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川柳的逍遥 人の世の一家言
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いつの日か笑い話と涙ふく  笠原道子


  空蝉と軒端荻(それを覗き見する源氏)

空蝉の 身をかえてける 木のもとに なほ人がらの なつかしきかな
(蝉の抜け殻のように衣を残し去っていったあなた、
   それでもあなたの人がらが懐かしくおもわれます)

「巻の3 【空蝉】」

一夜の契りを空蝉が忘れられない光源氏

頼みの綱は、空蝉の弟・小君です。

小君は、子どもながら懸命に機会を見つけ、

紀伊守が留守のときを見計らっては、源氏を邸に導きました。
                 のきばのおぎ
忍び込んだ源氏は、囲碁を楽しむ空蝉と軒端荻(紀伊守の妹)を、のぞき見する。

以前、契りを結んだときは夜だったので、

空蝉の姿はよく見えなかったが、
今回は横向きながら、

表情をみることができた。


でも、実際に目にした空蝉は、それほど美人ではない。

品はともかく容姿だけなら、相手の軒端荻のほうが、

美しいと源氏は思った。


泣ききれず忘れきれずに風のまま  桑原すゞ代

夜も更け、碁を打ち終えた2人は、部屋へ戻っていった。

源氏は闇に紛れて空蝉の寝床へ忍び込むが、

人の気配を素早く感じ取った空蝉は、
   うちぎ
薄衣の小袿だけを残して一足さきに部屋を出ていた。

そうとは知らない源氏は、その場に寝ていた女に寄り添うが、

どうも勝手が違う、よくよく確かめてみると、その女は軒端荻ではないか。

今さら人違いだとも言えない源氏は、その場をうまく取り繕って、

軒端荻をだまし、契りを交わしてしまう。

それでも源氏の傷心は癒されず、空蝉の残した小袿を持ち帰り、

ふたたび子君に手紙を託すが、返ってきたのは、

人妻だけに源氏の気持に
応えられない自らのもどかしさを語った

和歌だけだった。


空蝉の 羽に置く露の 木がくれて 忍び忍びに 濡るる袖かな

出がらしを出したらそれでさようなら  森田律子


   空 蝉

【辞典】「平安時代の恋愛事情」

平安貴族女性にとって、顔を見せ合うのは、男女の睦みごとの時ぐらいで、

男性に顔を見られるのがとても恥ずかしいこととされていた。

だから貴族の邸には、空間をさえぎるパーティションのような家具がある。

簾や屏風、几帳などがそれで、男と女はこれらをはさんで会話を交わした。

大抵は、内側にいる女性からは透けて外が見え、男性側からは見えない。

それでも顔が見えそうなときは、扇を広げて隠した。

だから扇は女性がいつも身近におく必需品なのだ。

カーテンを替えてけじめの春にする  下谷憲子

ところで、源氏物語には、「垣間見」という行為が頻繁にでてくる。

今で言う、「のぞき」である。普段女性の顔を見られない環境で、

男性が恋を進展させる常套手段だったのである。

男は直に女を見ることができない。

では、どうやって恋愛を育んでいたのだろう?

また、どのようにして女性の美人度を知りえたのだろう?

