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川柳的逍遥 人の世の一家言
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美しい車力熊野の湯葉へ来る  説教節



「詠史川柳」
江戸の景色 湯屋ー② 山東京伝 黄表紙





         
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『賢愚湊銭湯新話』
曲亭馬琴の師であり、また半世紀早く金の取れる唯一の作家として
活躍した山東京伝は、遊里短編小説としての洒落本の第一人者であり、
浪漫的な伝奇小説、読本、そして黄表紙においても一流の作者である。
その京伝が著した『賢愚湊銭湯新話』は、享和二年(1802)出版の
黄表紙で、寛政改革時に厳しい出版取締令が出た後の出版であるため、
教訓的姿勢が濃厚であり、文芸的価値の点では、高く評価されないが、
江戸文化における「銭湯」を知るための資料として貴重なものである。
ついでながら黄表紙について、絵と文とを同時に並行して見、読むと
いうところは、現代の劇画に似ているが、軽妙、洒脱、機智に溢れて、
泰平の江戸の住人の興味を、そのまま反映しているところに、特殊な
価値を有するものである。
黄表紙とは、こんなものであったことを絵と合せ読んでみてください。



 


賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)と湯屋の湯番は高きところに上りゐて、
その形よく似たり、賓頭盧は衆生を済度するが役目、湯番は人の出入り
を守るが役目なり。これ軽き役にあらず、たとはゞ天道様ありて、人の
善悪を見分け給うがごとし。然れども湯番はもとが凡夫なれば、をり々
居眠りをして、出入の人に草履を履き違へさせ、帯を間違へさせること
などもあれど、天道様は居眠りなどはし玉わず、つねに日月の眼を押し
開きて、人の善悪を見分け玉ふ故に、あなたに少しも誤りあることなし。
天道様が見通しといふは、此故なり。
「わしが草履をかぼちゃのやうな頭のぢいさまが履きちがへて行ったと
いふことだ。裸足では帰られず、これは当惑千万だ。
ぞうりでかぼちゃが当惑とは、此の事であんべい」



 

    定
一、神儒仏の教は不申及主人父母の命をかたく相守可申候事。
一、身の用心大切に可仕候事。
一、極老の御方貪欲の源 入被成間敷(いりなされまじく)候。
一、浮気と云う悪敷病ある御方、色里へ御入込御無用の事。
一、心に奢りの風立候節は、何時成共御断なく身上しまわせ申候。
一、金銀其外大切の品御持参の御方、旅の夜道御無用の事。
一、名聞利欲の喧嘩口論、喜怒哀楽の高声御無用の事。
一、魂魄(こんばく)の失せ物不存候。
一、地水火風のあづかり物不仕候。

   月 日


   定
一、ひとむかし  拾ねん
一、子供のうち  八ねん
一、わかざかり  廿ねん
一、札銭人間一生ニ付  五十枚
一、陰徳をほどこす時は人間一生二度入りの御方となり、
  百年の寿命も保たれ申候。
一、右の通りご承知の上、正直に世渡り可被成候。

   月 日




 

そもそも銭湯の風呂口を石榴口といふは、むかし鬼子母神千人の子を
腹のこの中へ隠し玉ひしことあり。
風呂口も千人万人の人を隠しいるゝところなれば、鬼子母神の縁により
て石榴口と名付けたるよし。又諸人風呂へ這入る姿は蟒蛇(うわばみ)
に呑まるゝやうなりとて、蛇喰口とも名づくるよし、つくづく考ふるに、
正直なる人は楽しみ多く、邪なる人、愚痴なる人は苦労多し。
故に邪苦労愚痴なるべし。
されど尊きも賎しき湯へ這い入る時は裸となる。
これ天地自然の姿にて、風呂口より出る人は、産湯を浴びて生れ出るが
如く、着物を脱捨てて風呂へ這入る人は、この世金銀家財を残し置きて、
死して沐浴を受くるがごとし。
いかほど不精な人も此の二度の湯はぜひ々浴びねばならず、
死あるが故に生あり、生あるが故に死あり。
生死一重が儘ならぬと唄いしも此の事なり。





 

「すべるは すべるは どこい どこい。
 いちばん滑ってくんさるなら、かたじけ流しの真ン中だあも さ。
 こいつは朝湯なのせりふだ。
「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ。だが、ふく坊は風呂へ這入って
 いい子になったぞよ。かかァが乳をためて待っていよふぞ。
「ことしは静かな良い春じゃ。去年中の心の垢を洗い落として、
 恵方参りとでかけやう。




 

諸人入込の銭湯は、貴賤老若混雑の世界によく似たり。
初会の床の当推量、辻占いの八つ当たりも、大概は衣装着物で見てとる
なれど、湯へ這入る人はみな裸なれば、貴賤上下おしなめて見分け難く、
襟に瘕(なまづ)のできたは鰻屋の隣の人か、顔に雀斑(そばかす)の
あるは饂飩屋(うどんや)のかみ様か、額に疥(はたけ)、肩に田虫が
できたは百姓の息子か、鳩胸は豆屋の亭主か、鮫肌は蒲鉾屋の隠居か、
手の長い人には油断なるまい、内股に膏薬を貼った人には滅多なことは
言われまい。小賓(こびん)に痣のある人は景清が末葉ならん。
背中に竜を彫った人は水滸伝の九紋龍が子孫かと、これ皆当推量の目利
きにして、まことの目利きにあらず。
人の心の善悪もなりふり顔つきで見分けがたきこと、この道理なり。



 

「お前の背中は猫背中だから、鼠の糞のような垢がよれます。
「二百はずむからずいぶん糠袋を買いつかんで、脂垢を西の海へさらり
 と流してくりやれ。よく、洗いましょ、垢落しだ。
「南無金毘羅大権現大平饂飩蕎麦か。
「あなたは桂馬様ではございませんか。お飛車しや 々
「かやうに金を握って申すは失礼でござるが、貴公の歩はお達者かの。





 

朝湯の人の身にひゝりとしみるは、此ごとく朝から家業を身にしみろと
いふ教え、仏嫌いな爺様も、湯へ這入れば我知らず南無阿弥陀南無阿弥
陀と念仏を申す。皆これ銭湯の湯徳也。
「人裸になれば貴賤上下を分け難し、然れども、土佐裃に外記袴、
半太羽織に義太股引と、一ㇳ口づつの湯屋浄瑠璃、豊後正伝唄祭文、
潮来四つ竹新内節、猫じゃ猫じゃに到るまで、ただその好む所によりて、
人柄の上下が知れるなり。
隅にいる人がいふ。
「さつきから聞いていれば、謡いもあればめりやすもあり。
 触り文句に責念仏,神祇釈教恋無常、これはとんだ乗合舟だ。
「一家も一門もない、きなかものでござい。ごめんなさいまし。




 


「これは強勢に熱い湯だ。
 焦熱地獄の銅壷の蓋か、不動様の背中ときてゐる。
「たがひの心うちとけて、うわべはとけぬ五大力、さはさりながら、
 変る色なき御風情っさ。
「あゝいゝ加減な湯じゃ。これがほんの極楽往生、あゝ南無阿弥陀 々。
「おぬいは涙せきあへず。恋は女子の癪の種。
「阿蘇の宮の神主友成とは我が事なり。






 

湯屋の流しも折々砂をつけて磨かざれば、人を滑らして大きな怪我を
させることある故、毎日々怠らずこれを磨くなり。
人の渡世も亦折々気をつけ、十露盤の玉をもって磨かざれば、
商いに上滑りがして人の身代に怪我をさせるのみにあらず、
我が家蔵の腰をぶんぬき、大工の骨接ぎ、左官の鏝療治(こてりょうじ)
でも治らず、晦日物前に打身がおこりて、終に病のもととなる。
怠らず商売を磨くべし。
「玉磨かざれば光なしだ。流しも洗わねば、溝板同然だ。
「さっさとこすれや、節季候 節季候。







 

