川柳的逍遥 人の世の一家言
フィボナッチ数列に正される目鼻 山本早苗
長恨歌絵巻 (狩野山雪筆)
白楽天の漢詩「長恨歌」をもとに描かれた日本の絵巻物。
玄宗は、道士に命じて楊貴妃の魂を求めさせた。
道士は、海上の仙山で楊貴妃に会い、しるしの「箱と簪」を持ちかえる。
源氏物語では、靫負(ゆげ)の命婦がその役目を果たしている。
命婦は、更衣の里を訪ねて、更衣が残して逝った「装束」を帝のところに
持ち帰るのである。
しかしそれは簪ではなかったし、更衣の魂のあり所もわからないままである。
帝の心は晴れない。
『尋ねても行く幻もがな、つてにても魂(たま)のありかをそこと知るべし』
(更衣の魂のありかを、人づてでもいいから聞くことが出来たら)
とため息を漏らすばかりである。
お別れの際は細く息を吐く 酒井かがり
輦 車 更衣は病をこじらせ、若宮を残して里へ帰ることに…。 歩くこともままならない更衣のために手配された輦車(れんしゃ)
式部ー光源氏入門 ④ー桐壺の巻
①
その年の夏、御息所、はかなき心地にわずらひて、まかでなんとしたもふを、
暇(いとま)さらにゆるさせたまはず。
年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目慣れて「なほしばしこころみよ」
とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ、五六日のほどにいと弱う なれば、母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ。 かかれをりにも、あるまじき恥もこそと、心づかひして、皇子をばとどめたて まつりて、忍びてぞ出でたまふ。 その年=若宮が3歳で袴着の儀式を行った年。
御息所=帝との間に子どもをもうけた女御・更衣の敬称(桐壺更衣)。
まかでなんとしたもふ=病気療養に里へ帰りこと。
常のあつしさに=いつも病気がちでいたために
なほしばしこころみよ=このまま宮中で療養せよ。
帰ろかな何処から見てもお月さん 津田照子
②
『限りあれば、さのみもえ、とどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつか
なさを言ふ方なく思ほさる。いとにほいやかにうつくしげなる人の、いたう 面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、 あるかなきかに消え入りつつものしたまふを、御覧ずるに、来し方行く末思 しめされず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御答へも聞こえ たまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色に て臥したれば、いかさまにと思しめしまどはる。 輦車 (れんしゃ)の宣旨などのたまわせても、また入らせたまひて、さらにえ ゆるさせたまはず。 ※ コトバの解釈
限り=しきたり、掟のこと。神聖な宮中を死の穢れで汚すことは、
許されなかった。宮中で死ねるのは帝だけである。
御覧じ=帝が 退出する更衣の見送りをすること。
消え入り=絶え入りそうな様子。
来し方行く末思しめされず=過去を振り返る分別も、未来を見据える分別も
なくなって。
われかの気色にて=自分のことが分からないような有様。
輦車 (れんしゃ)=手で引く屋形車。もはや更衣は歩けない状態だった。
ありがとうさえも素直に言えなくて 下谷憲子
③
「限りあらむ道にも後れ先立たじと契らせたまひけるを。
さりともうち棄ててはえ行きやらじ」 とのたまはするを、女も、いといみじと見たてまつりて、 「かぎりとて別るる道の悲しきに いかまほしきはいのちなりけり
いとかく思ひたまへましかば」と、息も絶えつつ、聞こへまほしげなること はありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもなら むを御覧じはてむと思しめすに、 「今日はじむべき祈祷ども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と、 聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。 ※ コトバの解釈
限りあらむ道=前世から決まっている寿命。
帝と更衣はそれすらも一緒にしよう、と誓い合っていた。
いかまほしき=「いか」は「行く と 生く」を掛けている。
祈祷=病気を治すための加持祈祷。当時は医術よりは祈祷だった。
思ひたまへましかば=「…ましかば…まし」→「…だったら…だったのに」にの
意味になります。もう更衣には「…まし」という力は、残っていませんでしたが、 自身の死の近いことを嘆き、 「こんなことになるのだったら、帝の寵愛をいただかないほうがよかったのに…」 と伝えたかったのでしょう。 触ったら冬ごもりする御所人形 赤松蛍子
④
御胸のみつとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。
御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを
「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」
とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて、帰り参りぬ。 聞こしめす御心まどひ、何ごとも思しましわかれず、籠りおはします。
皇子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ 例なきことなれば、まかでたまひなむとす。 何ごとかあらむとも思したらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙の
隙なく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことに だにかかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。 ※ コトバの解釈 つと=ずっと。
いぶせき=心がうつうつとして、晴れない様子。
例なき=桐壺帝の時代は母親の喪に服すため宮中から下がるのが慣例。
「例」とはそれに従わない前例のこと。
を=間投助詞。語調を強めたり感動の意味を表す。
夕刊と一緒に届く喪の葉書 中野六助
ここにはじまった桐壺帝と更衣の恋に物語
いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに いとやむごとなき際にはあらぬが すぐれて時めきたまふ ありけり それでは今様に訳してよみすすめてまいりましょう。 輦 車
輦車は音読みで「れんしゃ」と呼ぶ。輦車はその名の通り人の手で引く車。 屋根は唐破風の入母屋で、四方に御簾を垂らした輿に車輪をつけたもの。
なお、輦車に乗れるのは、皇太子や大臣など身分の高いものに限られ、
帝の許しを得た者だけ。 だが、いくら病とはいえ、
桐壺更衣の身分で輦車を使えるとは大変な特別待遇です。
しかし桐壺更衣の病状が相当悪化していることを知った帝にすれば、
これでも足りない気持ちだったでしょう。
①
その年の夏、更衣は病をこじらせ、静養のため里下がりを申し出ます。
が、帝は首を縦に振りません。
「いつもの病だろう。宮中で養生しなさい」
ところが、日に日に悪くなる一方なので、更衣の母が懇願し、やっと里帰り
することに。
こんな折も、「自分と一緒にいることで悪いことが起きてはいけない」と、
かわいい若宮を気遣い、更衣は、ひっそりと、ひとりででていくのです。
砂時計どこへも行けぬ時刻む 山口美千代
②
宮中のしきたりで病気の更衣をいつまでも引き留めることもできず、見送りも
ままならない帝。お別れの挨拶でよくよく見れば、あの花のように可憐だった
最愛の女は、すっかり頬もこけ落ち、しゃべるどころか、意識すら薄れがちな
様子。あまりのことに、帝の心は千々に乱れ、涙ながらにあらん限りのことを
伝え必死に力づけます。けれど更衣の眼差しはうつろで、もはや返事もできぬ
有様。途方にくれた帝は、歩けない更衣を門まで送るよう特別に輦車を手配さ
せますが、やはりまた更衣を部屋に戻します。 どうしてもどうしても、離れられないのです。
純粋なこころのままで女郎花 渡邊真由美
③
「死ぬときも一緒だと誓ったではないか。私ひとりを置いていくのか」
帝のそのお気持ちに応えたくても、更衣は、
