紙を持って帰らせてください」 と浮舟は言い、手紙は拡げたままで尼君のほうへ押し返した。 ひらり来てひらりと去った冬螢 合田瑠美子 尼君はふたたび小君の話し相手に出て、 「物怪の仕業でしょうかね。お姉様はずっと御病気続きでね。 わざわざご主人様も近くに来ていらっしゃるというのに、 碌な返事もできずお詫びのしかたもないのですよ」と言う。 小君は姉に再会できる喜びを心に抱いて来たが、落胆して帰ることにした。 薫は小君の帰りを今か今かと待っていたが、 しょげて帰ってきた小君の様子から、ことを察した薫は、 文を出さねばよかったと気落ちし、自分がかつてそうしたように、 誰かが浮舟をかくまっているのではないかと思い悩むのだった。 少しおしゃまなフライングして青蜜柑 美馬りゅうこ 【辞典】 最後に 「夢浮橋」は、源氏物語最終話で宇治十帖の締めくくりの巻になります。 この宇治と言う地名は、<わがいほは 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と ひとはいふなり>という歌を喜撰法師が詠んで以来、「憂し」を連想させる 地として知られるようになります。その憂愁のイメージはこの宇治十帖全体 特に政治の内紛に巻き込まれ没落した八宮や、いつまでも思い悩む薫の心の 様にリンクして物語に重量感を与えています。また、この物語は、この後に どのようなことが起こるのかを明確には示さず、読者の想像にゆだねる形の 終わり方をしています。それを「開けたままの終結」と呼ぶますが夢浮橋は 作者の紫式部が意図して「開けたままの終結」にしたと伝えられています。 トクトクトクはーといつしか琥珀色 雨森茂樹 源氏物語はこれにて終結しました。次は話の種などを書いていきたいと 思っています。これからも続き、お付き合いよろしくお願いいたします。
金不足で戻されてきたわたし 桑原伸吉
庵の浮舟と稲を刈る人 身を投げし 涙の川の 早き瀬を しがらみかけて 誰かとどめし 涙からできたような流れのはやい川に身を投げた私。 誰がその流れを止めて、私を助けたのでしょうか。 「巻の53 【手習】」 よかわ そうず 比叡の横川の僧都の母尼、妹尼、弟子の阿闍梨ら一行が、大和の初瀬詣の 帰る途中の奈良坂という山を越したころ母尼が病気になった。 一行はこのまま京まで行くのは無理だと判断し、 近くの宇治の院に宿泊することにした。 そこで異様な気配を感じた阿闍梨が、人の入れそうもない庭の方を見回り に行くと、気味の悪い大木の下の辺りで、揺れる白いものが目に入った。 「幽鬼か神か狐か木精か、高僧のおいでになる前で、 正体を隠すことはできないはずだ、名を言ってごらん、名を」 と言い、阿闍梨が着物を引くと、その者は襟に顔を隠して泣きはじめた。 出生はどこの星かと問いかける 油谷克己 阿闍梨らと白い着物の女 付き添いは誰もおらず、打ちひしがれているその者は、 若くて美しく、白い綾の一重を着て、紅の袴をはき、薫香の匂いも芳しく、 気品も高そうな美しい女であった。 尼君は女房に言いつけ自身の室へ、その女を抱き入れさせた。 女は、依然失心状態が続いていて、衰弱もひどかった。 「この人を死なせてはいけません。加持をしてください」 と尼君は言い、僧都の妹の尼は、死んだ自分の娘が帰って来たように思った。 あの夜の冬桜なり女なり 徳山泰子 尼君は親の病よりも、この人をどんなにしても生かせたいと、 親身に付き添い夢中で介抱をした。 知らない人ではあったが、容貌の非常に美しい人だから、 このまま死なせてしまうのも惜しいと、女房たちも皆、必死に世話をした。 それでも時々目をあけて空を見つめる眼を見ると、いつも涙を流している。 