酒蒸しのアサリ開かぬ奴がいる くんじろう
紫 式 部 檜 扇
17世紀、江戸時代初期の作、紫式部を描いた金箔をはった扇子
通説によると、紫式部は、藤原道長の推薦で1005年(寛弘2)12月
29日に中宮・藤原彰子のもとに初出仕するが、ほどなくして自宅に引き篭
もってしまう。
紫式部が宮仕えにあまり気もすすまず、思い悩んでいるときに人が、
「ずいぶんと高貴な人ぶってる」「教養をひけらかす女」と、陰口を言って
いるのを耳にしたからである…。
後ろからひやりと肩を叩かれる 宮井いずみ
"うきことを思ひみだれて青柳の いとひさしくもなりにけるかな "
(嫌なことを思い悩まれて、里下がりが青柳のように長くなりましたね)
宮の弁のおもとが、いつ参内なさるのですか、と歌を贈ってきた。
それに答え、紫式部はおもとへ返歌を送った。
" つれづれとながめふる日は青柳の いとど憂き世に乱れてぞふる "
(長雨が降る日は、ますます嫌な世の中に悩まされ、柳の枝のように思い乱れ
て過ごしています)
人嫌いを憂鬱にする花便り 藤本秋声
中宮彰子び教育担当になった紫式部
紫式部だって、もともとはそんなに身分は低くなく、地元では蝶よ花よと育て
られた身。 いやいや仕事をする必要はない。
ところが突如不幸が訪れる。
紫式部が夫(藤原宣孝)と結婚し、一児の母になったと思いきや、夫が急死し
てしまうのだ。 突然未亡人になる。
そんな時、「宮中で働かない?」とスカウトされた。
女房として働き始めた彼女にとって、宮中での生活は、苦労も多い場所だった
らしい。
" わりなしや人こそ人といはざらめ みづから身をや思ひ捨つべき "
(しかたないとはいえ。人は私を人並みとは言わないだろうが、
自ら自分を捨てることなどできるのだろうか)
そして5か月ほど引き篭もって再び出仕すると…、教養のない女を演じ始めた
のである。
ヘタ切り落とすと大人しくなった 竹内ゆみこ
思 い 悩 む 紫 式 部
乱れた男女関係に苦悩する紫式部も苦悩
宮中に仕える「女房」は必ずしも名誉ある仕事ではなかった。
式部ー紫式部の女房生活------愚痴と文句と悪口と
「寒い、寒い、もうこんな仕事いやだ」
中宮彰子が、私邸から内裏へ帰ってきた日のこと。
里帰りに一緒に着いていった紫式部は、中宮が、内裏へ戻るタイミングで一緒
に帰って来る。
しかし、帰ってきたらもう夜も更けていた。
京都の冬の夜、そのへんの部屋でとりあえず寝ようとするにも、寒い。
紫式部は同僚と一緒に「寒い、寒い、もうこんな仕事いやだ!」
と愚痴を言い合っている。
感情を製氷皿に注ぐ夜 渡邊真由美
【原文】
『細殿の三の口に入りて臥したれば、小少将の君もおはして、なほかかるあり
さまの憂きことを語らひつつ、すくみたる衣ども押しやり、厚ごえたる着重
ねて、火取に火をかき入れて、身も冷えにける、もののはしたなさを言ふに、
侍従の宰相、左の宰相の中将、公信の中将など次々に寄り来つつとぶらふも、
いとなかなかなり。
今宵はなきものと、思はれてやみなばやと思ふを、人に問ひ聞きたまへるな
るべし』
なるようになるさと月が笑いかけ 掛川徹明
二人の宰相が紫式部ら女房の部屋を覗きにくる、奥には仲間の女房がいる
帝の土御門邸行幸翌日の10月17日、中宮権亮藤原実成と中宮大夫藤原斉信が、
紫式部のいる「宮の大夫の局」を訪れる。
呼び掛ける実成と斉信(ただのぶ)、蔀戸越しに顔をのぞかせる紫式部。
直衣姿の男性が藤原実成(右)と直衣姿の男性が藤原斉信(ただのぶ)
【訳】
局で私が横になっていると、同僚の小少将の君もやってきた。
「宮仕えの仕事って、きついし、つらいよねえー」
そこで女同士の愚痴やら、とりとめもない文句や世間話が始まった。
紫式部は、寒くてしょうがないので、とうとう私たちは、寒すぎて硬くなった
衣を脱いで、横に置き、綿入りの分厚い衣を重ね着することにした。
そして香炉に火をつけてあったまる。
「しょうがないんだけど、こんなみっともない恰好しちゃって恥ずかしいわ」
と2人で嘆き合うのだった。
そんなところへ間も悪く、侍従の宰相、左の宰相の中将、公信の中将など
たくさんの男性たちが挨拶をしに来た。
同じ愚痴持ち寄り午後のカフェテラス 吉川幸子
「何でこんな恰好してる日に限って来るわけ! もう今夜は、いないものだと思
われたいんですが!」
と、口には出せないものの、心はぶちぎれた。
「たぶん誰かが、今日はあの子たちがここにいるよ、って言ったんでしょう!」
「明日朝早く出勤しますね~。今日は寒すぎて、ゆっくりお話もできませんし」