背伸びしても見えない物は見えません  安田忠子

先ず、お姫様の容姿を間近に見ている お付の女房たちの噂話などから、

男性は想像を膨らませ、相手の身分や権勢などを考慮して、

和歌を盛り込んだ恋文で、アタックを開始する。

その途中、うまく行けば垣間見ができ、それで一層恋心を募らせる。

和歌を受けた女性のほうは、相手の身分や噂、和歌の出来具合などを

考慮して、
一人を選び返歌する。

この歌の交換で心が通じ合えば、女房の手引きでこっそりと

女性の部屋に入ることができるのである。

ああ恋ってしょっぱいなァ苦いなァ  佐藤美はる

夜のことだから、2人は暗闇の中で互いに香りと手探りで相手を確かめ合う。

闇に紛れてこっそり通ったんだから、

明け方も暗いうちにこっそりと女の部屋を出て行かなければならない。

ところが当時は時計というものがない。

そこで一番どりが鳴けば、もうお別れの時間ということになる。

切ない鳥の声がよく歌に詠まれるのは、こうした理由があった。

隠しごとするから夜が好きになる  嶋沢喜八郎 

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うつろばかり仰いで首が痛くなる  清水すみれ


   源氏12歳

「巻の2 帚木【ははきぎ】」

光源氏は、12歳のときに元服した。
そいぶし
添臥には、左大臣の娘・葵の上が決まった。


「元服加冠」の儀を終えた東宮,皇子など身分の高い男子には,

当夜女子を選んで添い寝をさせる風習があり,選ばれた女子を添臥という。

その結果、源氏は左大臣家の婿となり、

以後一切の
面倒を左大臣家が見ることになる。

源氏にはじめて有力な後ろ盾ができたのだ。

桐壺帝と左大臣家という有力な後ろ盾を持った源氏は、

左大臣家をしのぐ権力の基盤を持ったといえる。

源氏よりも4歳年上とはいえ、葵の上もまだ16歳。

右大臣が東宮妃にと願い出ていたが、

左大臣はあえてそれを断って、
臣下に下った源氏と結ばせた。

おかしくてちょっと悲しいそんな朝  森田律子

葵の上は、幼い頃から将来の后となるべく、大切に育てられていた。

美しく、しかし気位が高く、人を愛するということの

本当の意味を知らない少女。


たしかに、左大臣家の娘と結ばせたのは、帝の源氏への愛情だった。

だが、幼い源氏にはそれがわからない。

彼が求めていたのは母であり、甘えられる対象だったのだ。

人形のような美少女は、彼を受け付けない雰囲気を持っていた。

そんなとき、源氏は藤壺女御のことを思った。

自分を包み込んでくれるような、慕わしい存在だった。

どんなに恋い焦がれても、二度と直接には会えない人だった。

ここにこう立つとあの日がよく見える  八上桐子


男が寄れば女性談義が始る

そして藤壺への想いを捨てきれないまま、源氏、17歳になる。

政略結婚で妻となった葵の上との関係も、

いまだぎくしゃくしたままである。


そんな源氏が、宮中で宿直勤務をしていた雨の夜、

三人の男友達が 源氏のもとを訪れ、女性談義を始めた。

そのうちの一人は、葵の上の兄で、源氏にとっては義兄でもあり、
とうのちゅうじょう
親友でもある、頭中将である。

彼らは、妻にふさわしい女性の条件などを討論し、

頭中将は以前、
中流階級の女性を妊娠させてしまった女性が、

自分の正妻から苛められて
現在行方不明になってるといことなど、

自らの体験談を披露。


「逢瀬を重ね、子供ができたのに今は行方知れずになっている女性がいる。

    常夏の君と呼んでいた人だが、知らないうちに私の正妻が嫉妬の末、

    ひどい嫌がらせをしたらしい…」と。

みんなまぼろし私を通っていった恋  安土理恵

頭中将は、当時最も将来を有望視された青年で、実際、

後に太政大臣にまで上り詰めることになる。

彼の将来性を見込んで、早くも右大臣が自分の娘と結婚をさせ

その後ろ盾になるのだが、その娘はあの弘徽殿女御の妹である。

その妻は弘徽殿女御に似て、嫉妬深く、人一倍気性が激しい。

密かに妻は、常夏の女に脅迫めいたことをしたというのだ。

悩み苦しんだ常夏の女は、そのことを頭中将にも明かさず、

こっそりと幼い一人娘を連れて姿を隠してしまったのである。

何の頼りもなく、幼い子どもを連れて、どこに行ったのか。

今頃、どれほど心細い想いをしているのだろう。

頭中将は、今になってはじめて自分がいかにつれなかったかを嘆いた。

ゆるやかにゆるやかに哀しみは帰趨  山口ろっぱ

上の空で聞いている源氏をよそに、女性談義は尽きず、夜は更けていく。

それでも話題に上った「中流貴族の女性がいい」という言葉は、

源氏に少なからぬ影響を与えた。

翌日は雨も上がり、源氏は久々に葵の上のところに顔を出す。

でも、取り澄ました妻には、まだ馴染めない。

そこで方角が悪いという「方違え」を言い訳にして、
       きいのかみ
中流遺族の紀伊守の邸に
宿を借りることにする。
                                  いよのすけ
この紀伊守の邸に泊まっていたのが、
紀伊守の父親・伊予介