草木こころなしといへども湯にも心あり。人の心には私ありて、
湯の心には私なし。それはまた何故といふに、人ひそかに湯の中にて
放屁する時は、直にぶくぶくと音がして、泡のやうなるもの浮み出る。
これすなわはち人の心に私ありて、湯の心に私なき証拠なり。
「もふ昼だそふで、腹が少し北山の武者所だ。酒を一杯熊谷なら、
 せめて二八の敦盛でもしてやりたい。
「かう毎日柄杓を持つが商売とは、梅が枝が川留めにあったやうだ。
 芝居だと手裏剣を受け止めて、巡礼に御報謝という役だ。





 

芝居にも土用休みあり。職人にも煙草休みあり。
湯屋にも定まれる休み日があって、風呂場を乾かし、小桶を干し、
風を入れ、日に照らすは、水に腐らせぬ用心なり。
大酒を好むものも此の道理にて、毎日々酒浸しになって休み日が無ひと、
腹が小桶のやうに張って、鼻が石榴口のやうに赤くなり、
壁のあばら骨があらわれ、四十四の骨の柱が腐って、命のを失ふこと
目前なり。慎みて大酒を好むべからず。
「此の本には女が少ないとて、おいら二人が此処へ書かれたのさ。
畢竟(ひっきょう)作者のおさきだま。
両方から駒下駄を履いた女中が来て、
「おやおやどうしやうの、休みじゃ無へと思ったに。
「わっちもさ。照らされたよ。どうしやうの。
と二人ながら下駄で来た故、げたげたと笑ふ。これを湯屋笑ひといふ。









湯屋の若い衆、休み日に奢りかける。
「かう奢っては明日の貰い湯を台無しにするぞよ。
「はて酔ったら儘の川千鳥、足がひょろつくぶんの事だ。
 もふ一つ もふ一つ。
 絵の△は、京伝の宣伝が書いてある。
一、忠臣水滸伝 売り出し中、お求めのほどよろしく。
一、京伝煙草入新型 京伝は煙草入れを発明したことで有名。






 

湯屋にも仁義五常あり。
湯をもって人を温め、草臥れ(くたびれ)を休めるは仁なり。
人の桶に手をかけぬは義なり。
田舎者でござい、冷え者でござい、御免なさいとは礼なり。
糠洗い粉軽石糸瓜の皮で垢を落すは智なり。
風呂の板を叩けば承知して水をうめる、これ信なり。
「湯は陽にして天の象(かたち)による故に、円き柄杓をもって円き
小桶に汲み入るゝ。水は陰にして地の象による故に、四角な水槽より
四角な升をもって汲みとる。
湯は男なり。水は女なり。男の熱き熱湯の中へ、女の冷き水をうめれば、
よき加減の湯となる。夫婦和合の道理、此ごとし。
熱湯の儘にて使へば火傷をする。水ばかりでは風邪を引くなり。




 



「動左衛門様、もうお上がりか。お前は烏の行水じゃの。
「商人は手拭を絞るにも、身の脂をしぼる気にならねばならぬ。
「けふもだいぶん湯が込むかへ。
「湯へ這入る所は誰でも、ざまの悪いもので、湯のよる処へは、ざまが
 よるとは此の事だ。
「そりゃ焼十能でござい。御免なさいまし。






 

男湯と女湯の分かるは、男女別あるの道理なり。
楊貴妃が驪山(りざん)の浴室には、玄宗の涎を流し、
塩谷が妻の湯上りには、師直のうつつをぬかす。
これらは皆煩悩の垢なれど、光明皇后は千人の垢を流して、仏の化身に
あひし事もあり。
煩悩あれば菩提あり、盆前もあれば大晦日もある道理なり。
「そもそも湯上りの時美しき女はまことの美人なり。雀斑(そばかす)
疥(はたけ)、疣(いぼ)、黒子、頬の赤きも大痘痕(あばた)も、
紅粉白粉でくろめれば、相応に見ゆるものなり。人の心もまずその如く
追従軽薄の紅粉白粉で彩しは真の心にあらず。
正直の糠袋で洗ひあげたる所が無疵の実心なり。
此の二人娘、粂三かお七といふ気取りで自惚れている。
「なんだか悪臭い匂いがするのう。
「あれは水虫へつける薬に糠の脂をとるのさ。
「お竹さんを人がいゝいゝといふが、気が知れねへよ。
「そふさ。あの横顔を見なゝ。精霊さまの馬を見たやうだ。
「これから帰って狆に湯を浴びせてあらふ。






 

「さあ々湯へ這入りましょ。坊やいゝ子だぞ 々。
「だいぶ御成人でござります。おとなしいお子じゃ。
「おつぼさん待ちなよ。付合いを知らねへ子だのふ。






 

湯の中で温まれば酒麩のやうに縮まった睾丸も自然とだらけてくる。
人の身代も内証が温まってくると、そろそろ金袋がだらけて、思わぬ
無駄銭を使ふかも、盛って入る時は、又盛って出づる道理。
ただ銭金を湯水のやうに使えば、じきさま休み日の湯屋のやうに、
身代の内証が空っぽしやぎとなるは目前なり。
「あゝいい心持ちだ。さっぱりとしてよいぞ々。
 おれが形は干し大根で作った文覚上人ときている。
「御隠居様この頃は碁はどうでござります。
「これ小僧、冗談をするな。小桶戻れば千里も一里だ。






 

「これはいかいこと小桶が並んだ。
 小人島で沢庵漬の問屋をするようだ。

「これはけしからぬ混みやう。おらが方へおはちの廻るは夜が遥かだ。







 

長湯を好む老人などは、たまたま湯気に上りて目をまわすことなどあれ
ども、気付けを用ゆるに及ばず。
顔へ水を吹きかけるとたちまち気がつくなり。
銭湯人殺さずとは此の故ならん。
「誰だと思ったら八百屋のお爺さんか、やれやれあんまり長湯をなさる
 からの事じゃ。長湯もあれば短湯もあるは八百屋の隠居様、
 これもうし気が付きましたか、気がつきましたか。
「頭が唐茄子のやうで、鼻が胡桃のやうで、手足が干し大根のやうで、
 睾丸が何首烏(かしう)のやうだから、八百屋のお爺さんだと思った。







ずっと大昔は、湯屋で物を掠めたがる者もありけるよし。
もしさやうの者ある時は、顔や体へ一面に鍋墨をなすって、辱しめたる
となり、これ何故なれば、崑崙国(チャンバ王国)の人は俗気多く、
珊瑚樹などを奪いて逃げ出す所、絵にもよく書くやつなり。
故に黒ん坊となして、恥を与へけるとぞ。
「まづ此の薪雑把を食わせるがいゝ。
「こいつはとんと黒ん坊の生捕りときている。
 珊瑚樹のかわり十能を見知らせてくりやう。どっちも赤いものだ。
「憎い八つ目鰻だ。おもいれ油をとってやれ。




 

湯屋の二階で売る駄菓子を食ふにも謂われなきにあらず。
教化別伝不立文盲な咄をして尻を腐らせる人は、達磨糖をしてやり、
お釈迦様の開帳話をしながら、さがおこしを食ふもあり。
生姜糖をしてやる薬取りもあり。
昼寝の夢のお目覚ましに粟の岩おこしを食ふもあり。
頭巾を被った人が大黒煎餅をせしめ、大ころばしを食って雪隠へ行きた
くなるお爺が、飴一本四文、大福餅あったかいにも故事来歴あるべし。






「今日はよい天気でござります。香煎をあがりまし。
「明日は大師河原へ行くつもりだが、気はなしか。
「昨日は堀の内へ参って、強勢に草臥れた。遠いぞ 々。
「番公変ることもないか。
「八兵衛が来るはずだが、まだ見へねへ。






 

