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川柳的逍遥 人の世の一家言
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ゴキブリが飛んだあっかんべえをした  小島蘭幸






                                   「源氏香の図 桐壷」  (二代豊国)               



後涼殿は、天皇の日常の住まいである清涼殿の西側に付随する建物で、
中央の通路(馬道)ぞいに南北二部屋、周囲には廂がめぐらされていました。
おもに現在の納戸にあたる納殿として利用され、清涼殿に近い東の廂は、
女官の詰所などに使われたようです。
歴史上はここに女御、更衣が住んだ記録はありませんが「源氏物語」では、
帝が桐壺更衣の控えの間にするため、後涼殿にいた更衣を別の場所に移させる
下りがあります。
また、光源氏「御袴の儀」のために、は後涼殿に収められた道具類を、
すべて出されました。




ひと吹きで失せる机の綿ぼこり  新家完司






       清涼殿・後涼殿の平面図
清涼殿と後涼殿をつなぐ「渡殿」(廊下)には「朝餉壺」(あさがれいつぼ)
「台盤所壺」と呼ばれる前庭があった。




式部ー光源氏-入門-③ 桐壺の巻





御局は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて隙なき御前渡り
 人の御心を尽くしたまふもげにことわりと見えたり。
 参上(まうのぼ)りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは 打橋、渡殿
 のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾たへ
   がたくまさなきこともあり、またある時には、え避さらぬ馬道の戸を
 鎖(さ)しこめ、こなたかなた心を合わせては、したなめわずらわせたまふ
 時も多かり、事に触れて、数知らず苦しきことのみまされば、いたいたう思
 ひわびたるをいとどあはれと御覧じて、後涼殿に、もとよりさぶらひたまふ
 更衣の曹司をほかに移させたまひて、上局に賜るす。
 その恨みましてやらむ方なし』




嫌われていてもわたしの場所だから  安土理恵







   清涼殿西廂、台盤所付近に付けられた戸。
戸は片開きで、閂をかけることができた。馬道にもこうした戸が付いていた。




※ コトバの解釈
局=後宮のなかでしきりを隔ててある部屋の事。
桐壺=帝の住む清涼殿からは一番遠い東北隅にあった。淑景舎をさす。
  中庭に桐が植えてあったので、こう呼ばれた。
隙なき御前渡り=帝がほかの女御、更衣の部屋の前を目もくれず通り過ぎて
  しまう事。
打橋=建物と建物の間に架けられた橋。取り外しがきく。
渡殿=建物から建物へ渡る廊下で屋根がついている。
あやしきわざを=ここでは、汚物を撒き散らすことと思われる。
衣の裾たへがたく=当時の女房たちの裾は長く、それを引きずって歩いた。
馬道の戸を鎖しこめ=建物の真ん中を貫いて通っている板敷の廊下。
したなめわずらわせたまふ=閉めてしまうこと。
いとどあはれ=ますます、なおいっそう可哀想。
曹司=局と同じ。
上局=帝のもとに上がる時の控えの間。いつも住んでいる所は下局。




博識の人は活字をよく食べる  木村良三




『この皇子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず、
 内蔵寮(くらづかさ)、納殿の物を尽くしていみじうせさせたまふ。
 それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この皇子の、およすけもて
 おはする御容貌心ばへありがたく、めづらしきまで見へたまふを、
 えそねみあへたまはず。
 ものの心知りたまふ人は、かかる人世に出でおはするものなりけりと、
 あさましきまで目をおどろかしたまふ』




雨音の調べ音符になる真珠  高橋レニ




※ コトバの解釈
御袴着=男の子がはじめて袴をつける儀式。
内蔵寮=宝物・献上品を管理する役所。
納殿=歴代の御物を納める場所。
ものの心知りたまふ人=ものを見る目が高い。道理をわきまえている人をさす。
あさましき=意外なことにびっくりする気持ち。
  「あさまし」は、ことのよしあしに関わらず用いられる。
およすけもておはする御容貌=第二皇子でしかも母親の身分も更衣と低いのに、
  あえて第一皇子と同じ扱いをする帝のやり方への批判をさす。



