忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[1212] [1211] [1210] [1209] [1208] [1207]
私は以下省略の中にいる  藤井康信








さて馬琴は武家出身で几帳面な性格の努力家であり、『南総里見八犬伝』
『椿説弓張月』など、「勧善懲悪」の理念に基づいた長編小説を数多く執筆
した大作家である。




蔦谷重三郎ー曲亭馬琴ー②












馬琴という人物は、洒落も滑稽もわからず、なにかあれば儒教や中国文学に
見立てて説教を垂れてくる。「明烏の時次郎」と同じ部類の人物だ。
堅物。しかし、蔦重は馬琴について匙を投げたわけでなはなかった。
馬琴には馬琴の良さあがある。それはこの「寛政の改革」である今だからこそ
光る長所と踏んだ。




これでいい不満はみんな捨ててきた  安土理恵



蔦重は黄表紙を堅物馬琴に書かせた。洒落や滑稽、見立てで読ませる黄表紙は、
馬琴の最も苦手とする分野だ。そこを敢えての黄表紙、実は、馬琴でなければ 
書けない黄表紙の需要が高まっていたのである。
寛政の改革で、社会風刺や廓を舞台にする色事、不適切な表現が描かれる描か
れる黄表紙や洒落本はご法度となった。
恋川春町を亡くし、京伝「筆を折る」とまで言わせ、且つ自分も身上半減の
咎めに遭い、さすがに蔦重も用心せざるを得ない。歌麿の美人画で浮世絵出版
が主になっていたのも、そうした事情があった。




美しく自粛 金魚が澄んでいる  山本早苗




とはいえ、本を出さずに書肆とはいえぬ。そこで目を付けたのが、教訓を分か
りやすく物語にして説く「草双紙」だった。
内容を孝行話や勧善懲悪、道徳などに変えた、絵本仕立ての黄表紙である。
これなら馬琴の得意とするところだ。馬琴が戯作者を目指したひとつに儒学や
国学、歴史、中国文学など自身の知識を役立てたいという思いがあった。
すでに心学の本については山東京伝『心学早染草』というヒット作を出して
いた。しかし、これまで滑稽や洒落を書いてきた京伝にとって、教訓本は、
京伝の良さを活かしきれない。馬琴ならそれができるのだ。




いのち絞り この世鳴き急ぐ  太田のりこ




ただし、商業出版なら消費者に受ける本でなければならない。
売れなければならない。売れなければ耕書堂の儲けは出ず、馬琴の名も上がら
ない。だからこその黄表紙であった。いくら好みではないとしても、滑稽や洒
落が分からないでは、、戯作者は務まらない。この先読本に転向するとしても
馬琴が書くのは大衆文学だ。であれば、大衆に寄り添うことを考えねばならぬ。
「人情を知る」「世情を読む」ことが重要だ。蔦重は、いくつも黄表紙を書か
せた。多くは勧善懲悪や水滸伝(明王朝の中国でかかれた長編型の自話小説)
を取材したもので、教訓ぽさが出ているものの、学びもエンタメ化させている。
町人たちに意外と受け入れられて。馬琴の野暮な理屈っぽさも、大衆の知的好
奇心をくすぐった。




帽子から飛び出す鳩も私も  いつ木もも花




ついに寛政8 (1796) 年、馬琴蔦重を版元として読本『高尾船字文』を出版
した。『水滸伝』『伽羅先代萩』(めいぼくせんだいはぎ)の世界に付会し
た中本型読本で、歌舞伎を題材に使うなど、あの馬琴が大衆に寄り添っている。
なにより、大衆エンタメの親方である歌舞伎と伝奇物語(上代や中国から伝わ
った話を題材に、空想的な出来事を認めた物語)の水滸伝を綯い混ぜる趣向は
斬新で、蔦重もこの企画ならとゴーサインを出した。



用済みと捨てた言葉が駄々こねる  森井克子



結果は、馬琴が本気を出して語る水滸伝は、江戸の庶民たちに早すぎたことも
あり、馬琴ものちに「世間に受け入れられたとは言いがたい」と、珍しく自省
している。しかし、この蔦重と馬琴が世に問うた新しいタイプの読本が、その
後の読本ブームの嚆矢となったことは間違いない。そして、かつて師であった
ライバルの関係になるという、熱い展開がはじまるのだ。




論を叫ぶ鉛筆振り立てて  宮井元伸

拍手[0回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開