「わりゃァよくおれが睾丸を糠袋と間違へてつかんだな。
 それで湯をぶっかけたが何とした。此の黒砂糖の固まりめ。
 柿のやうな眼を剥きだしても怖かあねへぞ。
「こいつが々、わりゃァまたおれが眼の柿のやうなをどの眼で見た。
 悪く笛を鳴らすが最後、犬に褌を咥へさせ大津の宿へしたにやるぞよ。
 漆掻きの尻を杖で突つくとはちがふぞよ。
「これさ二人ともきん玉があぶないあぶない。
蓼の虫葵に移らずといへども、襤褸襦袢より羽二重の小袖へも移るは
湯屋の虱なり。
人も又此の湯屋の虱の如く、襤褸襦袢の賎しきより羽二重の尊きへも
移らざるといふことなし。




 

もし旦那、それそれ葵虱が二つ胴に二匹連れ、裾までよって這います。
それからご覧じろ。こいつは続きの二匹だはへ。
「はて合点のゆかぬ。
 裁(き)りたての小袖へ千手観音のあらわれ給ふは心得ぬ。
 察する所、時は弥生の半なれば、こいつ花見虱じゃな。
 何にもせよ、むさいこの場の風呂屋じゃなァ。






 

大晦日の夜はいづくの湯屋も夜通しなるが、東雲のころ、風呂の栓を
抜きけるに、悪臭き匂いして、湯いちどきに流れ出で、湯気霧の如く
立ち昇るうちに、異形の物あらわれ出でたり、角は鼠の糞の如く、
面は軽石の如く、歯はつるしてある櫛の如く、手は鋏の如く、
胴は小桶の如く、足は手拭・糠袋に似て、糸瓜の皮の褌を締めたる鬼、
洗粉の如き生臭き毒気を吐きて、すっくりと立ちたり。
これをいかなる物と思ふに、一年三百六十日の間、毎日毎日入りくる
人の洗い流したる垢の亡魂なり。










垢の亡魂がいふ。
「色の黒き男色男にならんと洗粉にて磨きたるは、これ色欲の垢なり。
 金の番をする爺様が長き爪にて掻き流したるは、これ貪欲の垢なり。
 その他不幸不忠の垢、不義不仁の垢は申すに及ばず、高慢自惚の垢
 悋気嫉妬の垢、憎い可愛いの垢、嬉し悲しの垢、追従軽薄の垢あり
 て、一人として欲垢に汚れざるものなし。
 その垢積り積りては此の様な鬼となって一生を苦しむぞや。
「これ申し番頭どの、我が身欲垢の鬼となり、焦熱地獄の釜風呂の底
 に沈みて苦しむことを、世の人に告げて心のうちの欲垢を溜めぬや
 うに、よくよく伝えて下され。
 そのお礼には万歳で一つ祝っておきませう。





 

「欲垢に御万歳とは、お湯屋も栄へてましんます。
といいつつ小桶の尻をぽん々と叩き、
消し炭の火鉢のうちを掻き消す如く失せにけり。
「湯屋はけしからぬ化物だ。
「二日の初湯松の内、桃の節句や菖蒲風呂、盆の燈籠二度の貰い湯、
 一年中の人の垢、積り積りて此の姿、
 あゝ苦ししに牡丹で石榴口の絵解きだなァ。
「なんだか無性にめでたい めでたい。





 

夫天地間は湯室(ゆや)で看(みた)よりも大にして。
量り得がたきこと。浴盤を彭翁菜(ごぼう)で探るが如く。
一切衆生湊集(いりごみ)欲界。恰も銭湯の光景に似たり。
邪心悪念人心の垢。箇々十泉を以って。いかでも洗い落すべき。
琉球の洗粉、朝鮮の水石(軽石)。
紅毛(オランダ)の天糸瓜皮は用いるにたらず。
唯神儒の糠袋。仏老の垢擦り。よく心裡の垢をおとす。 
に浴しぶうしぶういふ険悍(ちうつばら)も。 蛮の垢を去り。
身にもろもろの惰的(ぶしょうもの)も。心に日頃の垢をたけな。
あらひ玉へきよめ玉へとまうす。

享和壬戌春  東都  山東京伝誌





【詠史川柳】 誰のことを言っているのか分かればかなりの歴史通



湯治場の評判になる車引き
車止めすこぶる困る照手姫
照手姫毎日そこら握って見



この主人公は、誰の事か今回は書いておりません。

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おとがいはひねもす春の海になる 河村啓子


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式亭三馬の『浮世風呂』に描かれた湯屋

 
「詠史川柳」 江戸の景色ー5  湯屋
江戸に「湯屋」が初めて誕生したのは、天正19年(1591)のことである。
寛政の時代に入ってからは「銭湯」ともいう。
錢瓶橋(ぜにがめばし)のたもとに伊勢出身の与一が永楽銭一文で入浴
できる「蒸し風呂」を開いたのが最初だった。
大きな釜湯を沸かして蒸気を密室へ引き込み、その熱と湿気で垢が浮いて
くると、別室に出て垢をかき落して水で流す式である。
しかし、江戸は火事が多く、幕府は火を出したものは死罪と定めたから、
江戸では、庶民だけではなく、豊かな商人も内風呂を作らなかった。

 
浴びるには少し足りない盥の湯  杉浦多津子

 
江戸は風が強く、埃のたつことが激しいので毎日入浴する習慣がある。
ところが武家屋敷には浴室があって、主人や家族は屋敷内で入浴するが、
そのほかの江戸の家では、大町人の家でも浴室を持たない。
宿屋でも、客は銭湯へ行くのであり、大町人の女房や娘でも銭湯へ行く
のを恥としない。火事を恐れ、また江戸は水が不自由だったからである。
下町は家康の江戸入城後、埋め立てられた土地で、良質の水を得ること
は難しく、同時に山の手は、江戸の俚諺で譬えて「麹町の井戸」という
ように、水脈が深くて水に不自由をしたのである。
江戸に井戸が整うのは200年後の化政時代まで待たねばならならず、
そのため湯屋の数は、増える一方だった。

 
裸婦像が画布を出たがるので困る  青砥たかこ

 
文化5年(1808)には、523軒、文化11年頃には、600軒余
の銭湯が出来た。が、江戸の町方の人口は、50万人を超え、町数は、
1200余町。ほとんどの町人が銭湯を使用しており、しかもほとんど
が毎日入浴したというのだから、銭湯の数は足らない。
そのため、銭湯の新規開業を願う者は多かったが、幕府は、銭湯が火を
焚く商売であり、火災の多い江戸では、火災防止上から無制限に営業の
許可をしなかった。

 
  
蒸しタオルの中途半端な正義感  森田律子



 
が、寛政2年(1790)に少し前向きなお触れが出される。
1、新しい湯屋を開業したいという願いは従来許可しなかったが、
  今後は軒数に応じて許可することにする。
1、江戸城周辺の建て混んでいるところは、二町を限り一軒を許可する。
1、場末の町では、両側町の場合は四町を限り一軒を、片側町の場合は
  五町を限り一軒を許可する。
1、女客専用の銭湯についても、前の二項に述べる通りである。
  ただし男女入込み(混浴)の湯屋の場合は、日を分けるとか、時間を
  分けるとかして女客を入浴させれば、風俗を正しくすることにもなり
  また女湯が少ないことへの対策として、一町に一軒を許可する。
  川柳にも、山の手の湯は女人とて隔てなし と詠まれた。
(やがて湯屋は蒸し風呂形式から、湯船形式が主流になっていく)

 
うどんでも食べて帰ろかこんな日は 都司 豊



   石 榴 口

 
江戸の湯屋は、入口で番台に入力料を払って、土間から履物を脱いで、
板の間へ上がる。そこは脱衣場である。ここで裸になって服は脱衣棚に
入れて先へ進むと、洗い場が現れる。
その奥の間が「湯船」のある浴室なのだが、洗い場から浴室への入口を
「石榴口」と呼び、唐破風型などの屋根とその下に大きな板を貼りつけ、
鴨井板の下に狭い隙間がある形状になっている。
客はそこからかがんで浴室に入らなくてはならない。
蒸気や湯気を逃がさないために、そうした構造になっているのだ。
浴槽は石榴口より10㌢高く、浴槽の中に沈めば板の間は全くみえない。
因みに浴槽の広さは九尺四方というから、約3㍍四方で狭く、
常に、ごったがえした様子が想像できる。
(因みに、入浴料は大人10文(200~250円)子供6文程)


