幸せな足音だけを拾う耳 靍田寿子
『浪花風景十二月』(二代貞信)
大阪天満宮。ここは古典落語「初天神」の舞台となりました。
「初天神」の「天神」とは、菅原道真公のこと。その道真公が祀ら
れている天満宮の新年最初のご縁日(1月25日)だから「初天神」
というわけです。
「おいおっかあ、ちょいと羽織出せよ、羽織」
「羽織こさえると用もないのに出たがって、どこ行くんだい」
「天神様にね、初天神」
「ちょうどよかった。金坊も連れてっとくれ」
「だめだめ。表へ出た日にゃあれ買ってくれ。これ買ってくれっ
てうるせえんだ」
糠味噌に小便したり、家に置いとくとろくなことをしない。少し
は表に出さないと良い子にならないから、とかみさんが頼んでい
るところへ金坊ご帰還。あれこれなだらないと「約束」をする金
坊を連れて、天神さんまで出かけた親子。天神様に近づくと人も
出る店も出る。
耳打ちの数だけ揺れるヤジロベー 神野節子
「今日あたい、これ買ってあれ買っていわないでしょ。今日良い
子だよね。ご褒美に何か買っとくれよ。ねえおとっつあん」
蜜柑も林檎も酸っぱいから毒、柿は冷えるから毒。他愛ない理屈
で金坊を煙にまく父に、今度は飴を買えとせがむ金坊。
「飴屋はない」のひと言が命とりで、すぐ後ろに飴屋があった。
一つ買うのにいちいち触って吟味する父に、
「ちょいと親方、そう舐め散らかしちゃ商売にならねんだから」
とぼやく飴屋。涎垂らすな、歯を当てるな、黙って歩け、水たま
りがあるから気をつけろ、というそばからしでかす金坊の背中を
叩くと、飴を落したという。
「どこにも落ちてねえ」
「お腹のなか」
例えばと飴玉ひとつぷっと吐く 雨森茂樹
飴の次は団子。
「団子屋、なんでそんなとこに店出してるんだ!金坊、男が団子
で泣くな!」
団子の蜜は着物を汚すからてんで、舐めて舐めてしまうと金坊が
嫌がってまた泣く。あろうことか舐めた団子を蜜壺にジャボン。
金坊もまた舐めて、
「おいちゃん、その壺何入ってんの。蜜?ドボン」
親子でやっている。
好奇心なんじゃもんじゃの種を蒔く 北川ヤギエ
「買って」
「さんざっぱら買ってやったじゃねえか。凧だと。てめえなんぞ
二度と連れて来ねえぞ。凧屋一番でっけえのは看板だな」
「全部売り物で、なんならもっと大きいのも」
またまた金坊の粘り勝ち。帰りに一杯やるつもりの銭をはたいて
糸までつけて凧を買った。天神様へ行こうと言っても素直に従う
タマじゃない。
「よしおとっつあんが揚げてやるからな。凧持ってずっと向こう
へ、ずっと。風が吹いてきたら、ひのふのみで放すからな、もっ
とこっちだ」
とやっていると、金坊が酔っ払いにぶつかってしまう。
失敗を消す消しゴムが見当たらぬ 三村一子
「この野郎、凧破くぞ」
「あいすみません、それうちの倅なんです。ご勘弁ください」
丸くおさめたつもりが、ほどなく
「あ、痛えな。親子して俺をぶんなぐる」
「どうもすいません。それうちの親父なんです」
すっかり夢中になって、金坊に糸を渡さない父に
「おとっつあん、うまいのは分かったからさ、あたいにもやらし
てくれよ」
「こういうものは子供の持つもんじゃねえんだ」
「あたいの凧じゃねえか。こんなことなら、親父なんか連れてく
るんじゃなかった」
親子それぞれに言い分ある隙間 片山かずお
今昔館 湯屋と薬屋
「江戸時代の浪速の風景」-暮らしの今昔館
この天満天神さんから北へ、日本一長い(南北2.6㌔㍍)商店
街を歩くと暮らしの今昔館があります。エレベーターで9階に下
りれば、当時の着物を着たお姉さんが迎えてくれる。そこから江
戸時代の浪速になる。中へ入ると伝統的工法で精巧に実物大で復
元された商家、路地の奥の長屋があり、それぞれ家具・調度品等
の本物感の演出効果にタイムスリップ感が味わえる。ほか面白い
のが、屋根に猫、路地に犬・鶏、見上げると雀など、さりげなく
置かれている。家内に入れば、展示品も自由に手に取って触って
もよい。また自然をも演出している。音と光で朝・昼・晩の時
間変化をみせ、雷が鳴ったり、夕立があったり、月が出たり、行
燈だけの時間帯があり、まさに江戸時代にいる錯覚も味わえます。
至れり尽くせりの趣向で、本当に今も誰かが住んでいそうな町並
みがそこにあります。
電飾よりも行灯がいい江戸の夢 通利一辺
