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川柳的逍遥 人の世の一家言
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蔦もみじ秋一切を深くする  前中知栄




      「真柴久吉武智主従之首実検之図」(月岡芳年画)
戦いに勝った側は、負けた側の大将の首を使って「首実検」を行う。
首実検とは、文字通り、その首が本人のものかどうか吟味すること。



蓮咲いて俄に浄土近くなる  合田瑠美子



「麒麟がくる」 光秀激動の15年②



「元亀年間の補足」
元亀元年(1570)4月。光秀43歳。信長は越前後略を目前に妹の
お市の方を嫁がせ、同盟関係を結んでいた浅井長政の裏切りの報を受け
取った。この後、3年におよぶ近江諸勢力との戦い。元亀争乱の始まり
である。
6月に浅井・朝倉連合軍を破った信長は、9月には、「打倒信長」の兵
を挙げた大坂本願寺を攻撃するため、大坂に出陣する。その間隙を突い
て浅井・朝倉連合軍は、京を目指し湖西路を南下し、坂本で宇佐山城を
守る信長の家臣・森可成(森蘭丸の父)と戦ってこれを敗死させた。
対して信長も、大坂から取って返し、京を離れて比叡の山々に立て籠も
った浅井・朝倉勢と対峙する。「志賀の陣」である。山上・山下で両軍
が睨み合う膠着状態は、その後3ヶ月に及び、同年12月、信長は義昭
の斡旋により、浅井・朝倉と講和を結んだ。



寄り添っていよう残り火尽きるまで  平井美智子



元亀2年(1571)9月12日、光秀44歳。信長「延暦寺焼打ち」
を敢行する。志賀の陣で浅井・朝倉に味方したことに対する報復である。
 ところで光秀は、延暦寺焼打ちに、どの程度関わってたのだろうか。
延暦寺焼打ち後、光秀が志賀郡を拝領し、比叡山山麓である坂本に城を
築いている。ということは、延暦寺焼打ちの戦功によるものと考えられ、
積極的に光秀が、延暦寺焼打ちに参加したことは間違いないだろう。



月光に白クマの胃を縫い合わす  井上一筒



元亀3年(1572)光秀45歳。『兼見卿記』に元亀三年閏正月六日
条に「明十坂本において普請なり見廻りのため下向しおもわぬ」とあり、
光秀は志賀郡を与えられてほどなく、築城を開始している。



燃やしてみるか才能の残りカス  森田律子



元亀4年(1573)光秀46歳。また『兼見卿記』に元亀四年六月二
十八日の条には「明智十兵衛見廻りのため坂本に下向せしめ、果李の文
台、東門三十、持参しおわんぬ、天守の下に小座敷を立て、移徒(わた
まし)の折節、下向祝着の由機嫌がなり」とあり、この年天守に移った
ことがわかる。(「移徙」=貴人の転居)



謁見の間でサロンパス貼り替える  くんじろう




      坂本城跡発掘調査区全景
焼土層からは礎石跡、石組み井戸跡と思われる遺構が出土している。



「坂本城」
光秀の死後に、城は徹底的に破却されたため、地上に「坂本城」の痕跡
は一切残っていない。現在では、琵琶湖が渇水した際に姿を見せる石垣
の底部だけが、ここに城が存在したことを示している。
「幻の城」となった坂本城だが、実際は、総石垣の大規模な城郭であり、
天守が存在したことが分っている。
つまり信長の安土城に4年も早く、光秀は天守建造を始めたことになる。
(坂本城は天正10年6月、本能寺の変の後、光秀が「山崎の合戦」で
秀吉に敗れると、城に籠っていた光秀の妻子一族とともに焼失している)



帰り道省みるもの捨てるもの  新保芳明



天正元年(1573)、光秀46歳。元亀4年7月3日、義昭は反信長
の兵を挙げて宇治の槇島城に立て籠ったものの、織田の大軍に包囲され
てなす術もなく、同月18日、嫡子を人質として差し出して信長に降伏。
これを受けて信長は、義昭を河内に追放し、「元亀から天正へ」の改元
を実現した。
信長は将軍義昭の追放ののち、信玄が死去すると、間髪を入れずに朝倉
義景と裏切り者の浅井久政・長政攻めの挙に出た。講和中ではあったが、
越前は、織田領である美濃と京都間に突き出された槍、という位置から、
義景を服属させる必要があったため、いずれは刃を交える敵に、先制攻
撃を仕掛けたのであった。



猜疑心メガネ曇っていませんか  上田 仁



 
   朝倉義景         浅井長政
 
 

「越前から小谷城陥落中継」
信長軍は3万の兵をもって小谷城を攻撃。刀根坂で朝倉軍を破り、越前
に侵攻、一乗谷を焼き払い、義景は大野に落ち延びようとするところを、
朝倉景鏡の裏切りにあい、自刃に追い込まれる。
一方、小谷城を包囲した秀吉軍は、清水谷から小谷城京極丸を陥落させ、
本丸を守る長政と小丸を守る長政の父・久政を分断させ、長政を窮地に
追い込んでいた。信長の妹・お市は、兄・信長に夫の助命を嘆願すると、
信長は「袂を分かったとはいえ、義弟である長政への最後の情け」とし
て、大和一国を与える事を条件に降伏・再従順するよう勧告した。
しかし長政は降伏を拒絶し、その後、2日に渡り徹底抗戦を続けた。が
意地も尽き、赤尾屋敷で重臣・赤尾清綱、弟・政元らと共に、自害して
果て、浅井は三代で滅びた。