傷跡のふたつみっつを撫でながら  合田瑠美子




  湯 船

 
入口や脱衣場は男女別々なのに、浴室は一緒になっていることが多い。
湯船を二つ作るには、釜も二つ誂えなければならないので、経済効率の
ためだったとされる。
こうした混浴を「入込み湯」と呼ぶが、浴室には灯や天窓はなく、
密閉されているので互いの姿が見えないほど暗い。
だから浴室入って来た者が先客にぶつかると、身体が冷たいので相手を
驚かせてしまう。このため石榴口をくぐるときは、「冷えもんでござい」
などと声をかけて入るのがエチケットであった。
 石榴口人を呑んだり戻したり 
そんなところから、次のような江戸小咄も生まれる。
※ 田舎客を銭湯へ連れて行ったときのこと。
「冷えもんでござい」と石榴口へ入ると、後から田舎客がそれを真似て
「わしは江州の多左衛門でござります」
 
今日の心は45度でちょうどいい  山口美代子

『東京名所三十六戯撰 芝飯倉』

 
江戸の銭湯には、男湯に限って、湯代とは別料金で12文払えば、
「二階座敷」を利用することが出来た。。
「皇都午睡」に二階の様子説明をしてもらうと、
『番台の傍らに、二階へ上る大段階子有り。
二階は男湯のみにて、高欄付き、二階より往来を見おろす。
座敷には隔てなく、碁将棋の席屋に似たり。
中央に二階番頭が居、白湯を釜にたぎらせ、客の顔を見れば、煮花を拵え
持ち来る。前に菓子、羊羹など重に入有。爪切、鋏、櫛など傍に置有。
贅沢者は、ずっと這入って二階へ行。二階に着物脱入る戸棚あり。
これへ脱ぎ、湯代と手拭を持ち、階下を下りて銭を置き、入湯して二階へ
上って、ゆるりと躰を乾かす。
茶を持ちくる。菓子を喰う、茶を飲み、爪を切って、ゆるりとして着物
を着る…茶店で休まんよりはるか安上がりにてゆるりとす。
勤番の侍衆、近辺の若者などはこの二階にて遊び、碁将棋盤が有りて、
温泉湯治場の如し』とある。
(煮花とは、煎じたての香り高い茶)
 

人生のロスタイムからファンファーレ  斉藤和子



 
二階にいる番頭は最古参の者で、二階で払う金は、彼の収入となった。
このため番頭は、客が喜んで二階に上って来てくれるよう、
さまざまなサービスを提供した。その一つが覗き穴や遠眼鏡の用意だ。
これを用いて階下の女湯を覗かせるのである。
時折、二階の座敷では、講談や浄瑠璃、落語なども催された。
師匠を招いて生け花や囲碁の教室を開催する湯屋もあった。
壁には料理屋や薬屋、寄席の広告があちこちに張り出されていた。
こうした湯屋の二階で男性客はゆったりと寛ぎ、今でいうところの社交
サロンのように歓談に耽っていたのだろう。江戸時代の湯屋は、いまの
スーパー銭湯のような総合娯楽施設でもあった。


 
神さんがくしゃみしてはる間に悪さ 居谷真理子




湯女が男の背を流す洗い場
話は石榴口の先の洗い場へ。
男女共用の洗い場では、男は褌、女は湯文字(下着)をつけているのが
一般的。江戸時代初期には、洗い場には湯女(ゆめ)と呼ばれる女性が
いて、客の垢を巧みに素手でかき取り、背中を流してくれるサービスが
あった。髪を洗ってくれ、櫛で髪を梳いて紐で結んでくれた。
その上、求めに応じて性も売った。こうした状況に幕府は、風紀を乱す
という理由で、明暦2年(1656)に湯女を厳禁。
500余人の湯女を捕まえて吉原に強制移送した。
以後、湯女は完全に廃れ、代わって三助という男が客の背を流すように
なった。


 
自然体もいいけど骨なしになるよ 安土理恵



 
入浴客は、浴槽を出ると、流し板で糠袋を用いて体を洗う。
糠袋とは袋のなかに糠をいれたもので、客は袋を持参し糠は番台で買う。
番台は入浴に必要なものを売ったり貸したりしてくれる。
手拭や爪切り鋏も貸してくれたし、膏薬や水虫の薬まで売っていた。
仏壇仏具コロッケも売ってます  井上一筒 

 
いずれにせよ、湯屋では老若男女、貧富貴賤が入り交じり、さまざまな
会話がなされた。
そのため町奉行所の与力は、湯屋で最新の情報を入手した。
ただ顔が割れてしまっているので、なんと彼らは、女風呂に入って壁越し
に男風呂の会話に耳をすましたのである。
そう、与力は朝の女風呂に入る特権を持っていたのだ。
もともと女は早朝、湯に入る習慣がなかったので、こうした与力の行動が
可能だったのである。
このため女湯には、与力のための刀掛がしつらえられていたという。
ここだけの話が三日で洩れてくる 木村良三

 
「詠史川柳」
五右衛門の処刑


≪石川五右衛門≫

 
五右衛門は生煮えの時一首詠み    
 
石川五右衛門は、安土桃山時代の泥棒の首領。
実在の人物で、京都三条河原で「釜茹での刑」に処せられたのも史実。
その時に「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽くまじ」
という辞世を詠んだと伝わります。主題句は此の事を詠んだもので、
煮えたぎった油の中で絶命する前、生煮えのうちにに一首詠んだという
のですが、ここらはさすがに作り話。



芋ならばさして見るころ五右衛門歌
 

 
芋は頃合いを見て、串をさして芯まで煮えているか確かめます。
五右衛門は芋なら串を刺してみる時分に辞世を詠んだというのです。
白波の居風呂桶に名を残し
 

 
「白波」「盗賊」の意味。「居風呂桶」(すえふろおけ)は、
かまどを作りつけて、湯をわかし入浴するのに用いるもので、
これが「五右衛門風呂」。五右衛門は風呂にまで名を残したのだという。



無いとアカンのでしょうかキャラクター  雨森茂樹

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運命は同心円のこま回し  三村一子 


 
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       浮 世 床  
髪結床に暇な連中が集まっている。
欠伸するやつ。本を読む奴。将棋指す奴。
浮世床はいつもさわがしい。
          

 

「詠史川柳」 江戸の景色ー④ 髪結床-2


 

【夢床】 (江戸小咄)
江戸の中頃、「世辞床」という床屋、親方が愛嬌もので大層はやる。
客が詰めかけて、その人の番がくるまで1時間も2時間もゆうゆうと
して待っている。
将棋盤があり、碁盤があり、貸本なども並べてあるから、待っていても
退屈しない。親方は人の顔さえ見れば、「色男!」という。
どんな人でも色男と言われれば、悪い気はしない。
「親方、こんにちは」
「ヤァ、色男」
流行る床屋だから、いつでも客が混んでいる。
大勢待っている中に、ひとりゴロリ寝ている男がいる。
「ヤァ金さん、こいつはさっきからここに寝ているのかね。
    この忙しいところへ来てゆうゆうと寝ているとは、呑気だなァー、
 大きな鼾をかきゃァがってーオイ民、起きろ起きろ」
「ァァァーやァ お早う」
「お早うじゃねえや、この混む床屋に来て呑気に寝ている奴もねえもん
   じゃねぇか。邪魔にならァ」



 

ぐっすりと眠り眉間の皺を取る  新家完司



 

「眠る気もなかったが、昨夜のお疲れで、ついトロトロと」
「昨夜のお疲れという面じゃァねえや」
「いつのまにか大分揃ったが、色の出来ねぇ醜男ばかりだ」
「てめえの面を見ろ」
「よく面面というが、人間は面で女が惚れやしねえよ。
 胸三寸の心意気というものがある」