唐物屋疋田屋 (拡大してご覧ください)
おきんさん
「唐物屋」
三人娘でお馴染みのおきんです。町ではちょっとした物知りとし
て有名です。疋田屋さんは皆さんの時代にも高級輸入品を扱うお
店で、天保の世では書物にも紹介されたほどのお店です。何がす
ごいって、最近になってエレキテルが店先に登場したのです。あ
の平賀源内先生の発明された摩擦起電機です。この時代では、病
気の治療に使われていました。
※ エレキテル ー中央の円内に今まさに治療中の人が。
源内は「人の体から火を出して病を治す器」として治療を行なっ
たり、大名の前でデモンストレーションをしたり、宣伝しました。
※ 払子(ほっす)ー左上の円内、軒先に吊らしたもの。
禅寺などで煩悩を払う標識として使う。もともとはインドで蚊や
蠅を払う道具として使われていた。
※ 漁板ー右下、魚の形をし内部を空洞にした木製の仏具。
禅寺などで使われ、時期に合わせて叩いていた。
小なまいきな電池に喝を入れられる 百々寿子
当時の化粧道具(拡大してご覧ください)
修之介
「小間物屋」
丸屋で手代をしている修之介といいます。女性の身だしなみは今
も昔も変わらないものですね。この店では、店先に商品を飾り、
販売をするかたわら、私や丁稚がお得意様の家まで出向いて品物
を選んでいただくこともあります。あちらのお嬢さんには、何が
似合うか、こちらのご僚さんにはあれが似合うと考えるのも手代
としての私の勤めです。
幾重にも化粧重ねて過去を消す 上田 仁
庄吉とウルエス効能書き
石臼 薬研
「合薬屋」
肥後屋で丁稚奉公をしている庄吉と申します。旦那さんや手代さ
んに教えていただいたことによると、合薬とは人それぞれの体質
に合わせて調合する薬のことです。お客さんの体の具合をよく知
らなければできない商いだと教えていただきました。また「ウル
エス」という薬は大坂や江戸でたいそう有名なもので、何でもオ
ランダから伝わった薬をもとに考えられたそうです。ウルエスと
は漢字の「空」とも教えていただきました、が何のことやら…。
※ ウルエス
漢字の空をバラバラにしてカタカナ読みにすると、つまり「空」
になる。主な成分は大黄。ウルエスは板チョコのような形をして
おり、それぞれの塊に金粉がのっている。体に残った悪いものを
外へ出して空っぽにする。いわゆる「下剤」ぼことでした。
とんちんかんの返事と野あざみの色 森田律子
台所 (拡大してご覧ください)
おしげさん
「台所」
長屋に住んでいるおしげです。薬屋さんの台所は広いし井戸があ
るし使い勝手がいい。私も一度でいいからあんな台所で思いっき
り腕を振るってみたいものです。水屋、へっつい、走り、水甕と
一列に配置され、台所をあずかるものにとっては動きやすいつく
りになっています。長屋のように外で洗濯、洗い物をするのとは
大違い。
※ へっつい (絵の右上)
薬屋のへっついは、四口もあります。大勢の客を迎える時は、大
釜煮炊きをし、普段は三升や七升の釜を使い、茶釜はいつでもお
茶を出せるように沸かしていました。
※ 走り (絵の右下)
長屋の走りはシンクだけですが、薬屋さんの走りは左に水を貯め
ておく水槽がついています。井戸から汲んだ水で洗い物をするに
はたいそう便利です。
米を研ぐことの嬉しさ病み上がり 新川弘子
風呂屋 (拡大してご覧ください)
ゆへ行く伝蔵さん家族
「風呂屋」
裏長屋に住んでいる伝蔵です。私が毎日のように通う天神湯を紹
介します。天保の初めの頃の大坂の風呂屋は、まだ入込湯でした。
営業は朝から始まり夜まで入れますが、夕方には火を落してしま
います。火事に対する気配りのためです。江戸と違い大坂では洗
い場が石敷き(絵の左半分部の床)になています。浴槽に入る前
に身体を洗い、湯につかり、上がり湯をいただいて、さっぱりす
るのです。
※ 脱衣場(絵の右奥)
盗難防止のために江戸時代すでに、ロッカーがありました。
※ 高座 (絵の中央)
江戸では番台という。湯銭を払い糠(石鹸)を買ったりする。
※ 引き札 (絵の左奥) 左下の四角いものは水おけ。
大勢の人が集まる場所には引き札(広告)が貼られていた。
※ ざくろ口 (絵の左でその横が湯ぶね)
湯気を逃がさないよう入口は低く、屈んで入った。
見えそうで見えない番台からの的 くんじろう
[3回]