- 2012/01/12
- Category : ポエム&川柳
清盛出生の謎
忠盛燈籠
清盛の父親、平忠盛ゆかりの燈籠は、
六波羅蜜寺からそう遠くない「八坂神社の境内」にある。
モヤモヤした伝承のベールをはぎとっていくと、
「残るは祇園女御がおそらく清盛の養母だったであろう」
との一点のみ。
その実在した女御の痕跡は、時代に翻弄されつつも、
六波羅蜜寺(京都市東山区五条通大和大路上る東)に、
いまもとどまっている。
疑問符の付かない話しませんか 清水すみれ
「清盛出生の謎」
勃興期の平家は、白河法皇の引き立てによって、
力を蓄えていったわけだが、
「清盛の出生」にも法皇の存在は、
大きな影を投げかけていた。
古くから、清盛は白河法皇の「落胤」だったという説がある。
渦を巻く遺伝子しどろもどろの笑み 山田ゆみ葉
『平家物語』ー「祇園女御(ぎおんにょうご)」の巻より。
白河法皇が寵愛する女性に、
” 祇園女御 ” と呼ばれる女性がいた。
京都東山の祇園に住んでおり、
正式な女御ではないが、
法皇のあまりの寵愛の深さから、このように呼ばれていた。
白河法皇はしばしば、お忍びでこの女性のもとへ通っていたが、
ある五月雨の夜、女御の邸宅の近くの御堂で、
不気味な光を発する鬼のようなものに出くわした。
≪*女御=天皇の妻のうち、中宮の下の位≫
アリバイが今日に限ってありません 竹内ゆみこ
『平家物語』によるとこうである。
永久年間(12世紀初頭)、白河法皇が雨の夜に、
寵妃の祇園女御を訪ねるさい、前方に鬼のような姿を認めた。
驚いた法皇は、
北面の武士として護衛にあたっていた平忠盛に、
「あの鬼を成敗せよ」 と命じた。
法皇は供の忠盛に討ち取るよう命じたが、
忠盛は、正体を見定めるべく生け捕りにした。
すると、それは燈籠に明かりを灯そうとしていた社僧で、
雨よけの蓑が灯火で、銀の針のように見えていただけだった。
白河法皇は、
「あの者を殺してしまったらどれほど後悔したであろう。
弓矢とる身(武士)とは感心なものよ」
と、忠盛の沈着冷静な行動を褒めて、
寵愛の深い祇園女御を忠盛の妻に与えた。
このときの燈籠が、「忠盛燈籠」 だ。
整骨屋左右の靴を入れ替える 合田瑠美子
白河法皇から忠盛に下賜された祇園女御は
このときすでに身ごもっていた。
そして、やがて男児を出産する。
それが平清盛である。 『清盛皇胤説』
≪実際は祇園女御の妹が産んだ子が、清盛だったともいわれる≫
『仏舎利相承次第』の説。(近江・胡宮神社)
貴賓席にあなたの居場所とってある 皆本 雅
ご落胤伝説というと。
たいていは根も葉もない噂話にすぎないことが多いが、
清盛の場合は事情が違う。
現在、多くの歴史学者が、
「清盛の落胤説を支持している」 のだ。
清盛の尋常ではない出世のスピードを見ると、
天皇家の血筋でなければ、説明がつかないというのである。
確かに「石清水・臨時祭」に参加する清盛に、
法皇の甥である源有仁が、従者を提供しているのも、
白河法皇と清盛の特別な関係を示唆している。
12歳での「兵衛佐の任官」が、異例だったことや。
さらに不自然なのは、「平治の乱」後の急速な昇進である。
武士にとって、大きな壁である「三位」を越えて、
「公卿」に昇進してから、わずか7年で、
人臣最高の官職である「太政大臣」に登りつめたのである。
これは、当時の慣例からして、
天皇家との血縁関係なくしては、考えられないといわれている。
≪*公卿=三位以上の位階をもち、国政の審議にも携わる高級貴族≫
幾何学の都市に破調を連れ回す きゅういち
血縁関係のことだけに、断言できる証拠はないが、
少なくとも当時の貴族たちの頭に、
清盛が「皇胤である」という認識があった可能性は高い。
これが本当なら、鳥羽法皇は甥、
後白河法皇は、甥の子ということになる。
帯状疱疹 正午前の時報 井上一筒
後年のことになるが、
清盛が18歳で「従四位下」に叙されたとき、
清盛が法皇の落胤であることを知らない人々は、
その出世ぶりに目をみはり、
「花族のようだ」 といぶかった。
だが、事情を知っていた鳥羽院だけは、
「清盛は花族に劣らない」 と述べたといわれる。
≪*花族=「摂関家」に次ぐ「清華家」の家柄≫
強力な磁場でまん丸二分され 都司 豊
「平家物語」の逸話だが。
鳥羽院が清盛を重用し続けたのも、
出生の秘密と無関係ではなかったのかもしれない。
そうであるなら、
「清盛自身も出生の秘密を知っていた」 ということになる。
それは清盛にとって、誇り であっただろうか・・・?
あるいは、恥 と感じただろうか・・・?
臍の緒よ憶い出せない川がある 古谷恭一