その黙りこくって悲しげな女の様子に尼君が、 「黙って泣いてばかりいる貴方を見ているのは、こちらも悲しい。 宿縁があればこそこうして出逢うことになったのだから、 少しでも何かものを言ってくれないかね」 懇願するように言うと、病人はやっと、 「生きることができましても私はもうこの世にいらない人間でございます。 人に見せないで、この川へ落としてしまってください」 と低い声で言う。 心にも無い返事うっすらと雪 山本早苗 女は「川へ落としてほしい」と言った一言以外、その後は何も言わない。 尼君にはそれが物足りなかったが、いつまでも起き上がれそうにもなく、 このまま衰弱して死んでしまうのではないかと、無関心にはおれなかった。 宇治で初めから祈らせていた阿闍梨に、以来ずっと尼君は祈祷をさせた。 早く健康を戻して家族として、暮らしたいと尼君は願っているのである。 やがて大尼君の病気も癒え、方角の障りもなくなったことから、 怪異めいた場所に長居するのもよくないので、僧都の一行は、 比叡の坂本の小野へ帰ることにした。 こんなにも無口が似合う春霞 清水すみれ 小野までは長い道中だったが、夜ふけになって草庵に帰り着いた。 身もとの知れない若い女の病人を伴って来たというようなことは、 僧として噂になってはいけないので、尼君は同行した人達に口留めをした。 もし捜しに来る人があったならばと思うことさえ、尼君を不安にしていた。 どうしてあのような田舎に、この人が零されたように落ちていたのであろう。 初瀬へでも参詣した人が、途中で病気になったのを継母のような人が、 悪意で見捨てたのであろうかと、そんな想像もするのだった。 価値観のちがう女とたそがれる 桜 風子 小野の草庵に帰ってからも皆、女を懸命に介抱した。 救われた女には物の怪に取りついており、阿闍梨が交替で加持をした。 物の怪が女の身体を去る時に、僧都の弟子に取りついて告白を始めた。 物の怪の告白によれば、美女たちが住む家に住みついて、一人殺した後に、 死にたいという女がまた一人いたので、取りついたということであった。 聞くところを察すると、どうも大君と浮舟のことのようである。 一人殺したというのは、おそらく大君で、もう1人は浮舟のことである。 幽霊にいつでもなれる洗い髪 佐藤美はる その甲斐あって取り憑いていた物の怪も退散し、 意識を取り戻した浮舟は、死ぬことも叶わぬ自分の身の不運を嘆き、 読経などの勤行や、書をつれづれにしたためる「手習い」などをして 日々を過しながら、ひたすら出家したいと願った。 しかし、妹尼は浮舟の若さゆえに首を縦に振らない。 そんなこと聞くから愛が風邪を引く 河村啓子 出家をした浮舟 九月になって尼君たちは、ふたたび初瀬へ詣ることにした。 今まで苦しくも、心細くも死んだ娘のことばかりを考えていた自分に、 あのような可憐な姫子と知り合えた縁は、、観音のご利益であると信じ、 お礼詣りをしようと思い立ったのである。 そんな尼君らの留守の間に、浮舟は妹尼の亡くなった娘婿である中将から、 またまた疎ましく恋の告白を受ける。 中将と浮舟が結ばれることを、尼君もそうなればと願っている縁だったが、 思い出すのも辛い恋の行き違いから、このように漂泊する身になった自分 なのだから、それを恥じて浮舟は中将の告白を無視し続けた。 そんなある日、浮舟は妹尼らの不在の折に立ち寄った横川の僧都に懇願して、 出家をしてしまう。 帰ってきた尼君は嘆き悲しんだが、すべてはあとの祭りだった。 鋭角に座り直して来た敵意 都司 豊 年が明け、浮舟の手習いは、仏勤めの合い間にも続けていた。 そんな所へ法要のための衣装を縫って欲しいという仕事が庵に寄せられた。 