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川柳的逍遥 人の世の一家言
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いい日旅立ち知らない街が呼んでいる  片岡加代




 (画像をクリックすると拡大されます)
東海道53次細見図会 日本橋

 

品川周辺には縄文時代から集落があったとされるが、中世を迎えると、
東京湾へと注ぐ目黒川の河口に位置する地の利を生かし、武蔵野平野
全体への物資の集散拠点として繁栄をみせる。
そして、その隆盛を確実なものとするきっかけとなったのが、幕府が
慶長6年(1601)に制定した、東海道の宿駅伝馬制度である。
以来、品川はその第一番目の宿場となり、西国へ通じる陸海両路の
玄関口として活況を呈した。

 

「詠史川柳」 江戸の景色-6-①  江戸の小咄と旅事情

 

いまも昔も、旅は庶民のおおきな楽しみの一つ。
街道や宿場が整備された江戸時代、庶民は何かと窮屈な中でも旅費を
やりくりし、名目を立てて近場へ遠方へと足を延ばした。
旅の起点はお江戸日本橋だった。
当時は京都に朝廷があったから、京都の方へ行くことを「上る」といい、
京都から諸方へ行くことを「下る」といった。
江戸っ子はおのぼりさんになって、仲間内や親方などに見送られながら、
夜中に日本橋から品川の「宿場」へ向かう。


 

すこやかに生きて情けのど真ん中  上田 仁




 
東海道53次細見図会 品川

 


【宿場】 宿場は、将軍の御用で荷物や人を運ぶ馬や人員を確保する
目的で設置されたものであった。
そのため将軍や幕府の用の場合は無料であったが、大名や町人も有料で
使用することが出来た。
その後寛永12年(1635)大名たちの参勤交代が制度化されると
街道はますます整備が進み、設備などが充実する。
街道には一定の距離ごとに宿場が設けられ、一里ごとに道しるべとなる
「一里塚」が設けられ、さらに街道の脇には木が植えられるなど、
安全な旅が出来るようになっていった。


 

時々は心に風を通さねば  靍田寿子

 

品川が見送り人との別れの所で、ここらで夜が明けて、提灯の灯を消す。
小咄ー①
ある男が京へ旅に出ることになり、親方や仲間が品川まで送ってきた。
送ってきた人からはここらで餞別ををくれることになっている。
「いい親方だ、きっと別れにははずんでくれるよ」と仲間が言う。
男は期待していたが、さて別れ際となると親方は、
「じゃあ道中無事で行ってこいよ」と言ったきりだった。
男、あとでひとり言。
「だれが無事で行くものか」


 

二番出口もともとなかったことにする  河村啓子

 

品川をあとに京都まで、急いで13、4日、ゆっくり行くと20日から
1ヵ月はかかろうというのが、当時の東海道の旅だった。
新幹線で2時間ほどで行ってしまうの現在とは違い、大方は徒歩で行く
のだから、それくらいかかるのは当たり前なのだが、途中、最大の難所
は箱根山だった。
ここには江戸へ出入りする者を取り締まる関所があった。

 

Y字路に来るたびサイコロを投げる  岸田万彩




 
東海道53次細見図会 小田原

 

【関所】 宿場が整備されると同時に「関所」が設けられた。
江戸時代は軍事態勢下であったため、西国の大名などから、江戸を攻め
られぬよう取り締まりをするためである。
しかし箱根の関所は、従来、言われていたような、厳しい取り締まりが
行われていたわけではなかった。通行手形も必須ではなかった。
箱根の関所の管理は小田原藩に任されており、あまりにも関所で問題が
多い場合には、小田原藩の責任となる。
こうしたことを回避するためにも、重箱の隅をつつくような取調べは、
しなかったのである。

 


神様もリセットしたい過去がある  前中一晃

 


江戸っ子は箱根まで行けば、当時は話の種になった。
行かないで知ったかぶりをする者もあった。
小咄ー②
ある男が宿屋へ行くと、亭主が挨拶をして序に箱根の話をした。
「このあたりには見られないが、山椒魚は、さて風味のよいもので
 ございます」

と言われて、男、ものしり顔で
「あのぴりぴりとした辛味が、すごくいい」
山椒魚というから、植物の山椒の実のようにぴりぴり辛いものと思って
知ったかぶりを発揮したのである。


 

二枚目の舌がこむら返る夜  笠嶋恵美子




 
東海道53次 箱根湖水図


 

箱根を越すと富士山が見える。
江戸時代は空気が澄んでいたから、秋から冬の終わりまで晴れた日なら
市中から富士山がよく見えた。もちろん明治大正にも見えた。
見えなくなったのは昭和の終わりころから、経済成長などのあおりで
スモッグのカーテンが富士山を隠してしまったからである。
小咄ー③
床の間の掛物を見て、男が
「ははァ、これは立派、立派、わたしはこの間富士へ参りましたが、
 いやこの通りでござる」
「するとあの山の上からは、わしの家までも見えましたでしょう」
「とんでもない、どうしてあの山の上から、ここが見えるものですか」
「はてな見えるはずだが、わしの家の物干しからは富士がよく見える」


