忍者ブログ
川柳的逍遥 人の世の一家言
[261] [260] [259] [258] [257] [256] [255] [254] [253] [252] [251]
嘘に嘘まぶしてかぎりなく濁る  たむらあきこ

0c63c485.jpeg

  保元物語絵図ー2

「為義VS信西」

義朝もまた、信西から父・為義と弟の頼賢、頼仲、為宗、

為成、為仲の斬首を命じられた。

「・・・おそれながら。わが父と弟たちがそこまでの罪を

 犯したとは思えませぬ」


おずおずと申し出た義朝に、信西はすげなく告げた。

「戦場であいまみえても、父と命のやりとりをする、

  "武士に二言はない"と申したはそなたぞ。

 そしてその代わりに、昇殿を許されたを忘れたか」


「巧みに踊らされたー」   

そんな思いが、義朝の胸中を駆けめぐった。

蹴った樹のしずくに濡れる自己嫌悪  有田一央

「戦はまだ終わっておらぬ」

そう言い置いて、信西が立ち上がった。

義朝に背中を向けて歩き出したとき、

信西のあとに従おうとした師光が、不穏な気配を察した。

義朝が今にも、信西に飛びかかろうとしている。

師光はとっさに信西をかばい、

控えていた武士達が、義朝を押さえつけた。

マンツーマンで斬り死にすればよし  井上一筒

「お許し下さりませーっ!恩賞もなにもかも返上致す!

 返上致すゆえ、命ばかりはなにとぞ!なにとぞ・・・」


義朝は押さえつけられたままもがき、

抗議の声を張り上げた。

「成功を上げれば破格の恩賞を与えると言うたは、

  そなたではござらぬか!

 それが親兄弟を斬れとは、あまりに無慈悲な仰せ。

 なにゆえにござりまするか。

  なにゆえにござりまするかーっ!」


遠吠えが聞こえましたかお月さま  立蔵信子

9e91d729.jpeg


信西が振り返り、義朝の前に数歩近寄った。

「清盛は叔父とその子らを斬る。

  むろん、そなたと同じく、身内を斬りとうないと抗っておった・・・・

 だが斬るであろう」


打ちのめされてからが始まりである  森田律子

信西は自分が下した裁断など、忘れたかのように、  

算木を並べてなにか計算している。

夕方、師光が報告を持って現れた。

「忠正、党五つ、為義、党六つ、合わせて十一の首、

 確かに斬られました由にござります」


「さようか。大路にてさらすがよい」

信西は計算を続けたまま応えた。

「ふふふ・・・、ははは、ふははははは!」

師光が笑い出し、信西が不快そうに振り返った。

潮目が変わりここからは喜劇です  筒井祥文

「まったく、わが殿ながらお見事にござりまするな!