若い後妻・空蝉だった。


源氏は、女性談義に登場した中流貴族の女性である空蝉に興味を抱き、

寝所に忍び込み、そして強引に一夜の契りを結んでしまう。

【辞典】 方違え=禁忌の方角に出かけるときは、直接向かわず、
      前夜に吉方の家に一泊して目的地に行くこと。

お仲間の翼も借りる好奇心  美馬りゅうこ
   えもんのかみ
空蝉は衛門督の娘で、かつては宮仕えの話もあったほどだが、

父亡き後、受領の後妻という身に甘んじていた。

源氏は、空蝉の弟・小君を通して空蝉との逢瀬を画策するが、

空蝉は人妻である自分の境遇や身分の違いなどに思い悩み、

源氏の誘いには応じなかった。

そこで源氏は、空蝉を近づくと消える伝説の木・箒木にたとえ、

恋心を訴える和歌を贈るのである。

数ならぬ 伏屋に生ふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる箒木

(あなたにとって、ものの数でもない私は情けなくて、
    見えていても触れないという箒木のように消えていきます)

溶けてしまおうみーんな忘れちゃうために 竹内ゆみこ

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壁穴もやがてかさぶたになりますか  山口美千代



「巻の1 桐壺更衣ー②  【藤壺】」 

まず,紫式部の筆致からどうぞ。

年月に添へて、御息所の御事をおぼし忘るる折なし。

慰むやと、さるべき人々を參らせ給へど、なずらひにおぼさるるだに

いと難き世かなと、疎ましうのみよろづに おぼしなりぬるに、

先帝の四の宮の御かたち(容貌)、すぐれ給へる聞え高くおはします、
はゝぎさき                                                                                                 ないしのすけ
母后世になくかしづき聞え給ふを、うへにさぶらふ内侍は、

先帝の御時の人にて、かの宮にも、親しうまゐり馴れたりければ、
                    みたてまつ
いはけなくおはしましし時より見奉り、今もほの見奉りて、

「亡せ給ひにし御息所の御かたちに似給へる人を、

三代の宮仕につたはりぬるに、え見奉りつけぬに、后の宮の姫君こそ、

いとよう覺えて生ひいでさせ給へりけれ。ありがたきかたちびとになむ」
                         ねんごろ
と奏しけるに、誠にやと御心とまりて、懇に聞えさせ給ひけり。

哀しみと喜びはそう遠くない  福尾圭司

母后、「あな怖ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、
                     ためし
あらはにはかなくもてなされし 例もゆゆしう」

とおぼしつつみて、すがすがしうもおぼし立たざりける程に、

后も亡せ給ひぬ。
心細きさまにておはしますに、

「ただわが女御子たちと同じつら(列)に思聞えむ」

と、
いと懇に聞えさせ給ふ。

さぶらふ人々、御後見たち、御兄の兵部卿にみこなど、
                        うち
かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせ給ひて御心も慰むべく

おぼしなりて、まゐらせ奉り給へり。藤壺と聞ゆ。

N極へみんな倒れる磁気嵐  井上一筒

げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞ、おぼえたまへる。

これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、

人もえおとしめきこえたまはねば、
うけばりて飽かぬことなし。


かれは、人の許しきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。

思し紛るとはなけれど、おのづから御心移ろひて、

こよなう思し慰むやうなるも、
あはれなるわざなりけり。


流した涙だけキレイになれそう  下谷憲子



「解説」

年月が過ぎ去った。帝は桐壺更衣のことを何とか忘れようと思った。

評判の姫を入内させてみることもあったが、

結局は桐壺更衣に叶わぬことを、
思い知らされるだけだった。
                            ないしのすけ
帝がそのことを嘆き悲しむと、彼に付き従う内侍の一人が、