「これを限りにお別れしてしまう悲しさ。行きたいのは生きる道のほうです。 ------こんなことになると分っていましたら」 と、息も絶え絶えに、歌を詠むのがやっと。 心乱れた帝は、この際、宮中の掟などかまうものか、このままずっと自分が
守り通すのだ、と思い詰めます。しかし更衣の母君に
「一刻も早く祈祷をはじめたくて、偉い僧にお願いしました。
早速、今夜からの手筈になっております」と、せかされます。 断腸の思いで、帝はついに更衣のか細い手を離したのです。
護摩を焚く奥歯のネギがとれるまで きゅういち
④
その夜、帝は不安がつのるあまり、まどろむこともできません。
更衣にお見舞いの使者を遣わしてからも、どうにも落着きません。 そしてついに「夜中にお亡くなりになりました」との最悪の報せが届きます。
ショックのあまりしばし呆然とする帝。
まるで魂が抜けたようになり、ふらふらと部屋に入るとそのまま引き籠って しまいました。 忘れ形見の若宮を是非ともお側に置きたい、と帝は切望したのですが、 母君の喪中に宮中に留まることは許されません。
その若宮は、人々が悲しみに泣き崩れ、父の帝もとめどなく涙しているのを
ただ不思議そうに眺めるばかり、
母の死すらわからない、その幼さがまた周囲の涙を誘うのです。
さよならの仕上げに青海苔をぱらり 中野六助
清涼殿の長い廊下 桐壺物語ー最終話
季節はずれの雪に見舞われた春の宵。 清涼殿に向かう長い廊下。
もうずいぶん長い間、帝からのお声がかからない、 弘徽殿女御。
頭の切れる彼女のこと、桐壺更衣を陥れる罠を練る時間など、
いくらでもあったでしょう。 長い夜を持て余しているのは、他の女御・更衣も同じこと。
その苛めの度合い、時を追うごとにひどくなりました。
戸を閉められ寒い廊下で立ち往生する更衣。
しかし誰がどんな妨害をしようとも、帝が待つのは桐壺更衣ひとりだけです。
不器用で煙に巻かれてばかりいる 細見さちこ
雪明りのなか、長廊下を歩み帝の待つ清涼殿へと向かう桐壺更衣と女房。
「ここも向うから閂が…! どなたか開けてくださいまし」
「桐壺更衣さま!こちらも閉まっています」
女房がゴトゴト押しても、開かない。
それを聞き止めた鈴鹿は、筝を弾く手をとめてたちあがった。
そこへ弘徽殿女御が来て
「鈴鹿 続けて! やめてはなりません」
一方、清涼殿の帝は…なかなか来ない更衣にじりじりしています。
「遅い 遅すぎる。桐壺更衣はまだ来ぬか」
我儘のジャブで確かめている愛 上坊幹子
桐壺更衣が閉じ込められた通路は、馬も使った建物の中の道なので、
馬道と呼ばれました。「馬道」とは、殿舎を貫いて通っている長い板敷きの 廊下のこと。廊下の厚板は取り外しが可能で、必要な時には廊下を外して、 馬を殿舎の奥まで引き入れることができるようになっています。
渡り廊下では、
「桐壺更衣さま戻りましょう。庭づたいなら局へ帰れます」
「帰れるということは、帝のお許にもいけるということですね」
桐壺更衣は庭の雪に素足をおろし、雪明りを頼りに帝の許に向かいます。
もともと脆弱な体質でナイーブな神経の更衣。 なのに、
素足で雪のなかを帝の待つ清涼殿へ向かう芯の強さを見せます。
彼女をそこまで駆り立てるのは、純粋に帝に対する気持ちだけでした。
一方、外のただならぬ気配を感じた鈴鹿。
この気立てのよい女房は、弘徽殿から命じられた筝の演奏をやめ、様子を見に
行きます。 もちろん帝もすぐさま飛び出してきました。
まだ生きるつもりの今日も薄化粧 靏田寿子
やっとの思いで清涼殿にたどり着き、帝の棟のなかに倒れこむ更衣。 「主上さま」
「なんと冷たい!氷のように冷えきって…。」
桐壺更衣は、帝に抱きかかえられ、夜の御殿へ。
「火だ!火炉に火桶にもっと火を!替えの衣も暖めておけ!」
骨まで冷え切ったような、更衣のか細い体を抱いたとき、帝はどんなトラブル
が起こったのか、おおよその見当はついたのでしょう。 しかし更衣は、世間から楊貴妃にたとえられはしても、寵愛を利用するような
野心家ではなく、苛めにも、じっと堪え忍んでしまうタイプ。
それゆえ、帝にはますますいじらしく、愛しくてたまらないのです。
面倒はすべてパスして今日ひと日 荒井加寿
またまた弘毅殿の思惑は、はずれてしまいます。 それどころか、帝と更衣の絆は深まるばかり。
更衣の身を案じた帝は、清涼殿のすぐ隣、後涼殿にいた古株の更衣をよそへ 移し、桐壺更衣の控えの間にすることに決めました。 これはたいへんな破格の待遇。
ずっと寵愛は続くという帝の強い意思表示ともとれます。
後涼殿に仕える鈴鹿は、それを立ち聞きしてしまいます。
「後涼殿の女たちを即刻、他の局へ移せ!桐壺更衣の淑景舎は、そのままに。
これから後涼殿は、桐壺更衣の控えの間とする。
私が行くにも、桐壺更衣が来るにも、淑景舎は遠すぎる、今夜のようなこと
を二度とさせぬためにも…な」 たっぷりの毒で切り返すひと言 安土理恵
後涼殿、深夜の中庭。 桐壺更衣に渡す機会もなく、雪の上に薬湯をこぼす鈴鹿。
「ああ嫌!嫌! 私の心に黒い、黒い汚点が拡がる。
緑かがやく鈴鹿の山すそへ…受領の父の館へ帰りたい」
「同じ更衣という身分でありながら、桐壺更衣のために部屋を替われとは、
なんたる侮辱でしょうか!」
部屋を奪われた更衣の煮えたぎるような憎悪は、周りの女房たちにも、
たちまちに広がります。 桐壺更衣の人柄を垣間見て、好意を感じていた鈴鹿ですら、帝の特別扱いには、
気持ちが波立ちます。 狭い後宮内のこと、こうした帝の真っすぐすぎる深い愛情が、桐壺更衣の立場
をどんどん追い詰めていくのです。 ときめきを振りかけているかき氷 みつ木もも花
ある夏の日のこと。内裏をひそやかに出て行く輦車あり。
更衣や女房たちが、それを見て噂をしている。
「主上さまが輦車ででていかれるは」
「ちがうは 主上さまじゃない」
「桐壺更衣のお里帰りよ」
「でも病が重くても更衣の身で帝の輦車とは…」
「あの雪の夜から桐壺更衣さまは お体を損なわれ…」
これは、車を見送る鈴鹿の囁く声である。
「ここ4,5日の暑さったら 私たちでもたいへんだったものねぇ」
昼の月などと私のことですか 青木敏子
「輦車に駆けつけてきた帝と桐壺更衣」 主上「どうしても里へ帰るのか 私ひとり 残していってしまうのか」
更衣「主上様 私もおそばにいたい でも…でもこの病の重さでは…私は
内裏を穢したくないのです…この櫛を私と思って…あと若宮をお願い……」
その夜遅く清涼殿にて、帝は、櫛の形をした半月を見上げている。
帝の手を離れた桐壺更衣に、もはや生きる力は残っていませんでした。
そして、桐壺更衣の容態が気にかかり、眠れぬ帝のもとに、あまりにも早い
訃報が届きます。覚悟はしていたとはいえ、激しい衝撃を受ける帝。
遺された若宮はまだ3歳。母親の死が何を意味するのかもわかりません。
そのいたいけな姿が、いっそう人々の涙を誘ったのでした。
睡蓮の白ひしめいてレクイエム 藤本鈴菜
" たずねゆくまぼろしもがなつてにても 魂のありかをそことしるべく "
桐壺帝は、夏が過ぎ秋になっても、更衣の死という悲しみがら逃れられません。
形見である櫛を見ながら、『長恨歌』にある逸話を思い出し、幻でもいいから
もう一度逢たいと嘆き悲しみます。 雲の上も涙にくるる秋の月 いかですむらむ浅茅生の宿
(雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ
ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で…)
手に載せて夜明けの匂いするキュウリ 佐藤 瞳 PR ゴキブリが飛んだあっかんべえをした 小島蘭幸
「源氏香の図 桐壷」 (二代豊国) 後涼殿は、天皇の日常の住まいである清涼殿の西側に付随する建物で、
中央の通路(馬道)ぞいに南北二部屋、周囲には廂がめぐらされていました。 おもに現在の納戸にあたる納殿として利用され、清涼殿に近い東の廂は、
女官の詰所などに使われたようです。
歴史上はここに女御、更衣が住んだ記録はありませんが「源氏物語」では、
帝が桐壺更衣の控えの間にするため、後涼殿にいた更衣を別の場所に移させる
下りがあります。
また、光源氏の「御袴の儀」のために、帝は後涼殿に収められた道具類を、
すべて出されました。 ひと吹きで失せる机の綿ぼこり 新家完司
清涼殿・後涼殿の平面図 清涼殿と後涼殿をつなぐ「渡殿」(廊下)には「朝餉壺」(あさがれいつぼ)
「台盤所壺」と呼ばれる前庭があった。
式部ー光源氏-入門-③ 桐壺の巻
『御局は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて隙なき御前渡り、
