- 2013/08/03
- Category : ポエム&川柳
覚馬と時栄
一つの道は斗南、一つの道は京へ
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「小田時栄と山本覚馬」
蛤御門の変で負った山本覚馬の目は、徐々に悪化し、
視力を失いつつあった。
長崎でオランダ人医師・ボードインに診察を受けたところ、
失明は時間の問題との診断であった。
そのとき覚馬と親交のあった小田勝太郎が、
目を悪くした覚馬の為に、
13歳の妹・小田時栄を世話係に就けることにした。
川という象形文字に流される 原 洋志
覚馬が幽閉中に書きあげた「管見」が、
薩摩の西郷隆盛や小松帯刀らに認められ、
覚馬は幽閉中の身でありながら、優遇されていた。
時栄は、薩摩藩の許可を得て薩摩藩邸に通い、
幽閉中の覚馬の身の回りの世話を続けた。
三センチあけて座っている二人 三村一子
「新政府かくあるべし」という提言をまとめた『管見』が、
西郷隆盛はじめ薩摩藩士や岩倉具視らを感服させ、
明治2年に覚馬は釈放される。
幽閉されてから1年が経過しており、
すでに会津若松城は落城し、会津藩は降伏していた。
釈放後、覚馬は時栄と同棲を開始する。
覚馬は42歳で、時栄は16歳。
(明治時代に淫行条例のような法律は無いので罪には問われない)
どうしても泡にする気の泡立て器 筒井祥文
明治3年、覚馬が京都府の顧問に就任後、
長州藩出身の槇村正直が京都府の大参事に就任し、
覚馬は槇村正直と共に、
京都の産業復興に力を入れる事になる。
明治4年、京都府の顧問となった覚馬は、
京都府の槇村正直の自宅の隣にある豪邸に引っ越した。
引っ越した先は、江戸の町火消し・新門辰五郎の旧邸である。
(ちなみに新門辰五郎は徳川15代将軍・徳川慶喜の妾・お芳の父親である)
焼酎の湧く井戸 米を降らす雲 井上一筒
新門辰五郎の旧邸に引っ越してからまもなく。
会津から八重と母・さくと娘のみねを京都へ呼んだ。
覚馬は両目の失明に加え、
軟禁生活の影響もあって足が不自由になっていた。
そのため会津戦争の混乱の中で、
米沢に移り住んでいた家族の行方を捜しきれず、
ようやくその無事がわかったのが明治4年だった。
八重は26歳になっていた。
好き嫌いみんな憂き世の風のせい 大海幸生
川崎尚之助から届いた離縁状
覚馬の京都における生活状態を知った覚馬の妻・うらは
なくなく会津に残った。
うらとの決着がついた覚馬は、
晴れて時栄と結婚をした。
徳富蘆花の失恋小説・「黒い眼と茶色の目」
≪時栄と覚馬の間にできた子・久栄が徳冨蘆花の恋の相手である≫
アフリカの土に還そうキリンの骨 新家完司
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