 忠正にせよ為義にせよ、

 死罪にまでせねばならぬほどの咎があるとは、

 あなた様とて、思うてはおらぬはず。


 もとよりあなた様にとって、忠正一党はどうあってもよい。

 だが為義一党に生きておられては困る。

 ここで藤原摂関家の力をすっかり、

  削いでおくためにござります。


  平氏が身内を斬るとなれば

 源氏もまたそうせざる得ぬ。

 播磨守の気性、下野守の気性、見事に見抜いてのご采配。


 思えば戦のさ中より、いやその前より、

  あなた様はこうなるように仕組んでおられた」


行ったり来たりひとり芝居で悪を練る  柴本ばっは

信西は否定せず、かすかな笑みを浮かべた。

師光も応えて、したたかそうに笑った。

「殿の苛烈ぶり、亡き悪左府様の比ではござりませぬ。

 師光はどこまでもついて参りまする」


モノクロの下着をつけている思想  中野六助

2225398b.jpeg

頼朝産湯の井戸

あれから義朝は、どこかに魂を置き忘れた、

抜け殻のようになって日々を過している。

そんなところへ、鬼武者が元服したいと申し出てくる。

数日後、鬼武者は髪を結い、加冠されて、


凛々しい若武者姿となった。

「本日より頼朝と名乗るがよい」

頼朝誕生、鬼武者は強い男子に成長していた。

生き残り賭けて鬼とも手をつなぐ  菱木 誠

c4419912.jpeg    tadamasa.jpg


「保元物語よりー為義誅殺の事」

「為義法師の首を刎ねなければならない」

と、義朝(左馬頭)に命令が下った。

義朝は、「ご赦免されるよう」にと、

さまざまに二度まで、奏聞したが、

「清盛はすでに叔父を誅している、

  どうして、のろのろとさせているのか。

  甥はやはり子どものようなものである。

  叔父はどうして父と違うだろうか。

  早急に誅戮せよ。


  もしそれでも違背するのであれば、

  清盛以下の武士にご命令する」


と主上の逆鱗に触れた。

空き部屋でぐずぐずこねる哲学書  北原照子

勅命は重いので、力及ばず涙をおさえて、

義朝は、

「陛下のお言葉はこのようなのだ。

  これに従って、判官殿(為義)を討ち申しあげたらば、

  親殺しという五逆罪の第一を犯すことになるだろう。

  しかし、その罪を怖れて宣旨に背けば、

  すぐに違勅の者となってしまう。


  どうしたらよいものか」

鎌田正清に心中を述べた。

切れかけの尻尾をずっと握っている  青砥たかこ

それに対し、正清はかしこまって、

「申すには憚られますが、愚かなことをおっしゃいますなあ。

  私戦で討ち申し上げなされば、

  そのような咎もございましょう。

  そのうえ観音経には、世界の初めよりこのかた、


  "父を殺す悪王は、1万8千人であるといっても、

  まだ母を殺す者はいない" と説かれています。

  こうした諸々の悪王は、

 位を奪おうとしてのことでございます。


三日月に腰かけている物語  杉本克子

  こちらの例では、父上は朝敵となられたのですから、

  結局は誅殺は免れない運命でございます。

  たとえ、殿がお引き受けされなくとも、

 月日をこれ以上延ばすことのできるお命では、

  ございませんので、味方なさって、

 人手にかかるよりは、せめて殿のお自らの手で、

  後のご孝養をよくよくなさいませ。

  どうして悩まれることがありましょうか」


と正清が述べると、

 「それならば、お前が準備をせよ」

と言い、左馬守は泣く泣く内に引き下がられた。

影までが情けないねと前かがみ  泉水冴子

まもなく正清は、入道為義のもとへ参上し、

「現在都は平氏の仲間が権威をとって、

  左馬頭殿主人は、

  石の中にいる蜘蛛とかいうようでございますので、

  東国へ下られます。


  判官殿は先にお立ち下さいますよう、

  お迎えにあがりました」


と車を寄せた。そこで為義は、

「それならばもう一度八幡に参って、

  お暇を申しておけばよかった」


と言い、為義は南の方を拝んで、車に乗り込んだ。

七条朱雀に白木の輿をかきすえてある。

ここで車から輿にお乗り移りになられるところを、

討ち申し上げようというはらである。

ガラスを走るかすかな月のひび割れ  前田咲二

その時、秦野延景が、正清に向かって、

「あなたのご計画は誤りでしょう。

 人間は人生の最期が一番大事です。

 それをだましだまし殺し申そうというのは、

 情けないことでございます。


 ただあるがままにお知らせして、

 最期のご念仏もすすめ申し上げ、

 また言い残されることも、どうしてないでしょうか」


と言う。

土砂降りの中で素数になっている  和田洋子

それを受けて正清は、

「それももっともなことだ。 

  余計なことを患らわすまいと思って、

 このように計画したのだが、本当に私の誤りだ」


と考えを変えたので、

延景が入道のもとに行き、

「本当は関東ご下向では、ございません。

 左馬頭殿が宣旨を承って、正清を太刀取りとして、

 入道殿をお討ち申し上げようと、いうことなのでございます。

 殿は再三お嘆き申しなさったのですが、


 勅命が重くございまして、力及ばずご命令なさいました。

心しずかに、ご念仏なさいませ」


ひけ目でもあるのか雨がそっと降る  嶋澤喜八郎

それを聞いた為義は、

「悔しい事だ。為義くらいの者を、騙さずに討てばよいのに。

  たとえ陛下のお言葉が重くて、助けることが叶わなくとも、

  どうしてありのままに知らせないのか。

  また、心底助けようというのであれば、


  自分の身に替えても、どうしてご赦免を申し受けないのか。

  私だったら、義朝が私を頼って来たならば、

  自分の命にかえても助けたろう」


終焉のローソクほのか身を正す  磯部義雄

続けて、

「諸々ノミ仏ハ、衆生ノコトヲ思ウガ、

 衆生ハ、ミ仏ノコトヲ思ワズ、

 父母ハ、絶エズ子ノコトヲ思ウガ、


 子ハ、父母ノコトヲ思ワナイ、

 と説かれているからには、

 親の思うようには、子は親のことを思わないのが,


慣いであるので、

 義朝一人の咎ではない。

 ただ恨めしいのは、

 このことをどうして、始めから知らせないのか」


つまらない池だ底まで見せている  都司 豊

d27d0788.jpeg


そして、念仏を百遍ほども唱えながら、

為義は、命を惜しむ様子もなく、

「時間が経つと為義の首を斬るのを見ようと、

  下々の者たちが立てこむだろう。早く斬ってしまえ」


と言うので、正清は、太刀を抜いて後ろに廻った。

しかし代々の主人の首を斬らねばならない畏れと無念に、

涙にくれながら、太刀を当てるところも失念し、

一度斬ろうとして持った太刀を、人に託すのであった。

落丁の月光ガラス窓に卍  蟹口和枝

その時、為義は、

「願諸同法者、臨終正念仏、見弥陀来迎、往生安楽国」

と唱えて大声で念仏を数度繰り返し、ついに斬られた。

首実験の後に、義朝にその首は下され、

孝養するようにとの、主上の言があったので、

正清がこれをいただき、

円覚寺に収め、墓をたてて檀を作り、卒塔婆などを作られて、

さまざまの孝養を尽くされた。

折り合いを「南無阿弥陀仏」阿弥陀籤  岩根彰子

さらに為義のほうぼうに残した子ども42人や

頼憲の郎等4、5人、

能景配下の多くの武士たち。源平の70人以上が、

この19日に、自害があったり、首を斬られた。

まことに驚き入るばかりのことである。

線を外れる自分で書いた線  植野美津江

拍手[4回]

PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カウンター



1日1回、応援のクリックをお願いします♪





プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開