人の御心を尽くしたまふもげにことわりと見えたり。
参上(まうのぼ)りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは 打橋、渡殿
のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾たへ
がたくまさなきこともあり、またある時には、え避さらぬ馬道の戸を
鎖(さ)しこめ、こなたかなた心を合わせては、したなめわずらわせたまふ
時も多かり、事に触れて、数知らず苦しきことのみまされば、いたいたう思 ひわびたるをいとどあはれと御覧じて、後涼殿に、もとよりさぶらひたまふ 更衣の曹司をほかに移させたまひて、上局に賜るす。 その恨みましてやらむ方なし』
嫌われていてもわたしの場所だから 安土理恵
清涼殿西廂、台盤所付近に付けられた戸。 戸は片開きで、閂をかけることができた。馬道にもこうした戸が付いていた。 ※ コトバの解釈
局=後宮のなかでしきりを隔ててある部屋の事。
桐壺=帝の住む清涼殿からは一番遠い東北隅にあった。淑景舎をさす。
中庭に桐が植えてあったので、こう呼ばれた。
隙なき御前渡り=帝がほかの女御、更衣の部屋の前を目もくれず通り過ぎて
しまう事。 打橋=建物と建物の間に架けられた橋。取り外しがきく。
渡殿=建物から建物へ渡る廊下で屋根がついている。
あやしきわざを=ここでは、汚物を撒き散らすことと思われる。
衣の裾たへがたく=当時の女房たちの裾は長く、それを引きずって歩いた。
馬道の戸を鎖しこめ=建物の真ん中を貫いて通っている板敷の廊下。
したなめわずらわせたまふ=閉めてしまうこと。
いとどあはれ=ますます、なおいっそう可哀想。
曹司=局と同じ。
上局=帝のもとに上がる時の控えの間。いつも住んでいる所は下局。
博識の人は活字をよく食べる 木村良三
『この皇子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず、
内蔵寮(くらづかさ)、納殿の物を尽くしていみじうせさせたまふ。
それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この皇子の、およすけもて
おはする御容貌心ばへありがたく、めづらしきまで見へたまふを、 えそねみあへたまはず。 ものの心知りたまふ人は、かかる人世に出でおはするものなりけりと、
あさましきまで目をおどろかしたまふ』
雨音の調べ音符になる真珠 高橋レニ
※ コトバの解釈
御袴着=男の子がはじめて袴をつける儀式。
内蔵寮=宝物・献上品を管理する役所。
納殿=歴代の御物を納める場所。
ものの心知りたまふ人=ものを見る目が高い。道理をわきまえている人をさす。
あさましき=意外なことにびっくりする気持ち。
「あさまし」は、ことのよしあしに関わらず用いられる。
およすけもておはする御容貌=第二皇子でしかも母親の身分も更衣と低いのに、
あえて第一皇子と同じ扱いをする帝のやり方への批判をさす。 にじいろの影の持ち主いませんか 中野六助
では今様に訳して読みすすめてまいりましょう。
「春日権現験記絵」 (東京国立博物館所蔵) 下に遣り水が流れる反り渡殿。 更衣のお部屋は「桐壺」と呼ばれていました。
帝はこの遠い「桐壺」へわざわざ自分から、ひっきりなしに出かけていきます。
同じ妃でありながら、ほかの女御、更衣は、部屋の前を素通りされるだけ、
これでは、<やきもちも焼かず、心おだやかにゆったりと過ごせ>と、
いうほうが無理というものでしょう。
手まねきに誘われ吊り橋を渡る 清水すみれ
掃除用の引き出しと蓋がついた便器
やはりその腹いせか、更衣が帝に呼び寄せられることが重なると、誰かがわざ
と、打橋(うちはし)や渡殿(わたりどの)といった通り道のあちこちに、 トイレの汚物を撒き散らしたりしました。
そのため、送り迎えの女房たちの着物の裾がひどい匂いと汚れにまみれ、
目もあてられない状態になってしまうこともありました。
また、ある時には、帝のもとへ行くのに、どうしても通らねばならない馬道と
いう廊下の両側の戸を、あちらこちらで、示し合わせて閉めてしまうものです
から、更衣とそのお供は閉じ込められてしまい、暗闇のなか、進むこともでき なくなってしまいました。 このようなこともしばしばありました。 ギロチンの穴から首が抜けません こうだひでお
こんなつらいこととが、数え切れぬほど重なるものですから、
更衣はひどく悩み患いながらも、それでもじっと耐え忍んでいます。
その姿を、帝はますます不憫に愛しく思うのです。
そして、後涼殿で以前から仕えていた更衣をほかへ移してしまい、
そのあいだ、部屋を自分の所へ来る時の控えの間として桐壺更衣に じきじきに与えます。
でも、部屋を追い出された局の気持ちはどうでしょう?
はらわたが煮えくり返るような思いは、結局更衣に向けられるのです。
細い月だから大事にしてあげて 藤本鈴菜
御袴着の儀式 若宮が3歳になった年、御袴着の儀式がありました。
一の宮が、お召しになったものにも劣らぬようにと、帝は宮中の宝物を管理
する役所に働きかけ、公の品々のありたけを用いて、盛大に執り行いました。 そうした帝の心遣いも、むしろ「なぜ更衣如きの息子にそこまでするのか」
と、世間からは非難ごうごう、火に油を注ぐ結果になります。
でも、この若宮の成長していくにつれ、ますます美しく整っていく顔かたちや、
また幼くして、いろいろなことを弁えている非常に優れたご気性に触れると、 誰もが魅せられてしまい、憎らしいなどとはとても思えなくなってしまうから 不思議です。 また、世の中のことを広く知る人ですら、 「このようなお方もこの世においでになるものなのか」とまるでひとつの奇跡
を見るような心地で、ため息をついて感心されたものでした。 私の路シャッフルすればラルリララ 赤松蛍子
若宮3歳。御袴着の儀着衣 袴をはじめて着せるこの日には吉日を選び、また、子供を吉方に向かわせて
行う。この成長を祝う行事は、やがて現在の七五三に受け継がれていった。 桐壺の巻ー③
3歳になった若宮 若宮の乳母の大弐命婦は、悩んだ末、弘徽殿女御の命令に背くことを決意。 若宮を失明させるために渡された秘薬を、池に捨て去り、ずっと若宮を守
っていこうと心に誓った。 そして、光源氏は3歳になった。 帝の第二皇子として生まれた若宮。
光り輝く玉のようといわれた乳飲み子も、すくすくと育ち、ちょこちょこ と動き回る、目の離せない年齢になりました。 3歳で迎える御袴着の儀式ももうすぐ、その愛らしさは、ますます宮中の
話題の的となります。
秋の野で花を摘む後涼殿の女房、鈴鹿も、偶然出会った若宮のかわいらしさ、
美しさに目を見張ります。
古典的ですが流し目には弱い 竹内ゆみこ
若宮と鈴鹿の出会い 若い女房の鈴鹿は、ふとした機会に秋の野に遊ぶ若宮と出会います。 「まあ かわいい子。でもまだあんなに小さいのにたった一人で…?」
若宮と鈴鹿は顔をあわせて微笑み返します。
「痛っ」
鈴鹿は、花の刺にささって小さく叫びます。 その声を耳にした若宮は、
「血!血が出てる。いたい いたい?」
若宮は口で鈴鹿の傷口へ「ふうふう」といたわりの息をかけてから、
何処かへかけ出していきます。
「なんてかわいいの、どなたの御子なのかしら?」
しばらくして若宮が母の桐壺更衣をつれて帰ってくる。
「お怪我は大丈夫ですか? この子が知らせにきましたの」
しっかりと言葉の奥を聴いてやる 柏原夕胡
母・更衣と若宮 若宮の母、桐壺更衣は帝のお召しが頻繁にあるうえに病弱でしたから、 若宮とはどれだけ一緒にいられたでしょうか、おそらく、親子で過す
時間は貴重なものだったでしょう。 口さがない噂がとびかう宮中を抜け出て、野でのびのびと過ごす、
短いけれど幸福なひととき、この時期の母の面影が------その後の光源氏
の女性感に大きく影響していきます。 飛ぶための力を溜めている蕾 平尾正人
そのころ淑景舎では、乳母の大弐や女房たちが若宮探しに大わらわ。
子どもも3歳位になると歩けることが嬉しくて、ふらふらと、遠出をして
しまいます。
大弐 「若宮はどこですか?」
左衛門 「これは大弐乳母」
大弐 「あなたも若宮の乳母でしょう。しっかりして!」
左衛門 「大変! さっきまでここで…」
「若宮さまぁー! 「若宮さまぁー」
と、かたわらにいた女房たちも慌てて若宮探しに加わります。
そして淑景舎の庭に下りる階(きざはし)に大弐が目をやると…。
大弐 「こんな所に野菊が!…まさか あんな遠くの裏の野へ…」
その足で裏の野へ出た大弐は、ひとりの女性をみかけます。
大弐 「あのう もし…このあたりで小さい御子をお見かけでは?