にじいろの影の持ち主いませんか  中野六助





では今様に訳して読みすすめてまいりましょう。






「春日権現験記絵」 (東京国立博物館所蔵)
下に遣り水が流れる反り渡殿。




更衣のお部屋は「桐壺」と呼ばれていました。
はこの遠い「桐壺」へわざわざ自分から、ひっきりなしに出かけていきます。
同じ妃でありながら、ほかの女御、更衣は、部屋の前を素通りされるだけ、
これでは、<やきもちも焼かず、心おだやかにゆったりと過ごせ>と、
いうほうが無理というものでしょう。




手まねきに誘われ吊り橋を渡る  清水すみれ





  掃除用の引き出しと蓋がついた便器




やはりその腹いせか、更衣に呼び寄せられることが重なると、誰かがわざ
と、打橋(うちはし)や渡殿(わたりどの)といった通り道のあちこちに、
トイレの汚物を撒き散らしたりしました。
そのため、送り迎えの女房たちの着物の裾がひどい匂いと汚れにまみれ、
目もあてられない状態になってしまうこともありました。
また、ある時には、帝のもとへ行くのに、どうしても通らねばならない馬道
いう廊下の両側の戸を、あちらこちらで、示し合わせて閉めてしまうものです
から、更衣とそのお供は閉じ込められてしまい、暗闇のなか、進むこともでき
なくなってしまいました。 このようなこともしばしばありました。





ギロチンの穴から首が抜けません  こうだひでお





こんなつらいこととが、数え切れぬほど重なるものですから、
更衣はひどく悩み患いながらも、それでもじっと耐え忍んでいます。
その姿を、はますます不憫に愛しく思うのです。
そして、後涼殿で以前から仕えていた更衣をほかへ移してしまい、
そのあいだ、部屋を自分の所へ来る時の控えの間として桐壺更衣
じきじきに与えます。
でも、部屋を追い出された局の気持ちはどうでしょう?
はらわたが煮えくり返るような思いは、結局更衣に向けられるのです。




細い月だから大事にしてあげて  藤本鈴菜







            御袴着の儀式




若宮が3歳になった年、御袴着の儀式がありました。
一の宮が、お召しになったものにも劣らぬようにと、帝は宮中の宝物を管理
する役所に働きかけ、公の品々のありたけを用いて、盛大に執り行いました。
そうした帝の心遣いも、むしろ「なぜ更衣如きの息子にそこまでするのか」
と、世間からは非難ごうごう、火に油を注ぐ結果になります。
でも、この若宮の成長していくにつれ、ますます美しく整っていく顔かたちや、
また幼くして、いろいろなことを弁えている非常に優れたご気性に触れると、
誰もが魅せられてしまい、憎らしいなどとはとても思えなくなってしまうから
不思議です。 また、世の中のことを広く知る人ですら、
「このようなお方もこの世においでになるものなのか」とまるでひとつの奇跡
を見るような心地で、ため息をついて感心されたものでした。




私の路シャッフルすればラルリララ  赤松蛍子






 若宮3歳。御袴着の儀着衣
袴をはじめて着せるこの日には吉日を選び、また、子供を吉方に向かわせて
行う。この成長を祝う行事は、やがて現在の七五三に受け継がれていった。




桐壺の巻ー③







   3歳になった若宮





若宮の乳母の大弐命婦は、悩んだ末、弘徽殿女御の命令に背くことを決意。
若宮を失明させるために渡された秘薬を、池に捨て去り、ずっと若宮を守
っていこうと心に誓った。 そして、光源氏は3歳になった。
帝の第二皇子として生まれた若宮。
光り輝く玉のようといわれた乳飲み子も、すくすくと育ち、ちょこちょこ
と動き回る、目の離せない年齢になりました。
3歳で迎える御袴着の儀式ももうすぐ、その愛らしさは、ますます宮中の
話題の的となります。
秋の野で花を摘む後涼殿の女房、鈴鹿も、偶然出会った若宮のかわいらしさ、
美しさに目を見張ります。