薫が主催する浮舟の一周忌に使う衣装である。 浮舟も手伝うように言われるが、自分のための仕事はできるわけがない。 その一周忌の仏事を終え、薫は挨拶かたがた中宮の御殿を訪ね、 儚い結末になった浮舟のことを薫は偲び、中宮と話しこんだ。 そんな中、薫が可哀想に思った中宮は、僧都から聞いた話を思い出し、 小宰相にそっと、 「薫の話を聞いていると今も、あの人のことを恋しがっている。 それが可哀想で、ついあの話をしてしまうところだったけれど、 私の口からは気づつなくて、言ってあげることができませんでした。 あなたも僧都の話を聞いていたのだから、ほかの話のついでに 僧都の言っていたことを話してあげなさい」 と言う。これは匂宮に関わりがあるために、 中宮自らは言わなかったのだと小宰相は思った。 茄子焼いて聞いてる主語のない話 山本昌乃 小宰相は世間話などをする合間に薫に、僧都が残していった話を始めた。 「横川で僧都が山の庵に立ち寄った折、女性を一人尼になすったそうです。 患っている間も、皆若さを惜しんで尼にはさせなかったのだそうですが、 その女性が強く願うので、出家させたとその僧都は言っておりました」 場所や時期をその時の様子を考えると皆、符合することばかり。 薫は、これは浮舟が生きていることではないかと推理した。 死んでしまったと思っていた人が、漂ってこの世にまだいるかも知れない。 そんなことがあるはずはないと思う反面、自殺などできる強い性質では なかったことを考えると、話のように人に助けられ生きているのが 性格に似合っていると思う、薫だった。 生きていてくれと言われて生きている 永井 尚 薫は突然の話に驚くとともに、比叡詣の折に横川を訪ねてみることにした。 母とか弟とかには知らせず、供には浮舟の異父弟を連れて行くことにした。 都合ですぐに尼の家を訪ねることになるかもしれない。 夢の再会を遂げるその時に、気兼ねのない者がいる方が良いと思ったのだ。 その人と分かった後で、そこの尼たちから予期せぬ事実を聞かされることが あっては悲しいだろうなどと、薫はいろいろと配慮をめぐらせるのだった。 手櫛にてさきおとといのもつれ髪 下谷憲子 薫の配慮は、匂宮のことでもそうである。 浮舟が生きてみつかり、宮がまだあの関係を続けようとしているのであれば、 どんなにあの人を自分が愛していても、もうあの時のまま死んだ人と思うこと にしてしまおう、生死の線が隔てた二人と思い、いつかは黄色の泉の辺りで 風の吹き寄せるままに逢い得ることがあるかも知れぬのを待とう、 愛人として取り返すために、心を使うことはしないほうがよかろうなどと 思う薫なのである。 落書きが美しいすぎてまだ消せぬ 桜 風子 ところが、今の課せられた境遇の中で浮舟の考え方は違った。 あの方(匂宮)のために自分はこうした漂泊の身になった。 変わらぬ恋を告げられたのを、なぜ嬉しく思ったのかと疑われてならない。 匂宮への愛も恋もさめ果てた気がする。 はじめから淡いながらも、変わらぬ愛を持ってくれた薫のことは、 あの時、その時と、その人についてのいろいろの場合が思い出されて、 匂宮に対する思いとは、比較にならぬ深い愛を覚える浮舟なのである。 もう少し濁ると僕も棲めるのに 薮内直人 【辞典』 本物の高僧 これまでの巻の源氏物語に登場する僧侶の殆どは、軽口であったり、人情味 がなかったりと否定的なイメージで語られてきた。しかしこのラスト二巻目 にきて、やっと僧侶らしい人徳を備えた人物が登場する。それが横川の僧都 である。何より心の深さが違う。源氏物語の登場人物の多くは世間の評判を 気にして、悪い噂が立たないよう行動しているが、この横川の僧都は違った。 浮舟の加持祈祷のため山を下りるとき、弟子が朝廷からの要請にも山から出 なかったことを引き合いに出し「何を言われるかわかりません」と進言する が、横川の僧都は「言わせておけ」とお構いなしに素性も判らぬ浮舟を助け に行くのである。 実はこの横川の僧都には実在のモデルがいたと言われている。 後の法然や親鸞にも大きな影響を与えたとされる源信である。 かれは平安時代中期の天台宗の僧侶で、紫式部と同時期に生きた人物である。 山吹の花で野良犬を染める 井上一筒