私は若宮の乳母の大弐です」
答えなら出ていますよとやまぼうし 太田のりこ
鈴鹿の指には更衣の衣の包帯が 秋の野に佇む乳母の大弐、言いようのない胸騒ぎが通り過ぎて行く。
鈴鹿 「ええ たぶんそのお方なら…」
鈴鹿の指には、桐壺更衣の単衣の裂いた布が巻かれていた。
<では あのお方は桐壺更衣さまと…二の皇子!まるで天のお使いのような…
お心も優しくて…> 鈴鹿 「私は後涼殿の女房のひとり鈴鹿と申します」
大弐 「よかった! 若宮が母君とご一緒ならば一安心」
<わが子一の皇子を東宮にたてたい>------------.。
弘徽殿の女御のことばが、大弐の心配が脳裡をかけめぐっている。 <若宮に万一のことがあれば…いいえ、桐壺更衣さまとても同じ>
弘徽殿の女御だけではない。
内裏には帝の桐壺更衣さまへの寵を妬むてきばかり。 鳩尾の奥でごろごろする小骨 栗田忠士
高貴な身分であれば、乳母も複数つけられました。
(原作でも源氏には大弐命婦と左衛門とふたりの乳母の記述が見えます)
そのうちの大弐の夫は大宰府の次官という実力者で家庭も裕福でした。
乳母というと、つい授乳のイメージをもってしまいがちですが、授乳が終わ
って、ずっと養育係のような形で、その子のそばで暮らしていきます。 また大弐の息子で、源氏と乳兄弟の惟光も源氏のよき従者として活躍します。
もともと桐壺更衣は、気品のある、奥ゆかしい、心優しい女性だったのです。
帝の愛を争う必要のない女房たちのなかには、更衣の人間性をしっかり理解
している人もいました。鈴鹿はそういったひとりです。 一方、乳母の大弐命婦は、弘徽殿女御の思惑をよく知っているだけに、
どこかしら不安な毎日です。 引っ張ると痛いぶらぶらの心 みつ木もも花
初冠の元服は12・3歳の御年頃のはず、その日まで若宮は私の雛鳥。
「この翼でしかとお守りせねば」と大弐は思う。
後涼殿。御袴着の儀も終って、女房たちの噂話がかしましい。
「二の皇子のお袴着姿 まるでお人形みたいでしたって」
「拝見したかったわねえ」
「帝が着袴親をなさったなんて、はじめてですね」
「弘徽殿の女御さまの一の皇子の着袴親は、祖父さまの右大臣がなさった
けれど、桐壺更衣さまには後見の方はないんですもの、仕方がないわ」 「だから帝としては、いっそう肩入れなさったのね」
「そうね めったなことには使わないこの後涼殿の、お道具を全部お出し
になるくらいですもの」 ハンマーは愚痴向け 釘は寝言向け 中野六助
「鳳凰円文螺細唐櫃」 (東京国立博物館所蔵) 平安時代のクローゼットです。 幼少時代の大きな儀式といえば御袴着の儀です。
若宮3歳の年に盛大に行われました。
帝は第一皇子に負けないようにと、後涼殿の公の宝物のありたけを出し、
じきじきに袴の腰を結びます。
しかし、この心配りこそが、人々を疑心暗鬼に巻き込むことを、
帝は、知っていたでしょうか。 <あそこまでするのだから、次の皇太子は若宮ではないのか…>
第一皇子の母・弘徽殿だけでなく、誰もがそう感じていました。
切れるほど螺子巻いてみる淋しい日 平井美智子
局では、女房たちのおしゃべりは止まることを知らないようで。
「弘徽殿の女御さまとしては、ますますもめるわね」
「一族の浮沈の問題だもの」
そこへ上位の女房が入ってきて
「余計な口はきかないで仕事をしなさい!」
鈴鹿もそこに加わって
「見たかった-------どんなに可愛いお姿だったことか…どうかお幸せに…」
「鈴鹿!今宵は亥の刻(午後10時ころ)まで筝を弾き続けなさい」
「はい」
「何があっても、やめてはなりません。弘徽殿の女御さまのお達しです」
「弘徽殿の------------?」
時は春、しかし宮廷にも季節はずれの雪が落ちてくる。
鈴鹿 「まあ雪よ!もう春なのに…なんてはかない…見定める間もなく
消えてしまう…」
筝を弾く鈴鹿 天井裏ショパンの名曲流れてる 松島巳女
雅やかな筝の音の中、女たちの策謀が蠢く。
女房の鈴鹿の弾く筝の音が、流れるなか、今宵もまた更衣は帝に召されて
いきます。一見優雅に見えるこの光景の裏には、陰々たる女たちの憎悪が
見え隠れします。若宮が生まれる前からもう何年も続いているご寵愛。
もはや他の女性たちは、我慢の限界でした。
もちろんその筆頭は弘徽殿女御。気性が激しく聡明で策略家の彼女は、
ますます激しい苛めを画策します。
「帝の愛を一人占めしたい、そういう方がたのお局の前を毎夜召されて
ゆく女がいるとしたら」
「そりゃあ腹がたつわ!女ですものわかります」
蒼いピアスあふれるものをもてあまし 太田のりこ
雪明りの中、長廊下を歩み、帝の待つ清涼殿へと向かう桐壺更衣と女房が
打橋にかかると…。更衣はさまざまな苛めを受けました。
当時は、現在のトイレにあたる厠はなく、部屋にある小さな箱で用を足し
ていました。これを捨てにいく係の者もいましたから、更衣が行く先の
廊下に汚物をこぼしておくことなど簡単でした。
女たちの着物の裾は大変長かったので、考えただけでもぞっとするような
状況になったでしょう。
デスノートに僕の名前が書いてある 福尾圭司 突破口それは針先ほどの穴 山口美千代
出産後、光り輝く皇子を伴い宮中へ参上する桐壺更衣 「桐壺の父・大納言の遺言を北の方が大弐命婦へ語るくだり」
『故大納言、いまはとなるまで、ただ、「この人の宮仕の本意、かならず遂げ
させたてまつれ。我れ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな」と、
かへすがへす、諌めおかれはべりしかば、はかばかしう、後見思ふ人もなき
まじらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただ、かの遺言を 違へじとばかりに出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしのよろづ にかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交じらひたまふめりつるを、 人の嫉み深く積もり、安からぬこと、多くなり添ひはべりつるに、横様なる やうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ』 雨を編む何か信じていなければ 赤石ゆう
「コトバの解釈」
「あの子の父大納言は、死ぬ間際まで『娘の後宮に入りたいという願いを必ず
叶えてやってくれ。私が死んでも、彼女の夢を諦めさせないように』 と、繰り返し言っていました。だからこそ、後ろ盾もない宮仕えはしんどい
だろうと思いながらも、父の遺言を叶えようと、宮仕えさせていました…… が、過分なまでの主上のご寵愛は、かえって娘を辛い目に遭わせていたよう
ですね。人々の妬みは深く積もり、気苦労は多かったようです。 あの日からブルーシートを乗せたまま 掛川徹明
天徳内裏歌合図 (京都博物館蔵) 図は「源氏物語」の「絵合」の帖のモデルになった天徳内裏歌合を描いたもの。 奥が清涼殿。御簾の中の人物は村上天皇。 坪庭を挟んで手前が「後涼殿」となっている。 式部ー光源氏入門 ② ~桐壺の巻
①
『はじめよりおしなべての上宮仕したまうべき際にはあらざりき。
おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふ
あまりにさるべき御遊びのをりをり、なにごとにもゆゑあることのふしぶし には、まづ参上(まいのぼ)らせたまふ、ある時には、大殿籠りすぐして、 やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前さらず、もてなさせたまひし ほどに、おのづから軽き方にもみえしを、この息子、生まれたまひて後は、 いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この息子の ゐたまうべきなめりと、一の息子の女御は思し疑えり。 ※ コトバの解釈 上宮仕=帝のお側近くに仕え、奏上や宣下を伝え身の廻りのことを、細々と