「何を言ってやがる。て
 めぇの胸三寸心意気なんざァあんまり役にたたねえ。
 人から借りたものは忘れてしまう、貸したものはいつまで経っても、
 覚えているしー」

「そんなことはどうでもいいや。
 こう見えてもおれはたいへんな色男なのだが、お前は知るまいね」

「よっぽど酔狂な女でねえと、お前にゃァほれやしねえ。
 器量が悪くっても身なりがいいとか、垢ぬけているとか、読み書きが
 出来るとか、遊芸ができるとか、金があるとか、何とかいう人には、
 一つの取り柄のあるものだが、お前を見ねえ、面ァまずいし、人間が
 卑しいし、身なりは悪いし、金は年中なし、その上いうことが口に悪
 を持ってるし、洒落はわからず、粋なことは知らず、食い意地がはっ
 て色っぽくて、おまけに無筆ときているから一つだって取り柄がねえ」


 

空っぽになれと理髪店の鏡  桑原伸吉




   出張床屋


 

「そねむなそねむな。
 実は昨日芝居を見に行って、とんでもない女に惚れられて実に弱った」

「お前の言うことは違ってらァ、どこで芝居の中でおめえに惚れるような、
 酔狂な女があるものか」

「ところがあるね、ちょっと一幕のぞこうと思って、小屋の者に親しい
 のがあったから、そいつに頼んで、後ろの方で、おれがぼんやり見て
 いると菊五郎のすることに、いいところがあったから、音羽屋ァーと
 褒めたと思いねえ。
 すると桟敷から年齢32、3になる垢抜けした年増が出てきて、俺の
 顔を見て、「あなたは音羽屋がご贔屓でございますか」と言うから、
 わっちは大の贔屓だが、このくらい気の利いた役者はございません、
 というと、頼もしいじゃありませんか、「わたしも音羽屋が贔屓でご
 ざいます、どうぞこちらえ」ってんで、桟敷に案内されて、「今度い
 いところがあったら、女が褒めるというわけにはいきませんから、ど
 うぞ褒めて下さいましな」、と頼まれたから、俺も男だ、ええお安い
 ご用でございます、褒めてやりますとも、と言った。
 きっかけでいいところがあったから、音羽屋ー!と褒めた。
 「もっと大きな声で」、と言うから、うんと声を張上げて音羽屋ー!
 「もっと大きな声で」、と言うから、これより大きな声は出ません、
 これが頭抜けの一番でございます、と言った」


 

耳打ちの数だけ揺れるヤジロベー  神野節子


 

「棺桶屋みたいだなァ」
「それからなほ褒めてやろうと思ったが、声が続かねえから、眼をつぶ
 って、音羽屋!音羽屋!と褒めていたところが、「もうとっくに幕は
 閉まっていますよ」、
と言われて眼をあいてみると、なるほど幕が閉
 まっている。するとその女が、「まこと相済みませんが、あなたのお
 茶屋はどちらでございます
」、と聞くから茶屋も何もございません、
 芝居に懇意な者がいますから、一幕のぞきに来ましたんで、と言うと、
 「私のお茶屋は、これこれという茶屋でございますが、まことに失礼
 ですが、ちょっとお茶屋まで来て下さいまし」、と言って行ったが、
 しばらくして、茶屋の若い衆が迎えに来た。
 茶屋へ行って二階へ上がって見ると、女がちゃんと坐っている。
 そこへ茶に煙草盆が出ている。
 ところがその女が、「あなたご酒を召し上がりますか、それとも甘味
 がお好きでございますか」、と言うから俺は考えた。
 いきなり酒を飲むと言ってみねえ、この人酒飲みだから、付き合いは
 出来ないと思われるのが嫌だ、といって下戸だと言うのも、気が利か
 ねえ」

「何と言った」


そう来たら恋に落ちてくしかなくて  中村幸彦


 

「さようでございます、甘い物を下さいますれば頂きますし、ご酒も下
 さいますれば頂きます。下さいませんければ、頂きませんと言った。
 すると、「あなた 大層お眠そうでございますこと、昨晩のお疲れで
 ございますか」と言うじゃァねえか。
 それから俺が、実は昨夜友達に誘われて、つき合いで仕方なく繰り込
 んで、夜っぴて騒いだもんですから、どうも眠くてしようがございま
 せん。実は後の幕はこの間見ましたから、お前さんまことにすみませ
 んが、こちらの座敷でもようございますから、少しの間拝借して寝か
 して頂くわけにはまいりませんか、と言ってみたところ、「お安いご
 ようでございます。どうぞお休み下さいまし」とやがて女中を呼んで、
 何だか内緒話をしていたが、「さァどうぞこちらへ」と、奥の離れた
 小座敷へ連れていったのさ」


 

現役のままボリュームは絞らない  美馬りゅうこ


 


「なるほど」
「暖簾くずしの掻巻に、暖簾くずしの蒲団を二枚敷いて、ちゃんと床が
 とってある。芝居茶屋に限って、こんなことがあるわけのものじゃァ
 ねえが、どういうわけか趣向がちゃんとしてある。
 枕元に煙草盆があって、こっちの方の盆の上に湯沸かしに水が入って、
 湯飲みが伏せてある。なお床の上に船底の枕に、縮緬のククリと枕が
 二つ並んでいるからおかしいや」

「何故」
「何故って、この枕は誰がすると思う」
「てめえがする」
「一つは俺がするが、もう一つは誰がすると思う」
「てめえが寝相悪いから、向こうで気を利かして二つならべたんだろう」
「枕を二つするやつがあるか、首が二つありゃァ、しめえしー、ところで
 一つの枕をそばへおいて俺が大の字になって寝てしまった。
 するとその女がやってきた」

「来たか」


 

舞い降りた女神へ思わずスキップ  山本昌乃


 

「来て
「あなたまァそんなに大きくなって寝ていらっしゃてはいけないじゃァ
 ありませんか、わたしも頭痛がして仕方がないので、あとの幕はみた
 くございませんから、まことにすみませんが、あなたの脇へ少々入れ
 て寝かして下さいまし」
と、こう言うんだ」
「でどうした」
「それから俺が、ご遠慮なくお入んなさいまし、と言うと、恥ずかしそ
 うに入って来た」

「それから」
「入ってくると、ここに俺が困ったことが出来た」
「何が困った」
「小便がしたくなった」
「間抜けなやつだなァ」
「そこで俺が女に、小便に行きたくなりました、と言うと、
「今下へおりると少し面倒でございますから、少々待っていてください。
 わたしが都合いたしますから」
と言って女が下へ駆け下りて、算段してきたものは何だと思う」

「わからねえ」


 

引き算を重ねこころを無に保つ  高浜広川




煙草盆の中の竹筒が灰落とし


「灰吹きだ。灰吹きを5、6本持ってきて、
 「この中へなしくずしなさいまし」と言うんだ。
 灰吹きとは、タバコの吸い殻を吹き落とすための竹筒。
「たいへんな騒ぎだなァ」
「ところが小便が詰まっていたんだから、なかなか灰吹きにしきれねえ」
「おやおや」
「すると女が障子を開けて「廂間 (ひあわい)なら誰もみておりません、
 土蔵と土蔵の間ですから、この廂間 なら大丈夫でございます」
 と言うから、成程と関心をしてその廂間 へ小便をした」

「それから」
「いい気持ちに小便をして寝たと思ったら、てめえに起こされた」
「なんだ夢か」
「夢だ」
「この野郎、長い夢を見やァがったな。まるで形なしか」
「少し形がある」
「どこのところが本当だ」
「小便だけー 少しここがジメジメする」

 

片方の眉で昨夜の傘たたむ  山本早苗




浮世床の店前はいつも賑やか


 

「不精床」  (江戸小咄)
江戸の中頃、人呼んで「不精床」という髪結床。
障子に大きな達磨の絵が描いてあって、その絵は達磨の顔だが、
親方の顔だかわからぬという程、親方が髭ぼうぼう。
よく髭っ面というのはあるが、面っ髭というほうで、髭の中に顔がある。
店先にあるものは道具でも何でもすべて汚い。
12、3になる子供を1人下剃りに使っているが、親方は不精で、
おまけに頑固で世辞もなにも言わない。
近辺の人は、不精床と称えて、めったに髪を結いにも来ない。
けれどもそこは広い江戸のことで、通りがかりの人が空いているから
ちょっと結ってもらおうと、入り込む人もいる。