口すすぐ昨日サヨナラ言った口 清水すみれ
ありと見て 手にはとられず 見ればまた ゆくへも知らず 消えしかげろふ そこに見えているのに、手にとることはできず、また見てみると どこかえ消えてしまう。愛しいあなたは、まるで蜻蛉のようだ。 「巻の52 【蜻蛉】」 宇治の山荘は浮舟の失踪で騒然となる。 浮舟の秘密に関与していた右近だけは、浮舟の悲しみ苦しみ、煩悶が並み 並みでないことを知っていたから、宇治川に身投げしたに違いないと考えた。 小さい時から少しの隔てもなく親しみ合った主従ではないか、 隠し事は塵ほどもなかった間柄ではないか、 自殺の素振りも自分の前に見せられなかったのが口惜しい。 優しい柔らかい心の持ち主だった姫が自殺などと、まだ事実を事実として 信じることができずに、ただ悲しいばかりの右近であった。 誰あれもいない回転木馬秋になる 畑 照代 浮舟自殺の知らせを受けて、母である中将の君がかけつける。 あらかたのことを知る右近は、すべての成り行きを中将に話した。 女房たちは妙な噂が世間に広まるのを防ぐため、 その日のうちに亡骸のないまま、浮舟の葬儀を終えてしまう。 功罪を残し虚ろな通夜の雨 上田 仁 匂宮は、浮舟の最後の手紙に不振を抱き事情を聞くため従者・時方を送る。 時方は右近へ面会を求めたが、「急に亡くなったので、それどころではない」 と取次ぎの対応もおざなりである。 「そうではありましょうが、何の事情も知り得ずに帰れませんので、何とか」 と時方は必死に言うも、右近は心労で寝込んでいることもあり、取次ぎは、 「ただただ今は、皆、呆然としておりますとだけお伝えください。 少し気持ちも納れば、どんなに煩悶をしておられたか、宮様が来られた晩に どのような心境に姫があったのかなど話しができるかと思います。 しょくえ 触穢の期間の過ぎました時分に、もう一度お越しください」 結局、時方は使いの役目を果たせず、戻っていく。 ありふれた話でいいの もう少し 阪本こみち 薫は、そのとき母の病気の祈祷で、数日、寺に籠もっていた。 そのため知らせを受けたのは、葬儀も済んだあとだった。 薫も突然の出来事が信じられなかった。 まもなく薫は山荘を訪れ、相談もなく早々に葬儀を済ませたことに不満を 抱きつつ、侍従から聞く事情を察すれば、一人人生の深い悲しみを味わって いた浮舟の生きていた時には、それを認めようとはせずに、たびたび逢いに 行くこともせず、寂しい思いばかりをさせて来たのであろうと思う後悔が あとからあとから湧いてくるのだった。 手触りで時の過ぎゆくのがわかる 嶋沢喜八郎 思いもよらない悲惨な結末に、涙に暮れ、匂宮は病床に臥せってしまう。 多くの見舞いが訪れるが腹心以外、病気の本当の理由を知るものはいない。 匂宮は見舞いに来た薫と顔を見ると何となく引け目のようなものを感じた。 薫は色々な世間話のあと、匂宮の知らないこととして浮舟のことを話す。 宮も御承知のあの山里に若死にをした恋人と同じ血筋の人がいると聞き、 昔の人の形見に、ときどき顔を見て慰めにしようと思ったのですが、 世間から訳もなく悪く批評をされてもと思い、山里へ連れて行ったのです。 