お世話すること。典侍(ないしのすけ)や掌侍(ないしのじょう)と呼ばれ、 尚侍は女官長にあたる。 おぼえ=世の中の信望。
上衆=身分の高い人
御遊び=音楽を演奏すること。管絃の遊び。
ゆゑあることのふしぶし=大変すぐれた趣きや風情をさす。
やがてさぶらはせたまひなど=現代では「やがて」は「まもなく」とかそのうち
にという意味で使われるが、ここでは「そのまま」の意味になる。 あながちに=むりやりに
この皇子=光源氏の事。
いと心ことに思ほしおきて=格別に大切に扱った。
坊に=皇太子の事。(東宮坊から)
ゐたまうべきなめりと=お立ちなさるかもしれないと。
一の皇子の女御= 弘徽殿女御の事。
青なのに踏み出す足のまた迷う 石橋能里子
②
『人よりさきに参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たち
などもおはしませば、この御方の御諫めをのみぞ、なほわづらわしう、心苦 しう思ひきこえさせたまひける。 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、
わが身は、か弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞ したまふ』 ※ コトバの解釈
人よりさきに参りたまひて=どなたよりも先に入内する事。
皇女= 弘徽殿の女御には、男の子は第一皇子だけでなく、何人か女子がいた。
おとしめ疵をもとめたまふ=あら探しをなさる人たち。
そのご寵愛ゆえに、かえって感じる気苦労。
(帝の)かしこき御蔭=もったいない庇護だが、こうした気苦労をもたらす。
心の奥まで触れたがる土足 松浦英夫
それでは今様に訳して読み進めていきましょう。
女房たちの羨望の的になる光る君
① 桐壺更衣は、帝の世話をする女官などではありません。
れっきとしたお妃ひとりです。そして、もともとは誰からも敬われ愛される、 品のよい素敵な女性だったのです。 ところが帝は、側に置きたいがあまり、時と場合などお構いなしで、すぐに 更衣を呼び寄せてしまいます。 優雅な管弦を楽しむ宴、由緒ある方々と催し物の際など、いつも帝の傍らに
更衣の姿がありました。 ある時などは、一夜を共にした後も、しきたりを無視して部屋へ下がらせず、
昼間もずっとお側にとどめておく、というような異例のこともありました。 とにかく何事につけても「更衣 更衣」と手放したがらないので、 「あれではまるで、お妃というより、身の回りをお世話する身分の低い女房
のよう」などと、陰口を言われてしまうのです。 少し悪意 いいえ悪意 きっと悪意 山口ろっぱ
しかし、更衣との間に息子が生まれて、さすがに帝も考えました。
このままでは母君だけでなく、その若宮まで軽く扱われてしまう……。 帝はかわいい若宮の将来を案じ、また、更衣もれっきとした帝の息子を産んだ 身なのだからと、もっと相応しい扱いをするように取り計らいました。 でもこれはこれで、人々の新たな憶測を呼びます。
「そんなに大切にするということは、もしや帝は、あちらの若君を自分の世継ぎ
として、東宮に立てるつもりなのでは……」 特に、一の息子の母、弘徽殿女御の心は、疑いと不安でどろどろと渦巻きます。
ニクロム線の焦げる臭いのする枯野 くんじろう
②
弘徽殿女御は、ほかの誰よりも早く入内し、帝の妃となっています。
なにしろ勢力のある右大臣家の姫でしたから、帝も大切に扱い、第一皇子の
ほかに皇女たちももうけていました。
帝にとって、第一夫人の立場にあり後ろ盾や育ちに高いプライドを持つこの
女御のいうことはやはり煙たくはあったのですが、かといってないがしろにも
できず、どのように扱っていいのか、困り果てているというところでした。
若宮を産んだ更衣は、帝のもったいない寵愛を受けながらも、その深すぎる
愛ゆえに今まで以上の敵をつくることになりました。
蔑んだりあら捜しをしたりする人はさらに多くなり、病弱で世間の逆風を
はね返すような体力も気力もある方ではなかったので、これならば、
いっそご寵愛などなかったほうが、どれほど平和で落ち着いた心安らかな
日々が送れたかと気が塞ぐ日々でした。
正しいを生きて 偏頭痛の発作 太田のりこ
里で母北の方と寛ぐ桐壺更衣
桐壺物語ー② 帝の寵愛をうけたばかりに、宮中でひどい誹謗中傷をうけ、周囲は敵だらけの
桐壺更衣。帝はといえば、こちらも強力な後ろ盾をもたないため、妻の実家、 右大臣家に政治の実権を握られ、意外と立場は不安定でした。 孤立したふたりが、心から安らげるのは、お互いを見つめ合っている時だけだっ
たのでしょう。若宮誕生の後も、ふたりは離れられず、あらためて深い縁の結び つきを確認し合う日々でした。 帝も更衣も、この寝屋から一歩外に出れば、階級社会の呪縛、女性社会特有の
妬みそしりの嵐のなかにさらされる……。位階など関係なく、このひととき、
お互いの温もりのなかにこそ、「生きている」という歓びの実感があり、心から
安らげる場所があったのでしょう。 それゆえ、さらに深い因縁を信じ、「死ぬときも同じ、生まれ変わっても一緒に なろう」と、何度も誓い合ったはずです。 正さと幸せの距離計っている 高橋レニ
-------皇子誕生の後、初めての内裏に上がった日の夜。
主上「桐壺 私はもうひとりではいきてはゆけないよ」
桐壺「主上さま 私も……」
主上「…母の里は どうだったか」」
桐壺 「恐ろしい目も いじわるな声も聞こえてこない里では、心も体ものび
のびすることができました。でも、もう一つの心と体が、主上さまに お会いしたいと…」 主上 「前世から私たちは結びついているんだよ」
桐壺 「あっ!」
主上 「どうしたのです」
桐壺 「今、若宮の泣き声が…」
主上 「乳母の大弐がついている、左衛門もつけてある。心配はない」
若宮とそなたは私が守る!今は私の腕の中…なにもかも忘れなさい」
という主上であった。
見つめないで下さい私の裏表 柳本恵子
乳母として光る君と惟光に乳をやる大弐
当時、身分の高い人々の子供は、実母ではなく、乳母のお乳で育てられるのが 通例でした。帝のお召しが多く病弱な更衣に代わって、神々しいまでに清らか で美しい赤ちゃん(若宮)のお世話をしていたわけですから、乳母の大弐の母 性は大いに刺激されたことでしょう。 弘徽殿の女御に、若宮を失明させる秘薬を渡されていながら、無心に乳を含む 若宮の姿に、大弐は若宮を傷つけることなどできないと悟ります。 浄土ヶ池 帝と更衣が寝所で過ごす同じ頃、浄土ヶ池の深い闇に佇む乳母の大弐。 それでも弘徽殿の顔を思い浮かべては、心は乱れていた。
<できない! 私にはできない。この身が裂かれ一族すべてが滅せられても
…この皇子の光は、私には奪えない>
決意した大弐は、弘徽殿から渡された秘薬の入った壺を池の中へ投げ入れます。
<これでいい>
悲しみを知る人だから裏切れぬ 靏田寿子
当時、病気や不吉なことが起こるのは物の怪の仕業だと考えられていました。
物の怪は人間の恨みつらみが生霊、死霊となあってとり憑き、祟るものです。
大弐の捨てた秘薬によって、大量の魚が息絶えたのも、もとは弘徽殿の激しい
憎悪が原因。 考えようによっては、物の怪が憑いたといえるのかもしれません。
その翌朝、宮廷へ出仕してきた公卿たち。挨拶代わりの愚痴話。
「帝は今朝もまだ、ですか。困りますなあ、帝には、もうお起き願わぬと
毎日の政事が滞っております」
「帝の、前にも増してその桐壺更衣へのご寵愛…身の程をわきまえぬ桐壺更衣
