- 2010/11/19
- Category : ポエム&川柳
龍馬伝・大政奉還
”大政奉還”は慶喜の「高度な政治判断」であったが、その目論見は外れた。
「大政奉還への道」
大政奉還は、徳川慶喜が放った「起死回生の奇策」というイメージで語られてきた。
政権を返上してしまえば、
薩長らの掲げる「倒幕」は、意味をなさなくなるという論である。
たしかに朝廷は、日本全土を統治する能力はない。
外国から一人前の政権として、認められるだけの外交実績もない。
≪まるで現在の民主党(菅政権)の事を言っているようである≫
「薩摩や長州は、しょせんは寄せ集めだから、やがて進退窮まって、
徳川家を盟主とする政権を、作らざるを得なくなるだろう」
そのような「高度な政治判断」で考えた、慶喜の”大政奉還”であった。
橋上にうかつに耳を置いてくる たむらあきこ
「一方、薩土盟約を実現した龍馬らの構想は・・・?」
大政奉還と武力倒幕は、一般的には、対立する概念と思われているが、
そうではない、いきなり幕府を軍事力で倒すとなると、
土佐藩のような親幕府的な心情を抱いている藩は、なかなか踏み切れない。
大政奉還を経ての、新政権構想を掲げることで、
「土佐藩のみならず各藩を次々と巻き込み、事実上、幕府を無きものとしてしまう・・・」
≪「薩土盟約は、あきらかに幕府を否定している」
「王政復古は論なし」
「国に、二帝なく、家に二主なし、政刑唯一君に記すべし」
「将職に居て政柄を執る、是天地間有るべからざるの理也」≫とある。
太陽に豆板醤をまぜた 石田柊馬
当時、全国のほとんどの藩において、藩内世論が分裂状況にあった。
「揺れ動く」諸藩を、可能なかぎり、
「倒幕」という、ゴールにつながる道筋に引き入れるため、
まずは、幕府に「大政奉還」をさせる。
最後は、徳川権力の廃絶につながっている「渡り廊下」としての、
大政奉還という考え方であった。
渡り廊下に入ってしまえば、
「徳川権力の剥奪」という建物に向かうしか道はないから、
結局は武力倒幕が実現する。
≪”大政奉還しない幕府を倒すこと” と、
”大政奉還して、弱体化した幕府を倒すこと”
を較べれば、明らかに後者のほうがハードルは低いのだ≫
渡らせて淵となりゆく桂川 杉浦多津子
後藤象二郎は大政奉還・「建白書」を幕府に提出する。
慶応3年(1867)10月3日のことである。
後藤は、当時、徳川慶喜は二条城に滞在していたので、
13日には、二条城におもむき、
慶喜の決断を仰ぐために会見におよぶ。
その会見の直前、後藤は龍馬から激励の手紙を受け取っている。
「もし後藤が戻らなければ・・・海援隊を引き連れて、慶喜を襲撃して自分も死ぬ」
さらには、もし後藤の献策が失敗して、
「大政奉還の機会を逸したならば・・・
その罪は天が許さないだろうから、もはや生きていられないだろう」
と、後藤を脅迫するかのような、ことさえ書いている。
なみなみの今を零してはならぬ 山本早苗
大政奉還が発せられた、二条城二の丸御殿大広間
大事にあたる際のこうした迫力、覚悟もまた龍馬の一面を語っている。
龍馬は決して、単純な平和論者ではなかったし、
時代の大変革が起こる過程では、
「ある程度の犠牲が出るのは止むを得ない」 と考えるリアリストでもあったのだ。
そして、後藤の献策をうけた慶喜は、その日のうちに、
在京40藩の重臣を二条城に招集し、「政権返上」を告げる。
翌14日、「大政奉還上表」が朝廷に提出され、
15日の朝議において、勅許が下り、大政奉還は正式に成立する。
もはや賽は投げられた。
時代状況は、倒幕へと向かう激流となり、
龍馬もまた、その激流の中に身を置くことになる。
『龍馬伝』・第47回-「大政奉還」 あらすじ
大政奉還へ、
容堂(近藤正臣)の書いた建白書を受け取った将軍・慶喜(田中哲司)は動揺する。
龍馬(福山雅治)は、慶喜に一番近い永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直接会い、
「徳川家を存続するためにはこれしかない」
と説き、慶喜を説得してくれと頼む。
あきらめたらあかん苦労が無に帰る 鈴木栄子
弥太郎(香川照之)は、「戦が始まり武器が高く売れるようになる」
と、銃を買い占めていたが、
ふと、「龍馬なら大政奉還を成し遂げる」
と思い立ち、方針転換して手持ちの銃を売りに転じる。
一方、永井玄蕃頭に後押しされ、慶喜は二条城に諸藩を集め、
大政奉還を問うが、どの藩も反対しない。
時流を悟った慶喜は、大政奉還を決意する。
知らせを待つ龍馬のもとに、勝(武田鉄矢)が訪れる。
幕臣である勝は、龍馬がなくそうとする幕府の人々の将来を憂うが、
龍馬は、
「皆が同じように、自分の食いぶちを自分で稼ぐ世の中になる」
と返す。
そこへ大政奉還の知らせが舞い込み、
新しい日本の夜明けに歓喜する龍馬。
しかし、武力討幕を目指してきた”薩摩や長州”、
幕府に忠誠を誓う”新選組”、
そして、揺るぎないはずだった”権力を奪われた将軍、幕臣たち”が、
自分たちの道をことごとく邪魔をする、
龍馬の命を狙い始める。
≪「余談」ー龍馬は大政奉還後の政権を慶喜が主導することを想定していた。
しかし、慶喜本人が、龍馬という人物の存在を知ったのは、
明治に入ってからであった≫
生と死の中ほどに立つ彼岸花 前田扶美代
≪豆辞典 一の間、二の間を合わせると92畳の大きさ≫