思わぬ情報を
もたらした。先帝に四の宮の姫がいる。

内侍は、かってその母后の住居に親しく出入りしていたことがあり、

四の宮の幼少の姿を知っていた。

その後、四の宮が成人すると、その姿を見ることがなくなったが、
   みす
時折御簾の隙間から垣間見て、あまりに亡き桐壺更衣に生き写しなのに

驚いたということである。四の宮は稀にみる器量なのだ。

しかも、かっての帝の娘で、身分も申し分ない。

帝は四の宮の入内を強く望んだ。

発芽までのんびり夢をみていよう  都司 豊

だが母后は、桐壺更衣が弘徽殿女御に呪い殺されたことをあげ、

「そんな恐ろしいところに娘を行かせるわけにはいかぬ」と言い張った。

その母后も、あっけなく死んでしまった。

四の宮は両親を亡くし、孤独になった。

娘同然の扱いをしようとの帝の言葉を受けて、四の宮の入内が決まった。

四の宮はまだ少女である。

たぐいまれな器量を持ち、高貴な血筋を引き、

そして頼るべき所を失った四の宮は
帝の住居である清涼殿のすぐ近くにある
ひぎょうしゃ
飛香舎、つまり藤壺に部屋を与えられた。
藤壺女御の誕生である。

その姿は、まさに桐壺更衣に生き写しだった。

だが気品と知性に溢れた藤壺女御は、そのあまりにも高い身分ゆえ、

桐壺更衣のように蔑まれることはなかった。

弘徽殿女御が地団駄を踏んだのは いうまでもない。

帝は来る日も来る日も藤壺女御のもとに通っていく。

その際に、いつも幼い源氏を伴っていくのだ。

春の序曲へ妖精ふわり舞い降りる  山本昌乃

源氏が帝に連れられて御簾の中に入ってくると、

藤壺女御は恥ずかしがって、
陰に隠れた。

だが、時折垣間見る彼女の姿は目を見張るほど美しかった。


「源氏の母はあなたにそっくりだった。

だから、この子を自分の子だと思って、
可愛がってほしい」

帝がそう言うたびに、源氏の藤壺女御に対する思慕の情


は深まるばかりだった。源氏は母の面影をほとんど覚えていない。

だが幼い子供にとって、母に対する思慕の強さは想像を絶するものがある。

藤壺女御はその母に生き写しだという。源氏は彼女に恋い焦がた。

藤壺女御は源氏より4、5歳年上。

親子ほどの年の差がある帝より、
むしろ源氏とのほうが年齢的に近い。

幼い源氏にとって藤壺女御は母であり、


そして、それがやがて理想の女性へと変わっていく。

出来るだけ片道切符細く長く  須磨活恵 

まもなく、源氏は藤壺女御と会えなくなる。

源氏は12歳になり、元服する。


元服したら一人前の男性として、もう女の御簾の中には入れなくなるのだ。

男と女の間には、一枚の衝立が置かれる。

やがて源氏は、衝立一枚の距離が
持つ意味の重さを知るようになる。

形あるもの何ものこさぬ訣れかた  安土理恵

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源氏物語片目つむって読む  雨森茂樹


   御 所

弘徽殿(こうきでん)とは、平安御所の後宮の七殿五舎のうちの一つ。

清涼殿に近く、後宮で最も格の高い殿舎であり、皇后・中宮・女御などが
居住し、転じて、弘徽殿を賜った后妃の称としても使われる。
女御の場合は「弘徽殿女御」とも呼ぶ。

限りとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり

「巻の1 桐壺更衣」

時は平安時代、舞台は王朝貴族たちが暮す京都の御所。

物語は光源氏が生まれる前、父と母の恋物語から始まる。

光源氏の父・桐壺帝は後宮に多くの女御を抱えていた。

逆に女御してみれば、競争相手が多いので、帝から選ばれるのは大変。

帝の子どもを宿せば、次期国王の母親になれるかもしれないのだ。

そんな時代、桐壺帝は奥ゆかしい桐壺更衣という美女を一心に愛し、

他の女御には目もくれず、ついに愛の結晶となる皇子が誕生する。

この子が光源氏である。

退屈してます耳うちまってます  美馬りゅうこ


「光源氏ー誕生」
さき                                                                                             をのこみこ
前の世にも御契りや深かりけむ、世になく淸らなる玉の男御子生れ給ひぬ。

いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ參らせて御覽ずるに、珍らかなる、

兒の御かたちなり。  …中略…
      こまうど                   そうにん
その頃、高麗人のまゐれるがなかに、かしこき相人ありけるを聞召して、

宮のうちに召さむことは、宇多の御門の御誡めあれば、いみじう忍びて、

この御子を鴻臚舘につかはしたり。

御後見だちて仕うまつる右大辨の子のやうに思はせてゐて奉る。

相人驚きて、あまたたびかたぶきあやしぶ。

「國の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、

 そなたにて見れば、亂れ憂ふることやあらむ。
おおやけ  かため   たす
 朝廷の固となりて、天の下を輔くるかたにて見れば、

 またその相たがふべし」
といふ。
            はかせ
辨もいと才かしこき博士にて、いひかはしたる事どもなむいと興ありける。
ふみ
詩など作りかはして、今日明日歸り去りなむとするに、かくありがたき人

たいめんしたるよろこび、却りては悲しかるべき心ばへを、

面白く作りたるに、
御子もいとあはれなる句を作り給へるを、

限りなうめで奉りて、
いみじき贈物どもを捧げ奉る。

朝廷よりも多く物賜はす。


おのづから事ひろごりて、漏らさせ給はねど、春宮のおほぢおとどなンど、

いかなる事にかとおぼし疑ひてなむありける。御門かしこき御心に、
やまとそう
倭相をおほせて、おぼし寄りにける筋なれば、今までこの君を親王にも

なさせ給はざりけるを、相人は誠にかしこかりけりとおぼし合せて、
むぼんしんのう
無品親王のぐわいせきのよせなきにてはただよはさじ、わが御世もいと
うど
定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行先も頼もしげなる事と

おぼし定めて、いよいよ道々の才をならはさせ給ふ。

きはことに賢くて、ただ人にはいとあたらしけれど、

親王となり給ひなば、
世の疑ひ負ひぬべくものし給へば、

宿曜のかしこき道の人にかんがへ
させ給ふにも、

同じさまに申せば、源氏になし奉るべくおぼしおきてたり。


母の紬 鏡の中は母の顔  笠原道子

【辞典】
皇族は名字がないのが普通で、姓を与えられることは、
臣下として天皇に仕えなさいという意味になる。
源氏の名のきっかけは、「帝になる相もあるが、そうなると国は乱れる。
政治を補佐する人になれば、運命は変わるだろう」の占いからだった。