も更衣!」 「そうですとも! 唐土の楊貴妃のように国の乱れの因になります」
帝の更衣への傾倒ぶりは、後宮の女性たちだけの話題ではなく、貴族の男性社
会でも関心事です。世間からは、唐の玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛するあまり、 「暗史の乱」が起きたことが引き合いにだされ、政情不安が危惧されます。
何ですか口の周りの赤いのは 雨森茂樹
秘薬を飲んでプカリと息絶える池の鯉
そんなところへ、ご注進がとびこんでくる。 「たっ…大変ですっ! 浄土ヶ池の鯉が…全部」
その大変に、何事かと浄土ヶ池のぞき込めば…。
浄土ヶ池を取り囲み民の人々が、「不吉だ」「何かの前兆だ」「物の怪じゃ」
祈祷をしなければと騒いでいます。
一方、秘薬を池に投げ入れた大弐は、淑景舎で若宮と惟光を両腕に包み乳を
与えている。
<惟光、お前は若宮の乳母子です。いいですか生涯命をかけて若宮をお守り
するのですよ>
大弐の子供惟光と若宮は乳兄弟。同じ血で育った惟光は、後に光源氏の忠実
な従者として活躍し、特に女性関係で源氏が表だって動けない時など、きめ 細かく立ち回ります。 一方、桐壺更衣は帝の、寵愛ゆえにますます憎まれ、悪い噂ばかりですが、
もとは心優しい高貴な姫君。乳母の大弐やおつきの女房たちは、その本当の 姿を知っていたはずです。 右ひとえ左ふたえで恙なし 吉川幸子
弘徽殿は、帝のおわす清涼殿に近く、桐壺更衣の局の淑景舎は一番遠い。
身分が低かったからでしょうか。桐壺更衣の局は、清涼殿から遠く離れていま
したが、帝からは毎夜のようにお召しがあります。 他の女御・更衣たちは、部屋の前を通り過ぎていく、桐壺更衣の衣擦れの音を 聞かされるだけ。女御・更衣たちは実家の繁栄を託され入内しているので、 帝に愛されなくては…というプレッシャーは相当なものだったはず。 こうして彼女たちの更衣に対する恨みは夜ごと蓄積されていくのです。 しかし、更衣との間に皇子が生れて、さすがに帝も考えました。
このままでは母君だけでなく、その若宮までが軽く扱われてしまう。
帝はかわいい若宮の将来を案じ、また、更衣もれっきとした帝の皇子を産んだ
身なのだからと、もっと相応しい扱いをするように取り計らいました。 でもこれはこれで人々の新たな憶測を呼びます。
「そんなに大切にするということは、もしや帝は、あちらの若君を自分の世継ぎ
として東宮に立てるつもりなのでは……」 特に、一の皇子の母弘毅殿女御の心は、疑いと不安でどろどろと渦巻ます。
寝る前につらいつらい呼吸はやっておく 福尾圭司 きゅうりならとうに曲がっているころだ 米山明日歌
「玄宗皇帝・楊貴妃」 (喜多川歌麿筆)東京国立博物館蔵
玄宗皇帝・楊貴妃の悲哀を詠った「長恨歌」が収められている白居易の
「白氏文集」が平安時代に大流行した。
平安京遷都(794年)より30年程前の、白居易の漢詩『長恨歌』で知られ
る、悲恋の物語がある。 主役は楊貴妃-----楊貴妃といえば、歴史に名を残す絶世の美人である。
唐の玄宗皇帝に見初められ、その愛を一身に受けた。
しかし、寵愛のあまり国の政治は、乱れ「安史の乱」を招くことに。
楊貴妃は、皇帝の目の前で殺され、残された皇帝は,
ひとり嘆き悲しむというものである。 これに似た話が日本にもある-------------宮廷に出入りする人々は、帝が桐壺更衣
ひとりに愛情をそそぎ、政務を疎かにしているさまを、楊貴妃の物語にダブらせ て、世の人々は、明日の行方さえ案じた。 パンよりも愛を論じた若かった 藤井正雄
式部ー光源氏-入門 ① ~桐壺の巻 (紫式部渾身の第一巻)
①
『いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものに、
おとしめ 嫉みたまふ。同じほど、それより 下臈げろうの更衣たちは、
ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、
恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げ
に里がちなるを、いよいよ あかずあはれなるものに思ほして、
人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき
御もてなしなり』
※ コトバの解釈 いづれの御時にか=紫式部がこの物語を書き始める百年ほど前の醍醐天皇の
御代のこと。時代も帝の名もぼかしてあるので、当時の読者は「いったいいつ?」
「誰のこと?」と連想をかきたてられ、心をそそられたに違いない。 やむごとなき=それほど高い身分ではない方で。
めざましきものに=とにかく気にいらなくて、めざわりで。
心をのみ動かし=心を動揺させるばかりで。
あつしく=病気がちに。
水しぶ返して柔らかな拒絶 清水すみれ
②
『上達部かむだちめ、上人うえびとなども、あいなく目を側そばめつつ、
「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、
世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、
人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、
いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを
頼みにてまじらひたまふ』
※ コトバの解釈 あいなく=いやはや困ったことだと思いながら。
奥の間で蠢く人の深い闇 宮内カツ子
③
『父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、
親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう
劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたてて
はかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり』
※ コトバの解釈
いにしえのひとのよしある=一流とまでいかないけれど由緒ありげな家柄、
嗜みがあるなどをあらわすことば。同じような意味で使う言葉に「ゆえあり」 があって、とにもかくにも一流を指す。
世の覚えはなやかなる=世間の評判も際立っている。
はかばかしき=しっかりした。
時々は陸橋となる父の腕 合田瑠美子
④
『前の世にも、御契りや深かりけむ、世になくきよらなる玉の男御子
(をのこみこ)さへ生まれたまひぬ。
いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、
めづらかなる稚児の御容貌かたちなり。
一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、
世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには、並びたまふべくも
あらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、
私物(わたくしもの)に思ほし、かしづきたまふこと限りなし。
※ コトバの解釈
前(さき)の世=今の世にうまれる前の世。仏教でいう三世の一つ。
(三世=前世・現世・来世)
きよら=清く美しいこと。どこか華麗なという意味あいも含む。
美を「きよげ」と言ったりもするが、平安時代には「きよら」のほうが
「きよげ」より一段上の、輝くように美しいことを指した。
心もとながらせ給ひて=待ち遠しくお思いになって。
参らせ=参るは高貴なあるいは身分の高い所へ行くという意味。