彼女を心の人として付き合いを考えていたところ、突然亡くなってしまいました。 人生の悲哀がまたしみじみと味わされ、寂しい思いをしております」 薫としては悲しい姿は見せるまいと我慢していたが、涙が自然とこぼれた。 薫の言葉に別な意味があることを悟り匂宮だが、素知らぬ風を貫いた。 「お目にかけたら興味をお覚えるだけの価値のある女性でしたから、 あなたの愛人にどうかと思っていたのですよ」 と精一杯の嫌みを残して薫はその場を辞した。 結婚は紙の上での事だった 井上一筒 匂宮は浮舟の思い出話などをさせるため、宇治にいた侍従を呼び寄せ、 このまま明石中宮の女房になるようにした。 侍従には、匂宮を以前、蔭で見ていた時よりやつれ哀れに見えた。 そして貴族の姫君たちだけのお仕えしている場所だと聞いていて、 そうした上の女房たちの顔を、このごろ皆見知るようになってから考えても、 浮舟の姫君ほどの美貌の人は、いないと思うのだった。 陽炎に揺れて美人に見えてくる 牧浦完次 時が流れ、明石中宮が亡き源氏や紫の上を弔う法華八講を催した。 その場で女一宮を垣間見た薫は、その美しさに魅せられ恋心を抱く。 そして、その妹である妻・女二宮に、彼女と同じ装束をさせてみたりする。 薫はそうした折々にも大君を想い、 「あの人さえ自分と結婚しておれば、こんな目には・・・」 と悔やんでも仕方のないことを、いつまでも考えていた。 昔と遊ぶ酒はやたらと塩辛い 安土理恵 一方、匂宮は女一宮に出仕している宮の君(故・式部卿の娘)に心を寄せていた。 匂宮が今まであれば、八講会に集まった女性の中の人と問題を起こしていた だろうが、すっかりと冷静になり、性質も変わったように思われた。 ところが近頃になってまた、恋しい故人に似た顔をしている宮の君に惹かれ、 式部卿の宮と八の宮は兄弟なのだからなどと、例の多情な心は、昔の人の 恋しいためという理由に、新たな好奇心もやまず、いつとなく宮の君を恋の 対象として考えるのであった。 また宇治にいた侍従は、若い2人の貴人を覗き見て、姫がどちらにせよ この人たちに愛され生きておられればと思い、この幸運を自分から捨てて しまったことを残念に思うと同時に浮舟の姫をしみじみ偲ぶのだった。 人の輪のやさしい方に乗り換える 菱木 誠 【辞典】 死の穢れ 浮舟失踪の知らせを受けた母・中将の君。このとき中将の君は、 浮舟の異母妹の出産が間近に迫り、なかなか家を離れられなかった。 それが飛んでもない結末に、動揺した中将の君だったが、女房の右近の 勧めもあり、世間体を考え亡き骸があるように見せかけた火葬を行った。 当時死は穢れであると考えられており、中将の君の夫・常陸守は穢れが そのまま自分の邸に持ち込まれ、出産した娘と生まれたばかりの孫に何 かあっては大変と危惧していた。そのため中将の君は葬儀が終わっても 暫くは自邸に戻れなかった。浮舟の隠れ家だった小さな家で過していた。 亡き骸に触れることが出来たわけでなく、生死さえ定かではない、事情を 表沙汰にもできず、悲しみに堪えていた。 そこに突然常陸守がやってきて「まったくこの忙しい時に」と文句を言う。 中将の君は、ここで初めて常陸守にこれまでの事情の説明をすると、夫の 常陸守は驚いた。驚いたことは、そんな高貴な人と付き合いがあったこと。 浮舟の婚約破棄に加担したこの父親が、手の平を返すように娘の死を嘆く。 あんなに死の穢れを嫌っていたのに。 三角に握ってすます了見ね 山本早苗 |
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茶助
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