さほど身分が高くない桐壺更衣は、当然、帝を独占された位の高い他の

女御たちが激しく嫉妬。
こうきでん
特に弘徽殿女御という後宮のボスが中心となり、数々のいじめが始まる。

『どうして、こんなにもあの人を愛してしまったのだろう。

あの人は、誰もかばってくれる人を持たず、たった一人で怯えている。

私はそれをどれほどいとほしく思ったものか。

誰もがあの人を責める。

大臣たちは、自分を唐の玄宗皇帝になぞらえて、彼が楊貴妃をあまりに

愛したために国が乱れ、安氏の乱を招いたと私を諌めようとする。

だが私は桐壺更衣さえいれば、あとは何も望まない。帝の地位も権力も。

私は一人の女を自由に愛することさえできないのか。

私は、今にも消えようとするほど、可憐な、はかないあの人を

守ってやりたかった
だけだ。だが、あの人によかれとおもってしたことが、

すべてあの人を窮地へと
追い込んでいく」

たしかに、桐壺帝の愛は尋常ではなかった。


帝はまだ若かった。

愛する人を守るために、すべてを敵に回してもいいと
思うほどに、

若かった。

逢うための橋 哀しみの連鎖  佐藤正昭



ある日、桐壺更衣が清涼殿へと向かうために廊下を歩いていると、

そこには汚物がまき散らされていた。着物の裾は長いので、

このままでは裾が
汚物まみれにとても帝の前には出られない。

こんなこともあった。


避けては通れない廊下の両端の扉の鍵を他のお妃たちに閉められ、

閉じ込められてしまったのだ。

帝はそうした桐壺更衣が不憫でならない。

そこで自分の近くに住む一人の更衣を外に移して、そこに彼女を住まわせた。

外に移された更衣は、はらわたが煮えくりかえる思いで、

ますます桐壺更衣に対する憎しみを募らせる。

桐壺更衣は実家へ戻りたいと訴えたが、帝は彼女と離れたがらず、

それを許さなかった。

そうして、しだいに桐壺更衣は衰弱していく。

ひたすらに無になりたいのです今は  竹内ゆみこ

【辞典】
清涼殿は天皇の住むところ。長い廊下を通らねば行けない。
後宮とは、皇居の奥にある天皇の奥さんたちが住むところ。
後宮の中にある女性の身分、「女御」=大臣以下の公卿の娘。
「更衣」公卿またはそれ以下の娘。
帝の第一の后である中宮」は女御の中から選ばれる。
すなわち「更衣」は、中宮になる資格がない。

そして、桐壺更衣はそうしたいじめに耐えられず、ついには死んでしまう。

桐壺帝は、形見の子を大切に育て、占い師の予言に従い、

国王候補にせず「源氏」という姓を与える。

この子は母親の美貌を受け継ぎ、輝くような美しさであったことから、

いつしか「光」という字が付けられ「光源氏」と呼ばれるようになる。

それでも最愛の人を失った桐壺帝の悲しみは深く、

公務もままならないほどの日
々を送っていた。

「死んだ後まで、人の心をかき乱す、憎らしい女だこと」

弘徽殿女御は、いまだに容赦なく悪口を言う。

帝は一の宮を見るにつけ、源氏のことを恋しく思った。

桐壺更衣が死んだ今、その忘れ形見の源氏しか残されていない。

だが源氏は母の喪中のためいったん里にかえったままだ。

何度も使者を送って宮中に帰るようにすすめたが、

祖母の北の方が手放さない。


帝は彼女から送られた遺品のかんざしを見て、胸をつかれた。

これが幻術士が玄宗皇帝に贈った「かんざし」であったならと。

たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂のありかを そこと知るべく

【辞典】
楊貴妃を失った玄宗皇帝から依頼を受けた幻術士が、あの世で
彼女の魂のありかを突き止め、その証拠にかんざしを持ち帰った。

どの紐を切ったら楽になれますか  清水すみれ

そこに現れたのが、亡き恋人にそっくりの「藤壷という女性。

桐壺帝はさっそく藤壺を後宮に迎え深い愛情を注いだ。

そして,光源氏も亡き母親に生き写しといわれる藤壺を慕い、

その想いはやがて恋心に……。

外は雨恋と捻挫が痛むわね  桑原すず代

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かくも美しい平仮名を

わがこひは しらぬみちにも あらなくに まとひわたれと あふ人もなし
ひとりぬる ひとにきかくにかみなつき  にわかにもふる はつしぐれかな
亭子院にかつらのきをほりてたてまつるにき
みかくれて ふけゐのうらに ありしいしは  おいのなみにぞ あらはれにける
ことのはを つきのかつらに えたなくば  なににつけてか そらにつてまし
ぬしもなき やどにきぬればをみなへし、はなをぞいまはあるじとはおもふ