めずらかなる=きわめてめずらしい。
寄せ重く=後ろ盾の力が強く、しっかりしていて。
疑いなきまうけの君=準備のこと。ここでは世継ぎの皇太子のこと。
この御にほひ=輝く宝石のような気高い美しさ。
廃屋の庭に木犀香りたつ 佐藤 瞳
石山寺蒔絵箪笥 (彦根城博物館蔵)
ではここまでを今様に訳して、読み進めてみましょう。
「光源氏誕生」
① いつのころのことだったでしょうか。
それはたくさんの美しくお育ちのよい女性たちが帝にお仕えしていました。 そのなかで、たいした身分でもないのに、帝にみそめられ、その深い深い愛を
一身にあびている更衣がいました。 その名を桐壺更衣といいます。
気にいらないのは先にお仕えしていた女御・更衣たち。
もとより「私こそが本命よ」と、自信たっぷりだった方々は、目ざわりでたま
らず、わざとさげすんだり妬んだり。 同じ身分か、それより下の更衣たちはさらにおさまりません。
何をするにつけても嫌な顔をされたり、鼻で笑われたりするものですから、
桐壺更衣はすっかり気が滅入ってしまい、病気がちになってしまいました。
心細げに実家へ帰ることが重なり、そんな姿が帝はますます愛しくてたまらず、
誰が何と言っていさめようともいっさいお構いなしで、ますます桐壺更衣ひと
すじの愛にはしろうとします。 透きとおる真水なんかと遊ばない 中野六助
世間の耳目も気にならず…愛を育む玄宗皇帝と楊貴妃
② 宮中の貴族たちも困ったものだと思いながらも、見て見ぬふり。
中国でも、玄宗皇帝が愛におぼれて国が乱れたのだなと言われはじめ、
世間でも、桐壺更衣を楊貴妃になぞらえるようになりました。
もちろんその噂も桐壺更衣の耳に届きいたたまれません。
宮中でたったひとりで怯えながらも、帝の深い愛情、それだけを頼りに過ごし
ます。 約束の途中が火事になっている 中林典子
③
桐壺更衣の父の大納言はすでに亡くなっていましたが、母の北の方は、名家の
出で、たしなみも知性もある人でしたから、両親そろった華やかな家の妃たち にひけをとらないよう、万事支度を整え、細やかに気配りを尽くしてきました。
とはいえ、これといった後見人のいない哀しさ、やはりあらたまったことがあ るときは、頼るあてもなく心細い様子です。 塩漬けにされてしまった空がある みつ木もも花
④
前世の結びつきがよほど強かったのでしょうか、帝と桐壺更衣のあいだに、
それはそれは清らかで美しい皇子までが生れました。
帝はわが皇子に会いたさに、里に帰っている桐壺を急いで呼び寄せ、ご対面に、
その類まれなる器量に目を細めます。
一の皇子の方には、右大臣という強力なバックがついていて、誰からもお世継
ぎとちやほやされていますが、美しさでは弟君のほうが断然上。
帝は、目の中に入れても痛くないような可愛がりようでした。
洗えない嬉し涙のハンカチは 杉浦多津子
弘徽殿女御(こうきでんにょご)の住む館
「桐壺物語」
「 弘徽殿女御の企み」
ある帝の世のことでした。女御、更衣と呼ばれる帝のお妃たちは、家柄のよい
選りすぐりの女性ばかり。 気位も人一倍の方たちですが、帝の気を引こうと日ごろから並々ならぬ努力を していました。そこへ、さほど格式ある家の出でもないひとりの更衣が、帝の 愛をひとり占めにし、愛の結晶を宿します。 幸せなはずのその人に、ひそやかに魔の手の忍び寄る気配です。
愛すとは舌をかむほどややこしい 宮本美致代
すでに第一皇子(のちの朱雀帝)をもうけていた 弘徽殿女御ですが、
帝の愛は実家の格も宮中の立場もずっと低い桐壺更衣ひとすじ。 ただでさえ、どろどろしていた弘徽殿のこころは桐壺の解任により、
さらに激しい憎悪でぬりつぶされます。 もし男の子が生れれば、
<帝は、最愛のわが子までないがしろにするかもしれない…>
嫉妬と猜疑心が恐ろしい謀略に火をつけます。
今しばらくはドクダミのままでいる 岡谷 樹
時は光源氏誕生まぢかのある夜、所は清涼殿の北、 弘徽殿女御の住まい。
弘徽殿に仕える女房 「連れてまいりました」
弘徽殿 「お前は退ってよい。大弐命婦はこれへ、ずっと近う」
命婦 「……」
弘徽殿 「桐壺更衣の御子の乳母にお前を推挙したのはこの私じゃ」
命婦 「ええっ こ 弘徽殿の女御さまが…!」
弘徽殿 「お前の心はその顔にでておるわ。よい!面をあげよ」
命婦おずおずと面をあげる。
弘徽殿 「これは 南蛮渡りの秘薬。これを お前の乳首に塗り
桐壺更衣の御子に含ませるのじゃ」
命婦 「えっ!」
弘徽殿 「毎日 ほんの少しずつ……な」
うなずいただけ犯人にさせられる 山谷町子
ひっそりと静まりかえった弘徽殿の一室。
紙燭の薄明りのもと、悪事が顔をもたげる。
弘徽殿 「今は里邸へさがっている桐壺更衣に姫でなく皇子が生れたら」
命婦 「!」
弘徽殿 「わかるであろう!私はわが子・一の皇子を東宮にたて、
やがては即位したい。このままでは帝の寵愛深い桐壺更衣にそれを
奪われる。ここまで聞かせたのじゃ。
背けば お前は当然一族も破滅!」 <生まれてくるのが姫ではなく、息子だったら…>
わが子・一の皇子を次の帝にしたい 弘徽殿女御は、桐壺更衣の産む御子を
恐れます。
このままでは東宮の座を、生まれてくる御子にとられてしまう。
恐ろしいその企みを聞かされ、大弐命婦はただただ苦しみ迷うほかありません。
おいでおいでと土砂降りに噴水 酒井かがり
弘徽殿 「案ずるな 御子の命までは奪わぬ 光もなく風もそよがぬ
闇の世でお暮しになるまでのこと」
命婦 「そ、そんな…」
弘徽殿 「お前が疑われることはない その兆候の表れるのは、乳離れも
終えたずっと後…推挙も人を介してじゃ。
私とお前の関係も誰にもわからぬ」 当時のお産は女性が実家に里帰りし、自分の親の世話になるのが普通。
桐壺更衣も里帰りをし、しずかな日々を暮らしています。 桐壺更衣の母である北の方も、身重の桐壺をあたたかく迎え、こまやかに
面倒をみます。格式の高い家で育ち、気品と教養をそなえた北の方は、 夫の大納言を亡くした後、女手ひとつで娘を育て、入内を果たしました。 しかし、<帝の寵愛をうけたばかりに>、いじめにあっているむすめが
不憫でなりません。
七十歳あたりで分かる砂の味 新家完司
桐壺更衣の里下がり先、二条邸。
「恐ろしい……おそろしいお方じゃ…」
震え怯えながら脳裏のなかに呟き命婦は、桐壺更衣の里下がり先、
二条邸に着くと、赤子の誕生をいまかと待つ北の方へ挨拶に赴いた。
北の方 「 誰 !? 生まれましたか?」
命婦 「いえ 乳母の大弐でございます」
北の方 「ああ…大弐命婦 よろしくお願いしますよ。娘はあの通りの
弱弱しい体、御子を産みまいらすだけで精一杯のはず。
命婦 「……」
北の方 「それに内裏へ戻れば、帝のご寵愛がかえって仇で四面楚歌。
味方は乳母のあまえだけです。力になってやってください」
命婦 「は…はい」
人間の奥を覗くと闇がある 山内美惠子
帝との間に男の子を産むこと。
それは後宮の女性のみならず、その一族の悲願でした。
帝と血縁を結び外戚となれば、男たちの地位もぐんと上がり、権力も強く
なります。桐壺更衣の父の大納言は、美貌の娘に一族繁栄の夢を託して亡 くなりました。北の方は、何の援助もないなかで支度を整え娘を入内させ、 帝の子をもうけさせるにいたりましたが、後見のない心細さは隠せず、 弘徽殿の思惑も気になる日々です。 (後見=幼い子どもなどの後ろ盾となって補佐すること)
省略は出来ぬ寿限無のフルネーム 岸井ふさゑ
命婦 「何を祈っておいででしたか」
北の方 「生まれる御子が どうぞ 姫宮でありますようにと…」
命婦 「なぜ 皇子より姫宮を?」
北の方 「弘徽殿の女御さまのお心が恐ろしいのです」
<入内した娘の皇子が即位するのが一門の繁栄への一番確かな近道。
世の人びとは、ひたすらそれを願いますのに……?
