- 2026/08/23
- Category : アルバム(風景)
都市伝説を検証する
都市伝説検証する
「東 都 三 ツ 股 の 図」
天保2年(1831)に歌川国芳が、隅田川と小名木川が交わる中州から対岸
方向(深川)を見て、手前には、川岸に置かれた船の底を、2人の船大工が、
防腐処理のため火で炙っている様子が描写され、背後には川を隔てて「佃島」
の町並みや「永代橋」小名木川河口にかかる「萬年橋」が見え、一見すると、
江戸の水辺を描いた日常の風景である。
方向(深川)を見て、手前には、川岸に置かれた船の底を、2人の船大工が、
防腐処理のため火で炙っている様子が描写され、背後には川を隔てて「佃島」
の町並みや「永代橋」小名木川河口にかかる「萬年橋」が見え、一見すると、
江戸の水辺を描いた日常の風景である。
ただこの中に目につくのが「東京スカイツリー」にそっくりな塔が描かれてい
ることだ。国芳は180年も前に、スカイツリーの建設を予言していたのだろ
うか。歴史研究家・能城秀喜さんは「木の積み方から見て、”井戸掘り櫓” では
ないか」と予測する。
ることだ。国芳は180年も前に、スカイツリーの建設を予言していたのだろ
うか。歴史研究家・能城秀喜さんは「木の積み方から見て、”井戸掘り櫓” では
ないか」と予測する。
「国芳はほかにも、同じ櫓を描いていて、形も似ています。ちなみにその左隣
に描かれている少し低い塔は、火の見櫓であるといわれています」
に描かれている少し低い塔は、火の見櫓であるといわれています」
しかし、井戸掘り櫓にしては、あまりにも高さが際立っているという指摘もあり、
真実は不透明のまま。
真実は不透明のまま。
「伝説の発端」
江戸時代にこれほどの高さを有する建造物は、少なくとも町中には、ほぼ存在
しないことから、歌川国芳が未来を予言し、東京スカイツリーを描いたのでは
ないかと囁かれるようになった。
しないことから、歌川国芳が未来を予言し、東京スカイツリーを描いたのでは
ないかと囁かれるようになった。
当時の火の見櫓は、高さが最大で約10m。1841年(天保12年)に出された「菓
子話船橋」(江戸の菓子屋[船橋屋]の主人が菓子の作り方を記した本)のなか
にも、三ツ股付近にそびえる火の見櫓の絵が描かれている。
子話船橋」(江戸の菓子屋[船橋屋]の主人が菓子の作り方を記した本)のなか
にも、三ツ股付近にそびえる火の見櫓の絵が描かれている。
もし火の見櫓のすぐ傍に、謎の塔が立っていたとすれば、高さは20m程度で十
分。さらに、当時、町なかに建てる塔で相応の高さを有するのは「井戸掘り用の
櫓」くらいしか存在しない。つまり「東都三股の図」に描かれているのは東京ス
カイツリーではなく、たんなる櫓に過ぎなかったということになる。
分。さらに、当時、町なかに建てる塔で相応の高さを有するのは「井戸掘り用の
櫓」くらいしか存在しない。つまり「東都三股の図」に描かれているのは東京ス
カイツリーではなく、たんなる櫓に過ぎなかったということになる。
「あらためて実際の絵を見てみると、川幅も広めに描かれ、遠近感がダイナミッ
クに演出されていることが分かります。浮世絵は写実よりも印象を重視するのが
醍醐味。歌川国芳の遊び心やサービス精神が、没後150年以上を経て、再び日の
目を見ることになったというのが真相か」
クに演出されていることが分かります。浮世絵は写実よりも印象を重視するのが
醍醐味。歌川国芳の遊び心やサービス精神が、没後150年以上を経て、再び日の
目を見ることになったというのが真相か」
役者の似顔絵御法度の時世だから落書きにしてみました。
バンクシーよりも180年早く「落書き」を残した国芳である。
『相 馬 の 古 内 裏』
原作(山東京伝『善知安方忠義伝』)では数百の骸骨と戦うと
ところを、国芳は一体の巨大なものに変えた。さらに三枚続は
一片でも成立するよう描くのが慣例のところを、画面いっぱい
に骸骨を描き込んだ。そこが国芳の画法である。また、骸骨の
描写は学術的にもかなり正確になされていることから、国芳は
西洋の解剖学に関する書物を参考にしたものと考えられている。
「遅咲きの奇才・歌川国芳」
画才を認められた歌川国芳は、15歳で歌川豊国への弟子入りが認められ、若く
して絵画の道を歩みはじめました。
して絵画の道を歩みはじめました。
ところが、国芳の絵はまったく世間に認められません。絵は売れず、師匠に月
謝を払うこともできない。兄弟子の家に居候して日銭を稼ぎながら腕を磨くと
いう、長い下積み時代を過ごすことに…。
謝を払うこともできない。兄弟子の家に居候して日銭を稼ぎながら腕を磨くと
いう、長い下積み時代を過ごすことに…。
国芳が日の目を見るのは、30歳を過ぎてからでした。
歴史上の武将・伝説の英雄や、その合戦の様子を描いた「武者絵」に活路を見
出して、中国の小説・『奇譚水滸伝』を題材に「通俗水滸伝豪傑百八人之一個
[壱人(いちにん)]」を描くと大ヒットを得ました。
出して、中国の小説・『奇譚水滸伝』を題材に「通俗水滸伝豪傑百八人之一個
[壱人(いちにん)]」を描くと大ヒットを得ました。
躍動感あふれる自由な筆致と、カラフルな色彩が江戸っ子の心を鷲づかみにし、
ようやく画家としての第一歩を踏み出したのです。
そしてその奇才ぶりが発揮され、民衆を喜ばせました。
そしてその奇才ぶりが発揮され、民衆を喜ばせました。
高さではこんな絵も描いています
歌川国芳ー奇才絵師の魔力 大阪中の島美術館
図では大判の紙を縦に三枚つなげて塔の高さを表現。
塔の上下で、にらみ合う二人の視線に合わせて塔の上部は仰ぎ見るように、
下部は見下ろすように描き、迫真の空間を作り出している。
屋根から突き出た相輪にわずかな雪を残すなど、雪景色を細部まで丁寧に
描き、臨場感を持たせている。
図では大判の紙を縦に三枚つなげて塔の高さを表現。
塔の上下で、にらみ合う二人の視線に合わせて塔の上部は仰ぎ見るように、
下部は見下ろすように描き、迫真の空間を作り出している。
屋根から突き出た相輪にわずかな雪を残すなど、雪景色を細部まで丁寧に
描き、臨場感を持たせている。
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