 

首筋に刃物散髪屋の微笑  くんじろう


 

「親方、ひとつ結ってもらいたいもんでございます」
「なにをやるんです」
「頭を結ってもらいたいものでございます」
「どこへやるんだえ」
「頭髪(あたま)が出来ようというのさ」
「お気の毒だが俺の家では頭髪は出来ない。
 頭髪は人形師の処へ行かなくっちゃァ出来ない」

「人形の頭髪をこしらえるのではない、髪が結えようかと言うのさ」
「髪なら結う」
「だからさっきから髪が結えようかと言っているのに」
「髪を結えるから髪結職をしているんだ。結えなければ床屋はしていない。
 髪結床へ来て髪が結えようかとは何だ」

「堪忍しておくんなさい。じゃァ結っておくんなさい」
「お前さんはお客だろうね」
「代を払うから客ですね」
「客が職人に仕事をさせるのに、結っておくんなさいとは何だ。
 そんなお世辞は面白くない。髪を結えなら結えと言えばいい、
 その言葉も余計なことだから、言わなくっていい。
 黙ってここに上がっていれば俺の方で月代を剃る。髷も結ってやる。
 余計なことは言わない方がいい」

「堪忍しておくんなさい、小言を言われに来たようなものだ。
 どうです、すぐにようがすか」

「下剃りからはじめやります」

電気椅子空いた私の番がきた  田久保亜蘭


「親方、髷の形をみてこの通り結っておくんなさい」
「お気の毒だが俺の家では、その通りは結えない。もう少し新らくなる」
「冗談言っちゃいけない。髷っ節を切っておくんなさい」
「またそんな余計なことを言う。黙っていても月代を剃るのに、
 髷を結ってあっちゃァ剃れないから、俺の方でちゃんと切る」

「ごめんなさい。じゃァ湿しましょう」
「それでー」
「やかんを貸しておくんなさい。-銅壷もないようだが」
「髪結床へ来てやかんを貸してくれー。贅沢を言いなさるな。
 銅壷で湯などを沸かして客に使わせる人の料簡が知れねえ。
 頭寒足熱といって、頭は冷やすべきものだから、水で沢山だ」

「オヤオヤ、水がちっともありゃァしない。底の方にすこしばかり
 こびりついてるーやァ大変だ、親方ボウフラが湧いてるぜ」

「あァ20年以来瓶を洗ったことがないからね」
「小僧さんにでも、そう言って水を一杯汲みにやっておくんなさい」
「お気の毒だが、俺のところの小僧は水汲みに来ているのじゃないから、
 キレイな水を使いたければ向こうの裏に井戸があるから、
 一杯汲んでおいでなさい」

「冗談言っちゃァいけない。髪結床へ水を汲みに来やァしない」
仕方がないから、客は汚い水で頭を冷やして腰をかける。
小僧は小さいから高い下駄を履かなければ、月代を剃ることができない。
小僧はゴリゴリ剃るからたまらない。



 

この思い届くでしょうかかすみ草  柴本ばっは




 明治22年頃の床屋

 

「落語にするとこうなります」

行きつけの床屋が混んでいるので、代わりに入った床屋が大変な店。
掃除はしていないし蜘蛛の巣だらけ、ハサミも剃刀も錆だらけ。
肝心の主人たるや、無愛想でぐうたらそのもの…。
顔に乗せた手拭いが熱すぎる。
「熱いよ!親方!」
「こっちも熱くって持ってられねえから、お前の顔に載せたんだ」

 

 語尾上げる余程自信がないらしい  平井義雄

 

次は頭を濡らしてもらおうと頼むと、
「水桶にボウフラがわいているから」
「おい親方、ボウフラなんか湧いてるのかよ!」
「これぁ飼ってんだよ。水桶をこう叩くだろ。そら、沈んだ。
 かわいいだろ。その間に頭ぬらしとけ」
非衛生極まりない。

 

 過呼吸をときどき起こすハーモニカ  北原照子

 

頭を剃る段になると、小僧に剃らせようとする。
「おい大丈夫かい?」
「何言ってやがんでえ。うちの小僧にも稽古させねえといけねえ」
「俺は稽古台か!」

 

鑑あるから目を合わす舌を出す  田中博造

 

しぶしぶ剃刀を当てさせると、案の定痛くてたまらない。
聞くと下駄を削った剃刀で剃っているという。
呆れて音を上げた客、剃刀も親方に代わってもらうが、
親方は客の頭がデコボコで剃りにくいとこぼす始末。
しかも側に控えて見学する小僧にいちいち指図する。
「おい、俺の手元よく見ておけ……何見てんだ? 
何ぃ、表に角兵衛獅子が通っている!? そんなもの見てんじゃねえよ!」
と小言の連続。そのうち親方、手を滑らせる。
「あ痛ッ! ああっ、血が出ちまったじゃあねえか。
 親方!どうしてくれるんだ!」
「なあに、縫うほどのものじゃねえ」


すぐ破るルールでセロテープだらけ  山本早苗




【詠史川柳】



 
人丸の肖像画と和歌
 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に
    島隠れゆく 舟おしぞ思ふ  

 

≪柿本人麻呂≫

 

人麻呂は枕時計を世に残し

 

万葉の歌人柿本人麻呂。その人麿が枕時計を世に残したというのですが、
「そうか、人麻呂が枕時計は柿本人麻呂が発明したのだ」
などと感心してはいけません。古今和歌集に
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島がくれゆく船をしぞ思う」
という和歌があり
「この歌はある人の曰く、かきのもとのひとまろがうたなり」
と注がついています。
小野篁(たかむら)が隠岐へ流される時に詠んだ歌とも、言われますが、
川柳ではもっぱら人麻呂の歌ということになっています。
実は、この歌は早起きの「おまじない」として使われました。
早起きをしなければならない日の前の晩、寝る前にこの歌の上の句を唱え、
翌朝、首尾よく目覚めた時に、下の句を唱えます。
それを枕時計といったのです。

さかむけを噛んでる湯気の立つ茶の間  森田律子

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その昔鱗であった髭を剃る  嶋沢喜八郎




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  髪結床屋の風景




「詠史川柳」 江戸の景色ー④ 髪結床

 


江戸時代の床屋(散髪屋)のことを「髪結床」といった。
男たちは髷を結い、月代といって前頭部から頭頂部まで剃り上げていた。
だから、10日もすれば月代の毛が伸び、髷も崩れてくる。
でも自分ではうまく剃ったり、髷を結べない。
みすぼらしいのも江戸っ子の肌になじまず、そんなわけで足繁く髪結床
に通ったのである。

 

散髪をすると必ず風邪をひく  西山春日子




  江戸の高札場

 

江戸における髪結床は、家康の関東入国の時、日本橋、常盤橋、筋違橋、
浅草橋、高輪大木戸、半蔵門外の「大高札場六ケ所」近くに出店したの
が始まりで、床屋たちが、「高札の番をするから店を開かせてほしい」
と願い出たのがきっかけだった。
高札場とは、江戸時代藩や幕府のおふれ書「高札」を立てた場所で、人の
往来が多く、ニュースを求める人が集まった。
大坂でも髪結床が高札の番役をするのは同様で、火事のときには、高札
を引っこ抜いて火から守ったとう話が残る。
高札は橋のたもとに立てられるので、はじめは髪結床の出店も必然的に
橋のたもとが多かったが、やがて各町に一つ生れ、幕末の頃には二千軒
も存在した。


漬物屋の隣に渋いモノクロ屋  くんじろう

 