「源氏物語を語る前に」
                             はくし
寛平6年(894)は、新しい日本の文化が芽吹のき始めた年である。

それは遣唐使のマスターでもあった菅原道真が、その年の語呂もよろしく、

宇多天皇に遣唐使の白紙(廃止)を進言したことにはじまる。

遣唐使も取り止めることによって、平安後期(10~12世紀)になると

遣唐使が持ち帰った異国の文化は薄れ、襖絵や文箱の絵柄にみるように、

日本独自のものへと移り変るのである。

例えば、鸚鵡など異国の鳥が消えて鶴になり、鳥が銜える花やリボンは、

松になり、松喰い鶴の文様が生まれ、唐草に使われる植物も葡萄のように、

当時の日本にないようなものは廃れ、

秋草や紅葉のように情緒的なものが
好まれ、

日本人の素質が開花し始めるのである。

 
 文筆関係でみてみると、奈良時代から日本語を表記するため、

漢字の
音訓を借りた万葉仮名が使われていたが、

平安時代中期頃になると、
新たに生まれた日本独自の文字として、

カタカナや平仮名など、仮名文字が広く使われるようになる。

 こうして男性の持ち物のように使われていた堅苦しい漢字(漢文)も、

日本独自の仮名文字が一般化することにより、漢字より簡易であることから、

女性も用いるようになり、「通い婚」という当時の慣習とも重なって、

夫を待つ間などに日記や物語を書く女性が現れ始めるのである。



宮中では、時の権力者・藤原道長が、有能な女性を選抜し、

天皇に取り入るための子女の教育係として「女房」を近侍させ、

そして藤原氏に諂う中級貴族たちもまた、

藤原氏に取り入るべく子女の教育に努力を惜しまなかった。

 宮中の東宮という所は、江戸時代で言う大奥みたいなところで、

天皇が訪ねてこなければ、后も女房も時間をもてあますばかり。

こうしたあり余る時間を、知識が豊富な女房たちは、

何か話をとねだる后に、
創作でお伽噺を聞かせながら、

残る時間は、日記や随筆など、執筆活動にあてるようになる。


こうして、そこで生まれた作品が、宮廷や貴族の中で評判を呼んでいく。



ここに藤原道綱母『蜻蛉日記』を皮切りに、女性による日記文学が登場。

一条天皇の后に教養をつけるため形成されたサロンの「女房」の中から、

貴族の日常を鮮やかに描いた、紫式部『源氏物語』が誕生するのである。

紫式部は学者であった父の影響で、幼い頃から漢詩文が読める才女で、

執筆した源氏物語の評判が、時の権力者・藤原道長の耳に入り、

その娘で一条天皇の女御となる藤原彰子の筆頭女房として仕える事となる。

彰子が一条天皇の女御になる前には、一条天皇には、中宮の定子がいたが、

(史上初の一帝ニ后)、その定子の筆頭女房だったのが「枕草子」と綴った

清少納言である。

 いわゆる今風に言えば、清少納言は紫式部の先輩、または上司にあたり、

そしてライバルである。

ここに定子彰子イコール 清少納言紫式部の確執の絵図が生まれる。

意地悪で自尊心の強い紫式部は、清少納言を同列に見ることを許さず、

次のように悪口を『紫日記』に記している。

「清少納言こそ、 したり顔にいみじうはべりける人  さばかりさかしだち
真名書き散らして はべるほども よく見れば  まだいと足らぬこと多かり」

(得意げに真名(漢字)を書き散らしているが、
             よく見ると間違いも多いし大した事はない)

同時代の歌人仲間は、紫式部の人となりを次のように語っている。

和泉式部「素行は良くないが、歌は素晴らしい」

赤染衛門「家柄は良くないが、歌は素晴らしい」

 源氏物語には、「空蝉の巻」は紫式部自身のことといわれるように、

巻中には、清少納言や和泉式部や赤染衛門、藤原道長も出てくるから、

どれが彼らのことかを探りながら、読み進むと益々この小説が面白くなる。

世界でも読まれる源氏物語は、約1千年も前の11世紀初頭(1008成立)

紫式部によって執筆され、光源氏という世にもまれな王朝貴族の波乱に

富んだ人生を描いた長編小説である。

ここには、いつの時代も変わらぬ恋愛感情や親子の絆、さらには憎しみや

争い、悲しい運命など、今も新鮮な感動を与えてくれる沢山のエッセンスが

含まれている、と大体、ここまでのことが源氏物語クイズなどにも出るから、

知る人も多いが、中味のことを知る人は少ない。

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