線の通り歩くと三途の川がある  田中博造



 信長の語録に次のようなものがある。
『愚かな間違いを犯したら、たとえ生きて帰ってきてもワシの目の前に
姿を見せるな』
これを具現するように、戦後処理において、信長の浅井氏への仕置きは
苛烈を窮めた。浅井久政・長政親子の首は京で獄門にされ、長政嫡男の
万福丸は、敦賀に潜伏していたところを捕らえられた後、関ヶ原で磔に
され、親族の浅井亮親、浅井井規、家臣の大野木秀俊も処刑された。
信長の浅井や朝倉への怨み、怒りは収まらず、翌年の正月には、信長の
残忍性の一面を象徴する、饗宴が催された。



その時間なら罵っておりました  竹内ゆみこ




 
金箔の長政義景久政髑髏盃


 
天正2年(1574)正月、 光秀47歳。岐阜の信長のもとへ挨拶に
きた他国の諸将らをもてなすため、酒宴が開かれた。そして彼らが退出
後、信長は、今度は馬廻り衆と酒宴を行なったが、このときの肴は浅井
久政、浅井長政、朝倉義景の3人の首(頭蓋骨)に金箔と漆を塗ったも
のだった。(『信長公記』)
光秀はこの時、大和・河内へ参陣中だったため、宴には参加していない。



悪党の一人もいないまずい酒  松田俊彦




       武智道秀ー明智光秀と家臣の笑い首

 
            
天正2年1月1日の『信長公記』にはこうある。
『朝倉義景、浅井久政、浅井長政、三人が首、御肴の事。正月朔日、
京都隣国の面々等、在岐阜にて御出仕あり、各々三献召し出だしの御酒
あり、他国衆退出の巳後、御馬廻りばかりにて、古今に参り、及ばざる
珍奇の出で候て、又、御酒あり。去年北国にて討ち取らせられ候。
一、朝倉左京太夫義景首。
一、浅井下野首。浅井備前首。
巳上三ツ、薄濃(箔濃=はくだみ)にして公卿に据え置き、御肴に出だ
され候て、御酒宴。各御謡・御遊興、千々万々。目出たく、御存分に任
せられ、御悦びなり』と。
(薄濃とは、頭蓋骨に漆を塗り、金粉をまぶすこと)



夕凪の裏に罵詈雑言の立つ  酒井かがり 



「反撃の二百挺ー通説では千挺、又は三千挺」
天正3年(1575)5月、光秀48歳。信長は、豊富な資金と流通経
路の確保で、千挺もの鉄砲を準備した。その威力は、早速、天正3年の
「長篠の戦い」で発揮された。長篠の戦いは、同年5月、織田・徳川連
合軍3万8千が1万5千の武田勝頼の軍勢と戦った合戦で、
「織田方が三千挺もの鉄砲隊を組織して、三段撃ちで矢継ぎ早に銃火を
浴びせ、武田騎馬軍団をせん滅した」という戦である。
(『信長公記』には、三千挺とあるが、有力な説として実際は、千挺で
あり、千挺という大量の鉄砲の一斉掃射による轟音によって、馬の冷静
さを失わせ、武田騎馬隊の大混乱を誘ったのでは、というのである)



笑うしかない犬にくらった猫パンチ  田口和代
 



          黒井城空撮



「丹波攻め敗北と自身の病いと愛妻・煕子の死」
天正4年(1576)1月、光秀49歳。時期は少し戻るが、天正3年
6月、信長は光秀に、「明智十兵衛尉」から「惟任日向守」を名乗らせ、
丹波攻略を命じた。11月ころには、光秀は、丹波国衆の大半を従えて、
黒井城の荻野直正を攻撃した。この時、光秀の勢いからほぼ落城は免れ
ないと認識されていた。
ところが、翌4年正月、突然織田方についていた八上城の波多野秀治
敵方に寝返ったため。光秀は京都まで退却し、丹波攻めは一旦、頓挫す
ることになった。丹波攻めが中断されても、光秀に休みはなかった。
5月には、大坂の本願寺と戦ったが、ここで光秀は、病に倒れてしまう。
さらに11月に、妻の煕子(ひろこ)が亡くなるなど、光秀にとっては、
生涯最も辛い日々が続いた。



あなたより先に電車が来てしまう  河村啓子



天正5年(1577)10月、光秀50歳。それでも休む間もなく光秀
に、戦いの日々が続く。光秀は丹波攻めを再開し、波多野方の籾井氏が
籠る籾井城を攻撃した。だが光秀自身は、松永久秀や大坂の本願寺など
織田方の勢力と戦い、また羽柴秀吉の援軍として播磨へと派遣される
など、多忙を極め、妻の死を悲しんでいる暇は、与えられなかった。



底に着いたら挑戦状を突きつける 立蔵信子  

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