- 2012/11/04
- Category : ポエム&川柳
頼朝と文覚
袈裟御前宅に忍び込む盛遠
同僚の妻であり、血縁筋にもある袈裟御前に横恋慕した遠藤盛遠は、
「私と一緒になりたければ、
今夜、寝静まった頃に寝所に押し入って、夫を殺して下され」
といわれ、夜も更けたころ袈裟の夫の寝所に忍び込み、
すっかり寝入っている様子の布団に太刀を突き立てました。
確かな手応えがあって、夫は血吹雪の中に息絶えたと思われました。
ところが、手に持ったそのを首確かめると、月明かりが照らし出しのは、
夫ではなく袈裟御前の首だったのです。
このような数々の罪を重ねて盛遠は出家して文覚となのります。
線の通り歩くと三途の川がある 田中博造
「頼朝と文覚」
平治の乱に初陣して敗れ、伊豆蛭ヶ島に流された源頼朝。
頼朝はそこで20年間という長い期間をすごし、
1180年に平氏討伐を目標に掲げ挙兵。
その挙兵の影には、ひとりの僧の存在があった。
空色の封筒で来る督促状 増田えんじぇる
文 覚
その僧とは、真言宗の僧・文覚。
彼はもともと殿様の雑役を務める侍だった。
そして出家後には、
全国の山や寺で修業や荒行をこなしてきたという。
このような特異な生き方からか、
文覚は不思議な説得力を備えた修験僧として、
知られるようになる。
その文覚が頼朝と出会ったのは、
伊豆に流されたときのこと。
文覚は神護寺再興を後白河上皇に強要したために、
伊豆に流されていた。
踝に鼻すりつけて旅なかば 酒井かがり
文覚はそこで平家打倒の挙兵を強く頼朝に促す。
これほど文覚が平家打倒を訴えたのには、
その時代の"国家仏教"の時代背景が窺える。
当時、文覚は、「仏法と政治は結びあうことで互いに栄える」
という思想を持っており、
法皇の仏教に対する信仰も篤かったのだが、
清盛がその法皇を幽閉してしまったために、
文覚にとって、平家は仏敵だったのだ。
煮て焼いて振り掛けにする言掛り 岩根彰子
頼朝に出会った文覚は、
懐から白い布に包まれた"ある物" を取り出した。
それはなんと頼朝の父・義朝のドクロだった。
文覚は、
「あなたの父の頭です。
これを首にかけてずっと山や寺で修業してきました。
義朝公はあなたが立ち上がるのを願っております」、
といい、
「あなたの流罪の許しをお願い申し出て、院宣を頂戴してきます」
と言い残して、京都との間をわずか7日間で往復して、
法皇の院宣を持ち帰ったといわれている。
広目天なら体温をあずけよう 森中惠美子
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