と、言いつつ、そそくさと帰る男性陣の後ろ姿を見つめ。
「あんなに早く帰りたがるなんて…家で素敵な奥様が待っていらっしゃるのね」
(心の声は)…「いや、これは私が未亡人だから言ってるんじゃなくて…」
と言っている。
なんだったんだろう さっきに嵐は 清水すみれ
【原文】
『「いと朝に参りはべらむ。今宵は耐へがたく、身もすくみてはべり」
など、ことなしびつつ、こなたの陣のかたより出づ。
おのがじし家路と急ぐも、何ばかりの里人ぞはと、思ひ送らる。
わが身に寄せてははべらず』
忍耐もここまで眉が描けない 靏田寿子
「紫式部の本音」
寒いなか、なんとか同僚と身を寄せ合って寝ようとしているのに、
仕事場の男性たちが来て、相手をしなければいけないことに、内心腹立たしく
思っている紫式部。
「今宵はなきものと思はれてやみなばや」なんて、
「今夜はもういないもんだと思ってくれ~」
という本音がかなり出ている。
潮時ですからとソーダー水の泡 みつ木もも花
【原文】
『かうまで立ち出でむとは、思ひかけきやは。
されど、目にみすみすあさましきものは、人の心なりければ、今より後の
おもなさは、ただなれになれすぎ、ひたおもてにならむやすしかしと、
身のありさまの夢のやうに思ひ続けられて、あるまじきことにさへ思ひかか
りて、ゆゆしくおぼゆれば、目とまることも例のなかりけり』
バランスを立て直すとき歎異抄 星井五郎
「そんなことより仕事が嫌だ」
「私も昔は、こんなふうに人前に出て働くことになるなんて、想像もしてなか
った。でも人間って慣れるもんだから、私もいつかは仕事に慣れて、図々しく
人前に出て、顔をさらしてもなんとも思わなくなるんでしょう…ううっ、
想像しただけでそんな自分、絶対に嫌~!」
女房仕事文化に染まった将来の自分を想像した私は、「ほんとうに無理」
と、ゾッとしてきて、華やかな儀式も目に入ってこなかった。
潮時ですからとソーダー水の泡 みつ木もも花
嫌な宮仕えも読書・執筆が…一番落ちつくときである
「顔をさらす」ことに抵抗感がある」
とにかく女房の文化に慣れなかった、いや慣れたくなかった紫式部。
「顔をさらす」必要のある仕事に、かなり抵抗があったらしい。
しかし、彼女が仕事に対して、無気力だったかといえば、そうでもない。
実は、紫式部日記には、職場の同僚たちの仕事っぷりに対する批判もきっちり
記録されている。
とある貴族の男性がやって来て、女房たちに仕事を頼んだ日の日記。
その時の対応があんまりだった…と紫式部は嘆いているのだ。
風向きに尻尾を振った身の不覚 石田すがこ
先日、中宮の大夫がいらして、女房に、中宮様への伝言を頼む、という機会が
あったのだけど、身分の高い女房たちは、恥ずかしがって、来客者に顔も合わ
せず、そのうえ誰もはっきりしゃべらない。
ちょっと声を出したとしても、小さい声だけ。
みんな言葉を間違えるのを、怖がって恥ずかしがっているのでしょうけれど……
それにしたって、対応する女房が一言もしゃべらないし、姿も見せないなんて
こと、ある!?
ほかのところの女房たちは、そんな仕事の仕方、してないはず。
もともとの身分がどんなに高い方でも、いちど女房として、仕事を始めたから
には、郷に入っては郷に従えなのに! こちらの皆様はお姫様気分のままみたい」
いつも逃げる用意をしてる心太 赤松蛍子
【原文】
『まづは、宮の大夫参りたまひて、啓せさせたまふべきことありける折に、
いとあえかに児めいたまふ上臈たちは、対面したまふことかたし。
また会ひても、何ごとをか、はかばかしくのたまふべくも見えず。
言葉の足るまじきにもあらず、心の及ぶまじきにも、はべらねど、
つつまし、恥づかしと思ふに、ひがごともせらるるを、あいなし、
すべて聞かれじと、ほのかなるけはひをも見えじ。
ほかの人は、さぞはべらざなる。
かかるまじらひなりぬれば、こよなきあて人も、みな世にしたがふなるを、
ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ』
あたふたと逃げ出したのは洗面器 木口雅裕
「紫式部 反省と妥協」
職場の同僚に、「ただ姫君ながらのもてなしにぞ、みなものしたまふ」
(みんなお姫様気分でいるみたい)と書くなんて! なんて切れ味の鋭い批判
なんだ!と苦笑してしまう。 キレキレの悪口である。
しかも、もともとが、身分の高かった人に限って、女房仕事をするとなると
お姫様気分でうまくいかない…なんて、職場の人物描写として意地は悪いが、
気持ちはわかる。
私ではなくなる前に懺悔録 遠藤哲平
[5回]