髪結の代金は20文程度(現在の500円程)で営業時間は夜明けから
日没後2時間まで。午前10時頃がもっとも人が多かった。
屋号が大きく描かれた油障子を開けて中へ入ると、3尺の土間があり、
その先に板の間があり、客はここに腰掛けて散髪してもらう。
この奥は畳敷きの座敷になっていた。
ここが待合所なのだが、碁盤や将棋盤読み物や春画なども置かれ、
客たちの憩いの場、社交場になっていた。

 

この人とお茶を飲んでるミステリー  上山堅坊

 



 式亭三馬 浮世床

店内をちょっと覗いてみよう。
「欠伸をしたり、居眠りをする者。女郎からの手紙をこっそり詠む者。
煙草を吸ったり、歯を磨く者。まったくくつろいでいる。
さらには、昨日の遊郭の自慢をしたり、近所の人妻を品評したり、
心中の男女について語るなど猥談も花盛りで。芝居の出来不出来、
相撲の勝負など芸能話も聞こえてくる」(寺門静軒・『江戸繁盛記』)
このように髪結床は、まさに「話のたまり場」ともいえる社交場だった。
落語では、申し合わせもなく町内の若い衆が集まって、将棋をさしたり、
ときには酒を飲んだり、冗談を言い合ってふざけたり、適当に暇を潰し
ていたところのようにいわれている。なかには「無精床屋」というのも
あって、主人が無精で、汚らしくて、またそれが愛嬌になって遊びがて
らの客がくる。
そんな髪結床の風景を、戯作者・式亭三馬『柳髪新話浮世床』という
滑稽本に著している。次のような話が載っている。


聞き役をひたすら待っている仲間  森田律子

 

漢字にこり、片田舎から江戸に出てきて、読み書きを教えている孔糞
(こうふん)先生という人、浮世床へぶらりやってきた。
孔糞先生腰を掛け、壁に貼った寄席のビラをみて。
「ははあ竹本祖太夫(ちくほんそたゆう)鶴沢蟻鳳(かくたくぎほう)
さておつなことがあるのぉ、漢には買太夫などというものもあったが、
日本には珍しい。もっとも秦の始皇帝が松に太夫の官を与えたが、
竹に祖太夫の官をやったこともおぼえず、さてまた鶴沢とおいて蟻鳳と
対をとった心は、どういう意であろうな、これ主人、あの書いたものは、
なににするのだ」

「あれは座敷浄瑠璃さ、祖太夫、蟻鳳で夕べも三百ばかりはいった」
「うむ、おれは俗事にうといから、とんど解せぬ、今昔物語(こんせ
     きぶつご)となんだ朝寝房(ちょうしんぼう)夢羅久(むらきゅう)
     うーむ林屋正蔵(りんおくせいぞう)、はてな、風流八人芸(かぜに
     ながれはつじんげい)、ははあ、これは、いわゆる季氏(きし)が八
     佾(はついつ)の類いと見えるな、この季氏も魯国の太夫だて。
     佾は舞列なり、天子は八つ、諸侯は六つ、太夫は四つ、士は二つ、
     佾するごとに人数其、佾の数のごとし」

「もしもし、それは何の数でございます」
「これは八といって舞の数だ」
   あれは、そんな難しいものじゃあございません。
      八人芸といって、一人で八人の芸をする、めくらでさあ」
「はてな盲人ですら八人の業をするに、おれらは両の目を持っていて、
      ひとりの行いが務まらぬとは、はて残念」
「それ、ふたつ」
「あの、なにはどうかな、今という字の書いてあるのは」
「む、あれは今昔物語(いまむかしもんがたり)さ、朝寝房夢羅久、
林屋正蔵、こっちのほうが円生さ、どれも上手な噺家さ」
主人が「今昔物語」を、いまむかしものがたりと読むのも、
式亭三馬の落ちにしている。


一日に何度も炎上するアタマ  木口雅裕

 

こういう漢字にこった知ったかぶりをするような人たちのことは、
中国の「笑話本」から伝わって、「江戸小咄」にもなっている。
 ① 兄弟が喧嘩をしていると、隣の漢学先生が来て
「これ亀松殿も竹次郎殿も、さてさて悪いことじゃ、
      喧嘩はせぬもの、
兄弟は左右の手のごとし、とあるではないか」
「それなら、俺たちも手に違いないか」
「知れたこと、兄は右の手、弟は左の手とあります」
「兄貴が右の手、おれは左の手かえ」
「はてくどい、それにまちがいない」
弟「兄貴は下戸だが、おれは酒が好きだ」

 

ビの尻尾か深酒の報いか  酒井かがり

 

 ② 近所に物知り顔の者あるゆえ、亭主ども集まって
「なんと、あの物知りにこのヤカンをきいてみましょう」
 とヤカンを持って行って聞くと
「これは唐人のカブトである」
「へぇ、それならこの天狗の鼻のようなところはなんでござりますか」
「それは耳じゃ」
「とんだことを言う、耳なら両方にありそうなものだ」
「されば、両方にあると寝る時に不便であろう、そ
 れゆえ片方にはつけてない」

 

生麦に転生しない生卵  川合大祐

 

 ③ 腰の曲がった隠居、杖をついてぽくぽくと出てくる。
「もし、ご隠居さま、あなたの形は、とんと、杖をついて『乃』の字の
 ようでございます」 
と言えば

「おのれ、主人に向かって不届千万」と脇差に反りを打つと
「おっと、これでは『及』という字になります」

 

髭も髪も白優勢となるオセロ    村岡義博

 


【詠史川柳】




   
千 姫

 

≪徳川家康≫

 

1603年、家康は征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開きました。
この年、家康は亡き太閤との約束を守り、孫の千姫秀頼に嫁がせてい
るので、この時点では、豊臣氏を滅ぼす気はなかったといえ、おそらく
西国の大名として存続させるつもりだった。
ところが豊臣方は、二代将軍・秀忠が秀頼に会うためわざわざ上洛し、
再三使者を送っても大坂城から出てこず無視しました。
家康が豊臣滅ぼすべしと思ったのは、この時でしょう。
家康は太閤殿下の霊を慰めるためにと、豊臣氏に盛んに寺院の建立など
を勧めました。財力を消費させる策です。老獪な家康の策に乗り、豊臣
氏は次々に寄進していきましたが、京都方広寺に奉納した梵鐘でケチが
つきまっした。鐘の銘文に「国家安康 君臣豊楽」とあり、これは家康
を切り離し、徳川を亡き者にし、豊臣の楽を願うものと、家康がいちゃ
もんをつけてきたのです。

 

国家安全と書かぬが落ち度也
あらの出る長口上は鐘の銘

 

これに「危い」と考えた秀頼の後見人の片桐且元は、弁明のため駿府に
行き、家康に面会を求めましたが、門前払い。
そこで片桐は豊臣家存続のため、秀頼が駿府に出向き、説明するように
必死に歎願しましたが、淀君と秀頼のもう一人の後見人大野修理は承知
せず、それどころか「ならば一戦交え、決着をつける」とまで主張して、
片桐を追放してしまいました。

 

卵焼きの匂いがする始発駅  神乃宇乃子

 

猿の子を犬が補佐する潰れ前
女賢しうして六文をただ遣い


猿の子は秀頼。犬は大野。六文は真田幸村。
追われた片桐は、居城の茨木に籠り。

 

蟄居してそうめんばかり食っている
片桐のためには茶々の局也




そうめんは茨木の名産。
その後、片桐は冬の陣で徳川方に参陣している。
茶々は優秀で真面目な部下を失い、軽率なことをしたと茶化される。

 

「そのはずじゃない」と言う間に堀を埋め
寅二体世に争いは止みし頃


大阪冬の陣。家康は大阪城を目掛けて大砲を打ち込んだものの、
大きな堀にはばまれて城まで届かず、家康は自分から和議を申し入れ、
条件に外堀を埋める約束をとりつけました。
 埋め立てられては、天下の堅城も丸裸。
家康は約束を反故にして、再度大阪城を攻撃します、夏の陣です。
城はひとたまりもなく焼け落ちてしまいました。
こんなこともあったおかげで、争いのない世の中になったいうのです。

