- 2012/01/26
- Category : ポエム&川柳
古川柳と平家
「古川柳とともにー平忠盛編」
頭痛くらいにたいそうな御建立
平忠盛は清盛の父。
忠盛は「伊勢平氏」の出身で、
平家の中でも " 田舎伊勢武者 " と蔑まれ、
出世など望むべくもなかったが、
鳥羽天皇が頭痛で苦しみ、その平癒祈願の寺を建てるとき、
たまたま現場監督をして、手腕を見せたことが、
出世の糸口になった。
≪その御頭痛の平癒が寺の号となり
寺は国宝になっている京都の三十三間堂。
俗称・頭痛山平癒寺という≫
殿上の闇に明るい太刀を抜き
忠盛は立派な寺を工期通り建てたので、
鳥羽天皇の覚えよろしくトントン拍子に出世。
妬ましく思う公家たちは、
忠盛が豊明節会の夜に参内したところを、
暗殺しようと企てた。
それを察知した忠盛は、
節会の座からスーと抜け出し、
≪暗がりで、太刀をわざと月光に反射させ、
いかにも切れ味を試すかのように、頬にあてた≫
銀箔で明かりをたてる闇の太刀
物陰に潜んでそれを見ていた公家たちは、
その示威行為に怖れをなし、襲うことができなかった。
そこで今度は、公家たちは天皇に、
殿中で刀を抜いたことの処分を求めた。
≪宮中の武器庫に預けて、退出した忠盛の刀を、
係官が調べたところ、それは” 銀箔を貼った竹光 "だった≫
忠盛は竹光をさす元祖也
これでは処分はできない。
天皇は忠盛のこの機転と知恵に感心したという。
宮中に忠盛月を捨てて行き
忠盛、鳥羽上皇に仕えている女官と親しくなり、
ある夜、その女官の部屋に泊まり、
翌朝、部屋に月の絵を描いた扇を忘れて帰った。
それを見つけた同僚の女官たちが、
「お楽しみが深くお疲れ遊ばされ、おつむも朦朧としていたのね」
と忠盛の彼女をさんざんからうと、
" 雲井よりただもり来る月なれば おぼろげにて云うわじと思う "
「雲の合間から盛月が降りて来たようだけれど、
不確かだから云わないでおきましょう。皆さんもそうしておいてくださいな」
と何とも味な歌で返した忠盛の彼女。
忠盛は土産をつけて拝領し
ある褒美に忠盛は鳥羽上皇から、
上皇の愛妾の祇園女御をもらい受けた。
≪女御の腹にはすでに、上皇の子が宿っていた≫
食いかけの芋を忠盛へ下さるる
芋は「妹」にかかり愛人や妻のこと。
上皇の条件がひとつあり、
「女ならワシの子、男なら君の子」
≪生まれたのが、男の子・清盛であった≫
忠盛は手っこに追えぬ子をもらい
衆知の通り、清盛は手に追えない乱暴ものだが、
ルーツを思えば、
大物になる条件をも合わせ持っていた。
『平忠盛』
父・正盛の地盤を継承し、
白河・鳥羽両院政を経済力と武力の両面から支えた。
受領を歴任して、富を蓄積するとともに、
「受領や海賊追討使」の地位を利用して、
西国の武士や海賊を家人に組織した。
また「日宋貿易」にも関与し、長承元年(1132)
武士で初めて、内昇殿許される。
趣味は和歌で、多くの歌会・歌合に参加している。
内裏への昇殿を望み・・・次の歌を詠んだ。
” うれしとも なかなかなれば いはし水 神ぞしるらん 思ふ心は "
【嬉しいなどと申すのも中途半端なようなので、申し上げまい。
石清水の神は、言葉に言わずとも 心の内を分かってくださるだろう】
つま先は今夜 踵は明後日 井上一筒
[川柳瓦版 誌上競詠・『咲くやこの花賞』 のお知らせ]
皆様へ、「誌上競詠」へのご参加を心よりお待ちしております。
内容は下記の通り、ハガキにて投句してください。
2月のお題 「始まる」 選者 森中惠美子
3月のお題 「食」 選者 井上一筒
4月のお題 「衣」 選者 赤松ますみ
参加料/1年間ー(24年2月~25年1月) 2000円 (切手可)
(同人、誌友は 1000円)
締切 毎月20日
表彰 毎年3月句会で発表。(一位に優勝杯 二位~十位に瓦版特製記念品贈呈)
投句先 (572-0844)
寝屋川区太秦緑が丘11-8 川柳瓦版の会宛




