帰還したのは竹薮に捨てた足 井上一筒
橋立の茶壺
「利休の死」
利休が持つ数々の茶道具の中で
「橋立の茶壺」は彼が最も愛した一品。
それを知った茶好きの
秀吉は、自分の立場を利用して利休に、
「それをよこせ」 と強引に望んできた。
しかし利休は秀吉がいくら望んでも、橋立の茶壺は手離さなかった。
これを渡さなかったことが、秀吉の勘気を買い利休切腹の一因に、
なったとも言われている。
千利休
始発から執着駅のフィクション 堀冨美子
千利休という名は、天正13年
(1585)10月の秀吉の
禁中茶会で、
おおぎまちてんのう
正親町天皇から賜った居士号であり、
それまでは
「千宗易」という法名を名乗った。
利休は、わび茶の完成者で、
「茶聖」と称された。
わび茶は無駄ともいえる装飾性を省き、禁欲的で緊張感のある茶。
その世界を追求するため利休は、草庵と呼ぶ
「二畳の茶室」を創り、
また
「楽茶碗」、「万代屋釜」、「竹の花入れ」などの
「利休道具」を考案し、露地の造営にもこだわり、
茶の湯を、
「一期一会の芸術」にまで高めたのである。
点す部屋消す部屋風の階のぼる 田中博造
一時期、利休は聚楽城内に屋敷を構え、聚楽第の築庭にも関わり、
禄も三千石を賜わるなど、茶人として名声と権威を誇った。
天正15年
(1587)の「北野大茶会」を主管し、
一時は、秀吉の重い信任を受けていた。
しかし、天正18年
(1590)、秀吉の弟・秀長が死去した辺りから、
秀吉と利休の関係がおかしくなってくる。
同年、秀吉が小田原で北条氏を攻略した際に、
利休の愛弟子・
山上宗二が秀吉への口の利き方が悪いとされ、
即日処刑された。
『小田原御陣の時、秀吉公にさへ、御耳にあたる事申て、
その罪に耳鼻をそがせ給ひし』 とある。
(久保利世が自叙伝・「茶説・茶話」)
そして、この事件から、秀吉と利休の間に、
「思想的対立」がはじまる。
からまった糸蒟蒻になじられる 野口 裕
黒楽茶碗 瀬戸黒茶碗
利休は、晩年の天正18年から天正19年にかけて、
「百会の茶会」を開いた。
徳川家康や毛利輝元らの大名衆、堺や博多の豪商、大徳寺の禅僧など、
多様な人々が出席した。
そして、この茶会には利休七種にもあげられる
「赤楽茶碗・木守」や、
利休愛用の
「橋立の茶壷」などの道具を用いた。
1月13日の茶会では、黄金の茶碗を所望した秀吉に、利休は、
「わび茶は無駄ともいえる装飾性を省き、
禁欲的で緊張感のある茶である」 と主張し
あえて
『黒茶碗』を出した。 これが、秀吉の勘気に触れた。
黄金の茶室と利休についても、
「利休の美意識と黄金の茶室の趣向は、相反するもの」
と利休は持論を述べた。
阿と吽の隙間泣いたり笑ったり 古田祐子
利休の手水
その10日後の22日、秀吉の弟・秀長が病没する。
秀長は諸大名に対し、
「内々のことは利休が」「公のことは秀長が承る」
と公言するほど、利休を重用していた人徳者である。
秀長は秀吉のそばにあって、唯一利休の理解者で後ろ盾であった
それから、1ヵ月後の2月23日、突然、秀吉から、
「京都を出て 堺で自宅謹慎せよ」
と利休に命令が届いた。
止められぬ時の流れがごうごうと 岡田幸男
大徳寺山門
千利休は、山門の閣を増築し二層とし、自らの像を安置する。
秀吉はこれに怒り、寺を破却しようとしたが、宗陳に止められる。
2月25日、利休の木像が聚楽大橋に晒され、
翌26日、上洛を命じられる。
前田利家や、利休七哲の古田織部、細川忠興ら、
大名である弟子たちは、
大政所や北政所が密使を遣わし、
命乞いをするから、秀吉に詫びるようすすめた。
しかし利休は、
「天下ニ名をあらハし候、我等ガ、命おしきとて、
御女中方ヲ頼候てハ、無念に候」 と断った。
よしや
それから3三日後の、2月28日、利休の京都葭屋町の屋敷に、
秀吉の使者が訪れ、
「切腹せよ」の伝言を持ってくる。
この使者は、利休の首を持って帰るのが任務だった。
ザンゲする命を止めておく画鋲 上田 仁
使者に最後の茶をたてた後、利休は静かに口を開いた。
「茶室にて茶の支度が出来ております」
そして、利休は一呼吸ついて切腹をした。
利休は、天下人の気紛れにも似た、理不尽な命を、
粛々と受け入れることで、信長や秀吉の上に立ったのである。
享年70歳。
「利休が死の前日に詠ったとされる辞世の句」
【人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺
堤る 我得具足の一太刀 今此時ぞ 天に抛 】
(じんせいしちじゅう りきいきとつ わがこのほうけん
そぶつともにころす ひっさぐる わがえぐそくの
ひとたち いまこのときぞ てんになげうつ)
血液はサラサラですが生き下手で 山本昌乃
利休の二畳の茶室 (国宝)
利休の死から7年後、秀吉も病床に就き他界する。
晩年の秀吉は、短気が起こした利休への仕打ちを後悔し、
利休と同じ作法で食事をとったり、
利休が好む
「枯れた茶室」を建てさせたという。
有り様もあらざるモノも現世 山口ろっぱ
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