古典的ですが流し目には弱い  竹内ゆみこ






       若宮と鈴鹿の出会い





若い女房の鈴鹿は、ふとした機会に秋の野に遊ぶ若宮と出会います。
「まあ かわいい子。でもまだあんなに小さいのにたった一人で…?」
若宮と鈴鹿は顔をあわせて微笑み返します。
「痛っ」
鈴鹿は、花の刺にささって小さく叫びます。
その声を耳にした若宮は、
「血!血が出てる。いたい  いたい?」
若宮は口で鈴鹿の傷口へ「ふうふう」といたわりの息をかけてから、
何処かへかけ出していきます。
「なんてかわいいの、どなたの御子なのかしら?」
しばらくして若宮が母の桐壺更衣をつれて帰ってくる。
「お怪我は大丈夫ですか? この子が知らせにきましたの」




しっかりと言葉の奥を聴いてやる  柏原夕胡






    母・更衣と若宮





若宮の母、桐壺更衣のお召しが頻繁にあるうえに病弱でしたから、
若宮とはどれだけ一緒にいられたでしょうか、おそらく、親子で過す
時間は貴重なものだったでしょう。
口さがない噂がとびかう宮中を抜け出て、野でのびのびと過ごす、
短いけれど幸福なひととき、この時期の母の面影が------その後の光源氏
の女性感に大きく影響していきます。





飛ぶための力を溜めている蕾   平尾正人





そのころ淑景舎では、乳母の大弐や女房たちが若宮探しに大わらわ。
子どもも3歳位になると歩けることが嬉しくて、ふらふらと、遠出をして
しまいます。
大弐 「若宮はどこですか?」
左衛門 「これは大弐乳母」
大弐 「あなたも若宮の乳母でしょう。しっかりして!」
左衛門 「大変! さっきまでここで…」
「若宮さまぁー! 「若宮さまぁー」
と、かたわらにいた女房たちも慌てて若宮探しに加わります。
そして淑景舎の庭に下りる階(きざはし)に大弐が目をやると…。
大弐 「こんな所に野菊が!…まさか あんな遠くの裏の野へ…」
その足で裏の野へ出た大弐は、ひとりの女性をみかけます。
大弐 「あのう もし…このあたりで小さい御子をお見かけでは?
    私は若宮の乳母の大弐です」




答えなら出ていますよとやまぼうし  太田のりこ






鈴鹿の指には更衣の衣の包帯が





秋の野に佇む乳母の大弐、言いようのない胸騒ぎが通り過ぎて行く。
鈴鹿 「ええ たぶんそのお方なら…」
鈴鹿の指には、桐壺更衣の単衣の裂いた布が巻かれていた。
<では あのお方は桐壺更衣さまと…二の皇子!まるで天のお使いのような…
お心も優しくて…>
鈴鹿 「私は後涼殿の女房のひとり鈴鹿と申します」
大弐 「よかった! 若宮が母君とご一緒ならば一安心」
<わが子一の皇子を東宮にたてたい>------------.。
弘徽殿の女御のことばが、大弐の心配が脳裡をかけめぐっている。
<若宮に万一のことがあれば…いいえ、桐壺更衣さまとても同じ>
弘徽殿の女御だけではない。
内裏にはの桐壺更衣さまへの寵を妬むてきばかり。




鳩尾の奥でごろごろする小骨  栗田忠士





高貴な身分であれば、乳母も複数つけられました。
(原作でも源氏には大弐命婦左衛門とふたりの乳母の記述が見えます)
そのうちの大弐の夫は大宰府の次官という実力者で家庭も裕福でした。
乳母というと、つい授乳のイメージをもってしまいがちですが、授乳が終わ
って、ずっと養育係のような形で、その子のそばで暮らしていきます。
また大弐の息子で、源氏と乳兄弟の惟光源氏のよき従者として活躍します。
もともと桐壺更衣は、気品のある、奥ゆかしい、心優しい女性だったのです。
の愛を争う必要のない女房たちのなかには、更衣の人間性をしっかり理解
している人もいました。鈴鹿はそういったひとりです。
一方、乳母の大弐命婦は、弘徽殿女御の思惑をよく知っているだけに、
どこかしら不安な毎日です。