いえそれが望みで娘を入内させようとしますのに>
北の方 「弘徽殿の女御さまは今を時めく右大臣の姫君です」
命婦 「他の女御さまも、更衣さま方も、それぞれ立派な後見がついていらっ
しゃいます。桐壺更衣さまのお父上は、按察使大納言様、何の位負け も、気おくれもございません」 北の方 「いいえ亡くなれば後見はないも同然です。
女手ひとつで身の回り屋敷の手入れとがんばってはきましたが……
すこうし疲れました」 学校が人が壊れる音がする 柳本恵子
桐壺帝と光源氏御対面
自分の立場も忘れ、ただ一途にひとりの女性を愛した時の、帝と桐壺の間に 生まれた運命の皇子。 それが「光源氏」です。
皇子見たさに、早々に帝は、母子を実家から呼び寄せます。
最愛の女性が産んだ神々しいまでに美しい子ども。
第一皇子にはない、宝石のような輝きに、帝はひと目でこの皇子の虜になり
ます。 しゃぼん玉の中を独走したくなる 千島鉄男
二条邸に仕える女房たちが、小走りに北の方のもとへ駈けてくる。
「お生まれになりました! 皇子がお生まれになりました」
北の方・命婦二人は、声をあわせるように「皇子!」と叫んでいた。
「玉のようにお美しい皇子であらせられます。更衣さまもおすこやかで」
50日後-------内裏
帝 「なんと美しい 賢そうな瞳! 小さなかわいい唇! おうおう私の指
を握りしめるよ 強い力だ!」 帝 「いい子だ 元気ないい子だよ」
桐壺 「ありがとう 大弐の良いちちのおかげです」
帝 「私からも礼をいう。乳の出るからには大弐にも赤子がいよう。
なんという?」
命婦 「惟光(これみつ)と申します」
帝 「惟光か…乳母子として若宮の後盾を頼みますぞ」
命婦 「畏れ多いお言葉に……」
帝 「(桐壺へ)ひさしぶりに内裏に戻ってきたのじゃ。
今夜は局には帰らずこのまま ここに居るがよい」
桐壺 「はい」
足の指グーパーさせてから起きる 大羽雄大
弘徽殿の不安は、的中してしまいました。
桐壺が産んだ皇子はまだ、乳飲み子ながら、気品にあふれ、ただ美しいだけで
なく、一度見たら、人びとのこころをとらえて離さない不思議な魅力をそなえ ていました。 <もし帝が自分の世継ぎとして、わが子よりこの子を選んでしまったら…>
じりじりとする弘徽殿をよそに、帝の桐壺への愛はますます、燃え上がるよう
です。 ネットの匿名に紛れ込む犯人 山口ろっぱ
お食い初めの儀式
「出産50日目のお祝い」 当時の出産は母子ともに危険がともない、乳幼児の死亡率も高い時代だった。
出産直前には産婦のまわりで祈祷僧が祈り、陰陽師が祓えを行い、 外では魔除けの米がまかれて、それで賑やかだったとか。
生れてからも「すこやかに」と祈る行事がにぎにぎしく行われた。
重湯の中に餅を入れ、子どもの口に含ませる儀式で、食膳には子どものサイズ
に合わせた小さな皿、箸台、飾りものが用意された。 乳母の大弐命婦も惟光という幼子の母でした。
弘徽殿に半ば脅されたようにして謀の片棒を担がされた大弐ですが、
帝と桐壺の純粋さや、皇子のかわいらしさに触れると、その心は激しく揺れ動き
ます。帝は久々に会った桐壺と一時も離れがたく、昼夜の区別もなくかたわらに 置きたがります。 それは宮中では例のないことでした。 散歩から帰って来ない青い鳥 稲葉良岩 今は昔にはならない闇の河 峯島 妙
北野天神縁起絵巻 (北野天満宮蔵)
1016(長和5)年6月、西隣の藤原惟憲邸からの出火で、藤原道長の栄華
を象徴する邸宅であった「土御門殿」が燃えた。 天井を走る紅蓮の炎、その上で屋根にのぼった雑人たちが、類焼を食い止める
べく板を剥がしている。 棒を手に叩き消している人もいる。
井戸の側から屋根まで、梯子をかけて水を運ぶ姿もあるが、当時の消火方法と
しては、毀ち消火がもっとも有効であった。 邸内に目を移すと、板戸や家財道具ほか琵琶や筝などを、運び出す人で混乱し
ている、様子が描かれている。 つぶコーンで良ければどうぞ鎮火まで 山本早苗
『春日権現記絵』 (宮内庁三の丸尚蔵館蔵)
京の大火あと、まだくすぶる火に水をかけ消火にはげむ男たち。
そばでは焼け跡から探し物をする人。京の大火後、このような光景が随所で
みられたことであろう。
式部ー平安京のざわめき 「カーン、カーン、コーン、コーン」
木を削る手斧や槍鉋の音が周囲に響き渡る。
工人たちの活気あふれた声。
これらの音は貴族たちの住宅地のそこかしこで聞かれたはずであり、
ひょっとすると加茂川辺まで届いていたかもしれない。
場所は平安京の東北隅に近い土御門殿。
邸宅の主は、今をときめく藤原道長である。
この造作は、創建ではなく焼失にともなう再建であった。
ベランダに月の都の月あかり 佐藤真紀子
土 御 門 殿 邸
「さて焼失後・土御門殿」 諸国の受領たちが道長のもとへ火事見舞いに訪れている。
数日後には造作始めのことがあり、ほぼ2年後には、焼失前より大規模な殿舎
が出現した。 もっとも造作のほとんどを受領たちが共同で請け負ったものである。 新造なった道長の土御門殿には、生活に必要な家具・調度の一切を、伊予の守
源頼光が献上している。 その経費たるや計り知れない。 この一受領の寄進に、驚異をもった人たちは、次から次へと新邸に運び込まれ
てくる品々に目を見張ったという。 道長が「三后冊立」という前代未聞のことをやってのけ、
「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることも…」
と歌ったのは、移り住んで三ヵ月余り後の木の香も残る土御門殿での夜の宴席
においてであった。 道長邸の生活用具は華美に徹していた。 月光はすべて私のために降る 吉川幸子
火事場泥棒 (神林寺蔵)
室内から猛炎が噴き上げている。
大きな箱様のものと、大きな包みを頭に載せた男2人がその中から飛び出して きた、この2人は、家人ではなさそうで群盗か。だとすればまさに火事場泥棒 である。 「夜の盗賊・世の不安」
とりもなおさず、金銀財宝を蓄えた有力貴族は盗賊の格好の標的となった。
道長邸とて例外はない。
1011(寛弘8)年12月には、二日連続で窃盗に入られ、衣装と銀製の提
(ひさげ)が盗まれた。 1017(寛仁元)には、倉にあった金銀二千両が盗まれたが、のちに盗賊は
逮捕され、盗品の半分ほどを取り戻すことができた。 犯人はどうやら道長の家司の郎党であったらしい。
この時代の群盗は、このように京中の貴族の邸宅に仕える下層の雑色、下人ら
である場合が多かった。 犯人とわかるその手の洗い方 蟹口和枝
一方、宮内の大蔵省・民部省・穀倉院などには、諸国より、運上の物資が保管
されていたから、当然のことながら盗人に狙われた。 内裏にまで潜入した記事が散見する。
ここには、天皇はじめ後宮の人たちの高級な衣装、調度が沢山あったので、
格好の狙い所となった。
ある時には、女の盗賊二人が清涼殿に潜入し、こともあろうに天皇の御在所に
近づき、これに愕然とした天皇が、蔵人を呼んで逮捕を命じるという一幕もあ った。 片腕が置いてある京都の質屋 大橋允雄
貴族の邸宅・大和絵屏風 (神護寺蔵)
広々とした自然の景観のなかにおかれた邸宅。
甍を並べる京内の邸とは趣を異にしているが、殿舎そのものはもっとも当時に
ちかいものであろう。 京内では、有力貴族の邸のほかに、受領の邸宅が狙われた例が多い。
かれらが任国で得た財は、逐次、京の屋敷に運び込まれた。
数か国の受領の経験者ともなると、巨万の富を得て倉はふくれあがり、
それは、盗賊の狙いの的となった。 例えば、件の頼光の父の満仲の場合、道長の土御門殿と内裏の中間点に位置し
ていた邸宅が焼失したが、これは強盗放火のためであった。
また、丹波守藤原資業(すけなり)は、騎兵10余人の襲撃を受けたが、その
理由は、任国における資業の苛酷な政治への遺恨によるものとされる。 受領宅を狙った盗犯の場合、その多くは このような恨みが原因となっていた。
消しゴムが私の過去を撫でたがる 鈴木かこ
御斎会の夜の路上 (田中家蔵)
庶民の動静が貴族の日記などに記述されることは、ほとんどない。 そのため庶民を描いた絵画資料の意義は大きい。 特に『年中行事絵巻』に活写されている庶民の姿には目を見張るものがある。 これらの犯罪に対し、治安に当たり、力のあったのが検非違使で、犯人逮捕の
効果もあがっているが、それにも増して時代とともに犯罪の比率は高くなって いった。 一方、霖雨による河川の氾濫、旱魃による飢餓、疫病の流行、ときとして、
これらの天災が交錯しながら平安京を襲った。 とりわけ平安末期に相次いだ大火と、飢饉が人々に与えた不安は計り知れなか
った。 鼻濁音ばかりが耳につくお経 竹内ゆみこ
洪水で逃げ惑う人々 (歓喜天霊験記・個人蔵) いつの時代でも手のほどこしようのないものはない。ことに予知能力の未発達 な当時には尚更のこと。天災で最もよく起きたのは水害だろう。 ことに都の人たちを恐れさせたのは、東の鴨川と西の桂川の反乱であった。 ひとたび氾濫すると家財道具は押し流され、多くの人命が奪われた。 「世の末を感じて…鴨長明・方丈記」
『はてには、笠うち着、足ひき包み、よろしき姿したるもの、
ひたすらに家ごとに乞い歩く。
かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、
すなわち倒れ伏しぬ。
築地のつら、道のほとりに飢え死ぬるもののたぐひ、数も知らず。
取り捨つるわざも知らねば、くさき香世界に満ち満ちて、
変わりゆくかたち有様、目もあてられぬ事多かり』
うろこ雲敷きつめてから奈落 酒井かがり |
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