 

画布全て私色に染めてゆく  中川 尚

 

【川越え】 東海道には川があるが橋がない。
旅を続けるためには川を渡らなければならない、どうして川を渡ったか。
川越し人足というのがいて、肩車や背負ったりして渡してくれたり、
蓮台渡しといって、台の上に乗せて渡してくれる。
そういう川で一番有名なのは、駿河と遠江を流れる大井川だった。
水かさが増すと、川止めといって、水が歩いて渡れるほどに引くまで、
何日も足止めをくらうことがある。
旅人は大きな川になればなるほど、川越えには苦労したが、一方、
小さい川には川越え人足などいないから、みんな川の中へ入って歩いて
渡る。ところどころに深いところもあり、溺れる人もあった。


 

心電図ルート66が終わらない  岩田多佳子


 


東海道53次 岡崎・矢矧の橋

東海道の岡崎宿を通る参勤交代の大名行列


 

小咄ー④
4,5人の巡礼が川にであった。見ると橋はなし船もない。
川の瀬も知らずさて困ったと向こうを見ると、首だけ出して渡っている
人がある。心細く思ったが、「南無観世音薩」と祈り、手に手を組んで、
川へ入って行ったが水は脛までもない、これは有り難い、きっと観音の
ご利生だろうと、喜んで川を渡りきり、先ほどの人を見ると、
岸へあがってきて「抜け参りに一文くださいまし」と言った。
見ればいざりであった。
(抜け参りー親や主人に内緒で家を抜け出し、手形もなしで伊勢参りに
 行くこと)


 

有情無常賽の河原のかざぐるま  加納美津子


 


当時の東海道は、いまの東海道線とは違い、桑名から四日市へ抜けて、
伊勢の山中を草津へ出て、琵琶湖畔から京都へ入る。
桑名の名物は蛤。その蛤で失敗する話がある。
小咄ー⑤
「これ八兵衛」
「はい」
「この蛤をこの鍋のままかけて、蓋を取らずによく煮ろ、蓋をとるもの
 ではないぞ」
「はいはい」
というわけで火を焚いていると、蓋がむくむくする。
これは飛んだことになってきたと思い蓋を取ってみて、
「もし旦那さま、とんだ不調法をいたしました」
「どうした」
「つい蓋を取りましたなれば、みんな裂けました」
なかで蛤が開いたのを、八兵衛は自分が蓋をとったから、裂けたとのだと
思ったのである。

              さて次は京都・大坂へ足を延ばしましょ。

 

終電の終着駅で待つ始発  近藤北舟




  西 行

「心なき身にもあわれは知られけり 鴫たつ沢の秋の夕暮れ」


 

詠史川柳 


 

≪西行法師≫

 

柿本人麻呂、芭蕉とともに、日本三大詩人と称されている西行法師は、
平安末期から鎌倉初期の人。
戦乱の世に無常を感じ、出家して山奥に隠遁することが流行りました。


 

北向きの武士やめて西へ行き
折りふしは佐藤兵衛の時の夢



北向きの武士が西へ向かう…川柳子のやったーの声が聞こえる一句。
西行も北面のエリート武士でしたが佐藤兵衛義清と名乗り旅にでます。
持ち前の社交性から各界各層の人と親しくつきあい、
またヘビースモーカーの上、大の旅行好きで


 

西行と狩人一つ店に住み
すり鉢をを伏せて西行煙草にし


親しい人と住む店は借家。すり鉢は富士山の事。
西行は愛煙家のように詠まれているが、当時の日本に煙草はなく、
「風に靡く富士の煙の空に消えて 行くへも知らぬ我が思いかな」
の句の煙に絡めたもの。


 

一割ほど乗せさせてもろてます  雨森茂樹


 

鴫が立たぬとへんてつもないところ
命なりけり快気して二十なり


 

一句目は名所「鴫立沢」。
「心なき身にもあわれは知られけり 鴫たつ沢の秋の夕暮れ」を題材に。
二句目は「年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり佐夜の中山」
の文句取り。佐夜の中山は名所「東海道・日坂」。
西行の旅好きが見える作品は多々ある。




西行冨士見図


 

富士山がなければはっち坊主なり
きさらぎのその望月に西へ行き


 

鉢坊主は、托鉢をして回る乞食坊主。
ボロボロの装束で冨士を見ている西行だが、
「冨士見西行」で富士山が描いてあるから西行とわかるというのだ。
そして旅の最後に訪れた場所は西方弥陀の浄土であった。
「願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」から。

 


地球外生命体に添い寝する  酒井かがり

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