 

裏切らぬ表舞台のピース缶  中村幸彦

拍手[4回]

天国か地獄か流されてみよう  中岡千代美

 


「詠史川柳」 江戸の景色-③-3 妓楼潜入

 

(拡大してご覧ください)
葛飾北斎の三女・応為が描いた「吉原張見世」の図



妓楼には通りに面して、格子張りの座敷があり、これを張見世という。
張見世に居並んだ遊女を格子越しにながめて、男は相手を決めた。
電気がない当時、夜は暗かった。そんな「暗」と、大行灯で照らされた
張見世の「明」の対比をリアルに描いている応為の絵である。
張見世の遊女は、男の目に妖艶に映ったことだろう。
妓楼の中で、張見世は最も華やかな場所であり、遊女にとっては晴れ舞
台でもあった。
柱に取り付けられた掛行灯には、「いづみ屋」「千客万来」とある。
いづみ屋と染め抜かれた暖簾のかかっているところが入口で、入口を
入ると土間になっている。

 

僕の傘に入りませんかプロローグ  新川弘子

 

客は顔見世で相手を決めると、入口にいる若い者にこう伝えればよい。
「左から三番目の、煙草を持った…」若い者は遊女を確かめ、
「へい、新造の若柳さんですね。どうぞ、お上がりを」と客を案内する。
初会の場合、客と遊女はまず二階の引付座敷で対面する。
その後宴席になることもあれば、そのまま床入りになることもあった。
それは客の希望次第である。
揚代(料金)は、若い者が部屋に取りに来た時に払う。
二回目以降は、入口の若い者に登楼を告げればよい。
なお、同一妓楼で初回時とは別の遊女を指名することはできない決まり
があり、相手を変えたい時は、別な妓楼に行くしかない。

 

青や角かなぐり捨てて君の前  酒井かがり 




  吉原なまず   

 

吉原の遊女と聞くと太夫を連想しがちになるが、最高位の太夫の称号は
宝暦年間(1751~1764)に廃止され、それ以降は上級遊女を「花魁」、
下級遊女を「新造」と大別した。
花魁は敬称であり、客も奉公人も「花魁」と呼びかけた。
(花魁の中にも階級があり、最高位を呼出し昼三、次に昼三、座敷待、
部屋待と続く)
花魁ともなると、美貌と様々な芸のみならず、教養も身
につけていた。この教養があったればこそ、上級武士や豪商、文人など
の上客も虜にできたのである。

 

うぬぼれのしっかり滲むご謙遜  美馬りゅうこ

 

妓楼は上客をつかまえるため、これはと見込んだ遊女に教育を与える。
読み書きはもちろん、その教育は和歌、書道、琴、活け花、茶道、囲碁
にまで及んだ。花魁の教育度は、当時の江戸城の大奥や大名屋敷の奥に
務める奥女中に匹敵するものだった。花魁と奥女中の類似は、ほかにも
ある。それは「衣」の贅沢さだ。当時、庶民が着物を買うのはもっぱら
古着屋だった。呉服屋で反物を買い、着物を新調するのはごく限られた
男女である。そんな中、呉服屋にとって、二大得意先が奥女中と吉原の
花魁だった。花魁の衣装がいかに豪華だったかがわかる。

 

ピカピカのブランド着た日は疲れます 梅谷邦子        

 

芝居と並んで吉原は流行の発信地だったが、浮世絵などに描かれた花魁
の髪型や着物の柄に、江戸の女は身分を問わず、憧れたのである。
人々のあいだに、吉原の遊女に対する蔑視はなかった。
まして花魁ともなると、男も女も憧れの対象だった。


   
ポリ袋にシーラカンスのエラのカス  山口ろっぱ


 

【吉原豆知識】

「遊女の格」
妓楼の格でも値段は変動した。
酒や料理は別料金だし、遊女本人や奉公人への祝儀も必要だった。
実際遊ぶとなると表示価格の数倍になることが多かったという。
実際どれくらいの費用がかかったのか。上級遊女を指名した場合。
公定の揚代、酒席での芸者や幇間の値。豪華な料理代金。新造や奉公人、
若い者らへの祝儀など現在の価格で一晩で10両ほどかかる。
吉原で豪遊した豪商に、紀ノ国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門が有名だ。
(現在の価値で一両は10万円)

 

今日もまたラッパを吹いて彼が来る  吉田信哉

 




「楼主」
楼主は妓楼の経営者である。
大見世では、遊女や奉公人を合せて百人近くおり、多くの客も訪れる。
経営と管理の能力がなければ、楼主はやっていけない。
ただし、遊女に売春を強いる商売だけに、非情さも兼備えていなければ
ならなかった。
 妓楼の一階には、入口や階段を見通せる、内所と呼ばれる場所があり、
この内所に座して、楼主は常に奉公人や客の動きに目を配っていた。
楼主一家の生活空間は一階の奥まったところにある。

 

首までにしとく情けに沈むのは  清水すみれ

 

「従業員」
妓楼の従業員の上位は、なんといっても「遊女」である。
遊女がいるからこそ妓楼、そして吉原はなりたっている。
遊女に次ぐのが、女の従業員で、「芸者」もいれば、お針と呼ばれる
「裁縫女」さらに「女中や下女」もいた。
最下位が、「若い者」と称される男の従業員である。
年齢にかかわらず若い者と呼ばれ、種々雑多な仕事に従事した。


蛸は十字に風は沖から吹いてくる  桑原伸吉



 

「宴会」
妓楼の二階には飲めや歌えの騒ぎができるような「広い座敷」がある。
こうした座敷で遊女を侍らせ、酒食を楽しむのは、男にとって最大の
見栄だった。座を盛り上げるために、芸者や幇間が呼ばれる。
さらに、台屋と呼ばれる仕出し料理屋から、縁起のよい鶴や亀を模した
豪華な料理が届いた。こうした宴席で皆におだてられ、
いい気分を味わったあと客は遊女と「床入り」になる。

 

待たされて半透明のガラス瓶  山本早苗



 

「床入り」
床入りは、客と男の同衾である。
なぜ男は吉原に嵌り、憧れ、家族に嘘をついても、無一文になっても、
また来たいと思うのか。遊女は客を満足させる手練手管を教えられ、
100%の技をもって客の心も体も酔わせるのである。
そして夢のような一夜が終わるとほとんどの客は「また来る」といい、
家路に帰るのである。

 

用済み男ストンとフラスコに  上田仁



詠史川柳



(画像はすべて拡大してご覧ください)
  豪遊する文左衛門

 

≪紀ノ国屋文左衛門≫

 

大騒ぎ五町に客が一人なり

 

「五町」は吉原のこと。
吉原をたった一人の客が貸し切っていました。紀ノ国屋文左衛門です。
文左衛門は蜜柑船で大儲けし、江戸に出てからは材木商として巨万の富
を築いた人。その財をもって吉原中の妓楼を買い切り、大門を閉めさせ
たという豪遊ぶりが伝わります。
『嬉遊笑覧』には、「世にいふ紀文ハ豪富にて、吉原惣仕舞とて大門を
閉めさせし事、両度ありしとぞ」とあります。

 

値千金相客はならぬなり

 

吉原は一日に千両(一億円相当)の金が動いたといいます。
句は「春宵一刻値千金」を踏まえている。

 

文左衛門傾城にちともたれ気味
材木はもたれるものと遣り手いい

 

「吉原中の遊女を相手にしては、さすがに腹ももたれるだろう」
と世間の噂。吉原の遣り手婆も「材木商売は儲かるもんだねえ」
と感心しきり。

 

材木屋めがと無駄足客が言い

 

何も知らずにやって来た客は、無駄足になって、「材木屋めが」
と怒ること怒ること。
文左衛門はまた、節分に豆と一緒に小粒(一分金)を撒いたとも。
(4分=1両)(因みに1分は4朱で、即ち、16朱で1両)

 

紀ノ国屋蜜柑のように金を撒き

 


桃の花開くとホルモンが騒ぐ  菱木 誠   

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