引っ張ると痛いぶらぶらの心  みつ木もも花




初冠の元服は12・3歳の御年頃のはず、その日まで若宮は私の雛鳥。
「この翼でしかとお守りせねば」大弐は思う。
後涼殿。御袴着の儀も終って、女房たちの噂話がかしましい。
「二の皇子のお袴着姿 まるでお人形みたいでしたって」
「拝見したかったわねえ」
「帝が着袴親をなさったなんて、はじめてですね」
「弘徽殿の女御さまの一の皇子の着袴親は、祖父さまの右大臣がなさった
 けれど、桐壺更衣さまには後見の方はないんですもの、仕方がないわ」
「だから帝としては、いっそう肩入れなさったのね」
「そうね めったなことには使わないこの後涼殿の、お道具を全部お出し
 になるくらいですもの」




ハンマーは愚痴向け 釘は寝言向け  中野六助






   「鳳凰円文螺細唐櫃」 (東京国立博物館所蔵)
平安時代のクローゼットです。



幼少時代の大きな儀式といえば御袴着の儀です。
若宮3歳の年に盛大に行われました。
帝は第一皇子に負けないようにと、後涼殿の公の宝物のありたけを出し、
じきじきに袴の腰を結びます。
しかし、この心配りこそが、人々を疑心暗鬼に巻き込むことを、
帝は、知っていたでしょうか。
<あそこまでするのだから、次の皇太子は若宮ではないのか…>
第一皇子の母・弘徽殿だけでなく、誰もがそう感じていました。



切れるほど螺子巻いてみる淋しい日  平井美智子




局では、女房たちのおしゃべりは止まることを知らないようで。
「弘徽殿の女御さまとしては、ますますもめるわね」
「一族の浮沈の問題だもの」
そこへ上位の女房が入ってきて
「余計な口はきかないで仕事をしなさい!」
鈴鹿もそこに加わって
「見たかった-------どんなに可愛いお姿だったことか…どうかお幸せに…」
「鈴鹿!今宵は亥の刻(午後10時ころ)まで筝を弾き続けなさい」
「はい」
「何があっても、やめてはなりません。弘徽殿の女御さまのお達しです」
「弘徽殿の------------?」
時は春、しかし宮廷にも季節はずれの雪が落ちてくる。
鈴鹿 「まあ雪よ!もう春なのに…なんてはかない…見定める間もなく 
 消えてしまう…」






        筝を弾く鈴鹿




天井裏ショパンの名曲流れてる  松島巳女




雅やかな筝の音の中、女たちの策謀が蠢く
女房の鈴鹿の弾く筝の音が、流れるなか、今宵もまた更衣に召されて
いきます。一見優雅に見えるこの光景の裏には、陰々たる女たちの憎悪が
見え隠れします。若宮が生まれる前からもう何年も続いているご寵愛。
もはや他の女性たちは、我慢の限界でした。
もちろんその筆頭は弘徽殿女御。気性が激しく聡明で策略家の彼女は、
ますます激しい苛めを画策します。
「帝の愛を一人占めしたい、そういう方がたのお局の前を毎夜召されて
 ゆく女がいるとしたら」
「そりゃあ腹がたつわ!女ですものわかります」



蒼いピアスあふれるものをもてあまし  太田のりこ




雪明りの中、長廊下を歩み、の待つ清涼殿へと向かう桐壺更衣と女房が
打橋にかかると…。更衣はさまざまな苛めを受けました。
当時は、現在のトイレにあたる厠はなく、部屋にある小さな箱で用を足し
ていました。これを捨てにいく係の者もいましたから、更衣が行く先の
廊下に汚物をこぼしておくことなど簡単でした。
女たちの着物の裾は大変長かったので、考えただけでもぞっとするような
状況になったでしょう。




デスノートに僕の名前が書いてある  福尾圭司

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